影武者の天下盗り

井上シオ

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第1章:影武者の目覚め

第5話:本物はどこに

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 火の粉が鎮まり、灰色の朝が本能寺に訪れた。
 寺の大半は焼け落ち、瓦礫の山と化していた。兵たちは目を覆いながら、無残な焼死体の山に手を合わせていく。

 だが——。

 「信長様のご遺骸が、見当たりませぬ」

 その報せは、まるで風のように駆け巡った。

 「首も、甲冑も、家紋もなし。身元のわかる焼死体は、皆無」

 「……まさか。殿は、逃げ延びられたのでは?」

 「いや……では、今ここにおられるのは——?」

 視線が、一斉に十兵衛へと集まる。


「本物では……なかった?」

 誰かが、そう口にした瞬間、空気が裂けたような沈黙が落ちた。

 十兵衛は、答えなかった。
 否定することも、肯定することもなかった。

 ただ——

 「信長が生きていること。それこそが、民と兵の士気を保つ」

 そう、軍議の場で言い切った。

 「ならば、私は信長である」

 その言葉に、家臣のひとりが唇を震わせて言った。

 「では殿。……本物の遺骸が見つかったとき、我らは……」

 「その時、真贋を問うのは、貴様か?」

 重く低い声。まさしく「信長」のものだった。

 言い終わると同時に、空気が凍りつく。
 家臣たちは、誰もが十兵衛の眼を見据えることができなかった。


 本能寺の焼け跡から数日。
 捜索は続けられたが、信長の亡骸は見つからないままだった。

 「……これは、神隠しだ」

 「あるいは、信長公は不死身だったのかも……」

 そんな噂が京の町にまで広がっていた。

 やがて、朝廷より勅使が使わされた。

 「織田信長殿、生きておられるのか」

 十兵衛は、何の躊躇もなく深く一礼し、言った。

 「いかにも。天の導きにより、生を拾いました」

 その瞬間——“影武者”は“本物”になった。


 夜。

 天幕の中、十兵衛は一人、焼け残った木簡を握りしめていた。
 そこには、まだ読めぬ文字が残っている。
 信長が記したものか、それとも誰かの供養か。わからなかった。

 ただ、その木簡をじっと見つめながら、十兵衛は静かに問うた。

 「……本物が戻ってきたら、俺はどうなるんだ?」

 答える者はいない。

 だが、彼の中にある“何か”が、すでに動き出していた。

 影は、もはや影ではない。
 炎が焼き尽くしたものは、信長ではない。
 そして、残ったのは——“信長”として生きる決意だけだった。

 「この名を、俺が背負ってゆく」

 それは嘘か、真か。
 誰にもわからない。だが、誰もが信じるしかなかった。
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