星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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50、報せ

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 ほんのしばらくもしない内に、昼の時間は長くなり、陽の光は明るさを増していく。
 馬小屋の世話を終え、労働にいそしむ人間達が時折汗を拭うの眺めながら、砦の中の方へ向かおうとしていたのを考え直して。森の方向、泉へ水浴びへと足を向ける。
 狐の獣人であるリーベが、一両日中には産気づくだろうと小耳に挟んだのだ。
 出産の苦を乗り越えた女性を疲れさせてはいけないのだが、何か手伝えることがあるかもしれないし、その時には新しい住人を見られるかもしれない。
 生まれたばかりのか弱い子供に会うのに、汚れた格好ではまずいと、しっかりと水を浴びて汚れを落とし、洗った衣服に着替え直した。
 これでいつでも大丈夫、と胸を緩め、人間達に弓を教えたり、レビを手伝い、アギレオの手が空くのを待って剣の稽古に付き合ってもらったりと、変わらぬ一日を過ごす。
 夜になるのかもしれない、と、夕食の前にまた水を浴び直したタイミングで、獣人達と幾人かの女性がバタバタし始めたのに気づき、早足に駆けつけて。
 手伝うことはあるかと声を掛ければ、水を汲んでくるよう頼まれ、水を汲み、湯を沸かせと言われて火の番につとめる。
 緊張した時間は長く続き、いよいよ佳境かと遠巻きに見守る向こうで、空気が変わる。産み終えたリーベが気を失い、子供が声を上げない、と騒然となるのに、息を飲んだ。
 騒ぎに割り込むほど役に立たぬのは明らかで、背中に氷を当てられたような思いで息をつめる間に、最初に赤ん坊の泣き声が上がり。ルーがリーベを呼ぶ大きな声がやんで、目を覚ましたとレビが言うのが聞こえて、大きく息を抜く。
 しばらくは物入れでもひっくり返したような慌ただしさが続くのを手伝い、落ち着いたところで、もう戻ってもよいとルーに告げられ、許しを得て、新たな母子の寝台にそろりと近づく。
 二人とも目を閉じており、リーベの方は青い顔をして眠っているのに、少し眉が下がった。
「ハル。ありがとう、エルフ様を使っちまって悪かったな」
 傍らに座っていたメルがわざわざ立ち上がって言うのに、まさか、と頬を緩める。少し皮肉めいた、いつもの言い方ながら、目元も頬も柔らかい。
「薬学の知識のあるレビのようには役に立たなくて、申し訳ないくらいだ」
 おめでとう、と、眠りながらもむずむず身じろいでいる赤ん坊に目をやる目端に、ありがとう、とメルが穏やかに頷くのが分かる。
「生まれてくるのはヒトの姿なのだな」
 もうずいぶん昔、森で見かけた子狐など思い浮かべていた自分を、それは当然そうだろうにと笑う心地で。
 返答が返らず、うん?と振り返れば、腕組みするメルに、大きくかぶりを振られた。
「そいつは獣人への侮辱だぜ、ハル」
 えっ、と短く声に詰まり、汗が噴き出す。
「あっ、あっそうか、すまない、そんなつもりではなかったんだ。私が昔、王都にいた頃…、…森で…」
 弁明に真剣な顔を向けていたメルが、次第にニヤニヤと口元を歪め始めるのに、既視感が湧く。
「…親子の狐がいて……子狐が驚くほど可愛いらしくて……」
 プッと、今度こそ噴き出し顔を背けるメルに、額を押さえる。
「…これは……冗句だったのだろうか…」
 からかったのさ、と、笑うメルに、あんまりだ、と力なく抗議して。
 新しい子もそのうち狐に変身できるようになるだろうことや、ミーナの子供と、先日の落とし子も年が近いから、友人になれるだろうという話などして。
 名残惜しみながら、メルとリーベの家を後にした。

 食堂へ向かう者より、出てくる足の多い様子を、夕食を食べ損ねたな、と横目に見て。自分で薬草茶でも煎れようと、家に向かう。
 青い顔ながらも穏やかになっていたリーベの寝息、まるで水から上がったばかりの桃色の魚のような可愛い赤ん坊の様子、いつも通りの不思議な雰囲気ながら、喜びに輝いていたメルの顔など思い出しては、あたたまる胸に吐息をこぼし。
「ああ、戻ってきた。おいハル、客だぜ!」
 家が見えてくる辺りで、別の方向から戻ってきたらしいアギレオの声に、目をやる。
 隣に並ぶリーと、それから、予期も予想もしない者の姿を見つけ、驚きよりもまず、幻ではないかと己を疑ってしまう。
「アグラミア!? まさか…! 本物か…!?」
 早足に三人の方へと向かい、近づくだに、なお驚きは深く、目を瞠る。
 少し癖のある短い金の髪、整った顔立ちに浮かべる、愛想のいい明るい笑み。もう陽の残りはわずかで、しかと見えなくとも、よく知った涼やかな白銅はくどう色の瞳。
「こんな男前のエルフ、真似ても作れないだろう?」
「そのもったいぶった口振り、相変わらずだな!」
 腕を開くアグラミアに身を当てる勢いで、こちらも胸を開き、抱き合っては思わず互いの背を何度も叩く。
