聖女の、その後

六つ花えいこ

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前編

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「お役目、返上させて頂きたく存じます」

 そう言うと私は、緩やかな動作で深く深く頭を下げた。
 豪華絢爛な王座にふんぞり返る男の顔など、もう一瞬だって視界に入れたくなかったから。



【聖女の、その後 】



 私は五年前、この世界に“召喚”された。

 それは突然の出来事だった。いつも通り仕事を終え、今日は何を食べようかな、なんて。暗いバスの窓ガラスに写る自分の顔を見つめていた。
 本当に、なんてことのない、いつもどおりの日々だった。

 平凡な日常が崩れたのは、瞬きをした瞬間のこと。

 視界を埋め尽くしたのは、あまりにも見慣れない非日常。
 地面に敷き詰められた魔法陣。空を覆うほど枝葉を広げた大木。私を取り囲む、ローブや鎧を纏った人々。
 脳に収まり切れない現実を目の前にした時、私のとった行動は、騒ぐでも取り乱すでもなく……ただ流されることだった。

「聖女様! 聖女様ですね!」

 聞き慣れた言葉に、私は咄嗟に頷いた。

 怖かったのだ。

 狂ったような数えきれないほどの瞳全てが、私を凝視していた。
 混乱する間もなく、泣き喚く余裕すらなく――ありえない事態に身を震わせることすらできずに。求められている回答を、必死に捻り出した。

 取り分け質の良さそうな意匠をこらした、派手な年配者が私の前におどり出る。
 何の反応すら出来ないでいる私に向け、切々とこの世界が陥っている危機を語ってみせた。

 それは、永い眠りについていた魔王が、復活した――なんて。
 流行りも廃れたファンタジー小説のような一文から、始まった。

 魔王を屠るために女神の力を借りようと、全世界の指折りの魔法使いを結集させた彼らは、常世とこよより聖女の召喚を試みた。

 見事、成功を果たした――と思っている彼らは、私に聖女の役割を求めてきた。

 曰く、勇者の洗礼。

 女神の遣いである聖女の祈りで、魔王討伐に導いてほしい……と。

 話を理解した途端、突如襲ってきた眩暈をなんとかやり過ごす。

 “召還”なんて耳触りのいい言葉を使ってはいるが――ようは、単なる誘拐犯じゃないか。
 それも、狂信的な宗教じみていて、およそ一般人には反論する余地も与えない、恐ろしさを感じさせるような。

 これからの未来も、これまでの努力も、全てを奪い去り――
 女神に遣える本物の聖女のような慈愛をもって、彼らのためにあれと、彼らは強要していた。

 そして恐ろしいことに……この世界の誰もが、それが私の使命だと信じて疑ってもいなかったのだ。

 誰も気付かない。私が震えていることに。
 喉に言葉が張り付いて、声さえろくに出せないことに。

 聖女召喚という輝かしい偉業にくらんだ彼らの目は、直視するのもはばかられるほど、狂気に満ちていた。
 そんな人達を相手に、何ができただろうか。私は怖くて、怖くて怖くて怖くて。貝のように、息を潜めていた。
 少しでも彼らの逆鱗に触れれば、それだけで――容易く手折られそうな命を、大事に抱えながら。




 彼らにとって私は、“人”ではない。
 偉業の結晶、希望の象徴、常世の御遣みつかい――

 そして、はりぼての、聖女であった。

 その事に気付いたのは、王との謁見を許された時だった。

 国が、世界が。これから滅亡を迎えるかもしれないというのに、王は全く、悲壮に暮れていなかった。
 彼はいかにしてこれまで通りの暮らしを続けていくかが、一番大事だったに違いない。豪奢な衣装は目が眩むほどで、自分のよれよれのスーツと比べるだけ苦痛を感じた。

 こんな威厳も覇気もない小娘が“聖女”でないことに、すぐに気付いたのだろう。しかし、どんな拙い女でも“聖女”に仕立て上げるだけの自信があったのか、王は動揺を見せなかった。

