ピアニストは御曹司の盲愛から逃れられない

花里 美佐

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新たな事業

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 日本へ帰った黎は、空港へ迎えに出てきた秘書兼運転手の柿崎にズバリ切り込まれた。
 
 柿崎は黎より四つ年上だが、そう年は違わない。長く家に仕える一族だ。

 小さい頃から一緒にいた。幼馴染みのような、家族のような存在だ。

 彼は最近実家の家政婦の女性と結婚したばかりだ。

 「黎様。何かいいことがありましたか?」

 「え?」

 「今までになく嬉しそうです。そんなお顔久方ぶりに見ましたよ」

 「そうだな。向こうで偶然コンサートに行って、良い演奏を聴いたんだ。心が洗われた」

 「それは良かったですね。それだけですか?」

 「何だ?」

 「いいえ。それにしては……そうだ、奥様はお元気でしたか?」

 車のミラー越しにこちらを見て聞いてくる。

 母は柿崎を可愛がっていた。柿崎は母が英国へ療養に行くと決まったとき、会えなくなるのを本当にさみしがっていたのだ。
 
 柿崎の母もやはり実家で働いていたが、柿崎が中学の時に早世した。

 それ以降、黎の母親は柿崎を自分の子供のように気を遣い可愛がってきた。そのせいもあるだろう。

 「ああ、元気そうだったよ。やはり、東京より自然が多いし、人に揉まれた生活から離れたからそれが良かったんだろう。今度の休みにでも一緒に行くか?」

 柿崎はじっと考えていたが、静かに答えた。

 「奥様のためには、黎様が元気でいること、お仕事を私が微力ながらお手伝いすること、そのことが一番です。もちろん、一度機会があれば伺いたいとは思っています。奈津も一緒にご挨拶したいので……」

 結婚したことをきちんと伝えたいと前々から言っていたからそのことだろう。

 母もきっと喜ぶ。奈津のことも可愛がっていたからだ。

 「そうだな。今度は一緒に行こう」

 「はい。ありがとうございます。そうだ、旦那様が戻ったら黎様に話があるとおっしゃってましたが……」

 黎は嫌な予感がした。

 二十七歳になったばかりだが、女性を回りにまったくおかない自分を心配して、見合い話をまたもってきたのかもしれない。自分とは正反対な父は女性が大好きだ。
 
 母と結婚してからも、つまみ食いをするよくない男だ。

 自分の父だからしょうがなく我慢しているが、同じ男として最低だと思う。母はそういうこともあり病気がひどくなったのではないかと、父を憎む気持ちも少年時代はあった。

 姉ふたりには溺甘だった。彼女らは父の紹介した男性と利益のある結婚とやらをして出て行った。

 もちろん、今も幸せそうだから文句はないが、自分は父の思うとおりには絶対なるまいと反面教師のように決めていた。

 そして、父のようにいろんな女性を次々と好きになることもないし、結婚するならよほど気に入った相手でないと無理なのもわかっていた。正直今までは女性より仕事のほうが好きだったくらいだ。
 
 だから、いくら何を言われても結婚だけは自分で決めたいと言っていたのだ。

 父にしてみれば、やっと出来た男の子。ひとりしかいない。出来も悪くない、優秀な息子だと他人に自慢しているらしい。
 
 俺をエサにしてたくさんの企業のお嬢様の中から大物を釣り上げようと企んでいることも知っている。

 「父さん、戻りました」

 「ああ、おかえり。紗江子の具合はどうだった?」

 「ええ。この間より元気になっていて安心しました」

 父は、窓の外を見ながら急に黎に振り返って答えた。

 「そうか。良くなったら戻るつもりならいいんだが。帰りたくないようなことをこの間言っていたので心配なんだ。俺の妻としての仕事も少なからずあるんでな」

 つまり、大企業夫人としての社交のことだろう。母は取引先企業の社長の娘だ。そういうことも嫁ぐ前から期待しての結婚だった。だが、父が女好きで色々やらかすから母は社交の時にそのことをいじられてから、そういう場に出ることを拒みはじめた。

 「……父さん。良くなるまではその話はしない約束ですよ」

 黎は睨むように父を見た。そんな息子を引いた目でみている。

 「黎。そうやって、母親を庇いたいならお前が母の代わりを探してきて結婚しろ。そうして母の堂本コーポレーション社長夫人としての仕事をお前の妻に肩代わりさせろ。お前が次の社長候補であることは周知の事実だから、何の問題もない」

