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第5章
第131話 掃討戦
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俺とデュランダルは、商館に移動した。
食堂で、デュランダルが不思議な話を始める。その場の誰もが聞き耳を立てている。彼は、この話を秘密にするつもりはなかった。
「鬼神族の、空飛ぶヘビがドラゴンを食らった、という伝説を知っているだろう」
有名な伝説で、鬼神族はもちろん、ヒトや精霊族の間でもよく知られている。精霊族は、主人公を同族に変えた演劇を作っている。
デュランダルが俺を見詰める。
「その伝説、よくよく聞くと結構生々しいんだ。鬼神族のオリジナルは……。
鬼神族は精霊族とは違い、記録にはこだわりが薄い。だが、口伝であっても、時を経ても、脚色はするが、根幹は変えない。
私は、伝説が事実じゃないかと思った。
そして、調べたんだ。
かつて、鬼神族のテリトリーにヒトの街があった。
その街の人々は100年ほど前に疫病で全滅したそうだが、彼らはドラゴンへの対抗手段を持っていた。
これも知っていると思うが、精霊族のテリトリーでも人は追い出されることはない。だが、鬼神族は役に立たないヒトには冷たい。 この街は数百年間、鬼神族のテリトリーにあった。つまり、鬼神族にとって、価値があったんだ。
それが、ドラゴンを食うヘビだ。
飛行機だ。戦闘機だよ。
その街のヒトは、数百年間も、連綿と同型の戦闘機を作り続けていた。
多いときは、10機ほどあったらしい。
エアラコブラという名だ。
実物も見たよ。朽ちてはいなかった。鬼神族が大事に保存していた。
飛べはしないが……。
このことは、コーカレイに立ち寄ったカナザワに伝えた。
いま、コーカレイで作れないか、あれこれと算段している」
俺は、不審だった。
「金沢は何をしにコーカレイに?」
デュランダルの目が笑う。
「すごい戦車を2輌運んでいた。西アフリカに送るって……。
ベルタが1輌ぶんどったよ」
俺は戦車よりも戦闘機が気になった。
「その戦闘機について、金沢は何て言っていた?」
デュランダルは、俺に酒を注げと身振りで指示する。まだ、酒を飲むには、時間が早いが、焼酎のボトルがテーブルに置かれる。
置いた男を見て驚く。醸造班のトップであるアンティだ。そして、無言で俺の横に座る。 デュランダルがアンティを見る。
「しばらくだな、若造。」
アンティが笑う。
「そう若くはないさ」
デュランダルは、俺とアンティに酒を注ぐ。
「カナザワは、ベルP-39エアラコブラ、だと言っていた。
役に立ちそうだとも……」
アンティが俺を見る。
「……コブラって何だ」
俺は焼酎を飲み、息を吐く。
「ヘビ、毒ヘビだ。空飛ぶ毒ヘビという名の飛行機だ」
コーカレイは、西ユーラシアにおける対セロ戦争の最前線だ。セロはいまでもビスケー湾側のピレネー山脈東側を占領している。
一時期ほどではないが、最近またもや戦力を増強し始めた。西ユーラシア占領を諦めてはいない。
デュランダルがアンティを見る。
「セロと戦うには、戦車と戦闘機がいる。ノイリンが作れないなら、コーカレイで何とかするしかない」
コーカレイはフルギアから借りている街で、いつかは返さなくてはならない。
飛行機の製造工場を作るなんて、考えられない。資本の投下は、ノイリンに限るべきだ。
だが、俺はそれを言葉にすべきか迷った。「金沢は何て……」
デュランダルは、陶器製コップの焼酎を飲み干す。
「カナザワは……。
セロを退ければ、コーカレイは不要になると言っていたが……。
セロは簡単には撤退しない。
それと、ノイリンには海への出口が必要だ。コーカレイは今後も維持し続ける必要がある。問題は、フルギアとどうやって話をするか、だ。
金で買うか、それとも他の代償か……。
いま、それを探っている」
俺は、フルギアが領土を切り売りするとは思えなかった。フルギアには、西ユーラシアでは珍しい国家としての意識が明確にあるからだ。ブルマンにも国家的意識はあるが、やや統一性に欠ける。部族的集団の連邦制といえばいいかもしれないが、やはり統一性は低い。
ノイリンやクフラックといった街は、古代ギリシャの都市国家に近い。
西アフリカのクマンにも国家としての明確な認識がある。
国家から領土を得ることは、武力を使う以外はかなり難しい。武力を使えば遺恨が残る。結局、いつかは返さなくてはならなくなる。
日本は第二次世界大戦の末期に武力によってソ連に簒奪された歯舞、色丹、国後、択捉4島の返還を、ソ連の後継たるロシアに求め続けた。
おそらく、100年待っても戻りはしない。しかし、その結果として、日露間には平和条約が存在しない。
第二次世界大戦末期、日ソ中立条約は意味をなさなかった。ならば、日露平和条約も意味はない。条約は破るために結ぶものだ。
武力を行使しての領土の拡張は、意味がない。禍根を残すだけだ。
ならば、どうする……。
借り続けるほかない。コーカレイをノイリンに貸し続けることが、フルギアの利益にかなうと感じてもらうしかない。
「デュランダル……。
コーカレイに飛行機と車輌の組立工場を作ろう。近隣にも送電できるもっと規模の大きい発電所も……。
コーカレイを借り続けるんだ」
デュランダルが俯く。
「科学技術、工業技術なんてものは、いずれは追いつかれる。
永遠の絶対的優位なんてものは、存在しない」
そんなことは、俺は十分に承知している。「だが……。
その方法は、いまは有効だ。
次の手は、次の世代に考えてもらう」
デュランダルの顔に怒りが表れる。
「無責任だな」
俺は微笑んでいた。
「千早たちがいる。
たぶん、俺やおまえよりも知恵者だよ。
次の世代を信じてもいいんじゃないか?」 デュランダルの怒りは、顔から消えていない。
「ならば、マーニをコーカレイにくれ。
おまえばかり、ズルイぞ」
その提案に、俺は同意しなかった。マーニが決めることだ。
マルカラ中継基地にマルカラ隊がたどり着いたその日、西からやってきた怒り狂った鬼がバルカネルビの飛行場に降り立った。
ララの母親で、ホティアの後見人であるミューズは、すでにバルカネルビ入りしている。 ミューズは、フィー・ニュンとココワ攻略の準備を始めている。ミューズは資金と物資面から、フィー・ニュンは軍事面から……。
ミューズはココワの油商人から、1滴残らず油っ気を搾り取るつもりでいる。銃口は突きつけないが、銃口を突きつけるよりも恐ろしいやり方を考えている。
バレル家は、状況を把握していない。ただ、250人規模の威力偵察を西に送っていた。
威力偵察の指揮官は、マルカラ一帯を再占領するつもりでいた。
だが、バマコはクマンを発した部隊を続々と東に送り出していた。クマンの機械化歩兵は、すでにマルカラよりも東に達していた。
バレル家が送り出した威力偵察隊は、軽く2000を超える軍隊が東に向かう様子に接し、怖くなった。
