ピアニストは御曹司の盲愛から逃れられない

花里 美佐

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近づく距離

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 百合は大学での生徒へのレッスンの時間を減らしてもらい、自分の練習時間を作り始めた。

 夕方から夜にかけては、防音設備もある黎の母のマンションはとても役に立った。

 プロダクション内のピアノ室をあまり借りなくなったことに、神楽は疑問を持っていた。

 大学のほうも行く時間が減っているのに、自宅で練習しているのだろうかと思っていた。

 だいたい、百合の部屋では音があまり出せないし、アップライトピアノしかないことを神楽も知っていた。

 「百合、練習しないでいいのか?ここのピアノあまり使っていないだろ」

 「……あ、えっと。別でグランドピアノを借りられることになったので、そちらで練習しています」

 神楽は嫌な予感がした。彼女が練習しなければいけないことを知っている人物が貸しているに違いない。

 大学にはグランドピアノがあるのだから、大学関係者ではないはずだ。

 プロダクションの他のスタッフやピアニストでないことは明白。

 となると、あと可能性のあるのは、堂本くらいしか思い浮かばない。

 「……堂本の持ち物なのか?」
 
 「……え?どうして」
 
 「どうしてわかったか?それは、消去法だな。百合の狭い交友範囲から想像するにそれしかない」
 
 「言わないでごめんなさい。心配するようなことはありません。堂本さんのお母様のピアノをお借りしています。お母様は今イギリスにお住まいだそうです」
 
 神楽はびっくりした。

 そう言えば、大学時代に音楽が好きなのは母親の影響だと言っていたのを思いだした。
 
 「……なるほど。それでそのピアノを借りているのか。グランドピアノなんだな。さすが堂本コーポレーション社長夫人」
 
 百合は言われてみればその通りだと思った。

 「堂本の実家へ借りに言っているのか?」
 
 「いいえ。お母様が音楽を聴いたり、ピアノを弾く部屋をマンションを借りて持っていらしたようで、そちらに伺っているんです。堂本さんはそちらには住んでいないので、いらっしゃることはあまりないです」
 
 百合はつい、嘘を言ってしまった。最近、百合が行く時間に黎も来ることが多いからだ。
 
 「……つまり、部屋の鍵ももらったのか?」
 
 「はいそうです。ピアノを弾かないともったいないし、音質が悪くなるので弾いて欲しいと言われたの……」

 神楽はため息をついた。

 知らぬ間に色々と堂本が彼女を囲い込んでいると知ったからだ。

 まさか、それ以上のことがあったとは想像もしていなかった。

 「そうか。わかった。そのうち、住所とかも教えて置いてくれ。あ、もちろん堂本の了承をもらってだがな」
 
 「はい、わかりました。聞いておきます」
 
 神楽は自分が直接黎に聞いた方がいいかもしれないと思った。

 どういう意図で彼女を囲い込んでいるのか問いただす時期に来たと思ったからだ。

 「進んでるか、練習は?」
 
 百合はにっこり笑顔で返した。

 「はい。おかげさまで予定通りです」
 
 「そうか。それは良かった。頑張って」
 
 「はい」
 
 ガッツポーズで帰って行く彼女を神楽は心配そうに見送った。

 そう、夕方から夜にかけて最初は利用させてもらっていた。

 防音設備があるからだ。

 それが、この間も練習していたら家と同じようにピアノのうえで寝てしまった。

 気付いたら、知らないベッドの上で寝ていた。彼はいなかった。だが、絶対ここへ寝かせたのは彼だろう。

 もしかすると、お母様のベッドだったのかもしれない。部屋は女性好みのインテリアだったからだ。

 翌日、また夜に行ったら、彼がいた。にっこり笑顔で迎えてくれた。

 「昨日、君をベッドに移動したの俺だよ」
 
 「……やっぱり。驚いたわ。ベッドにひとりで寝ていたから。自分で歩いた記憶ないし」
 
 百合は苦笑いをした。

 「今日は寝るならちゃんとベッドで寝たほうがいい。それと、分かったと思うけどここは泊まることも出来るから、着替えを少し持ってきて置いて、お風呂を使ってもらっていいからね。定期的にハウスキーピングの人を入れているから、掃除は気にしなくていいから……」