 そういうことか……攻め方を変えてきた父を黎は冷静に見つめた。
 
 父は経営者として優秀ではある。だが、情に弱いところもあり、そういうところが女性につけ込まれる原因だ。
 
 昔、母は父の女好きはおそらく治らないと寂しそうに言っていた。黎は女性を泣かせてはダメよといつも母が言っていた。
 
 その言葉を忘れたことはない。優しい母を泣かせる父は天罰が下ればいいと本人に噛みついたこともあるほどだ。

 黎は帰ってきたら父に仕事のことである提案をしようと考えていた。

 今がそのいい機会かもしれないと思った。

 「父さん。ひとつ提案があるんですけど……」

 「なんだ?見合いをする気になったのか?」

 「そうではなくて、社交の代わりの件です」

 黎はソファで前のめりになり、父に向き直った。

 「音楽プロダクションの後ろ盾となって、コンサートを協賛するんです」

 「は?何の話だそれは?」

 「クラシックなどのティータイムコンサートのようなものをそういった社交に使ってもらうんです。うちが出資したプロダクションを使って演奏させて。文化事業にも熱心だというイメージがつきますし、女性客もあらたに付くかもしれない。広告もコンサートごとに載せてもらえば宣伝になる。いずれ、コンサートホールを堂本の名前で作ることが私の希望ですが、それはおいといて、どうですかね?」

 黎の父は、息子が母の影響でクラシック好きなのはわかっていた。

 だが、そういった習い事は一切させずにきたせいで、彼がそういうものをより求めるようになったのはしょうがないと諦めていた。

 まさか、それを仕事に絡めてくるとは思わなかった。
 
 だが、今の話は非常に興味深く、自分が絶対に思い付かない内容だった。

 社交には最適かもしれない。それだけでなく、今までとは違う方向性なので客層が増える可能性もある。

 息子をじっと見つめる。何か考えがあるのだろう。息子は非常に頭がいい。
 
 自分よりも正直優秀かもしれないと会社に入れて最初の仕事を任せたときに気付いた。

 驚いたのだ。周囲も黎の素質を手放しに褒める。おべっかでないのはその成果をみればわかるのだ。

 「黎。それはいい考えかもしれん。俺には思いつかないし、お前がそういったことを好きだから思いついたんだろうが、着眼点がいい。社交にもいいし、宣伝になり、新しい顧客層の開拓に繋がりそうだ」

 黎は父を口説き落とすのに、色々考えていたが、あっけなく陥落して少々驚いた。

 「ありがとうございます」

 「で?お前のことだから、何の当てもなく俺にこんな提案するわけがない。何かそのプロダクションとやらに当てがあるのか?」

 さすが、父さん。黎はうなずいた。

 「はい。実は先日ロンドンで大学の同級生に偶然会いました。彼はクラシック音楽専門プロダクションで働いている。そのコンサートも見てきました。昨年の音楽コンクールの受賞者がピアニストでロンドンの交響楽団と共演していたんです」

 「……俺には、何のことやらよくわからんが、その、コンサートを企画している会社のやつが同級生なのか?」

 「はい。ピアニストのマネージャーをしていました。大学時代から知っていますが、彼はいずれ自分で音楽会社を経営する夢があったから、私と同じ経営学を一緒に勉強していたんです。夢に向かって真っ直ぐに生きている、優秀な男なんですよ」

 「……なるほど。その会社は出資して潰れるような小さな会社ではないんだろうな。どちらにしても役員会へかける前に、財務状況などは取り寄せて調べる必要があるからな」

 「割と有名な所ですので、大丈夫だと思います」

 父はしばらく目をつむって黙って考えていたが、顔をあげると黎を真正面から見据えて言った。

 「よし。やってみてもいいだろう。まずはどういったことをそれでしたいのか、案をあげろ。それとその会社の、先ほど話した通り現在の経営状況をまとめたものを作ったら役員会でプレゼンさせてやる。それで通れば、出資金額を決めて、その範囲内で試しに二年くらい状況を見るというのでどうだ」

 「もちろんそれで十分です。ありがとうございます。頑張ります」

 黎は満面の笑顔で答えた。

 黎の嬉しそうな顔を見て驚いた。何をそんなに喜んでいるのだろう?