 聖女の行いがどれほど名誉であるかを告げ、彼は王らしく命令を下した。

 この世界を救え、と。

「その暁に、そなたの願いを叶えよう」

 私は、しっかりと王を見据えてこう言った。

「お役目が終わり次第、私を元の世界に返してくださりますよう――」



***



 王との謁見が終わると、私の身柄は神殿へと移された。
 馬の歩みにより揺れる馬車の中で、私はひっそりため息をついた。目の前に座る鎧を着こんだ騎士が、眉を顰める。動揺を悟られぬよう、背筋を伸ばして視線から逃れた。

 馬車の窓は分厚い布のカーテンで覆われている。薄暗い暗い車内が気になりカーテンに手を掛ければ、鋭い視線と咳払いで封じられる。カーテンが指先からすり抜ける。

 ガタンゴトン、と馬車が揺れる音だけが、車内に満ちる。物腰は丁寧だが、有無を言わさぬ威勢を感じる。護衛というよりは、監視。その感覚はきっと、間違いではないだろう。
 その後はどちらも無言のまま。さながら、寄贈される銅像のように恭しく、神殿へと運搬された。

 馬車から降り、監視から神殿に引き渡される。
 神殿は、一人不安げに立ち尽くす私を手厚く迎え入れてくれた。

 神殿の人々は、私を“聖女”として大変尊重してくれた。神殿の待遇は、“聖女”に過不足なく、相応しかった。
 女神を心から信じ、女神の言葉を広げ、人々の幸せを祈る聖職者達にとって、神から遣わされた“聖女”は、国の思惑とは無関係に敬い、尊び、崇める対象であったからだ。

 それまで人々は、女神を模した銅像に向け、日々祈りを捧げていた。
 その事に不満を抱いた事もなければ、疑問に思った事もなかっただろう。

 しかし、そこに私が現れた。
 “聖女”として。

 目に見える信仰の証が現れた事で、世界は一変した。
 今まで女神を信じていなかった人達も、広く、そして深く信じ始めることとなった。

 女神降臨という偉業は、瞬く間に世界中に知れ渡った。それほど偉大な事なのだと、誰もが私に熱く語りかけた。
 それを私は、笑って受け止めた。
 “聖女”を騙った“人”でしかない私には、受け止めるしか、なかった。




 神殿で私は、神殿に住まう彼らと、同じ生活を望んだ。
 戦時中だというのに、最上級の贅沢を与えようとする彼らに抗ったのだ。本物の“聖女”でもきっとそうすると、確信も持っていた。
 指先をすり抜けたカーテンの、向こう側の景色を見てしまっていたから。

 私の持つ価値観では、およそ考えられないような――王城の護衛が、決して見せようとしなかった、嘆かわしい世界を見てしまったから。

 私の受ける贅沢がこの土地を疲弊させることを、女神は決して喜ばないだろう。困惑する神殿に伝えれば、一も二もなく聞き入れられた。それが女神の、御心ならばと。

 こんな、本当に世界を救えるわけでもないたかが小娘にかしずく彼らを、心の底から不憫だと思った。



***



 妄信的な狂信は、ごく一般的な価値観を持っていた私にとって、ただ恐ろしいものであった。
 なにをしても褒められ、なにをしても持ち上げられる。常に誰かの視線を感じ、常に息すら満足にできないような気持でいた。
 それでも、王城に戻るよりはずっとましだった。私はもう、あの王城に一歩だって足を踏み入れたくなかった。あんな風に、私という人間を素通りして会話をする人々の中になんか、もう二度と。

