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第三章・横浜発
第12話 イギリス艦隊、横浜集結
しおりを挟む前回の末尾で「物語は文久三年に突入する」と言っておきながら、少しだけ文久二年の暮れの話にさかのぼる。
高杉たちが御殿山のイギリス公使館を焼き討ちする三日前、幕府の外国奉行・竹本正雅と神奈川奉行・浅野氏祐の二人が横浜のイギリス公使館のニール代理公使を訪問した。
竹本はニールに言った。
「幕府は現在、朝廷を背後で操っている二、三の攘夷派大名の陰謀によって苦しめられている。御殿山で建設中の公使館を放棄して、別の場所へ移転してもらえないだろうか?」
ニールは竹本に質問した。
「二、三の攘夷派大名とは誰のことか?」
竹本は少し考えこんでからニールに答えた。
「……我々が話したということは必ず秘密にしてもらいたいのだが、それは薩摩と長州である」
「とにかく、今さら完成間近の公使館を放棄することなどできない。大君(将軍)は、朝廷の命令を拒否することができないのか?」
「将軍は朝廷の命令には従わなければならない。来春将軍が上洛する際、将軍が朝廷を説得して攘夷を諦めさせるつもりである」
竹本はこれに続けて、ニールにかなり突っ込んだ発言をした。
「もし説得に失敗した場合、内戦になる可能性が高い。その時貴国は将軍を助けてくれるだろうか?」
ニールは、表情にこそ出さなかったものの、内心かなりの衝撃を受けた。ニールはこのとき初めて幕府の危機的な立場を思い知らされたのだ。
「……その時は、苦境に立つ大君政府をできる限りサポートするつもりである」
そしてこの三日後、御殿山の公使館は高杉たちによって焼き討ちされたのである。
あまりにタイミングが良すぎるため幕府が自ら焼いたか、あるいは少なくとも焼き討ちを黙認したのではないか?とニールは疑った(実際幕府はこのままウヤムヤにして焼き討ちを黙認したのでニールの疑いは当たっていないこともない)。
とにかくニールは、急な事態に備えて「イギリス艦隊の横浜集結」を香港のキューパー提督に要請した。
御殿山の公使館を焼き討ちされて江戸居住の望みを断たれたサトウは、しばらくの間落胆してはいたものの、ちょうどその頃、横浜の公使館でウィリスの隣室が空いたのでサトウはそこへ移り住んでウィリスと共同生活を始めた。
二人で建物の片隅を居間として使用し、料理人や召使いを共同で雇った。この居間ではサトウの日本語教師である高岡やウィリスの日本語の勉強相手である小林小太郎という少年も一緒に食事をして生活していた。小林少年は以前から公使館に住み込んで働いており、時々ウィリスに日本語を教え、代わりにウィリスから英語を学んでいた
そして日本の暦でも年が明けた一月一日(1863年2月18日)、この頃から本国のラッセル外相よりニールのもとへ生麦事件の処理に関する指令が次々と届き始めた。
その内容はニールもたじろぐ程、日本に対して強硬なものであった。
まず幕府に対しては
一、殺人事件に対する公式な謝罪を要求
二、犯罪に対する罰として10万ポンド(40万ドル)の支払いを要求
三、この要求を拒んだ場合、幕府の船舶の拿捕ないしは海上封鎖を実施する
ちなみにこの10万ポンド(40万ドル)とは日本の通貨に換算すると約31万両で、およそ新式蒸気船四隻分の金額である。
次に薩摩藩に対しては
一、イギリス士官立会いの下、殺人犯を死刑に処する事を要求
二、被害関係者への賠償金として2万5千ポンド(10万ドル)の支払いを要求
三、この要求を拒んだ場合、薩摩藩の船舶の拿捕ないしは海上封鎖を実施する
ただし、この薩摩藩への要求には但し書きがあり「船舶の拿捕ないしは海上封鎖」にとどまらず
「ただし状況によっては薩摩藩主の居城を砲撃することも含む」
と書かれていた。
この強硬な本国からの指令をニールは深刻に受け止めた。
しかし救いとしては一月前、御殿山の公使館が焼かれた直後に艦隊集結の要請を出してあったことだった。
この時、すでに旗艦ユーリアラス号以下のイギリス艦隊は香港を出発し、続々と横浜へ向かって移動中だった。
第2話で生麦事件の当日たまたまユーリアラス号が横浜に到着していた場面があったが、実は当時キューパー提督は「日本の海上封鎖が可能かどうか?」を調査するためにやって来たのだった。
調査の結果
「江戸湾と瀬戸内海の出入り口を押さえる事は可能で、それで十分日本に対する有効な圧力になる」
と本国政府に報告していた。今回の指令に海上封鎖の指示があるのは、この調査に基づいたものであった。
その後、横浜には次々とイギリス艦隊の船が集結し始めた。
そしてこのイギリス艦隊の集結から逃れるかのように(一応当初の予定通りではあるのだが)二月十三日、将軍家茂は上洛の途につき、江戸から出て行ってしまった。
