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第1章:影武者の目覚め
第3話:本能寺、炎上
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その夜、京の空は、鬼が舞うように赤かった。
六月二日、未明——。
十兵衛は本能寺の裏手で、静かに“演技”の準備をしていた。
本物の信長は、寺の奥の間に眠っているという。
「今宵は、殿のお忍び演武だ。お前は控えに回れ」
羽柴秀吉の手の者がそう言い残し、十兵衛に裃を投げた。
普段の金陀美具足とは違う、軽装だった。
「殿に何かあった時は、すぐに動け」
意味深な一言に、十兵衛は息を呑んだ。
そして、次の瞬間——
ドオオオンッ!
轟音が本能寺を揺らした。
外からの攻撃——いや、火矢だ。燃え広がる障子の向こうで、叫び声が響く。
「敵襲! 敵襲ーー!!」
寺が、燃えている。
信長の間がある棟に、炎が襲いかかる。
侍女の悲鳴、兵の怒号、刀を交える金属音——。
混乱の渦のなか、十兵衛は“影”として動けずにいた。
「なにをしている! 信長様をお守りせい!」
武将の怒声が飛ぶ。
だが、彼は“信長”ではない。
行けば、偽物とばれる。行かなければ、“信長”が死ぬ。
——影武者には、“守る主”が必要なのだ。
だが、その主が。
すでに——消えていた。
「……嘘だろ」
寺の奥、寝所に飛び込んだ十兵衛の目に映ったのは、
もぬけの殻の布団と、血に濡れた床だけだった。
死体は、ない。
焼け跡にも、人影はない。
「殿……どこへ……?」
後ろから兵が来る。
「殿! ご無事ですか!」
十兵衛は、咄嗟にそちらを振り返った。
「……ああ。無事だ。……この命、易々とはくれてやらん」
それは、とっさの芝居だった。
だが、兵は躊躇なく膝をついた。
「信長様、万歳!!」
その声は、他の兵にも伝播し、本能寺の裏手に集まる者たちが、次々とひれ伏していく。
「我ら、最後まで殿にお供つかまつる!」
“信長”の顔をした十兵衛は、初めて“信長”の声で叫んだ。
「敵は誰だ!」
「明智光秀勢と見られます!」
「……ならば、この命を賭して討つのみ!」
燃える京の空を背にして、十兵衛の影が大きく伸びた。
本能寺の戦、正午にはほぼ鎮圧された。
光秀軍は予想以上に小規模で、しかも信長が“逃れた”と聞いた途端、動揺し、崩れた。
その混乱の中、十兵衛はまさに“信長の再来”のように振る舞い続けた。
「殿は、本当に……?」
羽柴秀吉が、ぽつりとつぶやいた。
「生き延びたのだ。我らの前に……この姿で現れたのだ」
その“嘘”に、誰も異を唱えなかった。
なぜなら、それを否定すれば、彼らは“主君を見殺しにした”者になるからだ。
夜が明け、本能寺の炎がやっと収まった頃。
十兵衛は、ひとり寺の残骸に立っていた。
灰の中に立つ男の顔には、血と煤がついていた。
だが、その瞳だけは、確かに“炎”を宿していた。
「……俺が、信長か」
かすれた声が、風に溶けた。
焼け跡の中に、誰の遺体も見つからない。
信長は——消えた。
そして、“影”だけが、生き残った。
六月二日、未明——。
十兵衛は本能寺の裏手で、静かに“演技”の準備をしていた。
本物の信長は、寺の奥の間に眠っているという。
「今宵は、殿のお忍び演武だ。お前は控えに回れ」
羽柴秀吉の手の者がそう言い残し、十兵衛に裃を投げた。
普段の金陀美具足とは違う、軽装だった。
「殿に何かあった時は、すぐに動け」
意味深な一言に、十兵衛は息を呑んだ。
そして、次の瞬間——
ドオオオンッ!
轟音が本能寺を揺らした。
外からの攻撃——いや、火矢だ。燃え広がる障子の向こうで、叫び声が響く。
「敵襲! 敵襲ーー!!」
寺が、燃えている。
信長の間がある棟に、炎が襲いかかる。
侍女の悲鳴、兵の怒号、刀を交える金属音——。
混乱の渦のなか、十兵衛は“影”として動けずにいた。
「なにをしている! 信長様をお守りせい!」
武将の怒声が飛ぶ。
だが、彼は“信長”ではない。
行けば、偽物とばれる。行かなければ、“信長”が死ぬ。
——影武者には、“守る主”が必要なのだ。
だが、その主が。
すでに——消えていた。
「……嘘だろ」
寺の奥、寝所に飛び込んだ十兵衛の目に映ったのは、
もぬけの殻の布団と、血に濡れた床だけだった。
死体は、ない。
焼け跡にも、人影はない。
「殿……どこへ……?」
後ろから兵が来る。
「殿! ご無事ですか!」
十兵衛は、咄嗟にそちらを振り返った。
「……ああ。無事だ。……この命、易々とはくれてやらん」
それは、とっさの芝居だった。
だが、兵は躊躇なく膝をついた。
「信長様、万歳!!」
その声は、他の兵にも伝播し、本能寺の裏手に集まる者たちが、次々とひれ伏していく。
「我ら、最後まで殿にお供つかまつる!」
“信長”の顔をした十兵衛は、初めて“信長”の声で叫んだ。
「敵は誰だ!」
「明智光秀勢と見られます!」
「……ならば、この命を賭して討つのみ!」
燃える京の空を背にして、十兵衛の影が大きく伸びた。
本能寺の戦、正午にはほぼ鎮圧された。
光秀軍は予想以上に小規模で、しかも信長が“逃れた”と聞いた途端、動揺し、崩れた。
その混乱の中、十兵衛はまさに“信長の再来”のように振る舞い続けた。
「殿は、本当に……?」
羽柴秀吉が、ぽつりとつぶやいた。
「生き延びたのだ。我らの前に……この姿で現れたのだ」
その“嘘”に、誰も異を唱えなかった。
なぜなら、それを否定すれば、彼らは“主君を見殺しにした”者になるからだ。
夜が明け、本能寺の炎がやっと収まった頃。
十兵衛は、ひとり寺の残骸に立っていた。
灰の中に立つ男の顔には、血と煤がついていた。
だが、その瞳だけは、確かに“炎”を宿していた。
「……俺が、信長か」
かすれた声が、風に溶けた。
焼け跡の中に、誰の遺体も見つからない。
信長は——消えた。
そして、“影”だけが、生き残った。
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