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「いいじゃん、そのイヤリング」
千草が、アイスコーヒーの氷をストローでかき回しながら言いました。カラコロという涼しい音が鳴ります。
わたくしは、右耳に掛かっていた髪を手櫛で掻き上げ、千草にそれを見やすいようにしました。指で軽くつついて、揺らしてみせます。金色の羽が、風鈴のそれのように揺れました。
「可愛い。意外とそういう大人っぽいのも似合うんだ」
あかりが言いました。
「そうかしら? ありがとう。嬉しいわ」
「いや、なんか、ほんとに嬉しそう。どうしたん?」と千草。
それが紫以菜からのプレゼントであることを、言おうかどうか、勿体ぶっていましたが、千草もあかりも、さして興味はなさそうでした。
「でも、まさか、ほんとに二人がそういう仲になるとはねえ」あかりが言いました。
日曜の昼下がり。喫茶〈鳩とそら豆〉の店内は、いつものように静かな人ばかりで、わたくしたちの声が聞かれやしないかと、心配になるくらいです。それでも、気にするひともいないようで、居心地のよさは変わりません。
「でも、単純に疑問なんだけど、それって犯罪にならないの?」
千草が聞きます。
「そ、それは大丈夫ですわ。みだらな行為はいたしませんから」
わたくしが言うと、二人は苦笑いして、顔を見合わせました。
「まあ、とにかくよかったのだろうね。笙子としては。でも家のことは大丈夫なの?」
あかりが聞きました。
「ええ。お父さまは、最後は諦めたみたいなものですわ。お母さまのことを考えると、わたくしには堂々としていてほしいみたいです。志良山さんも、わたくしのことが好きといっても、心のどこかでは、わたくしから好かれてはいないことを自覚してらっしゃったようで、最後はあっさり引き下がりました」
「そんなものなのかな」あかりが言います。「丸く収まったならいいけど」
「丸くなんて収まってはいませんわ。お父さまには、紫以菜のことは言ってませんの。だからなのか、まだ、いまいちしっくりきていないみたいですわ」
「そうなんだ。まあ、言いづらいよね。女のひとが好きといっても、相手が中学生じゃね……」
「言ってみればいいじゃん。だって、犯罪じゃないんでしょ」と千草。
「それはそうですが……わたくしは、紫以菜が高校に入るまでは黙っていようと思うのです」
「なんで?」千草が言いました。「犯罪じゃないのに」
「ちょっと、千草っ!」とあかり。千草は舌を出して笑っています。
「よろしいのです。むしろ、それくらい待てないようではいけませんわ。これから成長する紫以菜の姿が、わたくしは楽しみで仕方ないのです。可愛い紫以菜もいいですが、大人びてゆく紫以菜も、きっと美しいのでしょう。そう思っていますの」
「ほ~。さては惚気ですな?」
千草がからかいました。あかりも笑っています。
「そうかもしれませんわね」
そう言うと、また二人は苦笑いして、それぞれの飲み物に口を付けました。
「じゃあさ、それまでは、あたしたち以外には秘密ってわけ?」と千草。
「山岡には言ってあります。他のひとには秘密、ということになりますわね」
「まあ、側から見れば、仲のいい女の子同士だもんね。年の差はあるけど、考えてみれば、十歳差のカップルなんて、ざらにいるわけだしね」とあかり。
「『みだら』な行為さえしなければ、ね」と千草。
「だから、千草っ!」
「冗談だってば。じゃあ、紫以菜ちゃんが大人になったら、お父さんに言うって感じか」
「ええ、そう考えています」
「でも、別に今までどおり、笙子の家で遊んだり、二人でどこかに行ったりするんでしょ? 特に変わることってなくない?」
「そうなりますわね。変わったことといえば……」