当初は経費節減のため船を使って海路上洛する案もあったのだが、横浜に外国艦隊が集結している中、海路を進むのは危険として結局従来通り陸路で上洛することになった。
ちなみにこの陸路上洛の費用は150万両かかったと言われている。
江戸を出た翌日、京都を目指す将軍の一行は東海道の神奈川宿を通過した。
そのころ横浜のイギリス公使館の居住区ではサトウとウィリスと高岡が居間で食事をしていた。
ご飯とみそ汁とおかずで食事をしている高岡が、不機嫌そうな表情でウィリスに言った。
「ウィリスさん。ご飯にジャムをかけて食べるのはやめてください」
「なんで?美味しいのに。高岡も試してみたらどうだ?」
「いいえ、結構です」
サトウは二人のやり取りを無視して話を変えた。
「あーあ、東海道まで行って大君(将軍)一行の様子を見学したかったなあ」
これにウィリスが答えた。
「それはやっぱり無理だろ。そもそもの問題の発端が東海道を通る大名行列で起きた事件で、しかもこの緊張関係の中で我々外国人が大君の行列に近づくのは無理さ」
「まあね。横浜の近くを通る大君の側も、我々イギリスのことを気にしてるだろうしね」
横浜に無頼な外国人が多いことを憂いているウィリスがジャムかけご飯を食べながら愚痴っぽく言った。
「それにしても、もしリチャードソンたちの事件が無かったら、先頭には大君が、最後部には帝がいるような行列でも、無頼な外国人は平気で無礼な事をやっただろうよ」
将軍が江戸を出発した六日後、イギリス公使館の書記官ユースデンが船で横浜から江戸へ向かった。ニールからの通告を江戸の幕閣へ伝えるためだった。ただしこのとき江戸城は、責任者不在の“留守政府”状態だった。
将軍上洛に先立ち、松平春嶽と一橋慶喜はすでに京都へ入っていた。さらに将軍上洛に伴って幕府首脳部も京都へ行ってしまい、江戸は責任者不在の状態となっていた。
イギリス本国からの指令を受けたニールは、幕府へ対して正式な要求書を突きつけた。
その内容は要約するとおおむね次の通りである。
・生麦事件の謝罪と、その賠償金10万ポンド(40万ドル)の支払いを要求
・さらに保留中だった第二次東禅寺事件の賠償金1万ポンド(4万ドル)の支払いを要求
・回答期限は20日間(1863年4月26日=文久三年三月九日まで)
最後に、要求が拒絶された場合「日本は非常に悲しむべき結果に見舞われることになるであろう」と書かれていた。
ちなみにこのニールの通告書を翻訳した役人の中に福沢諭吉もいた。福沢は自身の手記で次のように書いている。
「二月十九日、長々とした公使の公文が来た。その時に私共が翻訳する役目に当たっているので夜中に呼びに来て(中略)三人で出掛けて行って夜の明けるまで翻訳したが、これはマアどうなることだろうか、大変なことだ、と密かに心配した」
将軍家茂は三月四日に入京した。
三代将軍家光以来230年ぶりの将軍上洛である。ただし家光の頃と違って今回は朝廷から呼びつけられる形での上洛であり、将軍はこのあと朝廷や尊王攘夷派から散々苦しめられることになる。
この将軍上洛に先立って、清河八郎たちの「浪士組」がすでに入京していたことは「新選組」のエピソードとして有名な話であろう。そして清河は幕府をあざむき、将軍警護のためと称して集めてきた浪士組を朝廷直属の攘夷組織へと改変し、この後「横浜襲撃」をくわだてるのである。
これに異議を唱えた近藤勇、芹沢鴨たちは会津藩主で京都守護職の松平容保に後ろ盾を求め、後の新選組の誕生へと繋がっていくことになる。
すでに浪士組が入京した際に足利三代将軍(尊氏、義詮、義満)の木像の首が加茂川の河原にさらされ(もちろんこれは徳川幕府へ対する嫌がらせであり、浪士組の隊士たちもこれを目撃している)、その少し前には佐幕派と見られていた池内大学、賀川肇などが京都で暗殺されていた。
将軍上洛の前に入京していた一橋慶喜と松平春嶽は朝廷と折衝を重ね、これまで通り幕府に「大政」を委任するよう働きかけていた。
そして当然のことながら生麦問題も懸案事項の一つとして朝廷へ報告された。この頃にはニールの通告内容が江戸から京都に届いていたのである。
慶喜は朝廷に対して次のように進言した。
「イギリスはこの様に申しておりますから、賠償金を支払わねば必ず戦争になります。ですが我が方の武備の充実はまだまだ不十分で必勝の見込みは全く立っておりません。もし戦えば皇国全土が焦土と化す恐れがございます。その事を主上(孝明天皇)にもお覚悟して頂くために何卒御前にて奏上することをお許し頂きたい」
しかし慶喜の願いは聞き入れられず、とうとう幕府は在京の諸大名に対して次のような通達を出した。
「イギリスの申し立ては受け入れ難く戦争になる可能性が強い。従って各藩は自国へ帰って粉骨砕身、戦争に備えよ」
