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第2章:偽りの将
第10話:秀吉の掌
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春霞の朝。
羽柴秀吉は、安土城の庭で鶴に餌をやっていた。
その横顔はどこか、子供のように無邪気で、しかし計算を纏っていた。
「——殿、よう喋られるようになりましたな」
背後から声がした。十兵衛だった。
「おかげで喉が痛いわ」
と軽口を返すと、秀吉は肩を震わせて笑った。
「信長様が人心を語るとは、これまた風流な世になったもんです」
その声音は、やはり何かを試すように響いた。
十兵衛はゆっくりと歩み寄る。
「……俺が、昔とは違って見えるか?」
「ええ、まるで別人。——でも、殿はいつでも“殿”ですわ」
にやりと笑った秀吉の目が、ほんの一瞬だけ鋭く光った。
「して。殿、あの本能寺では何があったのです?」
問われた瞬間、空気が凍る。
十兵衛は笑みを崩さず、まっすぐに秀吉を見返す。
「死にかけた。ただ、それだけだ」
「……左様で」
秀吉はそう答えると、鶴にもう一度餌を撒いた。
そして言う。
「まぁ、誰が“本物”であろうと、儂には関係ございません」
「ほう?」
「わしの“殿”は、命令を下す者。民を動かし、敵を倒す者。なら、今目の前の殿こそが、“本物”ですわな」
その言葉に、十兵衛の目が細くなる。
「……お前は、“何を見て”動く?」
「信長の顔か? 言葉か? 威光か?」
秀吉は、餌袋を閉じながら答えた。
「“勝てるかどうか”です」
それだけを言い残し、秀吉はその場を去った。
夜。書状の束をめくりながら、十兵衛は思った。
あの男、羽柴秀吉——
気づいている。
だが、暴かない。
むしろ、“影武者であること”を面白がっている。
「勝てる殿に仕える」とは、すなわち——
利用価値が尽きれば切り捨てる、ということ。
信長という名の仮面は、もう自分の皮膚の内側にまで入り込んでいる。
だがそれでも、“信長ではない自分”を知る者は、確実にこの世にいる。
このままでは終わらぬ。
このままでは、影がまた“影”へと戻される。
十兵衛は筆を執った。
家中の再編を。忠誠の再確認を。反対派の粛清を。
信長を名乗るのではない——
信長そのものになるのだ。
羽柴秀吉は、安土城の庭で鶴に餌をやっていた。
その横顔はどこか、子供のように無邪気で、しかし計算を纏っていた。
「——殿、よう喋られるようになりましたな」
背後から声がした。十兵衛だった。
「おかげで喉が痛いわ」
と軽口を返すと、秀吉は肩を震わせて笑った。
「信長様が人心を語るとは、これまた風流な世になったもんです」
その声音は、やはり何かを試すように響いた。
十兵衛はゆっくりと歩み寄る。
「……俺が、昔とは違って見えるか?」
「ええ、まるで別人。——でも、殿はいつでも“殿”ですわ」
にやりと笑った秀吉の目が、ほんの一瞬だけ鋭く光った。
「して。殿、あの本能寺では何があったのです?」
問われた瞬間、空気が凍る。
十兵衛は笑みを崩さず、まっすぐに秀吉を見返す。
「死にかけた。ただ、それだけだ」
「……左様で」
秀吉はそう答えると、鶴にもう一度餌を撒いた。
そして言う。
「まぁ、誰が“本物”であろうと、儂には関係ございません」
「ほう?」
「わしの“殿”は、命令を下す者。民を動かし、敵を倒す者。なら、今目の前の殿こそが、“本物”ですわな」
その言葉に、十兵衛の目が細くなる。
「……お前は、“何を見て”動く?」
「信長の顔か? 言葉か? 威光か?」
秀吉は、餌袋を閉じながら答えた。
「“勝てるかどうか”です」
それだけを言い残し、秀吉はその場を去った。
夜。書状の束をめくりながら、十兵衛は思った。
あの男、羽柴秀吉——
気づいている。
だが、暴かない。
むしろ、“影武者であること”を面白がっている。
「勝てる殿に仕える」とは、すなわち——
利用価値が尽きれば切り捨てる、ということ。
信長という名の仮面は、もう自分の皮膚の内側にまで入り込んでいる。
だがそれでも、“信長ではない自分”を知る者は、確実にこの世にいる。
このままでは終わらぬ。
このままでは、影がまた“影”へと戻される。
十兵衛は筆を執った。
家中の再編を。忠誠の再確認を。反対派の粛清を。
信長を名乗るのではない——
信長そのものになるのだ。
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