あとから正ヒロインが現れるタイプのヒーローが夫だけど、今は私を溺愛してるから本当に心変わりするわけがない。

柴田

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 アレクセイ・ジークライトは、あとから正ヒロインが現れるタイプの小説のヒーローだ。

 帝国の皇太子として生まれたアレクセイは、まさに恋愛小説のヒーローに相応しい整った容姿や地位や権力、そのすべてを併せ持った男である。
 そしてアレクセイは、政略結婚で結ばれた公爵令嬢フィーナ・コルンの夫であった。

「フィーナ、今日もかわいいね」

 原作のアレクセイは、妻のフィーナを溺愛するような男ではなかった。むしろ嫌っていたはずだ。毎日デレデレと甘い言葉を囁かれるたびに、フィーナはいつも小説の中のアレクセイと自分の夫を比べてしまう。
 ――そう、フィーナはこの帝国が舞台となった恋愛小説のヒーローの妻である、悪役令嬢に憑依してしまった一般人だ。

 ひょんなことからフィーナ・コルンに憑依したのは、彼女が10歳、そしてアレクセイがまだ5歳のときだった。
 アレクセイの母である皇后が不祥事により廃位され、政治的基盤が揺らぐ息子を想う皇帝により、彼はコルン公爵家の娘と婚約することになったのだ。

 婚約式のちょうどその瞬間に、いつの間にか彼女はフィーナになっていた。
 物語の始まりにもなったその婚約には、度々悪事をはたらこうとするコルン公爵家をおさえつけるために、溺愛している愛娘を人質というかたちで皇家に迎え入れたい――という裏事情もあったらしい。

 悪役令嬢フィーナ・コルンは、それはもうアレクセイに対しての態度がひどかった。無視、いじめ、暴言、暴力、人目につかないよう徹底して行われたそれらは、幼いアレクセイの心を蝕んだ。
 アレクセイは5つも年下で、皇太子妃になりたいわけではなかったフィーナはそれも気に入らなかった。さらに泣き虫でなよなよとしたアレクセイの姿が、フィーナの癪に障ったようだ。

 フィーナは、今までなんでも思いどおりになった人生だった。父親はとびきりフィーナに甘く、母親も同じくらい娘を溺愛し、わがまま放題に育てられたのだ。従順に言うことを聞くアレクセイに対して、フィーナは次第に歪んだ愛を向け始めた。

 しかし小説の中のアレクセイは、ある日平民の少女――オリヴィアと出会い、恋に落ちる。
 それからのアレクセイは真実の愛のために心身ともに鍛え、フィーナに立ち向かった。フィーナと離婚したのちオリヴィアを皇太子妃として迎え、愛し合う二人のエピソードで物語は締めくくられたのである。

(でも、わたくしはそうならないように努力したの)

 フィーナの努力の賜物により、アレクセイは現在、妻溺愛のスパダリ皇太子に育っていた。

「ふふ、旦那さま。お仕事に遅れますわよ」
「うん……でももう少しフィーナとこうしていたい」

 フィーナを抱き締めながら、アレクセイが甘えた声でねだる。そんなふうに言われては、夫を愛する妻としては強く言えない。「仕方ないわね」なんて言いながらも、フィーナも満更ではない様子だった。

 ――憑依してからのフィーナがしたことといえば、憑依前の自分が犯した過ちを謝罪して回ったこと。それと「これからはいい子になる」という宣言と実行。そして泣き虫だったアレクセイを、母のように友のように、はたまた妻として愛し慈しんだ。
 フィーナは厳しい皇室マナーを完璧に身につけ、学びに精を出した。そして何かと悪事をはたらこうとする悪役である父親を、愛娘パワーで改心させたこと。

 つまり小説とは真逆の行動をとったのだ。そんな彼女を誰が悪役令嬢などと呼ぶだろうか。今やフィーナは淑女の鑑と呼ばれている。
 努力の甲斐もあり理想の皇太子妃と言われ、夫の愛も手に入れることができたフィーナは、今が幸せの絶頂であった。
 アレクセイが成人すると同時に結婚し、現在新婚一年目だ。

「ああ、フィーナ。……離れたくない」
「わたくしもよ、アレクセイ」
「……フィーナは昔、僕にはいつか運命の人が現れるって言っていたけれど、やっぱりそんなわけないよ。僕の運命の人は絶対に君だ」

 アレクセイはオリヴィアと結ばれる運命だ。フィーナも初めのうちはずっとそう思っていた。
 だが、アレクセイはフィーナが思う以上に妻のことを愛している。その愛は盲目的なほどで、アレクセイのその愛が不変であると確信したとき、フィーナも夫を愛するようになった。

 フィーナは前世で死ぬほど読んだ転生もの、または憑依ものの恋愛小説や漫画で、ヒーローの愛を疑うヒロインの話が嫌いだ。
 いずれ運命の相手が現れると知っているヒロインが、ヒーローに今とてつもなく溺愛されているというのに、そのまだ起こってもいない未来を憂慮してヒーローを遠ざけたり、逃げたりといった行為をすることが信じられなかった。
 時にはそんなヒロインに涙するヒーローもいた。そういった波乱のある展開のほうが面白味があるとわかってはいても、かわいそうなヒーローに同情してしまう。

 だから、フィーナはアレクセイの愛を疑うことはしなかった。

 ――そう、その日までは。

 アレクセイが下町によく出かけているという噂を聞いても、皇太子の仕事が滞っているからと肩代わりしている間も、皇太子宮にあまり帰ってこなくなっても、信じていたのだ。

「フィーナ……離婚してほしい」
「…………え?」

 二人が暮らす皇太子宮に久しぶりに帰ってきたと思いきや、いきなりロビーで離婚話を切り出された。フィーナが、時が止まったかのように唖然として固まってしまうのも無理はない。
 アレクセイは今なんと言っただろう。耳がおかしくなったのかしら? そう思って、もう一度言ってちょうだいと口にしようとしたとき、アレクセイの背中から少女が顔を覗かせた。

「…………その方は?」

 聞かなくとも、察していた。しかし一縷の望みをかけて、小説の中のヒロインではないと否定してほしくて、つい聞いてしまった自分をフィーナは愚かだと思う。

「オリヴィアだ。彼女は平民だけれど、僕と彼女は運命なんだ! だからフィーナ、君と離婚してオリヴィアと結婚がしたい。僕の気持ちは揺るがないよ。どうか許してくれ」
「は?」

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