影武者の天下盗り

井上シオ

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第6章:偽帝国の胎動

第32話:拝謁の儀

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 夕暮れの京は、静かに燃えていた。陽が西の空に落ちるそのとき、大納言・近衛信尹の屋敷には異様な緊張が漂っていた。

 ――本能寺で死んだはずの織田信長が、参内を願い出ている。

 公家たちは色めき立ち、朝廷は密かに会議を重ねていた。

「本物か否かは、儀によって測るしかあるまい」

 かつて信長と親交のあった近衛家は、急遽“拝謁の儀”を執り行うことにした。そこに姿を現したのは、やつれた男だった。顔には深い皺、頬はこけ、髪も白んでいた。

 だが、その目だけは、生きていた。

 「……久しいな、近衛殿」

 その声を聞いた瞬間、座にいた者たちの背筋が凍った。

 確かに、それは“信長の声”だった。

 一方、安土城――。

 報せを受けた“もう一人の信長”、十兵衛はすぐに動いた。鷹揚に振る舞いながらも、内心は焦っていた。

(来たか……“あの男”が)

 彼は知っている。山中で邂逅した、本物の信長は生きていた。そして、いずれはこの日が来ることも。

「殿、京へお出ましを?」

 三郎が問うと、十兵衛は静かに頷いた。

「俺が行かねば、“真”が“影”になる」

 馬を走らせ、京へ向かう。道中、十兵衛は思い出していた――初めて「信長」を演じた日のこと。震える足、汗に濡れた手、そして“見破られなかった”という、背徳的な歓び。

(あれから、何人の命を命じた。何人の忠義を得た……俺はもう、ただの影ではない)

 京・近衛邸。

 “本物”の信長は、儀の場に正座し、問われた。

「信長公。唐入りを中止せし折、内府と何を語られましたか?」

 それは、僅かな者しか知らぬ機密。

 だが、信長は即答した。

「“倭の国を商いの橋とせよ”。わしが内府に告げたのは、それだけじゃ」

 場がどよめいた。

 証人の一人が、青ざめた顔で頷く。

「……間違い、ありません。これは……殿、以外には……」

 だが、その直後。

「その言葉……“信長”なら、使わぬな」

 新たな声が響いた。

 十兵衛が、儀の場に現れたのだ。

 場が凍りつく。ふたりの“信長”が、同じ屋敷の同じ空間に。

 本物は立ち上がり、虚を突かれた表情を浮かべた。

「……おまえ、生きていたか」

「違うな、“殿”。俺は“生きていた”のではない、“おまえの代わりに、生きてきた”のだ」

 静かな声。

 だが、その重みに、誰も言葉を発せなかった。

 やがて近衛信尹が立ち上がる。

「拝謁の儀は、ここで終える。二人とも、“信長”を名乗る者として――次に決めるのは、民と歴史である」

 それは、判決のような宣言だった。
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