17 / 61
第17章 眠れる肉体
しおりを挟む
麻衣子さんとの食堂ランチから、数日が経った。
春の名残をわずかに残す風が病院の庭を抜け、
桜並木は青葉に覆われている。
兄さんの看病を続けるうちに、私はある“違和感”に気づいた。
兄さんが倒れてから、半年以上が過ぎている。
入院当初は医療用ベッドに寝たきりのまま、
機械に囲まれて静かに息をしていた。
それは、いまも変わらない。
――変わらないはず、だった。
なのに、最近の兄さんの身体はどこかおかしい。
やせるどころか、むしろ引き締まっている。
点滴で栄養を摂っているだけの兄さんの体に、
どうしてこんな変化が起きるのか――。
私はすぐに、麻衣子さんに報告した。
「……よく気づいたわね、キララ。」
診察室で兄さんの身体を観察しながら、
麻衣子さんは静かに息をついた。
「日々世話をしている家族でなければ、気づけない変化よ。
本当に、あなたはよく見ている。」
その言葉には、私への素直な敬意が感じられた。
「でもね……これは、医学的には説明がつかないの。」
「え……?」
麻衣子さんは、カルテを閉じて語り出した。
「通常、意識不明で長期間寝たきりになると、
筋肉は急速に衰えていくの。
数週間もすれば、体を支えるのも難しくなって、
半年も経てば、体つきはすっかり細くなってしまう。
それが普通の経過よ。」
「でも兄さんは……」
「そう。むしろ引き締まっている。
これは本来、考えられないこと。」
麻衣子さんは少し考えてから、
やわらかい声で続けた。
「……キララも知っての通り、寝たきりの患者さんにはね、
“動かないことで壊れていく体”を守るためのケアが必要なの。
床ずれを防ぐために体位を変えたり、
関節が固まらないように手足を動かしたり。
呼吸や排泄の介助も欠かせない。
これを怠ると、体はどんどん弱ってしまう。」
麻衣子さんは少し間を置いてから、
机の上の模型を手に取り、筋肉の部位を指で示した。
「筋肉が増える仕組みは、基本的には“破壊と再生”なの。
運動によって筋繊維に微細な損傷が起き、
それを修復する過程で、より太く、強くなる。
この繰り返しで筋肥大が進むのよ。」
「でも、兄さんは動いていないのに……?」
「そう、だから不思議なの。
本来なら筋肉は使わなければ信号が途絶え、萎縮する。
けれど、もし脳が――眠っている状態のまま、
“筋肉を動かせ”という指令を出し続けていたら?」
私は息をのむ。
「脳が、夢の中で……トレーニングしてるってこと?」
麻衣子さんはかすかに笑みを浮かべ、首をかしげた。
「理屈では説明できないけれど、
もしも意識の奥で、本人が“運動している”と強く信じていれば、
脳は実際に筋肉を刺激してしまう可能性があるわ。
イメージトレーニングで筋電位が上昇するという実験報告もあるの。
それが持続的に起きているとしたら……
理論上は、筋力維持どころか、強化もあり得る。」
麻衣子さんの言葉を聞きながら、私は改めて兄さんの状態の異常さを実感した。
家族として、私は毎日のケアに関わってきたけれど、
兄さんの身体はその「人の手による維持」以上に、
まるで“自ら動いている”かのように整っている。
ふと、私は別のことを思い出した。
そういえば――
兄さんと同室の獅子さんも、少し不思議だった。
初めて見たとき、彼の身体はがっしりとした体つきで、
長年スポーツをしてきた人のような、無駄のない筋肉をしていた。
病院の患者衣の上からでも、それははっきりわかるほど。
最初は、まだ寝たきりになって日が浅いのだと思っていた。
けれど、気づけば彼も、もう数か月この病室で過ごしている。
それなのに――その体型が、まったく変わっていない。
そんなものか、と当時は深く考えなかった。
でも、今考えると――おかしい。
寝たきりで、筋肉があのまま維持されるなんて。
兄さんだけでなく、獅子さんにも“何か”が起きている。
私は寒気を感じながら、
兄さんの静かな寝顔を見つめた。
麻衣子さんの言葉が、頭の奥で反響する。
「……まるで、夢の中でトレーニングをしているみたいね。」
その冗談のような一言が、
私の心の奥に、小さなざわめきとなって残った。
春の名残をわずかに残す風が病院の庭を抜け、
桜並木は青葉に覆われている。
兄さんの看病を続けるうちに、私はある“違和感”に気づいた。
兄さんが倒れてから、半年以上が過ぎている。
入院当初は医療用ベッドに寝たきりのまま、
機械に囲まれて静かに息をしていた。
それは、いまも変わらない。
――変わらないはず、だった。
なのに、最近の兄さんの身体はどこかおかしい。
やせるどころか、むしろ引き締まっている。
点滴で栄養を摂っているだけの兄さんの体に、
どうしてこんな変化が起きるのか――。
私はすぐに、麻衣子さんに報告した。
「……よく気づいたわね、キララ。」
診察室で兄さんの身体を観察しながら、
麻衣子さんは静かに息をついた。
「日々世話をしている家族でなければ、気づけない変化よ。
本当に、あなたはよく見ている。」
その言葉には、私への素直な敬意が感じられた。
「でもね……これは、医学的には説明がつかないの。」
「え……?」
麻衣子さんは、カルテを閉じて語り出した。
「通常、意識不明で長期間寝たきりになると、
筋肉は急速に衰えていくの。
数週間もすれば、体を支えるのも難しくなって、
半年も経てば、体つきはすっかり細くなってしまう。
それが普通の経過よ。」
「でも兄さんは……」
「そう。むしろ引き締まっている。
これは本来、考えられないこと。」
麻衣子さんは少し考えてから、
やわらかい声で続けた。
「……キララも知っての通り、寝たきりの患者さんにはね、
“動かないことで壊れていく体”を守るためのケアが必要なの。
床ずれを防ぐために体位を変えたり、
関節が固まらないように手足を動かしたり。
呼吸や排泄の介助も欠かせない。
これを怠ると、体はどんどん弱ってしまう。」
麻衣子さんは少し間を置いてから、
机の上の模型を手に取り、筋肉の部位を指で示した。
「筋肉が増える仕組みは、基本的には“破壊と再生”なの。