彼らにとっての世界は湖水地域だけで、湖水地域ではバレル家が最強であった。バレル家の郎党となることは、富と権力の端に加わることを意味している。
バレル家郎党の末端にいれば、何をしても罪に問われることはない。
バレル家は不可触な存在ではあるが、ならず者ではない。郎党には厳格な規律があり、バレル家独自の法がある。しかし、バレル家一族の誰か、あるいは郎党が犯罪を犯したとしても、誰もが泣き寝入りをする。
恐ろしいからだ。
報復を恐れて、誰も何も言わない。
そういう存在であれば、当然ながら、裏と表がある。
威力偵察の指揮官は、もしバレル家が没落した場合、確実に自分と家族に報復があると確信した。
西からやって来たヒトとの戦いは、絶対に負けられない。
身を地面に伏して、続々と西から東に向かう大軍を観察している。
「ココワに戻り、ご当主様に報告せねば……」
ミューズがバルカネルビで最初に調べたことは、燃料の価格だった。
焼玉エンジンは、軽油、灯油、ガソリン、アルコール、重油でも作動する。西ユーラシアでは、かつてカンスクと呼ばれていた北カラバッシュで盛んに作られていたが、現在はノイリン、フルギア、ヴルマンが製造している。
湖水地域では、燃料に軽油や灯油が使われることが多い。
ミューズはマルカラに大規模なバイオ燃料プラントの建設のための資金を準備すると同時に、陸送と空輸で大量のバイオ燃料をノイリンからバルカネルビに輸送した。
そして、バレル家の半値で、湖水地域西部の街に販売を始める。
もちろん、赤字だ。だが、たった3日でバレル家を湖水地域西部から駆逐してしまう。
クフラックの有力商人がかつて、「ミューズの尖った耳が角に見える」と語ったことがある。
精霊族でも小柄な種であるミューズやララは、外見上はヒトと大きく違わない。だが、ミューズが仕掛ける戦略的経済戦争は、とてつもなく恐ろしい。
フィー・ニュンが「ユカが来るまで、油商人が(経済的に)持ちこたえられればいいけど……」とミューズに告げると、彼女は「きっちりと締め上げて、先に手を出させるから。フィーは、ユカが来るまで、油商人たちを(軍事的に)叩き過ぎちゃダメよ」と諭す。
その城島由加が、誰の予想よりも早く、バルカネルビに到着したのだ。
イロナは、城島由加がガンシップで出発したと知り、連合戦車隊の速度を大きく上げた。脱落する戦車は、後続部隊に任せることにする。
隊員たちは油商人の誰かが、半田千早とホティアを性的暴行すると宣言したことを知っている。
城島由加がそのオッサンのタマを蹴り上げる瞬間を見逃しては、子に語り継ぐ最大の自慢話がなくなると考えていた。
商館で会議が行われるとの知らせがあったが、俺とデュランダルは飛行場から動かなかった。
そもそも、俺は彼女と同じ飛行場にいたが、顔を合わせていない。
正直に言おう。
俺は隠れていた。
会議では、男性は総じて、ココワに対する急襲を主張した。
一方、女性たちは総じて、慎重な対処を論じた。
城島由加がミューズに状況を質す。
「燃料の販売は、どう?」
ミューズは、茶を口に含む。
「ニジェール川の南側の本流流域西側一帯は、ほぼ押さえたかな。
ココワの油商人も慌てて値を下げたけど、こっちは儲けるつもりなんてないから。
油商人の資金の流れを断つことが目的だから……。
1週間あれば、北の本流のココワから西は攻略できると思う。
だけど、補給が……」
城島由加は、ミューズの懸念の回答を持っていた。
「パウラが支援してくれる。
ガンビア川河口の油田で生産されている燃料を、西地区のタンカーで運ぶ。
タンカーはニジェール川を遡上する。
航海距離は5000キロを超えるけど、一気に3800キロリットルを運べる。
マルカラのバイオ燃料工場が稼働するまでは、この方法で燃料を送るようパウラに要請している」
ミューズが怪訝な顔をする。
「パウラ、会ったことはないけど、チハヤたちと仲がいいみたいね。
でも、パウラには、この作戦に荷担する理由はないでしょ」
フィー・ニュンが戯けた反応をする。
「ミューズはソロバン勘定ばっかり」
それを城島由加が真正面から受ける。
「戦車10輌の供与と航空機パイロット10人の養成が条件」
ミューズが少し勝ち誇った表情をする。
「この件の条件としては、控え目ね。
燃料供給があるならば、私はバレル家とかいうヒトたちを日干しにする。徹底的に絞ってやる」
フィー・ニュンが心配顔をする。
「ミューズの作戦は、西ユーラシアでは確かに効果的だけど、ここではどうかなぁ。
湖水地域のヒトって、忍耐力が低いのか、沸点が低い。
簡単にキレる?
まぁ、私の予想なんだけど、ミューズの作戦はすでに効果を十分すぎるほど発揮しているんじゃないのかなぁ」
ミューズが慌てる。
「どういうこと?」
フィー・ニュンが笑う。
「ココワの油商人には、競争相手がいないの。
商人ならば、お客さんに買ってもらうための努力をいろいろとするでしょ。
でも、自分たちからしか燃料が買えないってわかっていたらどう?
お客さんのほうから、売ってくださいって……。
そこにノイリンの商人がやって来た。
ご注文いただければ、燃料をお届けします。
1000リットルご注文で、ジェリカン1個サービスします。
新規お客様には10パーセント値引きします。
燃料系統調整のご要望にも、無料でお答えします。
湖水地域では、燃料は特別な商品。欲しければ、買わせていただく商品。
それをミューズは一瞬で、普通の商品にしちゃった。
それで、バレル家はパニックになった……。
商売をしたことのない商人と、百戦錬磨の商人とじゃ、勝負は決まっている。
商売で勝てない場合はどうする?
答えは荒事。
あと数日で、根を上げて、動き出すよ」
ミューズが当惑と困惑と幻惑を同時に表す奇妙な表情をする。
「それじゃ、面白くないじゃない!
3500キロも飛んで来たのよ!
ホティアの仇討ちができないじゃない!
あの子は怖かったはず!
その何倍もの恐怖を与えないと!」
城島由加が半分冗談で提案する。
「今回は、ミューズにもヘルメットと防弾ベストを着てもらいましょう」
ミューズがその提案を真に受ける。
「そうする。
私がココワ侵攻のきっかけを作る」
翌日、バマコから小型艇4がバルカネルビに到着。2艇は武装艇、2艇は輸送艇。武装艇は12.7ミリ重機関銃と7.62ミリ機関銃を各2挺装備。輸送艇は7.62ミリ機関銃1挺、ドラム缶12の2400リットルを積載可能。どちらも、12ノット(時速22キロ)で航行できる。
商館にいた主な面々は、マルカラ隊全員が飛行場に到着したとの連絡を受けて、出払っていた。
商館には、仕事を終えて戻っていた片倉幸子がいた。
庭では子供たちが遊んでいたし、数人の老人が何やら話し込んでいる。大泣きしている赤子を抱いた母親もいる。
すべて、近隣の人々だ。
そこに、騎乗したままの5騎が入ってきた。
片倉幸子は大声を発したが、本人の意図とは異なり、周囲を威嚇した。
「ウマを降りろ!」
エリシュカはやや早足で、商館の門を潜ったものの、その様子に驚いていた。
「何なんだ!
