公爵子息の母親になりました(仮)

綾崎オトイ

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家族みたいな人達

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 数日後に迎えに来る。そう言って馬車に乗って去っていく公爵家の馬車を見送ってから、気が抜けてその場に座り込んだ。
 まさか私が公爵夫人になるなんて。
 実感はまだ全然ないけど、頬をつねったら痛いし、それでも信じられなくて太ももも強く摘んでみたけどやっぱり痛い。夢ではないみたい。

「あ、そうだ、アトリ」

 わざわざ陛下に話をしたのはアトリに違いない。
 そう思ってすぐ近くのアトリの家に駆け込んだ。普段から動き回っている私にとって、少しくらいの距離なら息が切れることもない。貴族令嬢だとは思えない自分の行動力と身のこなしに思わず苦笑する。
 両親と兄が生きていた頃から伯爵家は余裕なんてなかったし、ずっと平民と同じような暮らしだったもの。

「アトリ! アトリいるでしょうー?」

 開きっぱなしの玄関から中を覗き込む。アトリの住む家はこの辺りでは大きい方だから奥まで声が届くように呼びかけた。
 数秒してバタバタと足音が近づいてくる。

「お、どうしたエルシー」
「ちょっと、マルクス。なんで私が呼ばれたのにあんたが出ていくのよ」

 ひょこりと顔を出した青年がマルクスで、その後ろからやれやれと歩いてきたのがアトリ。
 マルクスはアトリの長男で、二人とも昔からよく知っている。私の家族〝みたいな〟人達。

「別にいいだろ。それで、どうしたんだよ。俺に求婚でもしに来たか?」

 この冗談はいつから始まったのか、もう覚えていない。顔を合わせたらこれだから、今ではもう挨拶みたい。
 毎回顔を赤らめるくらいならやめればいいのに。

「残念ながら今日もアトリに会いに来たの。それに私、結婚することになったみたい」
「……は?」

 みたい、って言うのは実感がないから。
 この話をしに来たのにマルクスの顔を見たら頭から飛んで行ってしまうところだった。
 アトリの顔を見てみれば満足そう、というか、嬉しそうというか、口元が緩んでいる。

「あら、本当に来たのね。その人、見る目があるわ」
「もう、やっぱりアトリ、陛下に何か言ったんでしょう」
「言ったんじゃなくて書いたのよ、手紙に。向こうが困ってるって言うから、私はエルシーがついに修道院に入ってしまうのよ、って返事しただけ」

 だから何も言ってないわよ、とあっけらかんとアトリは言う。いつもいつもずるいんだから。
 アトリには色んな意味で勝てる気が全くしない。成人してもそれは変わらないのね。きっと私がおばあちゃんになっても勝てなさそう。

「は!? ちょ、ちょっと待てよ、結婚? エルシーが?」

 固まってしまったマルクスに肩を掴まれてビクリと身体が揺れた。急に顔が近くにきたらびっくりするでしょ。

「そうなの。公爵のディアン・クレスト様が声をかけてくれて、ご子息の新しいお母様を探してるんだって」
「子持ちだって!? そんなの受け入れたのか!?」
「こらこら、エルシーを離しなさい、マルクス」

 嘘だろう、とグラグラ身体を揺らされる。少し乱暴だけど、昔から私の面倒を見てくれていたマルクスだから、きっと心配してくれているのね。

「どうせ修道院に行く予定だったからそれならって。悪い方じゃなかったし、小さい子の面倒を見るのも好きだから」

 ね、と肩に置かれたままのマルクスの腕に手を乗せる。

「それなら、それなら俺と結婚すりゃ良かっただろ。そしたら、母さんだって、お前の本当の母さんになったのに……」
「うん……でもこれ以上、みんなに我儘言って迷惑なんてかけたくなかったの」
「お前は、我儘なんて言ったことなかったよ」
「……うん、ありがとう」

 マルクスにもアトリにも、マルクスの弟や妹にも、もちろんアトリの旦那さんにも、ずっと迷惑をかけてしまっていた。
 気にしなくていいってみんな言ってくれるけど、でもその事実は変わらない。