 金の芽寮で育った幼なじみ達のひとりで、騎士の受勲が早かった彼とは軍務が重なることも多く、最も身近な友として長い時間を共に過ごした。
「新しい隊を任され、さぞ多忙なのだろうと思っていたが。どうした?」
 うん、と、頷くアグラミアと身を離し、これはアグラミア、こっちはアギレオとリーだ、と三人をそれぞれに紹介するのに、自己紹介なら済ませたぜ、とアギレオに笑われ。
「ああ。境の森へ報せを運ぶ使者として来たんだ。機会は前々から窺っていたから、別のエルフに下るところだった任務を無理矢理取り上げてな」
 ふっふ、などと含み笑いしているのに、何をやっているのだか、と肩を竦めてみせても、つい口元が綻んでしまう。
 けれど、彼が運んできただろう報せを思い、口元を引き締め直す。
「谷とのやりとりの件だろうか。アギレオ、家で話を聞くところだったか?」
 互いに誰だか分かったのなら、後は使者の持ち込んだ報せを聞くばかりだろう。家への道で出会った三人ならとアギレオに尋ねるのに、いや、と顎をしゃくられ来た道を振り返る。
「王都からの客だからな、食堂のが多少はマシだろ。お前を探してたんだ」
 そうか、と頷いて、今度は四人で道を戻り始める。食堂は人の波が引くところだ、確かに、話を聞くにはちょうどいいだろう。
 アグラミアに砦の様子や状態、足を向けている食堂の機能などを説明し、リーとアギレオには、リーベの子が生まれて、それを手伝いに行っていたとつい勢い込んで話したりして。アグラミアにもアギレオとリーにも、あれもこれも伝えるには、食堂への道は短い。
 開く扉をきっかけに雑談を引き上げ、少し小さめの食卓を四人で囲むことにした。
 ルーがやってくると、それぞれに飲み物を尋ね、全員がとりあえずエールで一致して。
「それで、どうなったんだ?」
 口火を切ったのは意外にも己で、互いに様子見の三人を少しは気に掛けながら、使者であるアグラミアに水を向ける。
「簡単に結論から言えば、和平だ」
「えっ」
「マジか…!」
「和平…!?」
 そうなって欲しいと心から願っていたが、正直驚きを隠せない。
 理解し共感する、といった風で頷きを重ねるアグラミアの続きを、全員強い注目で見守り。
「それも、ベスシャッテテスタルからの申し出でだ。あれも駄目、これもやめろと、それはもう偉そうな条件を提示した上で、だが」
「…信じがたい…。何千年続けてきたと思っているのだ…」
 呆然となる声に、もっともだとでもいうよう、アグラミアがまた頷く。
「まったくだ。使者を任されてもまだ信じがたく、実は陛下にお尋ねに上がったほどだ」
 うん、と相槌を打ってその先に耳を傾け。
「“ならば、更に数千年続けたいと?”と……」
「ああ……」
 想像がつくどころか。そこに居合わせたかのごとく、実際に聞いた気になりそうなほどだ。そう仰るに違いない。
「で。谷のエルフは、和平の約束を人質に、お前らに何させようって?」
 腕組みし顎をひねるアギレオに、アグラミアが肩を竦める。
「要は、何もするなということだな。ベスシャッテテスタルへの許しなき立ち入り…は、まあ、以前から無いのだからともかく。我が国においては、領土を拡大するな、エルフでない種族を今以上に住まわせるな、エルフが必要以上に森の外を歩き回るなといった具合だ」
 ほぉン…、と、ぬるい相槌を打って顎を擦っているアギレオの声を耳に、眉を寄せる。
「陛下に圧倒された結果だろうに、ずいぶん大上段だいじょうだんからものを言うものだな」
 まったくだ、と鼻を鳴らすアグラミアと頷き合い。
「陛下はなんと?」
「想像してみろ、想像の通りさ。“クリッペンヴァルトの領土は現在すでに広大であり、いたずらに拡大するより、点在するばかりの集落、街、村を充実させればよい。他種族の受け入れについては、戻る場所なくやむを得ず助けを求める者まで見捨てるは、エルフではないと抗議のふみをやった”。…と、まあ…」
「……なるほど……仰せの通りだな…」
 ベスシャッテテスタルの挙げた条件を受け入れ、彼の国との諍いがなくなるとすれば、何を得て何を失うものか。思案を巡らせはするが、政治は己の仕事ではなく、それに優れてもいない。
 そうか、と大きくひとつ息をつき。
「…おい。おい、ちょっと待て国軍組」
 アグラミアと二人しみじみとした心地であるところに、アギレオが声を低くして、うん?と振り返る。
「俺らは、ここに谷のエルフがちょっかい出しにくるってんで雇われたんだよな? ……まさかここにきて今更クビじゃねえだろうな……」
 それは困る…と、リーも渋い顔をし、アグラミアが即答せず口元を覆うのに、思わずこちらも眉が寄ってしまう。
「境の森守備についての処遇は託されていない。ただ、王陛下より、ハルカレンディアとアギレオは都合がつき次第、王都に足を運ぶようにとのことだ」
「げえ…」
「分かった」
 何かお話しくださるというなら、悪いようにはならないだろう。
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