商館の庭で子供が遊んでいるぞ!」
そこに、痩身だが、明らかに筋肉質な体躯の女性に諫められる。
「ウマを降りろ!」
エリシュカ自身、ウマを降りるべきだと判断していた。
「ウマから降りるぞ」
彼女は4人の従者に指示した。
片倉幸子は商館内にいたこともあり、丸腰だった。5人は武装している。4人の男性は、ローリングブロック式の大型単発拳銃をベルトに差し、左腰には長剣を佩いている。
背には長銃。
女性は長銃と長剣はないが、拳銃は2挺。
ウマの乗り方、武器の装備、革鎧に近いジャケット風の防具。
片倉幸子は、ただ者ではないと判断した。
彼女は、バルカネルビとバマコ間のルート啓開を完了させ、さらなる高速移動のための路面整備を始めようとしているところだった。
彼女には“新兵器”があった。牽引車のコンポーネントを利用した不整地運搬車だ。車体最前部下部中央にエンジンがあり、運転席は車体の左側、全車クレーンを装備し、クレーン操作は車体右側キャビンで行う。右側キャビン上には、7.62ミリ機関銃用全周旋回マウントレールがある。
全長6メートル、全幅2.85メートル、転輪数6、最大積載量11トン。キャビンはドラキュロの攻撃に耐えられるよう、5ミリの鋼板と強化ガラスで構成されている。
拳銃弾や散弾には、耐弾性がある。
片倉幸子は、この車輌8を持ち込んでおり、本格的なブルドーザーは2輌あった。
片倉幸子配下のダンプやトラックを含む全車輌は、商館裏手に集結している。
女性はかなりの距離から名乗った。
「私はココワのエリシュカ。
チハヤ殿のご母堂様にお目通り願いたい」
片倉幸子は、こういった名乗りの経験を何度か経験している。蛮族との出会いでは、珍しいことではない。
「千早は、バルカネルビに帰還した。その出迎えで、母親は飛行場に出向いている。
ココワのものとか。
私はノイリンの片倉。
城島に代わって話を聞こう」
エリシュカは長年の経験から、眼前の女性がただ者ではないことを察していた。
会見は、いくつかある商談室だ。茶を運んできた15歳ほどの少女は、バルカネルビのヒトだった。この商館では、現地のヒトを多く雇っている。
寛容な心を持つのか、単に不用心なのか、エリシュカは判断できないでいた。
「カタクラ殿。
西から大軍が迫っているとの情報を得ている。
貴殿たちの軍であろう?」
片倉幸子は、マルカラ隊の捜索には直接関与していない。だが、心配はしていたし、全体的な動向は知っていた。
「ココワの兵に追われ、北に逃れた同胞は1人を除いて、無事に帰還した。
1人を殺めたのは、ヘビだと聞いている。
だが、ヘビに殺められる原因を作ったのは、ココワの軍だ。我らは、その責を追及するつもりだ」
エリシュカは、想定していた通りの回答に、慌てまいと心の準備をしてはいたが、やや狼狽した態度を見せてしまう。
「待って欲しい。
ココワに軍はない!
豪商や豪農の私兵がいるだけ。
私の配下もココワの兵ではない。
マルカラという地を襲ったのは、バレル家支家の1つサール家の兵だ。
当主ヴィクラムがチハヤの商談持ちかけに立腹したことが遠因だが、立腹した理由が燃料の売却だった。
この一帯は、燃料に関してはバレル家が独占している。
そこにチハヤが割り込んできた。
マルカラという西の地に油田が見つかった、という噂がココワに広がる。
人々は燃料価格の高さに苦しんでいた。
バレル家はこの一帯を支配していたわけではないが、燃料を独占しているので、傍若無人なところがあった。
バレル家は7つの家系があるが、現在は2家だけが残っている。だが、支家は8、12、16と増え続け、いまでは24にもなった。
バレル家は支家なしではやっていけない。その支家の中には粗暴な連中もいる。
支家最大の実力者、サール家当主ヴィクラムもそうだ。敵対者は同じ家系であっても、平気で殺す。
ヴィクラムは、ココワの経済的支配、ココワの闇の王になることを画策していたとも聞く。
そこに、若いが手練れの商人が現れた。
チハヤだ。
しかも、燃料を商うという。
その瞬間、チハヤはヴィクラムの敵になった。
今回のことは、ココワは関係ない。チハヤとヴィクラムとの個人的な遺恨だ。
どうか、ココワを攻めないで欲しい」
片倉幸子は、極端なまでに矮小化した説明を良とはしなかった。
「ココワが油商人によって経済的な支配下にあることは理解している。
ならば、ココワの王はバレル家となろう。
この事態にあって、王をいただく街を攻めることに躊躇いを感じる必要があろうか?」
エリシュカは、片倉幸子が高位のものであることは確信していた。彼女を説得すれば、ココワ攻めが回避できるのではないかとも感じていた。
「バレル家は……。
ココワでは、男がすべてを決める。女は男に従属するものとされている。
私のような女は珍しい。
バレル家のうち、1家は男子がいない。当主は高齢で、娘4人すべてを他の街に嫁がせた。彼は、家業を嫌っていたようだ。
現当主の代で、店を閉じると公言している。
もう1家は、ココワにはいない。ココワを出て、ナマロ城に移った。
この城は、数百年前にバレル家が築いた堅城だ。3重の濠に囲まれている。
なぜ、その城に籠もったのか?
直接聞いたわけではないが、サール家との対立が原因のようだ。
あの城ならば、サール家の手勢だけでは落とせないだろう。
サール家は24支家のうち、10支家を傘下に置いているらしい。残り14支家は、様子を見ているのだろう。
あなたたちの敵は、サール家だ。討つ相手はココワの街でも、バレル家でもない。
サール家だ」
片倉幸子は、意地の悪い気持ちが湧いていることを感じていた。
「そのサール家は、ココワにいるのだろう?