「なんか、あるの?」とあかり。
「『秘密』が増えた分、付き合いが楽しくなりましたわ」
「ぷっ」あかりが笑います。「なに、それ」
「しあわせそうでよろしいこと~」千草が言います。
「もう! からかわないでくださいな」
わたくしは怒ってみせますが、二人は至極楽しそうです。
「でもさ、『秘密』って、楽しい?」千草が聞きます。「今までの笙子だったら、落ち着かなくて不安になりそうなものだけど」
「もちろん不安ですが、楽しいですわ。秘密の共有が、二人の絆を固くするのですから」
「笙子、変わったね。なんというか、地に足がついた、というか」
あかりが頬杖をついて、わたくしの顔をまじまじと見ながら呟きました。
「うんうん、前はユーレイみたいだったよ。足のないやつ」と千草。
千草とあかりには、お母さまと未知子さまの関係については、軽く話した程度で、事故のことやお手紙のことは話していません。二人は、わたくしが意を決して紫以菜に告白したことを「変わった」と思ったのでしょう。もちろん、それはそのとおりなのですが。
チリン——
入り口のドアが開いて、ベルが鳴りました。
入ってきたのは、紫以菜です。水玉模様の紺色のブラウスに、白のチノパンを履いています。銀のブローチのワンポイントの入った麦わら帽が夏らしくて、やはり「可愛い」と思いました。しかし、それを脱いだとき、ロングの黒髪がさらりと流れた姿が大人びていて、わたくしは胸をちくりと針で刺されたような心地になりました。
「ごめんごめん! 待った?」
紫以菜が駆け寄ってきました。
「ううん。大丈夫。もともと、わたくしたちは早めに来る予定だったから。紫以菜は紅茶でいい?」
「うん。笙子おすすめのやつね。お砂糖たっぷり入れて」
わたくしは店員を呼んで、アッサムを使ったミルク・ティーを頼みました。
「ねえねえ、なに話してたの?」
紫以菜が聞きます。
「内緒だよ。とてもじゃないけど、あたしの口からは言えないね」
千草が答えました。
「え……気になるじゃん。なになに? やばい話?」
「うーん、やばいといえばやばい」
「もう、妙に心配させるようなこと言わないの」
あかりが諫めました。
「ふーん。まあ、どうせシーナとの惚気話かなにかだろうけど」
紫以菜が言うと、わたくしも千草もあかりも、同時に、ぷっと笑い出しました。紫以菜はそれを見て、ばからしい、とでもいうような目で蔑みながらも、頬を赤らめています。
「別に、いいけどさ」
「そういえば、中学校はどう? 友達はできた?」
あかりが、カフェラテを一口飲んでから、聞きました。
「そうだね。シーナの学校は公立だから、小学校からのメンバーはだいたい一緒だよ。新しい友達は……よくわかんない。特別仲のいいひとはいないかな」
「紫以菜も、お友達を作ったほうがよろしいわ。また一人で遊んでるんでしょ?」
「もう、またお母さんみたいなこと言ってる。最近、偉そうだよ?」
「そんなつもりはないわ。わたくしとばかり遊んでいては、なんだか、可哀想ですわ」
「余計なお世話だね。シーナは笙子で十分だし、だいいち、同級生はみんな子供だもん。特に男子」
「『十分』だなんて、失礼だわ。まるで、わたくしが食べ物かなにかみたいじゃない」
「そうなふうにとらないでよ。シーナにとって、笙子は……」
紫以菜はそこまで言って、急にもじもじし出しました。
千草とあかりが、にやにやしながら見ています。
「笙子は……」
そこに、紫以菜の頼んだミルク・ティーが運ばれてきました。
紫以菜は、「ありがとう」と言って、お砂糖をたっぷりと入れます。
「で、で? 笙子は? 笙子は紫以菜ちゃんにとって、なんなのさ?」
千草が前のめりになって聞きました。
「だから、千草。からかうのはよしなさい」
「まあ、よろしいではないの。そんなこと発表されても、わたくしが恥ずかしいわ」
