• 『社交界の華は、影に咲く毒。〜私を捨てた世界、すべてお返しいたします〜』

ヨォコ

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第3章:広がる世界と、七歳の肖像

陽だまりの訪問者と、小さな恩返し

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廊下の向こうへ消えていった、ジュリアンとアルベルト。
その賑やかな足音と、お互いをからかい合うような楽しげな声の余韻を、エレーナは扉の隙間でじっと噛み締めていた。
(ピカピカして、かっこいい……。お兄様たち、お父様のこと、すごく頼りにしてるみたい……)
暗い隙間から見た光の世界は、エレーナが想像していたよりもずっと眩しく、そして温かそうだった。エレーナはトテトテと窓辺のソファに戻ると、お気に入りのクッションをぎゅっと抱きしめた。
自分をあの冷たくて恐ろしい場所から拾い上げ、温かなベッドと美味しい食事を与えてくれたヴィンセント。彼が自分を「娘」だと言ってくれたから、今こうして安全な場所にいられる。
エレーナの小さな胸の中にあるのは、甘えたい気持ちよりも先に、自分を助けてくれた「お父様」のために、少しでも良い子でいたい、頑張りたいという切実な願いだった。
その時だった。
「おーい! ジュリアン、アルベルト! 置いていくなって言っただろー!」
廊下に響き渡ったのは、昨日、瞳がきれいと言ってくれた快活で、太陽のように明るい声――フェイだった。
「……あ、フェイさんのお声……」
エレーナが顔を上げると同時に、扉からひょいと顔を出したのは、赤金色の髪を元気に跳ねさせたフェイだった。彼はエレーナの姿を見つけるなり、パッと表情を輝かせた。
「エレーナ! 今日も来たよー! 寂しくなかった!? 僕はもう、エレーナに会いたくて、閣下を急かして帰ってきちゃったよ!」
「……フェイさん、おかえりなさい」
フェイの「今日も来たよ!」という明るいノリに、エレーナの心もふわりと解ける。フェイはエレーナにとって、外の世界の楽しさを運んできてくれる、頼もしい親戚のお兄さんのような存在だ。
すると、フェイの背後から、少し急ぎ足の、けれど重厚で威厳に満ちた足音が近づいてきた。
「フェイ、あまり騒ぐなと……。エレーナ! 変わりはないか!?」
現れたのは、王宮での午前の公務を最速で切り上げて戻ってきた、ヴィンセントだった。
「……っ」
エレーナは椅子から降りて駆け寄ると、ヴィンセントの膝のあたりでピタリと立ち止まった。ヴィンセントはすぐさまその場に跪き、エレーナの小さな体を包み込むようにして瞳を覗き込んだ。


ヴィンセントの大きな手が、エレーナの頬をそっと撫でる。その指先から伝わる温もりに触れた瞬間、エレーナは今日こそはと心に決めていたことを思い出した。
自分を助けてくれたこの人に、感謝の気持ちを伝えたい。そのためには、まずちゃんと名前で呼ばなくては。
エレーナはヴィンセントの服の裾をぎゅっと握りしめ、恥ずかしくてたまらず俯きながら、消え入りそうな、けれどもしっかりとした声で囁いた。
「……おかえり、なさい……。…………お父様」
「………………っ!!」
ヴィンセントの全身に、衝撃が突き抜けた。
報告で聞くのと、本人の口から直接「お父様」と呼ばれるのとでは、これほどまでに違うのか。
「エレーナ……。今、……今、私のことを……『お父様』と呼んでくれたのか……?」
ヴィンセントの声は、隠しきれない感動で激しく震えていた。エレーナは顔を真っ赤にしたまま、裾を握る手に力を込めて、上目遣いでこくりと頷いた。
「……まだ、……ちょっと、はずかしい、けど……。……拾って、助けてくれたから……。……がんばって、お呼びしたくて……」
「…………ああ……!!」
ヴィンセントは感極まって、エレーナを壊れ物のように大切に、けれど愛おしさを抑えきれない様子でそっと抱き寄せた。
「ありがとう、エレーナ……。ああ、何という幸せだ。君がそう呼ぼうと努力してくれたことが、何よりも嬉しいよ。君のその真っ直ぐな気持ちに、私は一生をかけて応えよう」
「わはは! 閣下、見てくださいよ! エレーナ、頑張りすぎて耳まで真っ赤ですよ。可愛いなー、もう!」
フェイが愉快そうに笑い、自分のことのように喜んでくれる。マギーとアンも、ハンカチで目元をそっと押さえながら、エレーナの勇気を称えるように微笑んでいた。
ヴィンセントは、エレーナを抱きしめたまま、彼女の耳元で優しく囁いた。
「無理をすることはないんだよ、エレーナ。君がここにいてくれるだけで、私は十分に報われている。……でも、君のその頑張りは、私の何よりの誇りだ」
「……お父様……。……えへへ」
褒めてもらえたことが嬉しくて、エレーナは少しだけ、ヴィンセントの胸に自分から頭を寄せた。まだ甘え方はよくわからないけれど、この温かな場所を守りたい、という気持ちがエレーナの中で確かなものになっていく。
「エレーナ、お父様を呼べた記念に、これあげる! 街で一番甘い、魔法のキャンディだよ!」
フェイがキラキラした包みを差し出すと、エレーナはおずおずと片手を伸ばした。
「……ありがとう、フェイさん」
「はは、いいってことよ! さあ、閣下。あんまり抱きしめすぎてエレーナを疲れさせちゃダメですよ。マギーさんがお昼ごはんの準備を整えて待ってますから」
ヴィンセントは名残惜しそうにしながらも、エレーナの歩幅を尊重するように、ゆっくりと彼女を解放した。そして、穏やかに語りかけた。
「……エレーナ。今日はね、ジュリアンたちも食堂に戻ってきているんだ。今はまだ、エレーナはここでゆっくりご飯を食べればいい。……けれど、いつか、エレーナがもっと元気になったら……みんなで一緒に、一つの食卓を囲める日が来るといいな、とお父様は願っているよ」
「……みんなで、いっしょに……」
エレーナは、さっき隙間から見た、あの「ピカピカ」なお兄ちゃんたちの笑顔を思い出した。あんなにかっこいい人たちと一緒に、お父様を囲んでご飯を食べる。それは、今のエレーナにとって、とても大きくて輝かしい「目標」になった。
「……はい。……いつか、……いっしょにたべられるように、……がんばります」
エレーナの力強い宣言に、ヴィンセントは今日一番の温かな微笑みを浮かべた。
「ああ、きっと叶えよう。その日まで、私は君の隣でずっと待っているからね」
フェイが「その時は僕もお代わり自由で混ぜてよね!」といつものノリで笑い、お部屋は春のような温かな空気に包まれた。
エレーナの心には、お父様からもらった「いつか」という約束が、暗い夜を照らす明るい灯火のように、静かに灯ったのである。
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