ならば、ココワを攻める以外にサール家を討つ方法はない」
エリシュカは、当初の情報とは異なり、西のヒトは湖水地域に対して領土的野心があるのではないか、と疑いを持った。
「ココワの住民は無関係だ……」
片倉幸子は、そのことは重々承知している。
「千早の母親は“ノイリンの戦女神”と呼ばれている。
特に野戦が得意だ。
もし、サール家の軍を草原に引き出せたら、ココワは攻めない。
我らには、領土的な野心はない。
千早の父“ノイリン王”は、ヒトとヒトは争うべきではない、と常々言っている。
エリシュカ殿の尽力があれば、サール家を誘き出せるのではないか?」
エリシュカは、意外な展開に当惑している。
「サール家の兵は強いぞ。
チハヤの父が王であろうと、この地に多くの兵を送れなかろう?」
片倉幸子は、城島由加が1人も損ないたくないと考えていることをよく知っていた。
「千早の父は王ではない。
だが、西ユーラシアの中には、半田隼人に王の称号を与えるべき英雄と考えている人々がいる。
そして、実際、勇敢なヒトだ。
だが、今回のことは、母親が表に出ている。母親、城島由加がけりをつけることになる」
エリシュカは、半田千早の母親が無残に殺される光景が想像できた。ヴィクラムは残虐な策士で、銃も剣も手練れだ。
それに手勢だけで、1000を超える。
「サール家の手勢は、多い……」
片倉幸子は、エリシュカが正確な情報を持っていないことを確信した。
「半田千早は、友だちが多い。
その1人、クマン国元首パウラは、千早の救出のために大軍を編制した。
いかなる敵であろうと、撃破できるだけの軍勢だ。サール家の兵力とは桁が違う。
戦車と戦闘車だけでも、40を超えると聞いている。
歩兵と騎兵は、草原を埋めつくすほどの大軍になる。
それと、当主の息子がホティアのことを言ったそうだ。ホティアを陵辱すると……。
ホティアのために精霊族が精鋭を送り込んでいる。
サール家に勝ち目はない」
エリシュカの脳は、ココワ攻略回避の妙案を求めて、激しく働いていた。
「今回のこと、チハヤの母親が決着させると言ったな。
ならば、方法がある。
ココワの街に噂を流す。
サール家当主との合戦を、チハヤの母が求めていると……。
ココワの男は、女を侮っている。
それに、女に戦いを挑まれて、ココワの男が逃げるわけがない。
逃げれば、末代までの恥となる。
ヤンガルド平原での会敵を望む手紙を書いてくれ。
私がそれをヴィクラムに届けよう。
ヴィクラムは必ず出てくる」
片倉幸子は了解し、エリシュカは半田千早の母親が殺されることを確信した。ヴィクラムは無敵だ。
半田千早たちは、快適ではない飛行場に留め置かれていた。
彼女の母は厳しい表情をしている。抱きしめられたが、身体を通して母から感じたものは怒りだった。
半田千早が「ママ、怒ってるよ」とマーニに告げると、マーニは「怖いくらい怒ってるね」と。
マーニは「ママが待っていなさい、って。今回は言う通りにしたほうがいいよ」と続け、半田千早は「うん……」とだけ答えた。
心の中で「何人が死ぬんだろう」と呟いていた。
エリシュカは、城島由加が書いたという決戦場を指定する手紙をサール家の城と呼んでいい巨館の正門に貼った。
同じ文面は、ココワの街中に貼り出された。
それと決戦を申し入れた“ジョウジマ・ユカ”という人物が、サール家当主ヴィクラムが陵辱しようとした少女の母親であることも、噂として流した。
エリシュカは、半田千早の母親が率いる戦力を過大に吹聴させていた。
「総兵力は5000」
この噂にヴィクラムは欺されてはいない。サール家は湖水地域で最大の戦力を有する。 その総数は1000。
それを上回る戦力など、あり得ない。
しかし、サール家嫡男クルエはそうは考えなかった。
父親に「他の支家に援軍を要請しては……」と意見具申したが、彼の父親は「女相手に援軍など頼めるか!」と一蹴した。
片倉幸子は、彼女の指揮下にある建設班をかき集めていた。
城島由加は、ココワの街に貼り出され、サール家に届けられた“挑戦状”的な手紙は1文字も書いていない。
書いたのは、片倉幸子。
しかも、本人に無断で……。
エリシュカは書状にあった「決戦は3日後の夜明け」の文言に不安を感じていた。
西のヒトは、小船数艇以外持っていない。数千の兵がいたとしても、3日でヤンガルド平原に移動させることは不可能だ。
片倉幸子は、ココワの北にあるヤンガルド平原まで、12の河川を越える必要があることを書状を書く前から知っていた。
そのうち、徒歩で渡渉できない流れは8。車輌ならば渡れる川は6。渡渉点を設ける必要がある川は10と判断している。
すべての建設機械を動員すれば、10の川に仮設橋を設営することは可能だと判断している。
5つの川には戦車橋で、3つの川には浮橋で、2つの川にはヒューム管(コンクリート製土管)による仮設橋を建設する。
戦車橋は装甲牽引車を改造し、車体上部に鋼製の橋を背負わせる方式だ。改造は、建設班で行った。全長12メートル、幅3メートルの橋を30分ほどで架橋できる。
私やデュランダル、精霊族の“リロの勇者”は、守備しやすい飛行場に留まった。
装甲部隊を指揮するイロナと、歩兵と騎兵を統率するディラリは、バルカネルビには立ち寄らず、直接、ヤンガルド平原に向かった。
サール家は静かだった。手勢はすぐに集められた。嫡男は父の判断を否として、近しい2つの支家に援軍を頼んだが、彼自身が迷ったこともあり、1日や2日では手勢を集められないと断られた。
それでも、集められるだけ、という約束でココワ街内に集結させた。
兵の数は1500に達していた。嫡男クルエは、勝利を確信していた。
サール家当主ヴィクラムは、嫡男の勝手な行為を頼もしく感じた。嫡男よりも次男のほうが姿形を含めて彼に似ていたが、小柄だが冷静で狡猾な嫡男を好いていた。
他支家の兵500は、三男に指揮を任せ、伏兵として北側に配した。
イロナが直卒する連合戦車隊40輌と装輪式装甲兵員輸送車40輌は、森の中に潜んでいた。
彼女たちの前面にウマの尻が並ぶ。200メートルほど離れており、歩兵もいる。騎兵100と歩兵400ほど。
伏兵のようだが、間が抜けている。セロとの激しい戦いを切り抜けてきたイロナたちにとっては、微笑ましいほど無邪気な用兵だ。
エリシュカは、驚嘆していた。総距離150キロに2日で道を造った西のヒトの土木の力にも驚くが、本当に1万に達する兵を送り込んできた。
車輪で走る戦車のような車輌が多いが、救世主が使う無限軌道で走る戦車は見ていない。
城島由加は、サール家の兵が後退できるよう南側は開けていた。
また、イロナからの報告で、北に500ほどの伏兵がいることを知っていた。
ヤンガルド平原の東側にサール家当主ヴィクラムを総大将とする1000の兵が横列を作る。
その背後に、ディラリが指揮する騎兵が回り込む。
ヴィクラムは平静を装ってはいたが、内心はパニックだった。
彼の手下はすでに浮き足立っている。
眼前には大量の車輌。兵の数は、まったく想像できない。4000か5000はいそうだ。
背後に回られた騎兵は、1000以上。騎馬だけでなく、車輪で走る戦車のような車輌が多数含まれている。
三男ナタルは焦っていた。
敵の兵力を見て、支家の1つが逃げ出したのだ。
この状況で、頼みとする味方を失いつつあった。もう1つの支家は留まっているが、攻撃に参加するかは確信が持てなかった。
三男の手勢は50ほどだが、彼らとてどう動くか見当がつかない。
三男自身、父と兄を見捨てることもこの場を切り抜ける策の1つだと考え始めていた。
城島由加は、この戦いで死人を出すつもりはない。
ただ、ヴィクラムという男は、徹底的に辱めるつもりだ。
そのためにはヴィクラムに逃げ出されては、困る。
ヴィクラムは巨漢だと聞いている。素手でライオンを倒したとか、ドラゴンの首をはねたとか、剛の者としての噂は聞いている。
女性への執着は強く、いまの妻は妻の許婚者を殺して無理矢理手に入れたと噂されている。
子は4人。長男と次男は先妻の子で、先妻はいまの妻を娶るために毒殺されたと囁かれている。
ココワの婚姻は独特で、妻は1人、離婚は許されない。再婚するには、死別するしかない。
女の子が1人いるが、その姿を見た街人はほとんどいない。妻とともに監禁されているとの情報もある。この情報の真偽を確かめるため、妻の両親にも会った。
妻の両親からは「どうか娘をお助けください」と懇願された。
城島由加は、ヴィクラムの妻と子に注目していた。ヴィクラムを屈服させ、妻と子を解放すれば、彼の面目は完全に潰れる。
城島由加はウマに乗っていた。白旗を掲げた片倉幸子を従え、東に向かう。
東からも白旗を掲げた2騎が近付いてくる。
4騎は両軍の中間で出会った。
城島由加は、近付いてくる2騎にはヴィクラムはいないと確信していた。伝えられている風貌とは違うからだ。
嫡男クルエは、近付いてくる女性が例の娘の母親であろうと推測していた。女性は男性に従属するものであり、十分にしつければ従順になる。しつけるためには、逆らわなくなるまで殴ればいい。
彼自身、妻をそうしつけてきた。
飾り気のない兜を被り、草原に同化するような奇妙な色彩の鎧を着けているが、どうということはない。
「ヴィクラム殿はどうした?