「いやいや、聞きたいじゃん。別に、減るもんじゃなしに」と千草。
「千草、しつこいわよ」あかりが言います。
「減るもんじゃない、なんて、発想がおじさんだよ」
紫以菜が言うと、テーブルに笑いが起こりました。
「そうですなあ。そこは、若いお二人さんで、いいようにしてくれたまえ」
千草が、にたにたしながら言いました。
「まあ、気持ち悪いこと」
「もう、千草。あんまりエスカレートしたら、二人を傷つけることになるわよ」
あかりがまた諫めます。
「はいはい」千草は言って、アイスコーヒーを一口飲みました。「じゃあさ、紫以菜ちゃんはどんな大人になりたい?」
「どんな大人? うーん、そうだなあ。もっとしっかりして、お金を稼げる大人になりたいな」
「ほう、それはなんで?」あかりが聞きます。
「だって、笙子、最近『仕事辞めたい』ばっかり言ってるの。シーナが養ってあげられるようにならないと」
「それはそれは。見上げたもんだ」と千草。
「また失礼なことを言いますわね」
「だってそうじゃん。笙子ったら、愚痴ばっか」
「まあ、まあ」あかりが笑いながら言いました。「そうやって、くだらないけんかされると、こっちも困るよ。いろんな意味で」
それを聞いて、紫以菜は、急に顔を紅潮させて縮こまりました。
「まったく、あかりまで……」
千草は、ずっとにやけています。
それからしばらくは、取り留めもない話や、それぞれの近況報告に終始しました。
千草は、小さな出版社に就職していて、しごかれながらも営業の仕事に追われていること。あかりは、県立博物館に学芸員として入ったものの、実務の地味さにそろそろ嫌気が差してきたこと。わたくしは、吉ヶ池先生の独特の人柄について、かなり興味深く見ていること。そのようなことを話しながら、日曜の午後を過ごしていました。
「じゃあ、あたしたちはあっちだから」
〈鳩とそら豆〉を出て、大学前駅の正面改札を抜けたところで、千草が言いました。千草とあかりは、わたくしと紫以菜の暮らす町とは反対の、下り電車で帰るのです。
「うん。では、またお会いしましょう」
「ばいばい。また遊ぼうね」
紫以菜が手を振って言うと、二人も手を振って、先にホームに着いていた電車に乗り込んでいきました。
わたくしたちの乗る上り電車が発車するまで、まだ十分ほどあるようです。わたくしたちは、それが到着する二番ホームまで行き、そこのベンチに掛け、電車を待つことにしました。
「そういえば、わたくしが山岡に、紫以菜と付き合っていると話したときのこと、話したっけ?」
「ううん。聞いてない。教えたとだけ聞いたよ。そういうことは事前に言ってほしかったけどね」
「すみませんわ」わたくしは謝って、「でも、山岡、どんな反応したと思う?」
「う~ん……びっくり? いや、山岡さんは勘がいいから、予想してたりして」
「ううん」
「え、じゃあ、どんな?」
「わたくしが言ったら、少し間が空いて、『それはいい! いいではないですか! 山岡にも冥途の土産ができました』って言って、泣きそうな顔をするの」
わたくしは笑って言いました。
「めーどのみやげ?」
「あの世に行くときに持っていく土産物のこと」
「なあに、それ? 死ぬときはそんなものがいるの?」
「例え話ですわ。常套句。いい気持ちであの世に行けるわ、って意味よ」
「なーんだ、そっか」
「でもね、ある意味、文字どおりかもしれないな、って思うの」
「文字どおり?」
「ええ。つまりね、山岡があっちでお母さまに会ったときに、胸を張って、わたくしたちの仲を打ち明けることができるんだ、って。そう考えたら、わたくしも、なんだか泣けてきましたわ」
紫以菜は、しばらく腕を組んで黙っていました。
「紫以菜?」