 ―――貴族が自分で子育てをしないことはよくある話だったし、私も乳母であるアトリに面倒を見てもらっていた。

 お父様もお母様も、ギリギリだった領地を回すことに必死でいつも駆け回っていた。年の離れたお兄様も、私が物心着く頃には二人について仕事を手伝っていて、会えることも少なかった。
 愛されていなかった、なんてことも無いと思うのだけど、抱きしめてキスをして愛を囁いてくれるような、そんな物語の中の家族にずっと憧れていたの。

 マルクスや家族の話をしてくれるアトリもいつも優しい顔をしていて、羨ましさばかりが募っていったそんな時、馬車の事故が起きて両親もお兄様も一緒に亡くなってしまった。
 私が9歳の時で、棺の中の三人の顔を、その時初めてちゃんとじっくりと見た気がした。一人一人の冷たい頬にキスをして大好きよとそう言ってみたけど、あんまり幸せな気分にならなくて、それ以外のことはあまり覚えていない。

 それからは通いのはずのアトリがほとんどの時間一緒にいてくれた。たまに家に帰ることはあったけど、朝から夜まで寝る時も一緒。
 それがすごく嬉しくて、お母さんだって思っていたの。アトリがお母さんだったらいいのになって、そう思っていた。

 泣き喚いたマルクスが私のところに乗り込んで来るまでの間、私は家族を亡くして一人になった悲しみに溺れることは無くずっと心が暖かかった。

「おい! 母さんを返せ! 俺の母さんだぞ!」

 俺の母さんはお前のじゃないってそう叫ばれてハッとした。

「マルクス、やめなさい。そうだ、じゃあエルシーを連れて家に行こうか。家族は多い方が楽しいでしょう?」
「エルシーは家族じゃない!」

 マルクスは私の二つ上で、そのとき11歳。お母さんを奪われたと思うのは仕方がないと思う。お互い子供の時の話で今はこうして仲良くしているけど。

 でも、その時思ったの。
 そっか家族とは違うんだって。お母さんみたいなアトリは〝みたい〟でしかなくて、お母さんじゃないんだって。

 だから家族みたいな、優しいこの人たちに迷惑はかけたくない。アトリにはたくさん面倒を見てもらったし、アトリとの大切な時間をたくさん分けてもらったマルクスにも、甘えてはいられない。

「マルクスも良い人がいるんじゃないの? 花屋の子といい感じだって誰かが言ってたけど」
「告白はされたけど、断ってたよ。俺は、エルシーが結婚するまでは誰とも付き合う気なかったからな」
「え、そうなの? そこまで私の心配をしてくれてるとは思ってなかった」
「そういうんじゃないけど……。その公爵ってやつ、大切にしてくれなかったら俺に言えよ。迎えに行くから」
「ありがとう、マルクス。やっぱりマルクスは私の頼れるお兄ちゃんみたいな人ね」

 本当のお兄様とは話をすることもあまり出来なかったけど、その分マルクスがたくさん話をしてくれて、喧嘩も沢山したけどだからこそ寂しくなかった。

 本当に家族ならよかったのに、なんて浮かんでしまった思考を振り払って、夕飯の誘いを理った私は自宅へと足を向けた。

 ◇◇◇

「酷いんじゃねぇの、母さん」

 閉まった扉の前でしゃがみ込んだマルクスを見て、アトリも横に座り込んだ。

「だって、あんたじゃもう無理だと思ったんだもの。タイムリミットだったんだから仕方ないでしょ」
「昔の俺、なんであんなこと言ったんだよ」
「マルクスもエルシーもまだ子供だったからね。私にも悪い所があったし」

 誰が悪い訳でもない。だけどあの時のマルクスの一言がエルシーの中で明確に線を引かせてしまった。
 家族の愛に飢えて憧れていたからこそ、エルシーの中には響きすぎてしまった。

「何回告白しても本気にしてもらえず、こんな簡単に横からかっさらわれるなんて……」
「許してよ。息子のマルクスのことは大切だけど、私はエルシーも可愛くて大事だから幸せになって欲しかったの。修道院なんて入ったらあの子絶対に出てこないし私も会えなくなりそうだったからね」
「わかってる。エルシーは変に頑固なとこあるから。とりあえずその公爵ぶん殴る準備だけしとく」
「あらあら、我が息子が物騒だわ。まぁ、エルシーのことだからどうにかしそうだけど」

 よいしょーと声に出して立ち上がったアトリは伸びをしてから身を翻した。

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