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第二部 第三章
牛
しおりを挟むソフィは家の前でカールと別れ、家の扉へと向かった。別れの言葉も力無いものになり、カールは不安気に眉の端を下げながらこちらを見ていた。
本当ならエルナともっと仲良くなって、今頃はお喋りにでも興じていたはずだった。しかし、今は肩を落として家の扉へと歩いている。
何処までも見通せるほどの良い天気だというのに、心は暗い森の中をさまよっているかのようだ。
ソフィはパンの入った籠を片手に持ち替え、家の扉を開けた。
目が外の明るさに慣れきっていたせいで、家の中は巨大な闇の塊が蠢いているかのように見えた。どうやら窓を閉め切っているせいで中が暗くなっていたようだ。
空気の入れ替えのためにも窓を開けようと思ったその時、ソフィはリディアがアデルのベッドの上でごろんと横になっているのに気づいた。
「のわっ、なんじゃリディアか」
「あらソフィ、随分早いわね」
リディアは軽い動作で体を起こし、肩にかかっていた髪を手で軽く整えていた。どうしてアデルのベッドで横になっていたのかは知らないが、昼間から横になるなど怠惰なこと甚だしい。
こんな具合でごろごろしていては、リディアはいつか牛になってしまう。
「リディアよ、昼間っからゴロゴロしてはいかんのじゃ。牛になってしまう」
「牛に? そうしたらアデルに飼って貰えるかしら。お乳を搾られたりしちゃうのかしら」
「何を馬鹿なことを言っているのじゃ。シャキッとするのじゃ」
どうもリディアはぼんやりしているようだ。銅像のように静止したまま、視線の先を遠くへ置いている。もしかしたら昼寝でもしていたのかもしれない。
ソフィはパンの入った籠をテーブルの上に置いてから、窓を開けて回った。つっかえ棒をしっかりと掛けておく。それと同時に爽やかな空気が入り込んできて、清々しい気持ちになった。
さっきまでそんな空気に満ちた外にいたのに、今更その空気で気分がよくなるのだからよくわからない。
外の空気を吸い込んでから、ソフィはリディアに向かって声を張った。
「これリディア、いつまでボケッとしておるのじゃ。そんなことではいかん」
「……そうね、どんよりしてても仕方が無いものね」
リディアはそう言いながら赤い髪を指でさっとかき上げた。それから右手で左の鎖骨の辺りに触れて、軽く擦り始める。
どうやら意識もはっきりしてきたらしい。ソフィは小さく頷いた。
「うむ、その意気じゃ」
「なんだか色々頭を使ったせいで疲れちゃったわ」
「そういう時は軽く体操でもすれば気分も晴れやかになるのじゃ」
限界まで頭を使った後は、気持ちを切り替えるために体を動かすと良い。体が知らず知らずの間に強張ってしまっているから、しっかりと解すことで気分が良くなる。
リディアが小さく頷き、こちらに視線を寄越した。
「わかったわ。じゃあソフィ、今日はみっちりと体を動かしましょう」
「妾は遠慮しておくのじゃ」
「なんでよ?!」
リディアは目を見開いてこちらを見ている。シャキッとしろと言っておいて、こっちはのんびりしようとしているのだから驚くのも無理はないかもしれない。
ただ、今は体を動かしたい気分ではない。リディアがやる気を出したのはよいことだが、ここは断ろう。
「妾は少々疲れたのじゃ。リディアよ、一人で体を動かすとよい」
「もーっ! そんなんじゃ牛になっちゃうわよ!」
「もーとか言う女に言われたくないのじゃ」
「問答無用よ、子どもは元気が一番。ほら、さっさと着替えて運動するわよ」
リディアはベッドから立ち上がり、こちらの服を脱がせにかかってきた。いきなりスカートをめくり上げられ、ソフィが慌てて裾を手で押さえた。
「ぎゃああっ! こりゃ! やめんかリディア!」
「嫌だったらさっさと着替えるの!」
ソフィはスカートを手で戻し、胸を張って立っているリディアを見た。どうやら本当に運動をするつもりらしい。
しかし今日は体も頭も使いたくない。やはりここは遠慮しておこう。
「リディアがやる気になったのはよいが、妾はのんびりしたい気分なのじゃ」
「却下、お姉ちゃんと一緒に汗を流して爽やかになるのよ」
「強引じゃのう」
これ以上逆らうとヘソを曲げてしまうかもしれない。こちらがまだ渋っているのを見て、リディアは人差し指を立てた。
「そうだわ、ソフィが知りたがってた攻撃について教えてあげるわ」
「む? なんじゃ、どういう心変わりじゃ」
「まぁソフィもね、危なっかしいことしない限り別に知ってても大丈夫でしょ」
「ふむ……」
理由についてはよくわからなかったが、この世で最強の剣士から教えを受けられるというのは魅力的だ。ソフィは自分が剣を振り回している姿を想像してみた。
リディアのように、長い剣を持ってビシッと立ち、目にも止まらぬ速さで剣を振りぬく。細い木であれば一刀両断に斬り裂くのだろう。
なかなかカッコいい気がしてきた。
自分は魔法ならば楽々と使いこなせるが、剣となれば話は別だ。それを自分のものに出来るかもしれない。
ソフィは大きく頷いた。
「うむ、ならば妾も頑張るとするのじゃ!」
「その意気よ! じゃあまずは着替えて簡単な訓練からはじめましょう!」
リディアは目を輝かせてにんまりと笑った。
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