「なるほど……。でも、シーナには、まだよくわかんない」
「なにがですか?」
「笙子が泣けてくる気持ちが」
わたくしが泣けてくる気持ち。確かに、年齢もあるでしょうが、紫以菜はわたくしのお母さまのことを知らないわけですし、わからないのも当然です。
「ええ。そうでしょうね。でもいつか、紫以菜にもわかってほしいなって、思うの。わたくしにとっての、お母さまと山岡のこと」
「うん、いつかね。笙子にとってのお母さんか……」
「あ、そういえば、先ほど〈鳩とそら豆〉で紫以菜が言おうとしてた『紫以菜にとってのわたくし』ってどういう存在なの?」
紫以菜は苦い顔をしています。
「もう……別にいいじゃん。特に答えがあるわけじゃないよ」
「聞きたいわ。聞かせてちょうだいな」
「しつこいなあ、まったく。だから、単純に、そのときは思い浮かばなかったんだって」
「では、今は? 今はなにか思いつくの?」
「そうだなあ……」
紫以菜は首を垂れて考え出したかと思うと、すぐに、ばっと顔を上げて、
「じゃあ、笙子にとって、シーナはなんなの?」
と聞きました。わたくしは驚いてしまって、
「そ、それはっ……決まっているではないですか!」
「なになに? 決まってるって?」
「そ、それは、それは……す」
〈二番線ご注意ください。列車がまいります。白線の内側に立ってお待ちください——〉
こころなしか、アナウンスの声がひときわ耳に響きました。
ゴーーーーッ
間を空けずに、電車がやってきました。
わたくしたちは、不意に黙ってしまいます。
わたくしたちが待っていた位置は、ちょうど先頭車両の着く位置だったようで、優しく着地するように、一号車が動きを止めました。
「さ、乗るわよ、紫以菜」
わたくしは、紫以菜の手を取りました。
「え、ちょっと、なんなのー?」
「さ、乗りましょ。紫以菜」
わたくしは、紫以菜の手を握ったまま、開いたドアから、乗車しました。
おわり
千草が、アイスコーヒーの氷をストローでかき回しながら言いました。カラコロという涼しい音が鳴ります。
わたくしは、右耳に掛かっていた髪を手櫛で掻き上げ、千草にそれを見やすいようにしました。指で軽くつついて、揺らしてみせます。金色の羽が、風鈴のそれのように揺れました。
「可愛い。意外とそういう大人っぽいのも似合うんだ」
あかりが言いました。
「そうかしら? ありがとう。嬉しいわ」
「いや、なんか、ほんとに嬉しそう。どうしたん?」と千草。
それが紫以菜からのプレゼントであることを、言おうかどうか、勿体ぶっていましたが、千草もあかりも、さして興味はなさそうでした。
「でも、まさか、ほんとに二人がそういう仲になるとはねえ」あかりが言いました。
日曜の昼下がり。喫茶〈鳩とそら豆〉の店内は、いつものように静かな人ばかりで、わたくしたちの声が聞かれやしないかと、心配になるくらいです。それでも、気にするひともいないようで、居心地のよさは変わりません。
「でも、単純に疑問なんだけど、それって犯罪にならないの?」
千草が聞きます。
「そ、それは大丈夫ですわ。みだらな行為はいたしませんから」
わたくしが言うと、二人は苦笑いして、顔を見合わせました。
「まあ、とにかくよかったのだろうね。笙子としては。でも家のことは大丈夫なの?」
あかりが聞きました。
「ええ。お父さまは、最後は諦めたみたいなものですわ。お母さまのことを考えると、わたくしには堂々としていてほしいみたいです。志良山さんも、わたくしのことが好きといっても、心のどこかでは、わたくしから好かれてはいないことを自覚してらっしゃったようで、最後はあっさり引き下がりました」
「そんなものなのかな」あかりが言います。「丸く収まったならいいけど」
