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第三章 誰かの目的地、誰かの帰り道
肩車1
しおりを挟む空にはひとつの雲もなく、太陽だけが我が物顔でその中央に陣取っている。陽光と絡み合い熱を帯びた風がアデルの栗色の髪を撫で付けた。
森を行く途中でアデルが元々持ってきていた荷物を回収したため、肩に負った荷の重さは出発した時よりも増している。
「おお、いい景色じゃのう」
森から出てしばらく歩いた後、緩い山道を下ってようやく先が開けてきた。下った先には、殆ど手付かずの森が左右にその長い両脚を広げて跨っている。谷のように窪んだ土地の中央には川が流れていた。
その川の向こうにも同じような森の大地が広がり、その向こうには山脈が背の高さを競うように頭を並べていた。
爽やかな景色から目を逸らし、アデルは後ろを歩いていたソフィを見た。
「ソフィよ、大丈夫か?」
「……つ、疲れたのじゃ」
「ふーむ、そうか……」
ソフィは肩を落としてとぼとぼと歩き続けている。出発した時は元気だったが、一時間ほど歩いた後、疲労を訴えるようになってきた。
元々、ソフィは歩くことには慣れていなかったのだろう。休憩を挟みながらゆっくり歩いているが、それでもソフィは辛そうに足を引きずっている。
まさか一時間ほどで根を上げるとは思っていなかった。もう少し歩けるだろうと踏んでいたが、どうやら甘い目論見だったようだ。
これ以上ソフィに無理をさせるわけにはいかない。アデルは風景へと視線を戻し、明るい声でソフィに話しかけた。
「うむ、では景色も良いことじゃし、少し休憩するか」
「わかったのじゃ……」
アデルは肩に担いだフレイルを地面に下ろし、首を数度回した。ソフィは道の脇に生えていた木の根元に座り込み、大きく息を吐き出している。
休憩が入ったことで、ソフィは頭のほうが動き始めたらしい。アデルに向かって尋ねた。
「アデルよ、お主の村は一体どれほど遠いのじゃ」
「そうじゃのう、まぁそう簡単に言うことは出来んが、まだまだじゃの」
「なんと……、妾はせいぜい山の向こうぐらいかと思っておったぞ」
「はっはっは、そんなに近いのであれば苦労はせんのじゃがな」
アデルはそう言って笑いながら、景色に目を向けた。それから眉を寄せて呟く。
「思ったよりも時間がかかりそうじゃな……」
長距離を歩いたことが無いソフィにとっては、これ以上歩き続けるのは辛いだろう。
さらに、ソフィはまったく知らない道を歩いている。よく知っている道や通い慣れた道であれば、多少距離があってもあまり疲労は感じないが、来たこともない場所を行くとなると疲れやすい。
その上、ソフィには目的地がどれほど遠いのかもよくわかっていない。何よりも、ソフィはこの世が一体どれほど広いのかがよくわかっていないようだった。
この世には色々な土地があることは知っているようだったが、その知識が実感として身についていない。
山をひとつ越えれば違う国で、ふたつみっつ超えればそれだけで北国や南国に行けると思っていたのかもしれない。
思っていたよりも苦労するかもしれない。そう思ったが、アデルは口には出さなかった。
余計なことを言っても、ソフィの気持ちを沈ませてしまうだけだ。それよりもっと明るい気持ちにさせてやりたい。
アデルは休んでいたソフィに声をかけた。
「おっ、風が心地よいではないか。ソフィよ、ほれ、下ばかり向いていないであの景色を見てみたらどうじゃ?」
まだ体力が残っているうちは、森の中でさえソフィは色々なものに目を向けて面白がっていたが、疲れてくるとその余裕も無くなったようだった。
余計なことに心を動かされないように、ソフィは途中から地面に視線を落として言葉少なに歩き続けていた。
「なんじゃ?」
ふっと顔をあげたソフィが目前の景色に瞬きを繰り返す。どうやら気に入ったようだ。
「おお、これはなかなか広いの」