尊王攘夷の気運が激しいご時世の中、イギリスへの賠償金の支払いを認めるなどと朝廷はもちろんのこと、幕府でさえも言い出せる雰囲気ではなかったのである。
そして三月三日には関白鷹司輔煕から清河の浪士組に対して「江戸でイギリスとの戦争に備えるように」との通達も下された。
イギリス艦隊の横浜集結以来、江戸の住民は激しく動揺していた。妻子を田舎へ避難させたり、家財道具を大八車で田舎へ運び去るなど、上を下への大騒ぎとなっていた。
もちろん横浜の住民も動揺していた。
日本人は次々と横浜の店をたたんで去って行き、外国人居留民たちは「緊急時」のために備え、何度も住民集会を開いて打ち合わせをする、という状況だった。
そしてサトウと高岡が横浜の先行きについて話し合っている時、小林少年の母親がやって来て彼を連れて行ってしまった。
小林少年の母親と対応した高岡が部屋へ戻ってきてサトウに言った。
「小太郎は母親が連れて行ってしまいました。しばらく田舎へ避難するそうです」
「わかりました。それで、幕府は賠償金を支払うのか、戦争を選ぶのか、高岡さんはどう思いますか?」
「これは私の個人的な見解ですが、幕府はとにかく時間稼ぎを狙っているようです。その間に防御を固めるつもりなのでしょう。そして最後には必ず戦争になる、と私は思います」
サトウは暗澹たる気持ちになった。
イギリスが設定した回答期限である1863年4月26日(文久三年三月九日)の二日前、神奈川奉行の浅野がニールを訪問した。
浅野はニールに訴えた。
「現在、将軍や幕閣が京都へ行っているので、回答するにはどうしても時間がかかるのです。是非あと30日間、期限を延長して頂きたい」
ニールは厳しい表情で答えた。
「いや、30日も待てない。どうしてもと言うのであれば、あと15日だけ猶予を与える」
こういったやり取りがあって、回答期限は5月11日(三月二十四日)まで延長されることになった。
このころ横浜にはイギリス艦隊の船が十数隻集まっていた。そしてフランス極東艦隊の旗艦セミラミス号もそこへ合流した。
フランスは生麦事件に直接関係はないのだが、フランスのベルクール公使やジョレス提督はイギリスに同調し、日本と戦う姿勢を示したのだった。
フランスのジョレス提督はイギリスのキューパー提督と会見して次のように宣言した。
「私はあなたを助けて、日本と存分に戦うつもりだ」
そしてベルクール公使は幕府に対して屈服するように脅しをかけた。
福沢諭吉はこの時のフランスの対応を次のように語っている。
「ベルクールという者がどういう気前だか知らないが、大層な手紙を幕府に出してきて、今度の事についてフランスは全くイギリスと同説だ。いよいよ戦端を開く時にはイギリス共々、軍艦をもって品川沖を暴れ回る、と乱暴な事を言うて来た」
幕末の英仏関係でよく言われるのは
「イギリスが薩長を、フランスが幕府を支援して英仏は対立関係にあった」
というものだが、それはフランス公使がベルクールからロッシュに代わった後の話である。
それからしばらくしてイギリスのニールとキューパー、フランスのベルクールとジョレスが横浜で四者会談をおこなった。
ベルクールは次のように主張した。
「我々の権益を確保するための方法は二つしかない。日本全体と戦争するか、あるいは幕府を援助して幕府の敵対勢力、すなわち攘夷派を叩くか、この二つである。おそらく幕府は我々の援助を受け入れるのではなかろうか?」
ニールは以前、外国奉行の竹本正雅から「もし説得に失敗した場合、内戦になる可能性が高い。その時貴国は将軍を助けてくれるだろうか?」と言われたことを思い出した。
ニールはベルクールの主張に対して次のように答えた。
「幕府が素直に賠償金を支払うことが一番望ましい。しかし内戦に深入りしないという前提であれば、その提案も可能だろう」
ニールとしては、これでもかなり踏み込んだギリギリの選択であった。
出来ればニールも日本との開戦には踏み切りたくないのである。
日本の内戦に介入することは本国政府から戒められており、なんとか威嚇だけで幕府が屈服してくれることを望んでいた。
もし日本と開戦した場合、横浜はもちろんのこと、同時に長崎と箱館(函館)の居留民の安全もニールは確保しなければならない。
ところが「その安全を確保するだけの戦力は到底イギリスには無い」と隣りにいるキューパー提督から断言されており、もし開戦となった場合、居留民は全員停泊中の船舶に緊急避難させるしか方法がないのである。
居留民の安全確保と貿易の権益確保のため、開戦の決断はなるべく先送りしたい、というのがニールの本音であった。
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