「丸くなんて収まってはいませんわ。お父さまには、紫以菜のことは言ってませんの。だからなのか、まだ、いまいちしっくりきていないみたいですわ」
「そうなんだ。まあ、言いづらいよね。女のひとが好きといっても、相手が中学生じゃね……」
「言ってみればいいじゃん。だって、犯罪じゃないんでしょ」と千草。
「それはそうですが……わたくしは、紫以菜が高校に入るまでは黙っていようと思うのです」
「なんで?」千草が言いました。「犯罪じゃないのに」
「ちょっと、千草っ!」とあかり。千草は舌を出して笑っています。
「よろしいのです。むしろ、それくらい待てないようではいけませんわ。これから成長する紫以菜の姿が、わたくしは楽しみで仕方ないのです。可愛い紫以菜もいいですが、大人びてゆく紫以菜も、きっと美しいのでしょう。そう思っていますの」
「ほ~。さては惚気ですな?」
千草がからかいました。あかりも笑っています。
「そうかもしれませんわね」
そう言うと、また二人は苦笑いして、それぞれの飲み物に口を付けました。
「じゃあさ、それまでは、あたしたち以外には秘密ってわけ?」と千草。
「山岡には言ってあります。他のひとには秘密、ということになりますわね」
「まあ、側から見れば、仲のいい女の子同士だもんね。年の差はあるけど、考えてみれば、十歳差のカップルなんて、ざらにいるわけだしね」とあかり。
「『みだら』な行為さえしなければ、ね」と千草。
「だから、千草っ!」
「冗談だってば。じゃあ、紫以菜ちゃんが大人になったら、お父さんに言うって感じか」
「ええ、そう考えています」
「でも、別に今までどおり、笙子の家で遊んだり、二人でどこかに行ったりするんでしょ? 特に変わることってなくない?」
「そうなりますわね。変わったことといえば……」
「なんか、あるの?」とあかり。
「『秘密』が増えた分、付き合いが楽しくなりましたわ」
「ぷっ」あかりが笑います。「なに、それ」
「しあわせそうでよろしいこと~」千草が言います。
「もう! からかわないでくださいな」
わたくしは怒ってみせますが、二人は至極楽しそうです。
「でもさ、『秘密』って、楽しい?」千草が聞きます。「今までの笙子だったら、落ち着かなくて不安になりそうなものだけど」
「もちろん不安ですが、楽しいですわ。秘密の共有が、二人の絆を固くするのですから」
「笙子、変わったね。なんというか、地に足がついた、というか」
あかりが頬杖をついて、わたくしの顔をまじまじと見ながら呟きました。
「うんうん、前はユーレイみたいだったよ。足のないやつ」と千草。
千草とあかりには、お母さまと未知子さまの関係については、軽く話した程度で、事故のことやお手紙のことは話していません。二人は、わたくしが意を決して紫以菜に告白したことを「変わった」と思ったのでしょう。もちろん、それはそのとおりなのですが。
チリン——
入り口のドアが開いて、ベルが鳴りました。
入ってきたのは、紫以菜です。水玉模様の紺色のブラウスに、白のチノパンを履いています。銀のブローチのワンポイントの入った麦わら帽が夏らしくて、やはり「可愛い」と思いました。しかし、それを脱いだとき、ロングの黒髪がさらりと流れた姿が大人びていて、わたくしは胸をちくりと針で刺されたような心地になりました。
「ごめんごめん! 待った?」
紫以菜が駆け寄ってきました。
「ううん。大丈夫。もともと、わたくしたちは早めに来る予定だったから。紫以菜は紅茶でいい?」
「うん。笙子おすすめのやつね。お砂糖たっぷり入れて」
わたくしは店員を呼んで、アッサムを使ったミルク・ティーを頼みました。
「ねえねえ、なに話してたの?」
紫以菜が聞きます。
「内緒だよ。とてもじゃないけど、あたしの口からは言えないね」
千草が答えました。
「え……気になるじゃん。なになに? やばい話?」