「そうじゃろうそうじゃろう」
ソフィの身長はアデルよりも低く、遠くを見通すことも出来ない。アデルはそれもソフィの疲労に繋がっているひとつの要因だと思った。
もう少しゆっくりしてから歩き出せばいい。そう考えていたが、ソフィは立ち上がってこちらに提案をしてきた。
「ふむ、少し落ち着いたのじゃ。ではアデルよ、行こうではないか」
「まぁ待てソフィ。そう焦るでない」
「焦っておるのはお主のほうではないのか? さきほども何やら深刻そうな顔をしておったが」
「む……」
見られていたのか。アデルは頬を掻きながら視線を逸らした。ここは誤魔化したほうがいいだろう。
「いや、わしは別に焦ってなどおらん。ただ、ソフィが心配なだけじゃ」
「……むぅ、本当か?」
「本当じゃとも。相手の立場になって考えるというのは難しいものじゃな、わしはソフィがあまり歩き慣れておらんということを深く考えておらんかった。元々、わしは人より力もあるし、体力もある。おそらく、普通の女と歩いたとしてもその女を余計に疲れさせてしまうほどにな。わしの考えで物事を進めても、一緒におるものにとっては痛苦となりえるであろうということを深く考えておらんかった」
そこまで言って、アデルは草の上に座って足を伸ばした。
「ほれソフィよ、こっちに来い」
「ん?」
ソフィは素直にこちらの言うことを聞くことにしたようだ。。アデルの傍に行き、少し離れて隣に座った。
隣のソフィに、アデルは疲労を解す方法を教えることにした。
「よいかソフィよ、こうやって足を伸ばして、それからこうやって足の先を、こうパタパタと開いたり閉じたりするんじゃ」
アデルは伸ばした足の爪先を外に向けたり内側に向けたりを繰り返した。
ソフィもその動作を真似し始める。
「ふむ、こうか」
「そうそう、こうするとな大腿骨の付け根、つまりこの股間のあたりの筋肉の力が抜けるでの。血の流れがよくなって楽になる」
アデルを真似てしばらく足を動かしていたソフィが目を大きく開いた。
「おお、確かにちょっと楽になった気がするのじゃ」
「うむ。普段から体を伸ばしたり緩めたりしておくと、疲れにくい体になるでな。わしも時々そんなことをしておる」
そう言ってからアデルは仰向けに寝転んで大の字になった。
「いやぁしかし、好い天気じゃのぅ。このまま眠ってしまいたいわい」
「そうは言うがアデルよ、ここで眠っておっては目的地に辿り着けぬではないか」
「ははは、そうじゃな。ソフィの言うこともごもっとも。ではもう少し頑張るとするか」
アデルは体を起こし、自身の背中を軽く叩いた。
再び歩き始めた。緩い坂道を下り、川の傍までやってきて、そこから道沿いに川の上流のほうへと向かって歩いていく。
アデルは肩にかかる重みを物ともせずずんずん前へ進むことが出来たが、ソフィはそうではなかった。
太陽はついにその頂上を過ぎて再び地平を目指そうとしている。
「……まずいのぅ」
アデルはそう呟いて目を細めた。この調子では野宿になる。自分ひとりであればまったく労苦にはならないが、ソフィがいるとなると事情は違う。
晩までには一番近い町まで行くことが出来ると踏んでいたが、目論見は大きく外れたようだった。
歩幅の小さいソフィに合わせていればこうなることも予想できたはずだった。アデルは顎を擦り、己の浅慮を嘆いた。
野宿となれば、早いうちから場所を確保しないといけない。陽が沈みかけてから用意しても間に合わないのだ。
さきほどの休憩から、ソフィとは二言三言しか言葉を交わしていない。疲労も相当なものだと思えた。
「よし、仕方ない。諦めるとするか」
「なんじゃいきなり、どうした」
「ソフィよ、申し訳ない話にはなるが、どうやら今日は野宿になりそうじゃ」
「ふむ、そうか……。まぁなんでもよい、アデルよ、お主に任せる」
「なんじゃ、案外あっさりしておるのぅ。もっと嫌がるかと思ったが」
