久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第伍話──箪笥

【伍】桜子、潜入

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 ……一方、桜子は――。

 格子窓のある通り際の板の間に座っていたのだが、しばらくしてからキョロキョロと立ち上がった。
 すると、お座敷にお呼びが掛からないのだろう。手持ち無沙汰に格子の前に座っていた、随分と年増の芸者が振り向いた。
「坊や、どこ行くんだい?」
「あ……かわやに、ちょっと」
 無理矢理低めたかすれ声に、だが芸者は怪しみもせず、
「そこの廊下を曲がった突き当たりだよ」
 と言って、通りに顔を戻した。
「ありがとう、姐さん」
 桜子は風呂敷包みを抱え、そそくさと廊下に向かった。

 厠に身を隠した桜子は、大きなキャスケット帽を外し「ふう」と息を吐いた……何とかバレずにやり過ごせたようだ。

 ――帽子の下から現れたのは、島田まげ。添え髪をして何とか結い上げたそれを、桜子は鏡を向いて整える。
 やはり結い髪にすると、顔立ちの芋臭さが際立ってしまう……。桜子は慌てて、懐から出した白粉を顔に塗りたくった。眉墨と口紅で顔を描くが、どうにも垢抜けない。
 とはいえ、ここで時間を食ってはいられない。風呂敷を開き、中から出したのは着物だ……彼女の手持ちのうち、最も派手なもの。それをおはしょりせずに着付けて帯を締め、黒羽織をまとう。最後にくしかんざしを髷に挿せば、芸者っぽく見えるだろう……決して売れっ子ではなさそうだが。
 何度か鏡で姿を確認し、
「大丈夫、私だってやれるわ」
 と呟くと、桜子は厠を後にした。

 今宵の彼女の役割は、久世伯爵一家殺害の夜の、久世慶司のアリバイを確認する事。零が彼の花嫁の正体を探っている間に、探偵助手として潜入調査をするのだ。こういう街で妙な動きを見せればたちまち噂になる。何度も調査に通えるとは思えないから、手分けして一気にやってしまおうという魂胆なのだ。

 しゃなりしゃなりと廊下を戻り、格子窓の部屋に顔を出すと、先程の芸者が妙な顔をした。
「見ない顔だね、新入りかい?」
「へ、へぇ……梅奴でやんす」
 軽く腰を曲げて返事をすると、その芸者はすぐさま立ち上がった。
「着付けがないってないよ。それに、その顔は何だい。ちょっとこっちに来な」

 その芸者は、年増なりに世話焼きとみえる。物陰に桜子を引っ張り込むと、
「襟が全然抜けてないじゃないか……それに、そんな太い眉、今どき流行らないよ。ほら」
 と、襟首を引っ張り帯を整え化粧を直す。最後に簪の角度を整え、
「ま、こんなモンだろ」
 と桜子の肩をポンと叩き、格子窓に彼女を導いた。

 並んで格子越しに花街を眺める。奥まったこの店は、かしましい通りから切り離されているようで、格子を覗き込む者もいない。
「京言葉で言うところの『一見さんお断り』ってンのは知ってんだろ? うちは格式が売りだから、安売りはしないんだよ」
 年増の芸者はそう言った。

 彼女は菊すけと名乗った。三十路をとうに超え、この界隈で長いらしい……失礼な言い方になるが、見場が良くないため旦那も付かず、独り立ちできないのだろう。
 それでも、辰巳芸者としての心意気は人一倍あるようで、
「芸者は芸を売るモンさ。身を売るようになっちゃアおしまいだよ」
 と、説教じみた口調で桜子に語った。

「勉強になります……」
 桜子はそう返しつつ、上目遣いを菊すけに向ける。
「芸者の心構えは、他に何かありますか?」
 よほど暇と見える。似た者同士の同情もあったのかもしれない。今宵は不格好な新入りの相手をすると決めたようで、菊すけは得意気な顔で桜子を見た。
「客商売だからね、一度見たら客の顔を覚えるのは基本だよ」
「なるほど……菊すけ姐さんも、このお店に来るお客さんは全部覚えてるんですか?」
「知ってるとも。そこいらの御用聞きより詳しいさ」

 暇を持て余した古参芸者ほど、今の桜子にとって都合がいい存在はない。彼女は内心ほくそ笑みつつ、無知な小娘を装って身を乗り出した。
「格式が高いこのお店には、身元の確かなお客さんしか来ないんですよね。社長さんとか、議員さんとか……華族様とか」
「あんたね、さっき言ったろう? 芸者ってンのは芸を売るもの。あんた旦那を見付けに来たのかい」
 菊すけに白い目を向けられ、桜子はペロリと舌を出した。
「でも、やっぱり憧れるし……ねえ姐さん、『あんた』って事は、めでたく結ばれた人もいるんですか?」
 興味津々という様子で聞き返せば、
「やめときな、めでたい事なんかありゃしないよ」
 と、菊すけは遠い目を通りに戻した。

 その様子から、もしかしたら慶司の花嫁の事ではないかと、桜子は勘繰った。女の勘である。彼女はその線に話を導こうと心に決めた。
 とはいえ、相手は熟練の芸者。正面から口を割るとは思えない。桜子は少し言葉を選んでから、はしゃぐ調子で手を打った。
「もしかして、身分違いの恋、とか? お芝居みたいじゃない」
「客と芸者の色恋沙汰はご法度。ロクな事にゃならないさ」
「何かあったんですか? もしかして、刃傷沙汰とか? ……あ、実は姐さんの話だったり?」
「バカ言うんじゃないよ……惚れたら最後、命が幾つあっても足りゃしないよ」