 「……でも。無料でそんなに使わせてもらうの気が引けます」

 「君と俺はどういう関係だっけ?」

 「……こ、恋人……です」
 
 恥ずかしそうに、百合が答えた。

 黎が抱き寄せる。

 「そうだね。こういう関係だよ」
 
 顎を引き寄せキスを落とす。

 「食事はしたの?」
 
 唇を離してすぐ、目の前で黎が百合に聞いた。
 
 「まだよ」
 
 「じゃあ、一緒に食べよう。俺もまだだよ。何にしようか?」
 
 「たまには作りましょうか?」
 
 「え、君が?」
 
 「こう見えても、結構料理は得意です。母が亡くなってからは自炊してましたので……」

 黎は驚いて彼女を見た。
 
 「お母さん亡くなられてるのか……苦労しているんだな」
 
 百合はどうやって生きてきたかを知られたくなかった。堂本には特に。

 だが、いずれわかるかもしれないと思ったので、母のことだけ言ったのだ。
 
 「何が食べたいですか?材料があればなんでも作れそうだなとこの間お台所を見て思っていたの」
 
 黎の顔を見て首をかしげる。
 
 「君が作るものならなんでも。何が得意なの?」
 
 「……残り物で何でも作ります。だから、このメニューにはこの材料っていうのが私は苦手」
 
 百合はお金がないときに、あり合わせのもので料理を作っていたのでそれが癖になっていた。
 
 「それは、今度にしよう。君が買い物してきたらお金は俺が払う。今日はもう遅いし、何かデリバリーしよう。練習のために来たんだろ?」
 
 「おうどんくらいならできるわよ。少しこの間材料買ってきてあるから。今日はそれにしようと思ってたの」
 
 「そう。二人分出来るの?」
 
 「ええ。大丈夫。黎さんが足りない部分は何か頼んでちょうだい。私は食べ過ぎると眠くなって練習に差し障りが出るの。だからそれくらいが丁度いいの」
 
 「ああ、わかったよ」

 ふたりでうどんを食べながらたわいない話をして盛り上がる。

 音楽以外でも好きな映画など好みが似ているのだ。

 「百合。今日は練習したら泊まっていくつもり?」
 
 「……実は、昨日のベッド寝心地良くて。すごくスプリングがいいの。丁度明日は丸一日練習に使えるから泊まらせてもらってもいいかな?実は用意してきちゃった。パジャマとか……」
 
 そう言って、舌を出して笑っている。
 
 最近の百合はこういう素の部分を見せてくれるようになった。黎は嬉しくてしょうがない。
 
 「ああ。泊まっていけ。お風呂も使えよ」
 
 「ありがとう。綺麗に使うようにするから……」
 
 黎は笑い出した。
 
 「何言ってんだよ。百合は面白いな」
 
 「あ、でも黎さんがここを使いたいときは言って下さいね。私、帰りますから……」
 
 黎はむっとして百合を見た。
 
 「百合。どういう意味だ?」
 
 「え?お仕事とかでひとりになりたいときもあるでしょ?だって、そっちの部屋書斎だったし。黎さんの書斎でしょ?お仕事するんでしょ。うるさくないほうがいいじゃない」
 
 百合が目をくるくるさせて言う。全く分かってない。ここへ今日も何しに来てると思ってるんだ!