 仕事のことなのに?もしや、音楽関係だからか……父は息子を複雑な思いで見ていた。

 「黎。それで、見合いの件だが……」

 黎は右手を挙げて、制した。

 「父さん。そのことについては、遠慮します。もう少し待って下さい」

 「もう少し待つとはいつまで待てばいい?」
 
 わざと意地悪く聞いてやる。どうせ、適当に言っているんだろうからな。

 「……できれば一年。お願いします」

 珍しい。具体的に期限を言ってきた。ならば、それに乗るまでだ。それ以降は否やを言わせない。こちらの選んだ娘と結婚させてやる。

 「ほう。そうか、一年ね。なら一年待ってやる。それ以降は俺の言うとおりに見合いしろよ」

 「はい。一年は俺のために女性を探すようなことしないで下さい。噂になるのも困ります」

 どういう意味だ?黎は何か考えがあるんだろうとその時気付いた。普段女っ気のない息子が何か考えている。

 父として興味がないわけはない。楽しみだ。

 「わかった」

 そう言うと、嬉しそうにして黎は部屋を出て行った。

 黎は父の了承を得て、着々と計画を進めていた。
 
 まずは、神楽にメールを送って計画を打ち明けた。

 そして、プロダクション上層部がそういったことに興味があり、賛同してくれるかどうかを探ってもらった。その返事をもらうのが今日だった。

 あれから会っていなかった。久しぶりに一度、ゆっくり食事でもしようと話して、四月の頭には店を予約して連絡した。
 
 仕事のはなしもあるので、人に聞かれることのない個室を準備した。

 「やあ、忙しいのに悪いな。ロンドンではありがとう」

 黎は姿を見せた神楽を、笑顔で迎えた。

 「いや、こちらこそ今回はいい話をありがとう。さすが、堂本。いい店だな。驚いたよ」

 会席料理の店だが、少し大通りを入ったところにある。

 銀座なのだが、地下へ入るのでだれも気付かないだろう。おそらく一見さんお断りに違いないと神楽は思った。

 「とりあえず、ビールでいいか?乾杯しても大丈夫か?」

 女将が来たので、掘りごたつへ腰を下ろす神楽に聞く。

 「ああ。今日はもう大丈夫だ」

 黎がうなずくと女将は何も言わず笑顔で出て行った。

 「乾杯」
 
 ふたりはグラスを飲み干した。

 神楽が堂本に注ぐ。自分の分も入れる。

 「驚いたよ。急に仕事のはなしを持ちかけられたから……」

 神楽は黎の整った顔を見ながら話し始めた。
 
 目にも鮮やかな料理が運ばれてきた。

 ロンドン以降、パリ、フランクフルトなどを別な交響楽団と演奏で回って、最近日本へ戻ってきた。

 日本料理は正直嬉しい。

 「まあ、ゆっくり話すとしよう。食べてくれ。うまいぞ」

 「ああ、見ただけでわかるよ」

 二人は、共通の大学の知人の話、卒業後の仕事のことなど話して酒を飲み、一通り食事が終わりかけた。

 「それで、君の提案だが、ウチの上層部は賛成と反対が半々だな」

 「ふーん。それはどうして?」

 「まあ、スポンサーに演奏活動をああしろあこうしろと指図されるのが嫌だという人もいる。以前、曲名を指定されたなど色々あったようだ」

 「……なるほど。まあ、想定内だ」

 「まあ、俺は賛成だ。俺が代表なら自分で営業するくらいだよ、お前の所に乗り込んで……」

 黎は笑い出した。さすが、神楽。

 「金がなければ何もできない。正直、人を集めるために有名曲を何度も演奏することだってある。だが、金があれば冒険もできる。それを許さない会社なら組みたくないが、お前はそういう音楽に理解がある。それに、音楽を広めるということでは企業のタイアップは非常にいい。知らない人を取り込める」

 黎はうなずいた。自分と同じ考えだ。正直、何より欲しい味方がプロダクション内にいる。助かった。

 「神楽の期待以上の効果を上げさせてみせるよ。金額についてはまだそちらの財務状況を見て考える余地がある。こちらに任せてくれないか。とりあえず、何か出来る範囲の金額にはするつもりだ。二年後、成果があれば増資されると思う」

 「ああ。反対派はお前の案を見せてから説得するよ。ダメならお前自身に出馬願うとしよう」

 黎は驚いた。神楽一人で会社内をまとめようというのか?