 この世界での私の仕事は、ただ一つ。
 最初に言われた通り、“勇者”に洗礼を捧げ、無事に送り出すことだけ。

 洗礼と言っても、今習っている手順を振り返る限り、限りなくお祈りに近い。
 日本風に言うなら、__おおぬさ__#を振ってお祓いをし、その後、御祈祷するといったものだ。その神聖な行為を、こと細かに教わる。
 私は今この世界で、誰よりも神聖な立場にいるのだ。
 日本の価値観でいうのなら、天照大御神に使える巫女のようなものだろう。近所の小さな神社の神主さんにさえ緊張してしまう私がそんな立場にいるなど、想像するだけで笑えてしまう。
 たったこれだけの為に、命の危機すら感じる異世界に呼び出されたのかと思うと、心底やりきれない。
 しかしそれも、洗礼さえ済ましてしまえば過去の事だ。犬にでも噛まれたことにして忘れられる。今はただ、笑って耐えるしかない。
 この世界の人々は相変わらず嫌いだけど、それでもやるべきことはやろうと思った。




 そしてついに、その日がやってきた。

 何度も練習のために袖を通した祈祷着を携え、朝早くから身を濯いでいた。昼には勇者一行が到着し、この神殿に身を寄せ洗礼を受け、再び旅に出るという。
 その洗礼を、今日は私が一人で執り行う。

 ――助けを求めてはいけないし、目を泳がせても、自信がなさそうにしてもいけない。

 練習を繰り返す内に幾分か親しくなった聖職者達に、やんわりと告げられた言葉が私を苛む。この洗礼を無事に終わらせなければ、日本に――私の日常に、帰ることが出来ない。

 緊張の為、ろくに眠れなかった頭をフル回転させ、手順を何度も何度も思い出す。
 手順を何一つ間違えずに、無事に洗礼を終えること。それにばかり気を取られていた私は、それさえ済めば、何の憂いもなく「はい、おしまい」だと。そう信じ切っていた。

 ――彼らの表情を見るまでは。

 私は、この世界の人は皆、狂っているのだと思っていた。
 だって。人の人生をめちゃくちゃにしておいて、謝罪どころか要求してくるなんて……正気の沙汰じゃない。
 自分達が成し遂げた偉業に、そしてこの世界が救われるという何の根拠もない幸福に、彼らは全員歓喜していたのだ。絶望に目を見開く私の姿など、誰一人としてその目に全く入りもせず。
 その言いようのない恐怖が、わかるだろうか。
 私は自分の絶望を、全世界に、祝福されていたのだ。

 そんなこと、およそまともな“人”のすることじゃない。
 この世界の人達は私とは違うのだと。私はいつしか、そんな風に感じていた。

 だけど、彼らは違った。

 勇者一行は、傷に覆われた四肢を頑丈な鎧で隠し、ただ真っ直ぐに、力強い眼差しで私を見つめていた。

 私は初めて、この世界が本当に魔王の脅威に立たされていることを、深く実感した。

 私が接したこの世界の人々は、概ね平和そうだった。
 落ち着いた日常を送っている人々の中で生活をしていると、馬車の隙間から見た悲惨さの衝撃が薄れてしまっていた。

 しかし彼らは、その目で見た全てを、余すことなく背負っているようだった。

 これから死地に赴き、自分達のその両の手だけで、世界を救わなければならない。誰の保証も確証も、安全もない旅路を続けてきたのだ。自分達が犠牲になってでも救いたいもののために。

 今まで見たこの世界の――ううん。どの世界の人よりも、どんな人よりも、覚悟を秘めたその瞳に、私は深く恥じた。

 私は、今この時まで。
 一瞬だってこの世界の“人”の為に、真剣に祈ったことはなかった。

 この世界の“人”が、私を“人”に見てくれないのは、当たり前の事だった。
 私が、相手に対してそういう態度をとっていたのだ。勝手に連れてきたくせに、私は望んでなんてないのに、そんな気持ちが胸の中を占領していた私が、この世界に救済を与える事など――出来るはずがない。

 私は彼らの瞳を、真正面から受け取った。一人一人の思いが滲むその瞳を、どれ一つ零すことがないように、しっかりと見つめ返した。

 そして、私は初めて――この世界の“人”の安全を、心から祈った。

 例え私が本当の“聖女”ではなくても、この世界にとって私が“聖女”として召喚されたことに意味があるのなら――ただ手順ばかりを気にして読み上げるよりも、よほど意味があることだろうと、そう感じたからだ。

