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第20章 信用攻防 ― 都市を揺るがす通貨戦
しおりを挟む農村防衛戦の勝利から数日。
二階堂商会の名は、まるで新しい時代の風に乗ったかのように都市中へ広がっていた。農村から届いた新鮮な食材は倉庫街に山積みになり、配給を求めて市民が列を成す。手に握られるのは金貨ではなく、二階堂商会が発行する商会手形。それは瞬く間に街の市場へ浸透し、金貨より確かな価値として扱われ始めていた。
漣司は執務室の窓辺に立ち、その賑わいを静かに眺めていた。市民のざわめきは勝利の余韻のように聞こえる。しかし、彼の眼差しには緊張が宿っていた。
「……だが、これは嵐の前の静けさだ」
扉が開き、帳簿を抱えたリュシアが入ってくる。冷徹で、感情ではなく数字だけを信じる彼女の声が室内に落ちた。
「ギルドは軍事での報復に失敗しました。彼らの次の手は――“信用戦”。資金力で我々を圧倒するはずです」
漣司は短く息を吐き、指先で窓を軽く叩いた。
「つまり……通貨戦か」
その言葉に、リュシアが無言でうなずく。漣司の瞳が細められ、まるで遠い昔の記憶を呼び起こすように微かな笑みが浮かぶ。
「日本で言う市場介入、為替操作……投資ファンド同士の空売り合戦と同じ構図だ。奴らは商会手形を市場にばらまき、価値を暴落させに来るだろう。信用を殺すつもりだ」
その低い声は、戦場とは別のもう一つの戦争の始まりを告げていた。剣と魔法の残響が消えていく代わりに、貨幣と信用の冷たい匂いが満ちていく。
二階堂商会の次の戦場は――市場そのものだった。
◇
その頃、都市の酒場では、湿った空気の中で不穏な声が渦を巻いていた。
「二階堂商会の手形、危ないらしいぞ。もうすぐ紙屑になるって噂だ」
「ギルドの保証がないんだろ? あんなの抱えてたら破産一直線だ」
木製のカウンターに置かれた手形を、市民たちはまるで毒物でも見るかのように扱う。怯え、ざわめき、互いに顔色を窺う。だが――この騒ぎの火種が誰かは分かりきっていた。ギルドが流した工作だ。目に見えない刃が、静かに市民の不安を切り裂いていく。
その頃、二階堂商会の会議室。漣司は円卓の中央に立ち、全員を見渡した。窓の外から噂のざわめきが、遠雷のように伝わってくる。漣司は全員に告げた。
「信用は数字ではなく信念で守るものだ。だが、信念だけでは市場は動かない。数字という武器で裏付けなければならない」
低く、だが迷いのない言葉だった。リュシアが静かにうなずき、帳簿を開いて言う。
「そこで提案します。――公開会計です」
「公開会計?」
ロイが首を傾げる。
「はい。二階堂商会の資産、負債、収支、すべて市民に公開するのです。数字を隠さず示すことで、噂よりも強い信用を築けます」
ミナが肩を竦めて笑う。
「へぇ、そんなもん出したら、逆にスケスケで狙われるんじゃないの?ここに弱点ありますって看板掲げるようなもんでしょ」
しかし、リュシアは微動だにせず、冷たい刃のような声で返した。
「狙われてもいいのです」
リュシアは冷徹に言った。
「数字は嘘をつきません。虚言を打ち砕けるのは、ごまかしのきかない事実だけです」
その言葉の重さに、部屋の空気が一段引き締まった。
漣司は腕を組み、リュシアを見据えた。
「…噂は風だが、数字は地面だ。地面を見せてやれば、市民は何を信じるべきか分かる」
ロイは不安そうに、それでも力強く拳を握った。
「だったら……俺たちの本気、全部見せてやりましょう。この商会が何で成り立ってるのか、堂々と証明すればいい」
ミナがにやりと笑う。
「いいじゃん。派手なのは嫌いじゃないよ」
そこでガロウが拳を鳴らしながら言った。
「いいじゃねェカ。どうせ隠すほどの汚れ仕事はしてねェ。なら堂々と見せテ、ギルドのクソどもを黙らせてやりゃあいイ!」