「うーん、やばいといえばやばい」
「もう、妙に心配させるようなこと言わないの」
あかりが諫めました。
「ふーん。まあ、どうせシーナとの惚気話かなにかだろうけど」
紫以菜が言うと、わたくしも千草もあかりも、同時に、ぷっと笑い出しました。紫以菜はそれを見て、ばからしい、とでもいうような目で蔑みながらも、頬を赤らめています。
「別に、いいけどさ」
「そういえば、中学校はどう? 友達はできた?」
あかりが、カフェラテを一口飲んでから、聞きました。
「そうだね。シーナの学校は公立だから、小学校からのメンバーはだいたい一緒だよ。新しい友達は……よくわかんない。特別仲のいいひとはいないかな」
「紫以菜も、お友達を作ったほうがよろしいわ。また一人で遊んでるんでしょ?」
「もう、またお母さんみたいなこと言ってる。最近、偉そうだよ?」
「そんなつもりはないわ。わたくしとばかり遊んでいては、なんだか、可哀想ですわ」
「余計なお世話だね。シーナは笙子で十分だし、だいいち、同級生はみんな子供だもん。特に男子」
「『十分』だなんて、失礼だわ。まるで、わたくしが食べ物かなにかみたいじゃない」
「そうなふうにとらないでよ。シーナにとって、笙子は……」
紫以菜はそこまで言って、急にもじもじし出しました。
千草とあかりが、にやにやしながら見ています。
「笙子は……」
そこに、紫以菜の頼んだミルク・ティーが運ばれてきました。
紫以菜は、「ありがとう」と言って、お砂糖をたっぷりと入れます。
「で、で? 笙子は? 笙子は紫以菜ちゃんにとって、なんなのさ?」
千草が前のめりになって聞きました。
「だから、千草。からかうのはよしなさい」
「まあ、よろしいではないの。そんなこと発表されても、わたくしが恥ずかしいわ」
「いやいや、聞きたいじゃん。別に、減るもんじゃなしに」と千草。
「千草、しつこいわよ」あかりが言います。
「減るもんじゃない、なんて、発想がおじさんだよ」
紫以菜が言うと、テーブルに笑いが起こりました。
「そうですなあ。そこは、若いお二人さんで、いいようにしてくれたまえ」
千草が、にたにたしながら言いました。
「まあ、気持ち悪いこと」
「もう、千草。あんまりエスカレートしたら、二人を傷つけることになるわよ」
あかりがまた諫めます。
「はいはい」千草は言って、アイスコーヒーを一口飲みました。「じゃあさ、紫以菜ちゃんはどんな大人になりたい?」
「どんな大人? うーん、そうだなあ。もっとしっかりして、お金を稼げる大人になりたいな」
「ほう、それはなんで?」あかりが聞きます。
「だって、笙子、最近『仕事辞めたい』ばっかり言ってるの。シーナが養ってあげられるようにならないと」
「それはそれは。見上げたもんだ」と千草。
「また失礼なことを言いますわね」
「だってそうじゃん。笙子ったら、愚痴ばっか」
「まあ、まあ」あかりが笑いながら言いました。「そうやって、くだらないけんかされると、こっちも困るよ。いろんな意味で」
それを聞いて、紫以菜は、急に顔を紅潮させて縮こまりました。
「まったく、あかりまで……」
千草は、ずっとにやけています。
それからしばらくは、取り留めもない話や、それぞれの近況報告に終始しました。
千草は、小さな出版社に就職していて、しごかれながらも営業の仕事に追われていること。あかりは、県立博物館に学芸員として入ったものの、実務の地味さにそろそろ嫌気が差してきたこと。わたくしは、吉ヶ池先生の独特の人柄について、かなり興味深く見ていること。そのようなことを話しながら、日曜の午後を過ごしていました。
「じゃあ、あたしたちはあっちだから」
〈鳩とそら豆〉を出て、大学前駅の正面改札を抜けたところで、千草が言いました。千草とあかりは、わたくしと紫以菜の暮らす町とは反対の、下り電車で帰るのです。
