色のない虹は透明な空を彩る〜空から降ってきた少年は、まだ『好き』を知らない〜

矢口愛留

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第五章 橙

第74話 「ただそれだけで」

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 馬車の旅も、三日目になる。
 フレッドは、途中の街で一旦車列を離れ、帰りの手段を確保しに向かった。
 馬を使って一騎駆けしていったので、進みの遅い馬車にはすぐに追いつくだろう。

 私とセオはメーアの侍従という形で同行させてもらってはいるが、事情を知るメーアや騎士たちが、アルバート王子と顔を合わせないように気を使ってくれている。
 おかげで今まで何事もなく順調に旅は進んでいるが、遠くからちらりと見えるメーアの表情は硬く、疲労が蓄積していることが伺えた。


 私たちの馬車で、道中話をするのは、大抵ししまるであった。
 ししまるの話は面白くて、私たちは退屈することなく過ごしている。
 今日も、亀の妖精亀助きすけから聞いたというお話を、私たちに聞かせてくれていた。

「――それでね、亀助《きすけ》が言ったんだぁ。『神子様、イジメっ子から助けてくれてありがとう。お礼に、水の精霊、乙姫様の宮までお連れしましょう』って。それから、その後はぁ……」

 その時。

 ガタンッ!

 突然、馬車が大きく揺れて停まったのだった。


「なになに、どうしたのぉ~?」

「どうしたのかしら……」

 私は状況を確認しようと、窓に手をかける。だが、セオはそれを手で制した。

「誰か来る。入り口から離れて」

 セオはさりげなく私の横に移動すると、私を守るように手を軽く広げた。
 すぐに声がかかって、馬車の扉が開け放たれる。

 馬車の扉を開けたのは、メーアが連れてきた帝国の騎士だった。
 私たちの事情を知っている人間のひとりである。
 私は安堵したが、セオはまだ警戒を解いていないようだ。

「突然のご無礼、申し訳ありません! 現在、進行方向で山火事が発生しています。ししまる、鎮火したいからメーア様に手を貸して差し上げてくれ!」

「いいよぉー」

 ししまるは、のんびりした口調で返事をすると、騎士の横をするりと抜けて馬車を降りていった。

「あなた方は、水の魔法は使えたりしませんか!?」

「それなら、わた……むぐっ」

 騎士にそう問いかけられて、手伝いを申し出ようとしたのだが、セオに口元を押さえられて遮られた。

「いいえ、僕たちは風の魔法しか使えません。お役に立てず申し訳ありません」

「そうですか、わかりました。でしたら、危ないのでこのまま待機なさって下さい」

 騎士はセオの行動を訝しんでいたようだが、それ以上深く聞かれることもなく、馬車の扉を閉めたのだった。
 扉が閉まると、セオは私の口元から手を離す。
 代わりに、ごめんとでも言いたげに眉を下げて、頭を軽く撫でてくれたのだった。

「セオ、どうして」

「今は駄目だ。近くにアル兄様と、聖王国の関係者がいる。ここで目立ったら、この旅自体が無駄になる」

「……でも……」

「大丈夫、『海の神子』がいるんだから。それに、ししまるも」

「そう、よね。信じて待つしかないか……」

 私が不安になって俯くと、セオはそっと手を握ってくれる。
 セオの顔を窺うと、美しい金色の瞳も同じく不安で揺れていることに、私はようやく気が付いた。
 私がセオの手を握り返すと、不安が少しだけ消えていく。

「それにしても、火事……か」

「……火の精霊のこと、考えてる?」

「うん。カイが聖王国からいなくなったの、随分前のことだったと思う。……ハルモニア様がカイに調査を依頼したとしたら、一体いつから気付いていたんだろう」

「うーん……」

「僕……これまで何の力にもなれなかった。思い返すと、全部そう。周りの大人たちが、何もかもお膳立てしてくれた」

 セオも、悩んでいたのだ。
 おそらく、フレッドのコテージで手紙の内容も記録水晶メモリーオーブの内容も、「大人に任せなさい」と言って教えてもらえなかった時から。
 その上、感情が戻ってきたことによって、過去に経験した色々なことに対する後悔が生まれてきたのかもしれない。
 私が先日ロイド子爵家で思い悩んでいたのと同じように、今、セオは自信をなくしている。

「セオ……」

 私は、セオの背中に、空いている方の手をゆっくりと回した。
 とん、とん、とゆっくり背中を叩く。セオは身を委ねてくれている。
 私はセオの肩に頭をもたれさせ、明るい声で囁く。

「大丈夫。これからだよ。今はきっと、これでいいの。セオ、あんまり気負いすぎないで」

「……うん」

 セオも私の背中に手を回し、重ねた手はそのままに、抱きしめてくれたのだった。


 しばらくして、私はセオの背中からそっと手を外す。
 もう片方の手はセオとしっかり繋いだまま、背中から外した手をセオの頬に添わせる。
 セオは瞳を揺らし、私の目を見つめた。

「セオ……私が、こないだ同じように悩んでいたこと、覚えてる?」

「……うん」

「あの時、セオは自信をなくした私を励ましてくれた。それに……」

 ――『パステルがいないとダメ』って、言ってくれた。
 心の中で何度も反芻したその言葉に、私はどれほど満たされたか。

「私も、セオがいないとダメなの。今は大きなことが出来なくても、今まで守ってくれた大人たちに返せるものがなくても、悩みながら進もうとしてる、そのままのセオがいい」

 私は、セオの頬から手を下ろし、繋いだ手を包み込むように重ねた。
 セオは驚いたように、ほんの少し目を見開く。
 その瞳は依然として、不安げに揺れている。

「私は、セオが大好き。きっとフレッドさんもメーア様も、今のセオが好きよ。大好きな人が、ここで一緒にいてくれる。幸せに笑っててくれる。ただそれだけで、いいんだよ。きっとそれが、一番のお返しなんだよ」

「パステル……。でも、僕」

「何か役に立ちたい。隠さないでほしい。もっと頼ってほしい――セオはきっと、そう思ってるんだよね。
 けど、セオはさっき私が鎮火の手伝いをしようとした時、止めたよね?」

「それは、だって……」

「わかってる。理由がちゃんとあったからね。
 ――なら、フレッドさんがセオに手紙や記録水晶メモリーオーブの内容を隠したのも、同じじゃない? 何か理由があったんじゃないかな?
 今はその理由がわからないけれど、きっといつか、わかる時が来るよ」

 指を絡ませたまま、私は明るい声で話し続けた。
 そうしていると、私の思いが伝わったのか、セオの気持ちも落ち着いたようだった。


 今は、大人たちに守られている。
 けれど、多分それでいいのだ。
 自分たちが不甲斐ないせいで、誰かが傷ついた訳でもない。

 私たちは、いつか自分の足で立たなければならない。
 セオは、いつか聖王になる。
 けれど、今はまだ守ってくれる大人がいる。
 自分の足で立つその日まで、ゆっくり進んでいけば、それでいい。
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