影武者の天下盗り

井上シオ

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第5章:天下を盗る

第26話:背く家臣

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 「――信長様は、偽者だ」

 そう呟いたのは、織田家の譜代家臣、林通勝(はやし みちかつ)。
 かつて信長が“うつけ”と呼ばれた時代から支え続けた、老将であった。

 「言葉も、振る舞いも……あの方は、あまりに変わりすぎている」

 彼は手元の巻物を開く。

 その中には、“信長公の実筆”とされる文状があった。
 比べてみると、今の“信長”の筆跡と、微妙に異なっている。

「まさかと思った。だが……もしや、本当に――」

 老臣の目は濁っていない。

 疑いではなく、確信へと変わっていく“違和感”。


 一方、十兵衛――“織田信長”として動く男は、都への献上品の選定に余念がなかった。

 朝廷からの返答は、まだない。

 だが、全国の大名たちは確実に“新しき秩序”の気配に呼応していた。

「京からの使者がまた来ております。浅井長政殿の縁者を伴い――」

 報告に頷きつつ、十兵衛の目がふと動いた。

 「……林殿の姿が見えぬな。何か耳に入っているか?」

 側近の堀秀政が一瞬ためらい、言う。

 「……不穏な噂を耳にしました。林殿が、何か文を隠し持っていたと」

 「……そうか」


 夜。

 安土の書院にて、林通勝は一人の若侍と密談していた。

 「お前だけには託したい。これは、信長様の“真筆”じゃ」

 若侍はそれを受け取ると、眉をひそめた。

 「……これが証明されれば、殿は――」

 「偽物。そうなれば、我ら譜代の忠義は、誰のためにあったのか」

 そのとき――

 屏風の影から、一つの声が響いた。

 「では、その“忠義”の名のもとに、俺を殺しに来たのか?」

 十兵衛だった。


 沈黙。立ち上がる林。

 「……なぜ、ここに」

 「老将の動きが妙に静かすぎた。それだけのことだ」

 十兵衛は静かに、しかし確かな目で林を見つめた。

 「お前の言い分は、わかる」

 「だがな、林。俺は、“信長の代わり”として動いた。今は、“信長そのもの”として戦っている」

 「それでも、俺が“偽物”だと叫ぶか?」

 林は唇を噛みしめる。

 「……あの若、あの激情、あの光。今のあなたには、それが……」

 「あるとも。違う形でな」

 十兵衛は、文を持った若侍に近づく。

 「それを持って、どこへ行く?」

 「……都へ」

 若侍が言いかけた瞬間――

 短刀の柄が、林の腹を打った。

 その手は――堀秀政のものだった。

 「これ以上、混乱を招かせるわけにはいかぬ」

 林は膝をつく。

 「……これが、俺の、忠義の果てか……」

 十兵衛は、その手を取った。

 「お前の忠義は、受け取った。だから、もう黙っていてくれ」

 「“影武者”が守った天下を、“信長”として俺が完成させる」

 林の瞳に、涙がにじんでいた。

 偽者に……涙を見せる日が来るとは――
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