影武者の天下盗り

井上シオ

文字の大きさ
96 / 99
最終章:偽りの果てに咲く

第97話:名を継ぐ者

しおりを挟む
 それは、まるで春の雷のようだった。
 

 織田信長の名を継ぐ者――織田信継。
 まだ十五の少年は、父である“影信長”こと十兵衛の隣に立たされていた。
 

 「……こわいか?」
 十兵衛が問う。
 

 信継は小さく首を横に振った。
 震える肩。だが瞳は真っすぐに前を見据えていた。
 

 「父上。民の声を、聞きたいです」
 「よい心がけだ。……だが、民の声は、時に剣より鋭い」
 

 十兵衛は、少年の肩に手を置いた。
 それは、信長の面影とは遠い、ひとりの“人”としての温もりだった。
 

 やがて御前の間に、重臣たちが集まった。
 秀吉、勝家、家康、長秀、信行――そして、隅の椅子には濃姫もいた。
 

 「これより、信継をして織田の後継とす」
 十兵衛の声が響く。
 

 秀吉が一歩進み出て、膝をつく。
 「拙者、羽柴藤吉郎。信継様に忠誠を誓いまする」
 

 続いて勝家も、家康も――次々と膝を折り、信継に忠誠を示した。
 

 少年はその姿を、目を逸らさずに受け止めた。
 

 「皆の衆……私が“信長の名”を継ぐこと、恐れ多く思います。
  だが、父上の歩んだ道を、民のために紡ぎたいと思う。
  この命、皆のために尽くしまする」
 

 声はまだ幼いが、そこには確かな意思があった。
 重臣たちの表情が変わる。
 

 ――ああ、この少年は、間違いなく“育てられてきた”のだ、と。
 

 御前を終えたあと、信継は庭に出ていた。
 桜の落ちた石畳を踏みしめる。
 

 「……父上は、なぜそこまでして“信長”であろうとしたのですか?」
 

 背後に現れた十兵衛は、空を見上げた。
 

 「わしはな……生まれてからずっと、誰かの顔色を見て生きてきた。
  名前も、価値も、すべては“他人が決める”ものだった。
  だが、“信長”として命令した日――はじめて、自分の声に兵が動いた。
  ……あれが、はじめて“生きた”実感だったんじゃ」
 

 信継は言葉を失う。
 父は、名を借りて、自分を見つけていたのだ。
 

 「父上……私は、どう在ればいいのですか?」
 「お前は、お前の信長になれ。名を守るために生きるのではない。
  名を“越える”ために、進め」
 

 十兵衛は、初めて笑った。
 影ではない、ただの父の顔で。
 

 その夜。
 信継は父が遺した数多の文を、ひとつずつ、読み始めた。

 戦略、民政、信長論。
 ――そして一枚の書状には、こう記されていた。
 

 「影の願いは、名を超える者を残すこと」
 

 そう記された筆跡に、震えるように指を重ねる。
 

 「……継ぎます。あなたの願いを。
  私は、“あなたの名を超える”」
 

 月が、まるで彼を照らすように、庭を白く染めていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

処理中です...