怯えて寝床から出られないのか?」
嫡男クルエは、女性の発した声音に臆した。
「我が父は女とは話し合いはしない」
声がうわずってしまった。
女性の微笑んだ顔が、恐ろしかった。
城島由加は、どうやってヴィクラムを引っ張り出すか思案していたが、名案は思い付かなかった。
フィー・ニュンが距離1500メートルまで引き寄せれば、バレットM82対物ライフルで狙撃すると言ってはいるが、相手が巣穴から出てこなければそれもできない。
そもそも、城島由加には“正々堂々”という概念がない。もちろん、“男らしく”との考えもない。さらには“尋常な勝負”という公平性もない。
戦いとは勝者が善であり、敗者は悪なのだ。歴史は勝者が主役であり、敗者は勝者の引き立て役でしかない。
白旗を掲げている片倉幸子が拡声器を持ち出した。
「ヴィクラム殿に申し上げる!
貴殿はウマの尻の背後に隠れて、何をされている。
ライオンを素手で仕留めたとは嘘であろう!
ドラゴンの首を一閃で斬り落としたとは嘘であろう!
ヴィクラム殿はただの小心者であろう!
息子を使いに寄越し、子供のタマの陰に隠れる臆病者よ!
臆病者でも男なら、尋常に勝負せよ!」
拡声器の声は、風に乗って北に流れた。
イロナは「こんな面白い見世物はない」と呟くと、「全車前進」と命じる。
三男ナタルは、突然背後から現れた戦車に驚く。
同時に、辛うじて残っていた支家が逃げ去る。蜘蛛の子を散らすように、という比喩の通り、四方八方に無様に走って行く。
背後から現れた戦車は、ナタルたちには一切の興味を示さず、前進していく。発砲したい誘惑に駆られるが、砲塔が旋回し、真後ろを向き、発射されたら死しかないことも知っている。救世主の戦車との戦いで、経験している。
だが、西のヒトの戦車のほうが、はるかに速く走る。騎馬で追いかけても、おそらく追い付けない。
三男ナタルは、そのとき気付いた。救世主の戦車との戦いでは、騎馬は好きなときに戦場を離脱できた。救世主の戦車が低速だからだ。だから、勝利を手にできなかったが、完敗でもなかった。
しかし、西のヒトの戦車は、ウマよりも速い。これでは、追いかけ回された挙げ句、撃ち殺されてしまう。
三男ナタルは考えた。もし、父と兄が死ねば家督は自分のものになる。ここは無理せず、父と兄の死を願うことが得策、と……。
次男は帰って来ない。どうも死んだらしい。ならば、父と嫡男が死ねば……、これほどの幸運があろうか!
父と兄の死を見届けなければ!
三男ナタルの夢見た願望が、現実になろうとしていた。
彼は、ゆっくりと西のヒトの戦車を追った。
嫡男クルエは、北の丘を越えて、大量の戦車が現れた様子に度肝を抜かれる。
1発の銃声さえしなかった。三男ナタルが指揮しているはずの、嫡男クルエが助勢を頼んだ支家の兵は、まったく抵抗しなかったのだ。
裏切られたことを確信した。
片倉幸子の挑発は続いていた。
「ヴィクラム殿は、恐怖のあまり母親の腹の中に逃げ込んだらしい!」
これは効き目があった。男尊女卑が極端に強いココワの男に、女性の陰に隠れていると告げることは、最大の蔑みになる。
「いいや、女房殿のスカートの中にいるのではないか?
