2番目の1番【完】

綾崎オトイ

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大きな熊のぬいぐるみ

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 初めてエルネストを見たあの日から、私はずっと彼を見つめてきた。だから彼のことなら何だって知っていると、これだけは王女様にだって負けはしないと、勝てるかもしれない唯一だと、恐れながらそう思っているの。
 もちろん王女様の前で、その自室で、プライベートな空間で、そこでの王女様の前での彼のことはわからないけれど、それ以外ならきっと誰よりも、私は彼のことを知っている。

 彼が正式な騎士になったその瞬間も、その喜びも、王女様であるマリーアンジュ様を初めて見た瞬間の彼の喜びと決意も、私は一番近くでずっと見てきた。
 その瞬間、彼の一番がはっきりと定まったことも。

 マリーアンジュ様の護衛騎士になれた報告だって誰よりも真っ先にしてもらった。

 理想が現実になってからの彼はそれまでよりももっとずっと輝いて見えて、私はそんな彼が好きだった。
 結局のところ、王女様を見つめるエルネストを、言うなれば王女様ごと、私は彼を愛してしまっている。だからきっとこうなることは仕方がなかったのよね。エルネストと一緒にいる王女様のことだって気付くと私は見つめてしまっていたから、あの方が素晴らしい方なのはエルネストから聞かなくてもちゃんとわかっているんだもの。

 気づけば彼が今いるであろう屋敷のエントランスを思い浮かべながら、視線を向けていた。
 いつまでそうして虚空を見つめていたのか、静かな空間に気づいてハッとする。

「あ、ごめんなさい先生……。来ていただいたのにぼーっとしてしまって」

「いえ、構いませんよ。気を抜いていただけるのが一番です。それにしても随分と賑やかなお部屋になりましたね」

 今日も診察に来てくれていたヘイリーウッド先生が穏やかに笑って室内を見渡した。
 私もその視線を追うように、つられてぐるりと部屋の中に視線を巡らせた。

 最低限の装飾しかなかった、落ち着いた印象のあったこの部屋は、今では雑多としている。
 統一感のない宝石や置物が飾られていて、それはどれもこれもエルネストがハンナに預けた私へのプレゼント。捨てられるはずもないそれを部屋に全て並べているから、まとまりはない。

「ええ、この一月ほどの間に随分と増えてしまいましたから」

 この街に来てからのいつもと変わらない日常に、エルネストの訪問が加わって、それすらも当たり前になり始めてしまっている。彼が通い始めて、もうそろそろ一月が経ってしまう。彼は毎日何かしらのプレゼントを持ってこの屋敷を訪れる。

「会わないのですか?」

 先生の声は相変わらず穏やかで優しい。私を責める様子も、否定する様子も感じられない。

「会えない、です。私はもう、一度逃げ出してしまった人間だから、どんな顔をして彼に会えばいいのか、もうわからないんです」

 傷跡はもう消えてしまった。
 よく見るとまだうっすらと見えるけれど、私自身でももう簡単には見つけられなくなってしまった。

 それなのに、私はまだ彼に会えないでいる。

「でもお嬢様は、会いたいのですよね」

 会いたい。
 でも、会えない。

「会ってしまったら、どうして王女様なのって、私を一番にしてくれないのって、叫んでしまいそうだから。私はもうきっと、完璧な妻を演じることはできない。それに、お腹の子も守れなかった、母親としても失格だから」

 彼の前に立つ自信なんて、資格なんて、ない。

 これは独り言。
 先生の質問に答えたわけではない、吐き出してしまっただけの、ただの独り言なの。

 それでも先生は穏やかに笑ったまま続けてくれた。

「いいんですよ、それでも。完璧じゃなくてもいいんです。アリシアお嬢様は頑張りましたから。今までが頑張りすぎていただけなんですよ」

 先生の静かに紡がれる言葉に、思わず下がってしまっていた視線をあげる。

「体の傷と同じように、心だって傷がついてしまうんですよ。許容できるものには限界があります。だから、我慢をしすぎると中から溢れてしまうんです。心を突き破って、大きな傷になってしまうんです」

