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王宮からの迎え1
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そうだ、引っ越しをしよう。
そう思ったのは、クーを追い出した夜のこと。
エリナは、名案を思い付いた、とでもいうように、手のひらをこぶしでぽんと叩いた。
そうだ、引っ越してしまおう。
場所がわからなくなれば、クーも来ないし、クーに対して申し訳ないと思うこともなくなるだろう。そう、引っ越してしまったのならしかたない作戦だ。
たとえクーにとって淡い初恋であろうが初恋でなかろうが、エリナがそこに居なければ実もなにもないのである。
そうと決まれば今日が吉日だ。
エリナはお気に入りの服をまとめ、食器や家具を梱包し始めた。
当面の仮宿は郊外の知り合いの経営する宿屋を使って、そこでゆっくり次の住処を決めればいい。
エリナはそう思って、一通りの荷物を片付けてしまった。
エリナの荷物はけして多くはない。裕福でないゆえだが、今回はそれがよかった。
ふう、と汗をぬぐったエリナは、片づけたばかりのベッドに座り込む。シーツをはがしたベッドは固いけれど、開け放した窓から入ってくる風が心地よいために、すぐに睡魔に襲われた。
「あとは、明日やろう……」
エリナはそう言って、まどろみのまま、ゆるやかに眠りに落ちていく。
けれど、エリナは一つ、勘違いをしていた。
恋を見つけた竜種の恐ろしいまでの手早さについて、知らなかったのだ。
知っていれば、明日、なんてのんびりせずに、今日のうちにこの家を後にしていただろう。
ここが一つのターニング・ポイントだった。
■■■
まぶしい陽光がまぶたに降りかかる朝、エリナは日の光のまぶしさゆえではなく、窓の外から聞こえる騒音によって目を覚ました。
ベッドの、もともと部屋に備え付けられていたマットレスがきい、と軋む。
しかし、それとは違う、ざわめきのような音。
エリナは半分だけ開いたままだったカーテンを開き、窓の外を見やり――言葉を失った。
エリナの住む――いいや、住んでいたアパートの階段を降りた場所、そこに開けた玄関の前に、それは立派な馬車が止まっている。
馬は白馬、立派な金の馬鎧を身に着けた白馬が引くのは、金で装飾された黒塗りの馬車。
その馬車の御者は金――いいや、金に近い、はちみつのような色の装いに身を包んでいる。
はちみつ色――かつての竜王リーハを示す色は青。前竜王の時は、一か所だけに使われていた色彩あるパーツが、馬車全体に装飾されている。
竜の色を身に着けるのは、そのものが竜の庇護を受けるものであることを示している。
黒塗りの馬車はこの国では城からの使いだけが乗るものだ。だからこれは、城からのお召しによる馬車なのだろう。
しかし、こんなにも黒馬車に色彩が使われているとなると、話が変わってくる。
王城からの馬車とは、竜王からの馬車。では、その竜王の馬車のほとんどを――まるで、執心を示すように――埋め尽くす、はちみつ色は何を意味しているのだろうか。
いいや、本当は予想できている。そうと思いたくない、信じたくないだけだ。
エリナは今の竜王を知らない。関わりたくないと思って生きてきたからだ。
それでもわかる。馬車のほとんどを埋めるはちみつ色は、おそらく竜王の色。
見せつけるように使われた色は、竜王にとっていっとう大切なものを送迎するための乗り物なのだと言葉より雄弁に語っている。
「番が、見つかったの……?」
エリナは恐れるようにつぶやいた。
手が震える。足が震える。指先が冷えて、立っていられなくなる。
祈るようにしゃがみこみ、エリナはカーテンを引いて目を閉じた。
住民たちの、物珍しそうなざわめきが耳に届くのさえ恐ろしい。
そんなわけがないと信じたい。だってこのアパートにはエリナの他にも何人も女性が住んでいる。
雑貨屋のアニー、レストランのメイズ、図書館の司書をしているルナ。
そんなにも、エリナが知るだけでそんなにも人が住んでいるのだ。
まさか、エリナなわけがない。迎えに来られた番がエリナだなんて、そんなこと信じたくもなかった。
かたかたと震える肩。お願いだからこっちに来ないで、と祈って両の手を組む。
「番は嫌、番は嫌、番になんて、なりたくない……」
今のエリナは人間貴族のエリスティナじゃない。
血筋にも生まれた身分にも、竜に選ばれる要素なんてありはしなかった。
その、はずだ。
よしんば、ごくごく小さな確率でエリナが竜の番だったとして、それが竜王だと――かつてエリスティナを虐げた竜王リーハの次代だと、そんなことがあるだろうか。