ヴィクラム殿は戦場にはいない。
女房殿のスカートの中で震えている!」
片倉幸子は、一息つく。
「城島将軍は、ヴィクラム殿との一騎打ちを所望しておられるが、かような臆病者では武器を持つ女の前には姿を現せないであろう!」
城島由加が一騎打ちなど望んでいないことは、片倉幸子はよく知っている。
ヴィクラムを誘き出せればいいのだ。
誘き出しさえすれば、フィー・ニュンがバレットM82の12.7ミリNATO弾で仕留める。
ただし、ウマを。
落馬させたら、片倉幸子は城島由加に任せるつもりはない。暴力の意味を教えるつもりでいた。
サール家当主ヴィクラムは、敵の挑発に応えなければならなかった。あからさまな挑発だが、配下の目もあり、挑発に応じる以外の選択肢がなかった。
それに、女性から何度か銃口や剣先を向けられたことがある。それらの女性は全員が恐怖で震えていた。
ヴィクラムにとって、女性とはそういうものだ。
フィー・ニュンは、風向と風速、気温と湿度、レーザー距離計による正確な計測によって、狙撃に必要な完璧なデータを得ていた。
バレットM82はバギーLの銃架に載せられ、狙撃体制は完璧だった。弾倉には榴弾を装填してある。
そのバギーLは草原の窪地にあり、巧妙な擬装を施していた。目標までの距離は、820メートル。
ヴィクラムは長剣を抜き、ウマを走らせた。敵陣との距離は2000メートル。
敵の使者と彼の嫡男は、その中間にいる。
剣での一騎打ちを申し入れると、間違いなく逃げると確信していた。
ヴィクラムはウマを激しく走らせ、嫡男クルエの右横に急制動で止まる。
フィー・ニュンの注文通りの位置に、ヴィクラムのウマが止まる。
フィー・ニュンがトリガーにかけた指に力を入れる。
砲口初速秒速853メートルで12.7ミリNATO弾が発射される。
目標までの銃弾到達時間は約1秒後。
ヴィクラムは銃声を“感じた”瞬間、地面に倒れていた。
左足が倒れたウマの胴体と地面に挟まれて抜けない。彼の乗っていたウマには、頭がなかった。
視界には呆然と立ち尽くす嫡男クルエがいる。クルエのウマの頭は、後頭部が消えていた。
痩躯で背の高い女性が近付いてくる。ベルトの銃を抜こうとしたが、顔を蹴られ、銃を抜いた手を踏みつけられた。
胸に何かが押し付けられて、全身がしびれ、一瞬気を失う。
片倉幸子はヴィクラムが銃を抜く瞬間、顔を蹴り、銃を握った手を踏みつけ、胸にスタンガンを押し当てた。
医療班創薬部特性唐辛子エキスのスプレーを目に向けて噴射する。
意識を失っていたヴィクラムが、目の激痛で覚醒する。
その後は、片倉幸子のやりたい放題だった。
片倉幸子は彼女の体力がつきるまで、ヴィクラムの顔だけを殴り続ける。それも鋲の付いた特性のグローブで……。
嫡男クルエは抵抗できなかった。
半田千早の母親は一言も発しないが、威圧感は圧倒的だった。これほどの貫禄と暴力の匂いを感じたことはない。恐ろしくて泣き出しそうだ。
白旗を掲げていた従者は、ウマを降りて跪き、両手を挙げている。
「殺さないで……」
髭を蓄えた偉丈夫が辛うじて発した声であった。
片倉幸子の暴力は、たっぷり30分を要した。彼女は疲れ切り、立ち上がる際にふらついた。
クルエは、若い女性がゆっくりと歩いてくる様子を見ていた。若く美しいが、全身から得も言えぬ禍々しさが発している。
そのおぞましい気に圧倒され、小便を漏らした。父親の顔を砕いた女性よりも、若く美しい女性のほうが恐ろしい。
それを本能が知らせる。
ミルシェは、片倉幸子が見事に打ちのめした男を見下ろしていた。
彼女はメスで、両手の腱を断った。
「これで、この男は一生手を使えない」
片倉幸子が「それじゃ、自分で自分を慰めることもできないんだ?」と尋ねると、ミルシェが笑った。
片倉幸子が意地悪そうな目でミルシェを見て、ミルシェは恥ずかしそうに俯く。
クリエは父親の両目は潰されたと確信していたが、若い女は両手を使えなくしたと言った。
もし、そうならば、父親はどうやって生きていくのか?
自分が面倒を見るのか?
それはご免だ。父の介護など、興味はない。自力で生きていけないなら、死ぬべきだ。だがどうやって死ぬ。手が使えないのに……。
城島由加は嫡男クルエに「この地を去れ。父を連れて」と告げるが、答えは意外だった。
「こいつはもう役に立たない。そっちで処分してくれ」
三男ナタルは、父親を引き取らずに去る嫡男クルエの様子を見ている。
そして、ウマをゆっくりと進めた。
城島由加は、手を上げて北から近付く騎馬を見ていた。
騎馬は、城島由加から5メートルの位置で止まる。
「西の総大将に申し上げる!
我はサール家三男ナタル!
我が父を引き取りたい!」
嫡男クルエが振り向く。
ウマを降りたナタルが片倉幸子とミルシェに近付く。
「生きているのか?」
ミルシェが即答する。
「まだね。
適切に治療すれば、生きていけるでしょう」
ナタルがやや年上のミルシェを見る。
「こいつには、生きてもう少し役に立ってもらう」
城島由加、片倉幸子、ミルシェの3人が、本隊に向かうと、ナタルの郎党が集まってくる。
父親を見捨てた嫡男と両目と両手を失った父親を助けた三男の権力争いの幕開けだ。
西ユーラシアと西アフリカの連合軍は、この日、1人の生命も損なわずに、湖水地域最大勢力の瓦解に成功した。
城島由加は不愉快だった。
「私、もしかしたら、隼人さんに操られたんじゃないかな」
片倉幸子にそう尋ねると、彼女が笑った。
城島由加は猛烈に不愉快だった。
食堂で、デュランダルが不思議な話を始める。その場の誰もが聞き耳を立てている。彼は、この話を秘密にするつもりはなかった。
「鬼神族の、空飛ぶヘビがドラゴンを食らった、という伝説を知っているだろう」
有名な伝説で、鬼神族はもちろん、ヒトや精霊族の間でもよく知られている。精霊族は、主人公を同族に変えた演劇を作っている。
デュランダルが俺を見詰める。
「その伝説、よくよく聞くと結構生々しいんだ。鬼神族のオリジナルは……。
鬼神族は精霊族とは違い、記録にはこだわりが薄い。だが、口伝であっても、時を経ても、脚色はするが、根幹は変えない。
私は、伝説が事実じゃないかと思った。
そして、調べたんだ。
かつて、鬼神族のテリトリーにヒトの街があった。
その街の人々は100年ほど前に疫病で全滅したそうだが、彼らはドラゴンへの対抗手段を持っていた。
これも知っていると思うが、精霊族のテリトリーでも人は追い出されることはない。だが、鬼神族は役に立たないヒトには冷たい。 この街は数百年間、鬼神族のテリトリーにあった。つまり、鬼神族にとって、価値があったんだ。
それが、ドラゴンを食うヘビだ。
飛行機だ。戦闘機だよ。
その街のヒトは、数百年間も、連綿と同型の戦闘機を作り続けていた。
多いときは、10機ほどあったらしい。
エアラコブラという名だ。
実物も見たよ。朽ちてはいなかった。鬼神族が大事に保存していた。
飛べはしないが……。
このことは、コーカレイに立ち寄ったカナザワに伝えた。
いま、コーカレイで作れないか、あれこれと算段している」
俺は、不審だった。
「金沢は何をしにコーカレイに?」
デュランダルの目が笑う。
「すごい戦車を2輌運んでいた。西アフリカに送るって……。
ベルタが1輌ぶんどったよ」
俺は戦車よりも戦闘機が気になった。
「その戦闘機について、金沢は何て言っていた?」
デュランダルは、俺に酒を注げと身振りで指示する。まだ、酒を飲むには、時間が早いが、焼酎のボトルがテーブルに置かれる。
置いた男を見て驚く。醸造班のトップであるアンティだ。そして、無言で俺の横に座る。 デュランダルがアンティを見る。
「しばらくだな、若造。」
アンティが笑う。
「そう若くはないさ」
デュランダルは、俺とアンティに酒を注ぐ。
「カナザワは、ベルP-39エアラコブラ、だと言っていた。
役に立ちそうだとも……」
アンティが俺を見る。
「……コブラって何だ」
俺は焼酎を飲み、息を吐く。
「ヘビ、毒ヘビだ。空飛ぶ毒ヘビという名の飛行機だ」
コーカレイは、西ユーラシアにおける対セロ戦争の最前線だ。セロはいまでもビスケー湾側のピレネー山脈東側を占領している。
一時期ほどではないが、最近またもや戦力を増強し始めた。西ユーラシア占領を諦めてはいない。
デュランダルがアンティを見る。
「セロと戦うには、戦車と戦闘機がいる。ノイリンが作れないなら、コーカレイで何とかするしかない」
