影武者の天下盗り

井上シオ

文字の大きさ
1 / 99
第1章:影武者の目覚め

第1話:拾われた男

しおりを挟む
 焼け焦げた畦道に、男は一人倒れていた。

 全身に煤をまとい、口の端から血を垂らしながら、それでもまだ死に切れていなかった。名前を十兵衛という。名とて村の百姓しか呼ばぬ、取るに足らぬ名だった。

「……生きてるか?」

 鉄の匂いをまとった声に、十兵衛は微かに目を開いた。眼前に立つのは、甲冑に身を包んだ男。織田の家紋が、揺れる炎に照らされて鈍く光っていた。

「こいつ……」

 武将の後ろにいた侍が、驚いたように声をあげた。

「顔が……殿に、そっくりでございます」

「……ふん」

 武将はしゃがみこみ、十兵衛の顎を荒々しくつかんだ。

「生き延びた面、ついてやがる」

 その目は、何かを企む商人のようだった。

 数日後、十兵衛は“安土”と呼ばれる場所にいた。そこは百姓が踏み込むにはあまりにも煌びやかで、あまりにも異様な空気をまとう地だった。

「お前の名は今日から“信長様”の影だ」

 そう告げたのは、無精髭の男だった。羽柴と名乗ったその男は、気さくに笑いながらも、目だけは獣のように研ぎ澄まされていた。

「簡単なこっちゃない。殿の喋り方、歩き方、癖、好きな料理まで……全部、叩き込んでやる」

 十兵衛は答えなかった。

 生きているのか、死んでいるのか。焼かれた村の幻が、時折まぶたの裏にちらついた。家族の叫び、倒れる母、焼け落ちる家。何もかもが一夜にして灰となり、残ったのは、自分の顔だけだった。

「おい、聞いてるか?」

「……殿とやらの顔は……そんなに俺に似ておるのか」

 羽柴は少しだけ目を細めて、肩をすくめた。

「そっくりだよ。だから生きてんだろ、お前は」

 その言葉が、十兵衛の胸に突き刺さった。
 “似ているから、生かされた”。
 “似ているから、何者かになれる”。

 その夜、十兵衛は自分の顔を水面に映して見つめた。
 よく見れば、確かに整った顔立ちをしている。
 だが、その目の奥には何もない。ただ、ぽっかりとした空洞だけが広がっていた。

 ——ならば、この顔に“何か”を詰めてやろう。
 生き延びた意味を、ここに詰めてやる。

「俺は……信長か」

 水面に映る自分の顔に、十兵衛はそう呟いた。

 誰も答えなかった。
 だが、その無言こそが、何よりも肯定のように思えた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

処理中です...