 暗唱していた祝詞は、すらすらと出てきた。
 まるで本当に女神様が乗り移ったかのように、言葉が紡がれていく。

 祝詞を読み終えると、祭壇をゆっくりと降りる。
 行く先々の神殿で同じ洗礼を受けてきたのだろう。勇者達は戸惑うことなく、私の動きに合わせて頭を下げた。耳が痛くなるほどの静寂の中に、祈祷着についてる葉と生地がすれる音が響いた。

 この世界の礼式をとっている勇者一行の前に辿り着く。六人の内、先頭に立っているこの男が勇者だろう。想像していたよりも、ずっと若いその姿に心を痛める。
 眩いばかりに光っている鎧には、目を背けたくなるほどの大きな傷が刻み込まれていた。その衝撃を想像するだけで、彼らの今までの旅が楽な旅路ではなかったことが想像に難くない。
 動揺を悟られぬように、細く長く息を吐く。
 勇者と思わしき者の頭に掌を翳して、渾身の祈りを捧げた。

「どうぞ、世界を救いたまえ。貴方に女神の加護を」

 勇者はその言葉を聞くと、これで終いだとばかりに一層深く頭を下げる。
 私は膝をつくと、床につかれた彼の拳にそっと触れた。驚きに硬くなったその手を包み込むと、彼に向かって、心の底から祈りを込める。

「貴方が……無事に帰って来られますように」

 瞬間、私の両手の中で、勇者が強張った。

 彼の手をそっと離すと、同じく頭を下げて順番を待っていた隣の青年に、同じように祈りを込める。神殿がざわつくのを、肌で感じる。聖なる女神の加護でもある洗礼は、勇者にのみ与える予定だったからだ。

 けれど。
 私なんかより、よほど、よほど彼らは頑張ってきたのだ。これまでとは比べ物にならないほど危険な道を自らの意志で進んでいく彼らに、なんの力もないとはいえ、“聖女”としてこの場にいる私が出来ることならば……なんだってやってあげたかった。

 神殿側から、さざめきが聞こえる。私は構わずに進んだ。

 だって私は――この為に呼ばれたのだから。

「貴方が、無事に帰って来られますように」

 この世界にもあるのかはわからないが、日本には、“言霊”という言葉がある。
 その日本で生まれ育った私だからこそ、信じられる祈り方というのもある。
 私の、“聖女”の祈りの言葉が、どうか言霊となって彼らを守ってくださいますように――と。私はこの世界の女神に、心から祈りを捧げた。



***



 その後、滞りなく洗礼は終わり、勇者達も華々しく王都を旅立っていった。
 勇者達は旅立ったが、いつまで待っていても王城から迎えが来ることはなかった。帰還の褒美はいつ貰えるのかと、神殿から遣いを出したところ「無事魔王を討ち果たしてのち」と告げられた。
 私としても送り出した彼らのことが心配ではあったし、なによりこんな時勢だ。世界を救えと言ったその口で、大規模な魔法を私の為だけに行使しろと言うのも気が引けた。
 私の命運が、この世界と共になった瞬間であった。




 勇者達が旅立っている間、特にすることもなかったので、神殿の生活を覚えることにした。皆と同じようにまた畑を耕して、子供の守をして、繕いものをし、慈善活動に精を出す。拒絶も困惑も、すべて女神の名のもとに、見ないふりをした。

 だが、穏やかなばかりの日々ではなかった。
 利用価値の高い、御しやすい“聖女”を放置するつもりなど、城にはさらさらなかったらしい。

 本当に有事かと疑いたくなるほど、豪華な祭典に逐一出席させられた。数度目の祭りで、“聖女”をこの国の象徴として、外交の道具に使われているのだと気付いた。

 祭典は諸外国の王族や貴族が招かれるものもあった。
 祭事は大事なことだろう。仕来りや礼儀など私にとって不得手なことが多いが、動く巨額の貨幣は国民を潤わせる。
 ――とは思っていても、遠い地で勇者達が命を懸けている姿を想像すると、笑みを貼り付けることすら困難だった。