 この困った奴をどうしてやろうかと抱き寄せた。
 
 「どうしたの、黎さん?」
 
 顔をのぞき込んで言う。
 
 「どうしたのじゃないぞ。俺がわざわざ何のためにここへ来たと思ってる?今日も来るかもしれないと百合に会いたくて来たんだ。それなのに、何が仕事だ!そんなものここでする必要はない」
 
 「え?そうなの?」
 
 「そうなのじゃない。百合。わかってないだろ?俺と百合は……」
 
 「はいはい。お付き合いしてるんですよね?」
 
 百合が笑って答えた。こいつ絶対意味わかってないだろ。
 
 「じゃあ、恋人しかしないことをしたいっていったらどうする?」
 
 百合は口をつぐんで真っ赤になった。
 
 「百合?」
 
 「れ、練習しなくちゃ。そういうお話しはまたにしてね。お願い……」
 
 黎は赤くなって下を向きながらもごもご言う百合にため息をついた。
 
 「今日は特別に許してやる。でも、そう待てないからな。とにかく、レコーディングまでは体調を整えておく必要があるだろうしな……」
 
 「ありがとう。頑張って良いレコーディングにします。だって、黎さんが会社で私を推薦してくれたって聞いた。黎さんに恥かかせないように私頑張る」
 
 そう言ってにっこりする百合に黎は白旗を揚げた。

 食べたものを黎が片付けるので練習するように言うと、申し訳なさそうにする。

 作ったのが彼女だったので、片付けは黎がやると言ったらうなずいた。彼女はピアノの椅子へ向かった。
 
 「よし。じゃあ、来週末のレコーディングまではよい子で待っていてやる」
 
 背中を向けた黎は、百合には聞こえない小さい声で呟いた。

 片付け終えた黎は、明日早朝から仕事があるので、準備のために今日はマンションを出て自宅へ戻った。

 最近、終業後の車の迎えをいらないと言う黎に、柿崎達は不審に思いながらも問い詰めずにいた。
 
 マンションへ熱心に通っているのはわかっていた。そして、一度マンションを見に行ったところ、彼女らしき人を見た。

 黎は頭がいい。女性関係にそういう賢い頭を使ってこなかった。使うとすれば追っ払う方法を考えるのみ。
 
 女性を捕まえるために今は使っているであろうその賢い頭で何をしているのか、想像もつかないが、失敗しているようには見えない。柿崎も新婚だったので、黎を放置していた。

 しかし彼の父親は、最近黎が車で戻ってこないことや、夕飯を家でとらないことをいぶかしがっていた。

 黎の仕事の状況は把握している。忙しい時期も柿崎に聞けばわかる。彼は黎の仕事も右腕として手伝っているのだ。
 
 いずれ、黎が役員になったとき、すべてを任せられる腹心が必要だと自分の時からわかっているから、幼少期からつけていたのだ。

 柿崎の父親は社長である自分の秘書をしている。昔から家族ぐるみの付き合いだ。

 夜間戻ってきた黎に声をかけた。

 「黎。お前、最近どこへ行っているんだ?」
 
 「母さんの部屋です。たまには行ってメンテナンスしないと。使えるようにしておいてあげたいんです。いつ戻ってもいいように……」
 
 父は母思いの黎のことはわかっているので、何の疑いもしなかった。
 
 「そんなことは、柿崎や使用人に任せたらいい。お前がわざわざ行かなくてもいいんだ」
 
 「分かってますよ。あそこへ行くと、母さんのことを思い出せるし、好きな音楽も大きな音で誰にも迷惑かけず聴くことができますので、そういうこともあって行ってるんです。ストレス発散法なんですよ」
 
 黎が珍しく笑顔で言う。
 
 「そうか。あまり遅くなって疲れが取れないようなら話にならんからな。ほどほどにしろよ」
 
 「はい。気をつけます」

 そうこうするうちにあっという間に百合のレコーディングの日になった。

 とても良く弾けたとメールが来ていたが、神楽に確認したら上出来だと喜んでいた。

 プロモーションなどはプロダクションである神楽の会社で計画中らしい。

 彼女の容姿も素晴らしいのでポスターやチラシを見て購入を考える人が出てくるだろうと言っていた。

 正直複雑だった。今まではコンクールの受賞者ということで、音楽好きな自分のような人達やニュースでしか扱われていないのが、ようやく日本国内で大々的にプロモーションを行うことになる。