「しかし、妾にはどうしてよいのかわからんのでな。お主に任せるより他ない」
「ふむ……、すまんの。苦労をかけて」
アデルは申し訳なさそうに肩を落として息を吐いた。ソフィには、この場所が一体どこなのか、次の目的地までどの程度なのかということもわかっていないだろう。
体だけでなく、心にも負担がかかっていることは想像に難くない。
「本当にすまんソフィ、わしがもっと考えておればよかった」
「よい、別に怒ってもおらんし、気にしてもおらん。まったく、裸を見られたことに比べればなんということもない」
「なんじゃ、まだ気にしておるのか」
「当たり前じゃ!」
ソフィはそう言って眉を吊り上げた。その様子を見るに、一応元気は残っているようだ。
それでも、これ以上負担をかけることは出来ない。アデルは後頭の髪をがしがし掻きながら言った。
「ははは、ソフィには迷惑をかけっぱなしじゃのう」
「そのようなことを言って……。まったく、阿呆よのぅお主。まぁ妾もそう人のことを言えんじゃろうが」
「さて、腹は決まった。後は、場所をどうにかせねばのう」
アデルはそう言って周りを見ながら歩き続けた。
野宿といっても、何処でもいいというわけではない。
「うーむ」
きょろきょろと見回しながら歩く。
雨は降りそうにないが、かといって雨の可能性を考慮に入れないのもまずい。また、野生動物に目をつけられるのも困る。
地面の具合も気にしなければいけない。土の上に直接寝てしまうと、体温が奪われて余計に疲労が溜まる。
かといって、草の上ならば露がついて体が濡れてしまいかねない。
「よし、あの辺りにするか」
川沿いを歩いていると、大きな楡が三本立っている場所が目に入った。
「さてと、ソフィよ。今日はここで野宿じゃな。こんな場所で野宿させることになって心苦しいが、まぁ耐えてくれ」
「うむ、なんとか耐えるとしよう」
ソフィが頷き、それから木の傍に近寄る。アデルは荷物を下ろし、天秤棒代わりに使っていたフレイルを木に立てかけた。
背負った背嚢から鉈を取り出し、革の鞘ごと地面に置いた。
「さて、とりあえずソフィには休んでもらうとしよう」
そう言ってアデルは背嚢の中から一枚の鉄の板を取り出した。黒々とした鉄は一辺がアデルの二の腕と同じくらいの長さで、中央が軽く窪んでいた。
「なんじゃそれは?」
「お、ソフィよ。いいことを聞いてくれるではないか」
アデルはにやりと笑って、その鉄の板をソフィに示した。
「これはな、シャベルじゃな。土を掘り起こすのに使う」
「ふーん……」
ソフィは答えを聞いて興味を無くしたのか、平坦な声で応えた。
「おいおいソフィよ、まぁ待て。これのここにじゃな、このフレイルをじゃな」
アデルはそう言いながら、フレイルの連接部を取り外して長いほうの棒をシャベルの筒に差し込んだ。
「このように、ほれ、合体!」
「……ふーん」
「あら、反応が乏しいのう。しかしそう結論を急ぐでないソフィよ、この先端丸みを見よ、これがなんのためにあるのかというとじゃな、このようにザクッと土にじゃな」
アデルはシャベルに足をかけて足元の土を軽く掬い上げた。
「ほれ、このように楽に土を掘り起こしたりできるのじゃな」
「そうか、凄いのう」
「おお! なんという気の無い返事じゃ! 面白いと思うんじゃがなぁ。これだけではないぞ、なんとこの先端が外せるということでじゃな、これをフライパン代わりに使うことも出来るのじゃな。この窪んだほうを下にして火にかければ、あっという間に調理器具よ。ひとつで何役もこなす優れものじゃぞ。木製でなく鉄を選んだのはそのためよ」
「まぁなんというか、面白いとは思うがしかしアデルよ、そんな重たいものを入れておったのか」
「はっはっは、重たいだけでなく背嚢の底のほうに置けば支持体にもなるでな、結構重宝するのじゃぞ」
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