運動によって筋繊維に微細な損傷が起き、
それを修復する過程で、より太く、強くなる。
この繰り返しで筋肥大が進むのよ。」
「でも、兄さんは動いていないのに……?」
「そう、だから不思議なの。
本来なら筋肉は使わなければ信号が途絶え、萎縮する。
けれど、もし脳が――眠っている状態のまま、
“筋肉を動かせ”という指令を出し続けていたら?」
私は息をのむ。
「脳が、夢の中で……トレーニングしてるってこと?」
麻衣子さんはかすかに笑みを浮かべ、首をかしげた。
「理屈では説明できないけれど、
もしも意識の奥で、本人が“運動している”と強く信じていれば、
脳は実際に筋肉を刺激してしまう可能性があるわ。
イメージトレーニングで筋電位が上昇するという実験報告もあるの。
それが持続的に起きているとしたら……
理論上は、筋力維持どころか、強化もあり得る。」
麻衣子さんの言葉を聞きながら、私は改めて兄さんの状態の異常さを実感した。
家族として、私は毎日のケアに関わってきたけれど、
兄さんの身体はその「人の手による維持」以上に、
まるで“自ら動いている”かのように整っている。
ふと、私は別のことを思い出した。
そういえば――
兄さんと同室の獅子さんも、少し不思議だった。
初めて見たとき、彼の身体はがっしりとした体つきで、
長年スポーツをしてきた人のような、無駄のない筋肉をしていた。
病院の患者衣の上からでも、それははっきりわかるほど。
最初は、まだ寝たきりになって日が浅いのだと思っていた。
けれど、気づけば彼も、もう数か月この病室で過ごしている。
それなのに――その体型が、まったく変わっていない。
そんなものか、と当時は深く考えなかった。
でも、今考えると――おかしい。
寝たきりで、筋肉があのまま維持されるなんて。
兄さんだけでなく、獅子さんにも“何か”が起きている。
私は寒気を感じながら、
兄さんの静かな寝顔を見つめた。
麻衣子さんの言葉が、頭の奥で反響する。
「……まるで、夢の中でトレーニングをしているみたいね。」
その冗談のような一言が、
私の心の奥に、小さなざわめきとなって残った。
30
あなたにおすすめの小説
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
【改訂版アップ】10日間の異世界旅行~帰れなくなった二人の異世界冒険譚~
ばいむ
ファンタジー
10日間の異世界旅行~帰れなくなった二人の異世界冒険譚~
大筋は変わっていませんが、内容を見直したバージョンを追加でアップしています。単なる自己満足の書き直しですのでオリジナルを読んでいる人は見直さなくてもよいかと思います。主な変更点は以下の通りです。
話数を半分以下に統合。このため1話辺りの文字数が倍増しています。
説明口調から対話形式を増加。
伏線を考えていたが使用しなかった内容について削除。(龍、人種など)
別視点内容の追加。
剣と魔法の世界であるライハンドリア・・・。魔獣と言われるモンスターがおり、剣と魔法でそれを倒す冒険者と言われる人達がいる世界。
高校の休み時間に突然その世界に行くことになってしまった。この世界での生活は10日間と言われ、混乱しながらも楽しむことにしたが、なぜか戻ることができなかった。
特殊な能力を授かるわけでもなく、生きるための力をつけるには自ら鍛錬しなければならなかった。魔獣を狩り、いろいろな遺跡を訪ね、いろいろな人と出会った。何度か死にそうになったこともあったが、多くの人に助けられながらも少しずつ成長し、なんとか生き抜いた。
冒険をともにするのは同じく異世界に転移してきた女性・ジェニファー。彼女と出会い、ともに生き抜き、そして別れることとなった。
2021/06/27 無事に完結しました。
2021/09/10 後日談の追加を開始
2022/02/18 後日談完結しました。
2025/03/23 自己満足の改訂版をアップしました。
オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~
鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。
そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。
そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。
「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」
オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く!
ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。
いざ……はじまり、はじまり……。
※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
異世界召喚された俺の料理が美味すぎて魔王軍が侵略やめた件
さかーん
ファンタジー
魔王様、世界征服より晩ご飯ですよ!
食品メーカー勤務の平凡な社会人・橘陽人(たちばな はると)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。剣も魔法もない陽人が頼れるのは唯一の特技――料理の腕だけ。
侵略の真っ最中だった魔王ゼファーとその部下たちに、試しに料理を振る舞ったところ、まさかの大絶賛。
「なにこれ美味い!」「もう戦争どころじゃない!」
気づけば魔王軍は侵略作戦を完全放棄。陽人の料理に夢中になり、次々と餌付けされてしまった。
いつの間にか『魔王専属料理人』として雇われてしまった陽人は、料理の腕一本で人間世界と魔族の架け橋となってしまう――。
料理と異世界が織りなす、ほのぼのグルメ・ファンタジー開幕!
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる