影武者の天下盗り

井上シオ

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第2章:偽りの将

第9話:真似ではない言葉

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 春の風が、安土の城下を吹き抜けていた。

 信長の帰還に沸く兵たちは、訓練場で酒をあおり、太鼓を打ち鳴らしながらその武威を称えていた。
 しかし、その中心にいたのは「信長」ではなく、“信長を演じる男”——十兵衛だった。

「殿、何かひとこと!」

 酔った家臣が叫ぶ。
 民や兵たちが、それに続いた。

「殿の声が聞きたいぞ!」「信長公、言葉を!」

 十兵衛は、一瞬ためらった。
 人前で話すなど、百姓であった頃の自分にはあり得ぬことだった。
 それでも——

 「俺は、信長だ」

 その言葉を胸に、彼はゆっくりと壇の上に立った。

「皆の者……よく戻ってくれた」

 その声は、震えていなかった。

 「本能寺で、死にかけた。焼け落ちる寺の中、俺は……己の命の軽さを思い知った」

 兵たちの笑顔が、一瞬静まる。

 「だがな、その時、俺は決めたのだ」

 「もう一度、この世に打って出ると」

 「この国を、民のために造り変えると!」

 叫ぶように吐き出された言葉に、誰かが唾を飲む音がした。

 「これまでの俺は、強き者のために、ただ刃を振るってきた」

 「だが、これからの“信長”は違う」

 「貧しき者、力なき者、声を上げられぬ者の盾となる!」

 「——そして、その矛にもなる!」

 瞬間、訓練場は静寂に包まれた。

 やがて、一人が拍手を打った。
 二人、三人と続き、気づけば全員が、声にならぬ熱を持って「信長」に向けて手を叩いていた。

「信長公だ……」「あれは、間違いなく信長様だ!」

 誰かが涙を流していた。

 だが十兵衛は知っていた。
 あの言葉は、「信長」の真似ではなかった。
 自分自身の、十兵衛としての叫びだった。

 壇上から降りると、羽柴秀吉が腕を組んで立っていた。

「見事なお言葉でございました、殿」

 その口調は、皮肉混じりのものではなく、忠誠のそれに近かった。

「……あれは、お前の信長ではなかったろう?」

 秀吉はしばし沈黙し、にやりと笑った。

「いえ。“俺の信長様”より、だいぶ格好よろしゅうございました」

 十兵衛はその言葉に、ふっと笑った。
 自分の中で、“本物”という言葉の輪郭が、ほんのわずかに揺らいだ気がした。
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