 百合の周辺が騒がしくなるのは恋人としては望ましくなかった。

 とにかく、自分のかごの中で可愛がりたいのだが、そうもいかない。黎は悩んだが、彼女のしたい仕事をさせた結果の状況なので、しょうがないと諦めるしかなかった。ただ、不安は拭えなかった。

 CDを販売したら、彼女を自分のものにしようと企んでいたのに、急にそういった関係で彼女自身が忙しくなった。

 ラジオに出たり、レコードショップへ出向いたり、チェーン店の大きなCDショップではピアノを数曲弾いてサイン会などもし始めた。

 容姿と実力が世間に知れるにつれ、CDの売上は上がり、彼女への仕事依頼が増えてきた。

 地方でのコンサートは最初からプロモーションで予定されていたが、それ以外にもオーケストラとの共演もオファーが入ってくるようになった。

 「ねえ、黎。この間紹介してくれたあのピアニスト、最近テレビに出てるの見たわよ。驚いたわ。堂本コーポレーションが出資してプロダクションに提案したりしてるんですってね。それで、売名のために彼女を連れていたのね?言ってくれれば、周りの女性達に説明してとりなしてあげたのに……」

 パーティーであのとき以来顔を合わせた静香からこんなことを言われ、黎はむっとした。

 「そんなつもりじゃない。彼女は特別だ」

 「やあ、黎。久しぶり。この間のチケット、そのピアニストのために取ったんだってな。静香に聞いて驚いたよ。最近彼女、急に売れてきているよな。さすが、黎。売り方がうまいな」

 静香の双子の兄である蓮見広也。黎とは小さいときから友人だ。

 静香とは違い、落ち着いた男で信用できる。彼も御曹司。いずれ、蓮見商事の社長になるはずだ。公私ともに付き合って行かざるを得ない。良い関係でいたいとお互い気を遣っている。

 「ああ、広也。この間はありがとう、助かったよ」

 広也が寄ってきて、小さい声で囁いた。

 「おい、お前が見合い話を蹴った、あの社長令嬢。今度は俺に話が回ってきたぞ。いい加減にしてくれよ」

 「そうか。美人らしいぞ。そう言わず、お前の好みならいいんじゃないか?」

 「まずいな。俺も二十八になるから、父がうるさくて敵わない。黎もひとつ下だけど、大変だろ?見合い話を蹴って、あの厳格な父上は怒らないのか?お前、最近母上いないし、かばってもらえなくなったんじゃないか?」

 広也は黎の家庭環境もよく知っているので、母が父の間に立って自分を庇ってくれていたことを知っている。

 心配してくれるのかと黎は少し嬉しかった。

 「ああ。誰にも言うなよ。実は一年待ってもらうよう頼んだ」

 小さい声で答える。

 「は?何で?一年以内に誰か捕まえる予定なのかよ?」

 黎はほくそ笑んだ。

 「……わからん。とりあえず、しばらくは静かだ。お前も頑張れよ」

 「なんだよ、それ。お前が選ぶ女なんて初めてだろ?えー、どんな女だよ?興味あるなー」

 「えー、何々?ふたりで何内緒話してるのよー。私も混ぜてよ」

 静香が戻ってきた。ふたりで目を見合わせてため息。このうるさい静香に小さいときからふたりして振り回されてきた。

 静香こそ、早く誰かに縁づいてほしい。ふたりの平安のために……。会うたびに誰か紹介してやれとお互いでなすりつける。
 
 静香が黎を恋愛相手に選ばないだけまだましだ。黎が女性に興味ないのをよく知っているし、冷たいのも知り尽くしている。さすがにお嬢様だから、優しい男がいいと豪語している。

 「静香。好きな男は出来たのか?」

 黎がいつものように聞く。

 「そうね。いるにはいるんだけど、あちらがあまりこちらに興味がなさそうなのよね。どうしたらいい、黎?」

 またもや、広也と目を合わせて盛大にため息。だめだこりゃとふたりは小さい声で言って笑った。
 
 
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