 国民の為という建前のもと、贅を貪る貴族のにやけた顔を見るたびに、彼らに対する不信感は募った。




 勇者達が旅立ってからというもの、祈りだけは一日も欠かすことなく続けた。
 どうか、私の祈りが継続しますように、と。一日でも祈り忘れてしまえば、あの時の祈りすら消えてしまいそうな気がして、ただ一心に祈り続けた。

 こちらの世界の祈り方と、私の世界での祈り方と、二通り。どちらの神様にも、どうか見守っていてほしかった。

 二拝二拍手一拝。時間をかけて、頭を下げる。
 真剣な顔で、見慣れぬ作法を披露する聖女に、神殿で親しくなった子供達は興味津々だった。
 そしてそのうち、彼らも共に柏手を打つようになっていった。
 子どもたちがこうして手を合わせてくれることが、何よりも嬉しかった。日々を過ごしていく中で忘れ去られていく勇者達の奮闘を、今この時は、この子達が思い出しているという、その事実だけでよかった。




 彼らが旅立って、どれほど過ぎただろうか。
 正確な日数はわからないが、日本と同じように四季を感じるこの国で、五度目の冬を過ごした。

 今年の冬は例年より寒さが厳しいねと、子供達と勇者達を危惧する。
 そんな冬を乗り越えた穏やかな春に、高らかな笛の音と共に、吉報が家々の隙間をすり抜けながら駆け巡った。

「朗報! 勇者一行、魔王討伐に成功! 勇者達、凱旋帰還します!」

 国中が、いや世界中が喜びに沸いた。
 歓喜の声は止むことがなく、世界中が心地の良い興奮に包まれていた。

 神殿にもその報はすぐさま届けられた。早馬が来た時に畑仕事をしていた私は、服が汚れるのも厭わずにその場にへたり込んだ。体中の力が抜けるのを感じた。

 元の世界に戻れる。よりも先に、あの時に見た彼らの姿が脳裏に浮かんだ。彼らは無事に役目を果たし、帰ってきているのだ。生き延びたのだ。私はそれが、体中の血液が踊りだすのではないだろうかと思うほど嬉しかった。

 そしてその日から、慌ただしく日常は変化していった。

 特にこの国は“聖女降臨の地”として、諸外国に向け大きな力を持つこととなった。
 そんな国がこの事態に動かないわけもなく、国力の大きさを見せつける為か、はたまた真の平和への喜びを分かち合う為か――勇者達の帰還を待たずして幾度となく祭りが催された。

 次から次へと浮かんでくる慶事の準備に、神殿はおおわらわだ。あくせくとしている神殿の人々に断り、私は王への面会を求めた。
 召喚された時同様、大勢の貴族や騎士が見守る中の面会となった。召喚の時以来だったが、王はこの五年で特に変わったところは、特に見受けられなかった。

「此度の吉報、余もまことに嬉しく思う。聖女、そなたもよく尽力した。なんでも褒美を取らそう。これよりも我が国に貢献するように」

 この言葉を聞いた瞬間、自分を五年間支えていたものが、ガラガラと崩れる音が聞こえた。

 私がこの世界で――味方の一人もいなかったこんな世界で。
 弱音の一つも吐かずに、ただ必死で生きてきたのは、元の世界に帰るためだ。
 私がこの世界で祈っていれば、勇者達が世界を救えば、頑張っていれば、帰してもらえる。そう思っていたからだ。勇者達の身の安全と同じく、帰還の希望を忘れたことだって、一度たりとも、一日たりともなかった。

 なのに、

 王は、もう、あんな約束なんて忘れていた。忘れていたのだ。
 私にとっては、何よりも大事だった、何よりも心の支えだった、あの約束を。

「それでは、お願いしたいことがございます」
「なんだ。何でも申せ」

「お役目、返上させて頂きたく存じます」


 深く、深く、頭を下げた。


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