コーカレイはフルギアから借りている街で、いつかは返さなくてはならない。
飛行機の製造工場を作るなんて、考えられない。資本の投下は、ノイリンに限るべきだ。
だが、俺はそれを言葉にすべきか迷った。「金沢は何て……」
デュランダルは、陶器製コップの焼酎を飲み干す。
「カナザワは……。
セロを退ければ、コーカレイは不要になると言っていたが……。
セロは簡単には撤退しない。
それと、ノイリンには海への出口が必要だ。コーカレイは今後も維持し続ける必要がある。問題は、フルギアとどうやって話をするか、だ。
金で買うか、それとも他の代償か……。
いま、それを探っている」
俺は、フルギアが領土を切り売りするとは思えなかった。フルギアには、西ユーラシアでは珍しい国家としての意識が明確にあるからだ。ブルマンにも国家的意識はあるが、やや統一性に欠ける。部族的集団の連邦制といえばいいかもしれないが、やはり統一性は低い。
ノイリンやクフラックといった街は、古代ギリシャの都市国家に近い。
西アフリカのクマンにも国家としての明確な認識がある。
国家から領土を得ることは、武力を使う以外はかなり難しい。武力を使えば遺恨が残る。結局、いつかは返さなくてはならなくなる。
日本は第二次世界大戦の末期に武力によってソ連に簒奪された歯舞、色丹、国後、択捉4島の返還を、ソ連の後継たるロシアに求め続けた。
おそらく、100年待っても戻りはしない。しかし、その結果として、日露間には平和条約が存在しない。
第二次世界大戦末期、日ソ中立条約は意味をなさなかった。ならば、日露平和条約も意味はない。条約は破るために結ぶものだ。
武力を行使しての領土の拡張は、意味がない。禍根を残すだけだ。
ならば、どうする……。
借り続けるほかない。コーカレイをノイリンに貸し続けることが、フルギアの利益にかなうと感じてもらうしかない。
「デュランダル……。
コーカレイに飛行機と車輌の組立工場を作ろう。近隣にも送電できるもっと規模の大きい発電所も……。
コーカレイを借り続けるんだ」
デュランダルが俯く。
「科学技術、工業技術なんてものは、いずれは追いつかれる。
永遠の絶対的優位なんてものは、存在しない」
そんなことは、俺は十分に承知している。「だが……。
その方法は、いまは有効だ。
次の手は、次の世代に考えてもらう」
デュランダルの顔に怒りが表れる。
「無責任だな」
俺は微笑んでいた。
「千早たちがいる。
たぶん、俺やおまえよりも知恵者だよ。
次の世代を信じてもいいんじゃないか?」 デュランダルの怒りは、顔から消えていない。
「ならば、マーニをコーカレイにくれ。
おまえばかり、ズルイぞ」
その提案に、俺は同意しなかった。マーニが決めることだ。
マルカラ中継基地にマルカラ隊がたどり着いたその日、西からやってきた怒り狂った鬼がバルカネルビの飛行場に降り立った。
ララの母親で、ホティアの後見人であるミューズは、すでにバルカネルビ入りしている。 ミューズは、フィー・ニュンとココワ攻略の準備を始めている。ミューズは資金と物資面から、フィー・ニュンは軍事面から……。
ミューズはココワの油商人から、1滴残らず油っ気を搾り取るつもりでいる。銃口は突きつけないが、銃口を突きつけるよりも恐ろしいやり方を考えている。
バレル家は、状況を把握していない。ただ、250人規模の威力偵察を西に送っていた。
威力偵察の指揮官は、マルカラ一帯を再占領するつもりでいた。
だが、バマコはクマンを発した部隊を続々と東に送り出していた。クマンの機械化歩兵は、すでにマルカラよりも東に達していた。
バレル家が送り出した威力偵察隊は、軽く2000を超える軍隊が東に向かう様子に接し、怖くなった。
彼らにとっての世界は湖水地域だけで、湖水地域ではバレル家が最強であった。バレル家の郎党となることは、富と権力の端に加わることを意味している。
バレル家郎党の末端にいれば、何をしても罪に問われることはない。
バレル家は不可触な存在ではあるが、ならず者ではない。郎党には厳格な規律があり、バレル家独自の法がある。しかし、バレル家一族の誰か、あるいは郎党が犯罪を犯したとしても、誰もが泣き寝入りをする。
恐ろしいからだ。
報復を恐れて、誰も何も言わない。
そういう存在であれば、当然ながら、裏と表がある。
威力偵察の指揮官は、もしバレル家が没落した場合、確実に自分と家族に報復があると確信した。
西からやって来たヒトとの戦いは、絶対に負けられない。
身を地面に伏して、続々と西から東に向かう大軍を観察している。
「ココワに戻り、ご当主様に報告せねば……」
ミューズがバルカネルビで最初に調べたことは、燃料の価格だった。
焼玉エンジンは、軽油、灯油、ガソリン、アルコール、重油でも作動する。西ユーラシアでは、かつてカンスクと呼ばれていた北カラバッシュで盛んに作られていたが、現在はノイリン、フルギア、ヴルマンが製造している。
湖水地域では、燃料に軽油や灯油が使われることが多い。
ミューズはマルカラに大規模なバイオ燃料プラントの建設のための資金を準備すると同時に、陸送と空輸で大量のバイオ燃料をノイリンからバルカネルビに輸送した。
そして、バレル家の半値で、湖水地域西部の街に販売を始める。
もちろん、赤字だ。だが、たった3日でバレル家を湖水地域西部から駆逐してしまう。
クフラックの有力商人がかつて、「ミューズの尖った耳が角に見える」と語ったことがある。
精霊族でも小柄な種であるミューズやララは、外見上はヒトと大きく違わない。だが、ミューズが仕掛ける戦略的経済戦争は、とてつもなく恐ろしい。
フィー・ニュンが「ユカが来るまで、油商人が(経済的に)持ちこたえられればいいけど……」とミューズに告げると、彼女は「きっちりと締め上げて、先に手を出させるから。フィーは、ユカが来るまで、油商人たちを(軍事的に)叩き過ぎちゃダメよ」と諭す。
その城島由加が、誰の予想よりも早く、バルカネルビに到着したのだ。
イロナは、城島由加がガンシップで出発したと知り、連合戦車隊の速度を大きく上げた。脱落する戦車は、後続部隊に任せることにする。
隊員たちは油商人の誰かが、半田千早とホティアを性的暴行すると宣言したことを知っている。
城島由加がそのオッサンのタマを蹴り上げる瞬間を見逃しては、子に語り継ぐ最大の自慢話がなくなると考えていた。
商館で会議が行われるとの知らせがあったが、俺とデュランダルは飛行場から動かなかった。
そもそも、俺は彼女と同じ飛行場にいたが、顔を合わせていない。
正直に言おう。
俺は隠れていた。
会議では、男性は総じて、ココワに対する急襲を主張した。
一方、女性たちは総じて、慎重な対処を論じた。
城島由加がミューズに状況を質す。
「燃料の販売は、どう?」
ミューズは、茶を口に含む。
「ニジェール川の南側の本流流域西側一帯は、ほぼ押さえたかな。
ココワの油商人も慌てて値を下げたけど、こっちは儲けるつもりなんてないから。
油商人の資金の流れを断つことが目的だから……。
1週間あれば、北の本流のココワから西は攻略できると思う。
だけど、補給が……」
城島由加は、ミューズの懸念の回答を持っていた。
「パウラが支援してくれる。
ガンビア川河口の油田で生産されている燃料を、西地区のタンカーで運ぶ。
タンカーはニジェール川を遡上する。
航海距離は5000キロを超えるけど、一気に3800キロリットルを運べる。
マルカラのバイオ燃料工場が稼働するまでは、この方法で燃料を送るようパウラに要請している」
ミューズが怪訝な顔をする。
「パウラ、会ったことはないけど、チハヤたちと仲がいいみたいね。
でも、パウラには、この作戦に荷担する理由はないでしょ」
フィー・ニュンが戯けた反応をする。
「ミューズはソロバン勘定ばっかり」
それを城島由加が真正面から受ける。
「戦車10輌の供与と航空機パイロット10人の養成が条件」
ミューズが少し勝ち誇った表情をする。
「この件の条件としては、控え目ね。
燃料供給があるならば、私はバレル家とかいうヒトたちを日干しにする。徹底的に絞ってやる」
フィー・ニュンが心配顔をする。
「ミューズの作戦は、西ユーラシアでは確かに効果的だけど、ここではどうかなぁ。
湖水地域のヒトって、忍耐力が低いのか、沸点が低い。
簡単にキレる?