「うん。では、またお会いしましょう」
「ばいばい。また遊ぼうね」
紫以菜が手を振って言うと、二人も手を振って、先にホームに着いていた電車に乗り込んでいきました。
わたくしたちの乗る上り電車が発車するまで、まだ十分ほどあるようです。わたくしたちは、それが到着する二番ホームまで行き、そこのベンチに掛け、電車を待つことにしました。
「そういえば、わたくしが山岡に、紫以菜と付き合っていると話したときのこと、話したっけ?」
「ううん。聞いてない。教えたとだけ聞いたよ。そういうことは事前に言ってほしかったけどね」
「すみませんわ」わたくしは謝って、「でも、山岡、どんな反応したと思う?」
「う~ん……びっくり? いや、山岡さんは勘がいいから、予想してたりして」
「ううん」
「え、じゃあ、どんな?」
「わたくしが言ったら、少し間が空いて、『それはいい! いいではないですか! 山岡にも冥途の土産ができました』って言って、泣きそうな顔をするの」
わたくしは笑って言いました。
「めーどのみやげ?」
「あの世に行くときに持っていく土産物のこと」
「なあに、それ? 死ぬときはそんなものがいるの?」
「例え話ですわ。常套句。いい気持ちであの世に行けるわ、って意味よ」
「なーんだ、そっか」
「でもね、ある意味、文字どおりかもしれないな、って思うの」
「文字どおり?」
「ええ。つまりね、山岡があっちでお母さまに会ったときに、胸を張って、わたくしたちの仲を打ち明けることができるんだ、って。そう考えたら、わたくしも、なんだか泣けてきましたわ」
紫以菜は、しばらく腕を組んで黙っていました。
「紫以菜?」
「なるほど……。でも、シーナには、まだよくわかんない」
「なにがですか?」
「笙子が泣けてくる気持ちが」
わたくしが泣けてくる気持ち。確かに、年齢もあるでしょうが、紫以菜はわたくしのお母さまのことを知らないわけですし、わからないのも当然です。
「ええ。そうでしょうね。でもいつか、紫以菜にもわかってほしいなって、思うの。わたくしにとっての、お母さまと山岡のこと」
「うん、いつかね。笙子にとってのお母さんか……」
「あ、そういえば、先ほど〈鳩とそら豆〉で紫以菜が言おうとしてた『紫以菜にとってのわたくし』ってどういう存在なの?」
紫以菜は苦い顔をしています。
「もう……別にいいじゃん。特に答えがあるわけじゃないよ」
「聞きたいわ。聞かせてちょうだいな」
「しつこいなあ、まったく。だから、単純に、そのときは思い浮かばなかったんだって」
「では、今は? 今はなにか思いつくの?」
「そうだなあ……」
紫以菜は首を垂れて考え出したかと思うと、すぐに、ばっと顔を上げて、
「じゃあ、笙子にとって、シーナはなんなの?」
と聞きました。わたくしは驚いてしまって、
「そ、それはっ……決まっているではないですか!」
「なになに? 決まってるって?」
「そ、それは、それは……す」
〈二番線ご注意ください。列車がまいります。白線の内側に立ってお待ちください——〉
こころなしか、アナウンスの声がひときわ耳に響きました。
ゴーーーーッ
間を空けずに、電車がやってきました。
わたくしたちは、不意に黙ってしまいます。
わたくしたちが待っていた位置は、ちょうど先頭車両の着く位置だったようで、優しく着地するように、一号車が動きを止めました。
「さ、乗るわよ、紫以菜」
わたくしは、紫以菜の手を取りました。
「え、ちょっと、なんなのー?」
「さ、乗りましょ。紫以菜」
わたくしは、紫以菜の手を握ったまま、開いたドアから、乗車しました。
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