そんなむごいことがあるだろうか。
そう思ったのは、クーを追い出した夜のこと。
エリナは、名案を思い付いた、とでもいうように、手のひらをこぶしでぽんと叩いた。
そうだ、引っ越してしまおう。
場所がわからなくなれば、クーも来ないし、クーに対して申し訳ないと思うこともなくなるだろう。そう、引っ越してしまったのならしかたない作戦だ。
たとえクーにとって淡い初恋であろうが初恋でなかろうが、エリナがそこに居なければ実もなにもないのである。
そうと決まれば今日が吉日だ。
エリナはお気に入りの服をまとめ、食器や家具を梱包し始めた。
当面の仮宿は郊外の知り合いの経営する宿屋を使って、そこでゆっくり次の住処を決めればいい。
エリナはそう思って、一通りの荷物を片付けてしまった。
エリナの荷物はけして多くはない。裕福でないゆえだが、今回はそれがよかった。
ふう、と汗をぬぐったエリナは、片づけたばかりのベッドに座り込む。シーツをはがしたベッドは固いけれど、開け放した窓から入ってくる風が心地よいために、すぐに睡魔に襲われた。
「あとは、明日やろう……」
エリナはそう言って、まどろみのまま、ゆるやかに眠りに落ちていく。
けれど、エリナは一つ、勘違いをしていた。
恋を見つけた竜種の恐ろしいまでの手早さについて、知らなかったのだ。
知っていれば、明日、なんてのんびりせずに、今日のうちにこの家を後にしていただろう。
ここが一つのターニング・ポイントだった。
■■■
まぶしい陽光がまぶたに降りかかる朝、エリナは日の光のまぶしさゆえではなく、窓の外から聞こえる騒音によって目を覚ました。
ベッドの、もともと部屋に備え付けられていたマットレスがきい、と軋む。
しかし、それとは違う、ざわめきのような音。
エリナは半分だけ開いたままだったカーテンを開き、窓の外を見やり――言葉を失った。
エリナの住む――いいや、住んでいたアパートの階段を降りた場所、そこに開けた玄関の前に、それは立派な馬車が止まっている。
馬は白馬、立派な金の馬鎧を身に着けた白馬が引くのは、金で装飾された黒塗りの馬車。
その馬車の御者は金――いいや、金に近い、はちみつのような色の装いに身を包んでいる。
はちみつ色――かつての竜王リーハを示す色は青。前竜王の時は、一か所だけに使われていた色彩あるパーツが、馬車全体に装飾されている。
竜の色を身に着けるのは、そのものが竜の庇護を受けるものであることを示している。
黒塗りの馬車はこの国では城からの使いだけが乗るものだ。だからこれは、城からのお召しによる馬車なのだろう。
しかし、こんなにも黒馬車に色彩が使われているとなると、話が変わってくる。
王城からの馬車とは、竜王からの馬車。では、その竜王の馬車のほとんどを――まるで、執心を示すように――埋め尽くす、はちみつ色は何を意味しているのだろうか。
いいや、本当は予想できている。そうと思いたくない、信じたくないだけだ。
エリナは今の竜王を知らない。関わりたくないと思って生きてきたからだ。
それでもわかる。馬車のほとんどを埋めるはちみつ色は、おそらく竜王の色。
見せつけるように使われた色は、竜王にとっていっとう大切なものを送迎するための乗り物なのだと言葉より雄弁に語っている。
「番が、見つかったの……?」
エリナは恐れるようにつぶやいた。
手が震える。足が震える。指先が冷えて、立っていられなくなる。
祈るようにしゃがみこみ、エリナはカーテンを引いて目を閉じた。
住民たちの、物珍しそうなざわめきが耳に届くのさえ恐ろしい。
そんなわけがないと信じたい。だってこのアパートにはエリナの他にも何人も女性が住んでいる。
雑貨屋のアニー、レストランのメイズ、図書館の司書をしているルナ。
そんなにも、エリナが知るだけでそんなにも人が住んでいるのだ。
まさか、エリナなわけがない。迎えに来られた番がエリナだなんて、そんなこと信じたくもなかった。
かたかたと震える肩。お願いだからこっちに来ないで、と祈って両の手を組む。
「番は嫌、番は嫌、番になんて、なりたくない……」
今のエリナは人間貴族のエリスティナじゃない。
血筋にも生まれた身分にも、竜に選ばれる要素なんてありはしなかった。
その、はずだ。
よしんば、ごくごく小さな確率でエリナが竜の番だったとして、それが竜王だと――かつてエリスティナを虐げた竜王リーハの次代だと、そんなことがあるだろうか。
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