 「いや、俺が行くからいいよ。きちんと上層部にプレゼンするから、無理するな。お前の将来もある。上層部にたてつかないほうがいいだろう」

 神楽はニヤッと笑った。

 「堂本。いずれ独立するときは、お前の後ろ盾を期待してもいいか?」

 黎は神楽の発言が冗談ではないと目の色を見て思った。

 「そうか。結構考えているんだな。まだ大分早いかと思っていたが……」

 「いや、まだ早いよ。十年先を見て考えている。ただ、若くないと柔軟に考えられないと思うから、上層部が固い考えだと離れたくなるんだよ」

 それは、よく分かる。自分も同じだからだ。黎はうなずいた。

 「お前に出資出来るくらいの地位に俺がいればすぐに出してやれるだろうけど、今はまだ俺自身がそこまでではない」

 神楽は不思議そうに見た。

 「お前、御曹司だろ?兄弟男他に居ないし、次期社長だろ?」

 黎は頭を振った。

 「まだわからん。叔父もいるし、いとこもいる。そう、甘い世界でもない。俺にその覚悟は一応あるが、周りがどう思うかは別問題だ」

 神楽は驚いた。そんなこともあるのかと黎をじっと見つめる。

 「お互い頑張ろう。そうだ、プレゼンいつになる?コンサートの日程も考えて海外に出ないときがいいんだが……」

 ふたりはスケジュールを確認して、最悪ゴールデンウィークまでになんとかしようと決めた。
 
 ゴールデンウィークはとにかくイベントが多い。
 神楽も忙しいのだ。

 「栗原さんは元気か?」

 神楽は黎を見た。確か、メールアプリの交換もしたと聞いていたのに、連絡していないのかと驚いた。

 「ああ、元気だ。連絡していないのか?」

 黎はデザートを食べながら上目遣いに神楽を見た。

 「していない。俺も忙しかったからな。それに彼女のホームページを見ればコンサートがしばらく海外で続いているのはわかったから、日本へ帰ってきてからにしようと決めていた」

 「……そうか。友人にしてくれと言ったそうだな」

 「彼女に聞いたのか?」

 「ああ。悪いが、マネージャーはプライベートも最低限管理する必要があるんでね」

 神楽は釘を刺したつもりだった。

 「ふーん。それは、男女交際は禁止とか、どこぞのアイドルグループみたいなことじゃあるまいな?」

 茶目っ気たっぷりにこちらを見ながら聞いてくる。

 「いや、まさか。ただ、恋愛がうまくいかなくなったり、それに溺れて感情的になる女性ピアニストが結構いる。こちらはビジネスだ。オーケストラやチケットも一年以上前から予約が入っている。そういった理由で弾けないとか契約問題に発展する」

 「それはそうだろうな。神楽も大変だな。そういえば、お前結婚は?」

 「まだだ。彼女もいない。それこそ、堂本はどうなんだ?見合いとか死ぬほどあるって大学の時から言ってただろ?」

 「……俺はあんまり女性に興味がないのは大学時代から知っているだろ?」

 そう言えば、そうだったかも知れない。周りを女が囲んでいたが、特定の女性と付き合っているということは四年間聞いたことがなかった。
 
 まあ、御曹司だし、知られず色々しているのかと邪推していたが、本当に付き合っていなかったのか。

 「掃いて捨てるほど周りにいたのにな」

 「やめろよ、そんな言い方」

 「すまん。で?今も女性に興味がないのか?もしや……」

 こちらをニヤリと見る。

 「いや、いずれ結婚はするし、女性が好きになれないわけでないとわかった」

 「は?」

 黎は神楽を真っ直ぐ見た。

 「神楽。栗原さんと友人になりたいんだ、許してくれ」

 とりあえず、今の神楽にはそういうのがいいだろうと黎は思った。神楽はじっと見ている。

 「……彼女が友達としてお前を認めたならいいんじゃないか?俺が友人関係に口だしなどできない」

 「そうだな。どこぞのお嬢様じゃあるまいし、友達も選べないんじゃ可哀想だ。彼女は演奏活動がないときは何をしているんだ?」

 「大学で教えている」

 「なるほど。東京か?」

 「ああ。詳しいことは本人に聞け。俺もあまり言いたくない」

 神楽の様子からうかがえることはあったが、マネージャーとしてなのか、本人としてなのかわからない。

 とりあえず、黎は彼女に近々接触しようと決めた。

 
 
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