リュシアの瞳が淡く光った。
「では準備を始めます。――信用戦の幕を開けましょう」
その瞬間、会議室は戦場を前にした軍議の緊張感に満ちた。剣ではなく、数字で闘う戦争が始まろうとしていた。
◇
数日後、倉庫街の広場に特設舞台が設けられた。漣司、リュシア、そしてロイが立ち、市民の前に大帳簿を広げる。リュシアが冷ややかに宣言する。
「これが我が二階堂商会の収支です。食糧在庫は一万俵、保険積立金は銀貨二千枚。市議会からの徴税実績も公開します」
群衆がざわめく。
「本当にある……!」
「嘘じゃなかったのか!」
その時、ロイが前に進み出た。
「みんな! 俺は農村の出身だ。ギルドに搾取され続け、未来なんて見えなかった。だが、この商会は違う! 俺たちと契約を交わし、守ってくれた!」
彼の爽やかな声は、群衆の心を掴んだ。
「数字はリュシアさんが保証してくれる! そして、俺が保証する! 二階堂商会は、庶民の味方だ!」
歓声が広場に響き渡る。
◇
しかしその直後、群衆のざわめきを切り裂くように、男が声を上げた。
「嘘だ! 見せかけの帳簿だ!」
ギルドの工作員だ。目つきは鋭く、群衆の不安を狙って挑発する。瞬間、一部の人々の顔に動揺が走った。
だがロイが前に一歩踏み出した。
「みんな、落ち着け! 焦る必要はない!」
その声には、ただの呼びかけではない、力強い安心感が宿っていた。群衆の視線が、自然と彼に向かう。
「この帳簿は俺たちが確認した、事実だけだ!」
両手を大きく広げ、帳簿を指し示す。真摯な笑顔と、農村で培った誠実さが人々の胸を打つ。
「疑うなら、自分の目で見てくれ!」
子どもたちも手を止め、大人たちは顔を近づけ、帳簿に目を凝らす。男の挑発は徐々にかき消され、群衆の中にざわめきが戻ってくる。
「俺が保証する! 二階堂商会は庶民の味方だ!」
その声に、群衆は歓声を上げ、男を取り囲んで疑念の声を消した。人々の視線は再び商会へと向き、信頼が固まっていく。
「ならば公開で検証しろ! 誰でもこの帳簿を閲覧できる! 数字は誰の目にも明らかだ!」
漣司の言葉が響くと、群衆は完全に納得し、商会への信頼は揺るぎないものとなった。
◇
夜、執務室に戻るとリュシアが静かに言った。
「……見事でしたね、社長。ロイの演説後、市民の反応は予想以上です。皆、彼を庶民の英雄として称えています」
漣司は窓の外の広場を見やった。演説の熱狂はすでに落ち着き、群衆は談笑しながら互いに感想を語り合っている。彼は最後まで丁寧に頭を下げていて、周囲の市民一人ひとりの目を見て声をかけていた。その真摯な姿勢からは、演説で見せた言葉の力が、確かに人々の心に届いたことが伝わってきた。
「彼の力は数字や理屈では測れない。言葉と行動で人の心を動かす力だ。人気は信用を支える。だが……過信すれば、同時にリスクにもなる」
リュシアは黙り込み、漣司とともに窓の外を見つめた。夜の広場にはまだ、市民たちが小声でロイの名を呼び、感謝や希望を語り合っていた。その光景が、彼の存在がもたらした揺るぎない信頼を如実に示していた。
◇
その頃、ギルドの会館では、老練な幹部たちが暗い顔をしていた。
「手形の信用は逆に強まったぞ……」
「このままでは市場支配を失う」
長机の奥で、ギルド長マルコが低く呟いた。
「ならば次は……資金を吸い上げる。商会の流通を奪い、銀貨を枯渇させる。都市経済を飲み込むのは、我々だ」
新たな策謀が蠢いていた。夜風の中で、漣司は独り言のように呟いた。
「戦いはまだ都市の中だ。世界の経済から見れば、この都市の規模は一%にも満たない。だが、この一%を制すれば、残り九九%に挑む力が生まれる」
剣と天秤の旗が月光に揺れる。二階堂商会の経済戦争は、さらに深い局面へと突入しようとしていた。
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