「心の傷……」

「お嬢様は、旦那様に怒っても貶しても、張り手くらいしたって、構わないんですよ。たまには全て吐き出すことも大切です。だから、大丈夫ですよ」

 先生の声は優しく穏やかなまま。静かに静かに紡がれる言葉は自然と耳に入ってくる。

「わかってるの。エルネストはもう、一月近くここにいる。仕事とか家のこととか、大丈夫なのか確認しないと、話をしないと……そう、思っているの」

 そんなのはただの言い訳。
 建前だけのそんな理由でもつけないと、私は彼に会おうとも思えない。

「そうですね。お嬢様の気がむいた時にはそうしましょう。もちろん無理に会う必要もないんですよ」

 先生の肯定の声に、次こそは声をかけられるかしらと、そう思った。

________________

 エルネストの対応をしてくれていたハンナが戻ってきたときには、その両手に随分と大きな何かを必死に抱えていた。きっとエルネストから受け取ったであろうそれを顰めっ面で、心底嫌そうに、それでも落とさないように部屋の中に入ってきた。

 まるでハンナを隠してしまいそうなほど、その背丈ほどありそうな大きな包みを見て、先生が慌てて手伝いに駆け寄ってくれる。

「ありがとうございます、先生」
「いえ、これくらいは。ですが、これは一体……?」

 ハンナから受け取った大きな包みを私の近くにおろしてくれた先生は、不思議そうにそれを見つめていた。けれど私もその中身は流石に想像することもできなくて。

「また旦那様からアリシア様への贈り物、なんですが……」

 本当に、人でも入っていそうな大きさの包みはいつもと同じように上部に可愛らしいリボンが付いているから、やっぱりエルネストからのプレゼントで間違いはないのでしょう、とハンナの言葉もあって私はそっと手を伸ばした。

「今日の旦那様も全くもって意味不明です。中身は今度こそ絶対喜ばれるとなぜか自信を持っているようでしたが、私は信じられません」

 今日も辛辣なハンナに私は苦笑を隠せない。
 可愛らしいけれどとても大きな包みを必死に睨みつけているハンナ、何だか不思議な光景で、私は包みを開けるためにハンナに手招きをした。

 二人で一緒に開いた包みの口からまず見えたのは二つの丸い物体だった。ちょこんと左右に見えるそれはイエローブロンドで、もこもことしていそうなそんな感じ。随分と触り心地が良さそうな丸だわ、とそれが何なのかは分からず呆然と見つめてしまう。

 そのあとは大きな顔が見えてきた。
 クリクリとした瞳の……、これは熊、かしら?

 それは座っている体制なのに私よりも大きい、きっと抱きついても腕が回りきらないような、大きは大きなイエローブロンドの熊がそこには鎮座していた。

「……こんなに大きなぬいぐるみ初めて見たわ」

「首のところ、大きな宝石も付いていますね。やっぱり旦那様、趣味悪いです……」

 じーっと、大きな熊の首元を見つめて言うその声に、私も先生も返す言葉は見つからなかった。
 ハンナの言うとおり、その首元には宝石が飾られていて、それも熊に負けないくらい大きなブローチで、ダイヤモンドを中心に色とりどりの宝石がその周りに飾られている。美しい金細工がちらりと見えるけれど、せっかくの綺麗な装飾も埋もれてしまっている。
 流石にこれをつけられるドレスは王都中を探しても見つけられないでしょうね。

 まるで部屋の主かのように全力で主張している大きな宝石をつけたぬいぐるみを見つめながら、私も首を傾げるほかなかった。

 どこに売っていたのかしらね、このぬいぐるみ。

 大きすぎて少し威圧的にも感じるけれど、顔の作りは愛嬌があってなかなか可愛らしい。
 置き場所に悩むけれど他に飾っておくところも思い浮かばないし……、とりあえずこの部屋の住人となってもらうしかなさそうね。

「ぬいぐるみを抱いて寝るのも精神の安定になる、こともあるはずなんですが、流石にこれはそんなサイズではありませんね」

 先生が熊のぬいぐるみをじっと見つめながら苦笑した。
 そうね、この子が隣にいたら何だか落ち着かなそう。慣れたら手放せなくなるのかしら。すごく可愛い熊ではあるのだけれど。

 相変わらずこの部屋は不思議なものが増えていって賑やかになる一方。

「さあ、お茶会の続きをしましょう」

 ハンナを手招きして、3人でお茶の続きをする。エルネストがプレゼントと一緒に王都の使用人からだと言うお菓子を一緒に渡してくれるから最近ではそれをテーブルに並べている。
 使用人たちからだというお菓子は私の好きだったものばかりで、王都にしかないお店のものだからすごく嬉しいの。みんなにも心配をかけてしまっているし、早く安心させて上げないといけないわよね。

 お菓子を食べて機嫌を直すハンナを見つめながらやっぱり思うのはそんなこと。
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