 あまりに無邪気な桜子に忠告するつもりだろう、菊すけはギロリと振り返る。
「ついこの前、九段坂で伯爵一家の皆殺しがあったろ? その御曹司がうちの客だったんだよ」
「えっ……」
 桜子は大袈裟に驚いて見せた……案外簡単に乗ってきたものだと思いつつ、彼女は更に突っ込んでみた。
「新聞で見たけど、犯人がまだ捕まってないって……もしかして、その御曹司が犯人とか!?」
「極端な事を言う子だねぇ……」
 呆れ顔を浮かべ、だが菊すけは桜子に顔を寄せた。
「……大きな声じゃあ言えないが、あたいはそうに違いないと思ってるよ」

 ――しめた。
 桜子は心の内でほくそ笑みながらも、さりげなく首を傾げた。
「どうして?」

 ◇

 夜更けの深川を、駅の方角へと歩くふたつの影。
 背の高い男に付き添う芸者は、風呂敷包み片手に男に言った。
「やっぱりあの日の夜、慶司さんが深川に来てたってのは嘘みたい……いや、嘘じゃないんだけど……」
「どういう事ですか?」
 男――犬神零が目を向けると、芸者姿の桜子はツンと澄まして答えた。
「あの菊すけという姐さん、自分の店どころか、花街に来る客の顔を全部覚えてるのよ。辰巳屋、通りが見渡せる場所にあるじゃない? あの姐さん、暇だからいつもあそこに座って、遊びに来る客の顔を眺めてるんだって。その上、人の顔を覚えるのが得意で、あの客はどの店の常連だとか、この客は初めてだとか、全部分かるみたい」
「凄い人ですね……」
「器量が良くない代わりに、他の芸者にはできない事をしてやろう……って思ったそうよ。あんまり役には立ってないようだけど。でね、事件のあったあの晩――」

 菊すけは桜子にこう囁いた。
「間違いないよ。久世伯爵の御曹司が、宵のうちに筋向いの茶店に入ってね、すぐに裏口から出てきたんだ」

「……さすがに辰巳屋に入るのは気が引けたんじゃない? だから別の店で、芸者に金を積んで嘘の証言をさせたのよ。菊すけ姐さん、それが気になって、誰かに話したくてウズウズしてたらしいの。そんなところに私が行ったから、ここぞとばかりに色々と教えてくれたわ――お玉さんの件も」

 大金を叩いて芸者遊びをしたのは無駄遣いだったようだ。零はそれを誤魔化すように、
「それは大手柄ですよ、桜子さん。それに、似合ってますよ、この格好」
 と、満面の笑みを浮かべて彼女の肩をポンと叩いた。
「やめてよ、そういうの……」
 頬を赤らめ、桜子は口を尖らせる。
「とにかく、慶司さんがまず犯人で間違いないわね……考えたくないけど」

 零は指先で顎を撫でる。アリバイ工作まで行った理由は、そうとしか考えられない。更に言えば、決して突発的な犯行ではない。計画的な殺人である。もちろん、物取りに見せかけた物色の跡は見せかけだ。
 となると、やはり動機が気になる。なぜ彼は、両親を殺害しなければならなかったのか?
 それに……

「問題は、それをどう証明するか、ですね……」
 警察が一度採用したアリバイを、菊すけ一人の証言でひっくり返すとは思えない。見間違いと決めつけられてしまえばそれまでなのだ。

 桜子は「うーん」と首を傾げた。
「やっぱり、慶司さんの住まいを探し出すしかないんじゃないの? そっちの首尾はどうだったの?」
「実を言うと、思わぬ方向に話が進みましてね……」
 零が水天宮の人形師の話をすると、桜子はだがキリッと彼を見上げた。
「それだけの手掛かりが得られたんだし、その人形師を調べればいいだけじゃないの」

 桜子の前向きさにはいつも助けられる。零は表情を崩した。
「その通りです……」
 ――と答えたものの、零は嫌な予感を完全に拭う事ができなかった。

 駒吉の話である。
「その人形師、ちょっと変わっててね」
 ちびちびとお猪口を舐めつつ、彼女は表情を曇らせた。
「――水子供養のために、赤ん坊の人形を作ってるんだと」

 赤子を抱けなかった母の悲しみを癒すための人形――それは道理が通っているようでいて、決して癒しになどならない。
 死者の代わりが目の前にあっては、心の傷を忘れる暇を与えられないからだ。
 人形師などという生業なりわいをしていれば、それが分からぬはずもないと思うのだが……。

 考え込む零に、駒吉は「ちょっと」と告げて座敷を後にし、すぐさま風呂敷包みを抱えて戻ってきた。
「お玉ちゃんの置き土産があったのを思い出したよ」
 と、彼女は畳に包みを置いて、風呂敷を解いた。

 現れたのは、人形。
 金襴緞子きんらんどんすに文金島田の、花嫁御寮の姿をしている。
 白塗りの表情はまるで生きているようで、零は思わずゾクッとした。

 そんな零に、駒吉は言った。
「これは、お玉ちゃんがその人形師からもらったものらしいけど――生き人形なんだよ、その人が作る人形が」
 彼女の目が人形に向けられる。
「まるで生きてるみたいに生々しい人形――あたしなんかからすりゃ、気味悪くて仕方がないね」
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