まぁ、私の予想なんだけど、ミューズの作戦はすでに効果を十分すぎるほど発揮しているんじゃないのかなぁ」
ミューズが慌てる。
「どういうこと?」
フィー・ニュンが笑う。
「ココワの油商人には、競争相手がいないの。
商人ならば、お客さんに買ってもらうための努力をいろいろとするでしょ。
でも、自分たちからしか燃料が買えないってわかっていたらどう?
お客さんのほうから、売ってくださいって……。
そこにノイリンの商人がやって来た。
ご注文いただければ、燃料をお届けします。
1000リットルご注文で、ジェリカン1個サービスします。
新規お客様には10パーセント値引きします。
燃料系統調整のご要望にも、無料でお答えします。
湖水地域では、燃料は特別な商品。欲しければ、買わせていただく商品。
それをミューズは一瞬で、普通の商品にしちゃった。
それで、バレル家はパニックになった……。
商売をしたことのない商人と、百戦錬磨の商人とじゃ、勝負は決まっている。
商売で勝てない場合はどうする?
答えは荒事。
あと数日で、根を上げて、動き出すよ」
ミューズが当惑と困惑と幻惑を同時に表す奇妙な表情をする。
「それじゃ、面白くないじゃない!
3500キロも飛んで来たのよ!
ホティアの仇討ちができないじゃない!
あの子は怖かったはず!
その何倍もの恐怖を与えないと!」
城島由加が半分冗談で提案する。
「今回は、ミューズにもヘルメットと防弾ベストを着てもらいましょう」
ミューズがその提案を真に受ける。
「そうする。
私がココワ侵攻のきっかけを作る」
翌日、バマコから小型艇4がバルカネルビに到着。2艇は武装艇、2艇は輸送艇。武装艇は12.7ミリ重機関銃と7.62ミリ機関銃を各2挺装備。輸送艇は7.62ミリ機関銃1挺、ドラム缶12の2400リットルを積載可能。どちらも、12ノット(時速22キロ)で航行できる。
商館にいた主な面々は、マルカラ隊全員が飛行場に到着したとの連絡を受けて、出払っていた。
商館には、仕事を終えて戻っていた片倉幸子がいた。
庭では子供たちが遊んでいたし、数人の老人が何やら話し込んでいる。大泣きしている赤子を抱いた母親もいる。
すべて、近隣の人々だ。
そこに、騎乗したままの5騎が入ってきた。
片倉幸子は大声を発したが、本人の意図とは異なり、周囲を威嚇した。
「ウマを降りろ!」
エリシュカはやや早足で、商館の門を潜ったものの、その様子に驚いていた。
「何なんだ!
商館の庭で子供が遊んでいるぞ!」
そこに、痩身だが、明らかに筋肉質な体躯の女性に諫められる。
「ウマを降りろ!」
エリシュカ自身、ウマを降りるべきだと判断していた。
「ウマから降りるぞ」
彼女は4人の従者に指示した。
片倉幸子は商館内にいたこともあり、丸腰だった。5人は武装している。4人の男性は、ローリングブロック式の大型単発拳銃をベルトに差し、左腰には長剣を佩いている。
背には長銃。
女性は長銃と長剣はないが、拳銃は2挺。
ウマの乗り方、武器の装備、革鎧に近いジャケット風の防具。
片倉幸子は、ただ者ではないと判断した。
彼女は、バルカネルビとバマコ間のルート啓開を完了させ、さらなる高速移動のための路面整備を始めようとしているところだった。
彼女には“新兵器”があった。牽引車のコンポーネントを利用した不整地運搬車だ。車体最前部下部中央にエンジンがあり、運転席は車体の左側、全車クレーンを装備し、クレーン操作は車体右側キャビンで行う。右側キャビン上には、7.62ミリ機関銃用全周旋回マウントレールがある。
全長6メートル、全幅2.85メートル、転輪数6、最大積載量11トン。キャビンはドラキュロの攻撃に耐えられるよう、5ミリの鋼板と強化ガラスで構成されている。
拳銃弾や散弾には、耐弾性がある。
片倉幸子は、この車輌8を持ち込んでおり、本格的なブルドーザーは2輌あった。
片倉幸子配下のダンプやトラックを含む全車輌は、商館裏手に集結している。
女性はかなりの距離から名乗った。
「私はココワのエリシュカ。
チハヤ殿のご母堂様にお目通り願いたい」
片倉幸子は、こういった名乗りの経験を何度か経験している。蛮族との出会いでは、珍しいことではない。
「千早は、バルカネルビに帰還した。その出迎えで、母親は飛行場に出向いている。
ココワのものとか。
私はノイリンの片倉。
城島に代わって話を聞こう」
エリシュカは長年の経験から、眼前の女性がただ者ではないことを察していた。
会見は、いくつかある商談室だ。茶を運んできた15歳ほどの少女は、バルカネルビのヒトだった。この商館では、現地のヒトを多く雇っている。
寛容な心を持つのか、単に不用心なのか、エリシュカは判断できないでいた。
「カタクラ殿。
西から大軍が迫っているとの情報を得ている。
貴殿たちの軍であろう?」
片倉幸子は、マルカラ隊の捜索には直接関与していない。だが、心配はしていたし、全体的な動向は知っていた。
「ココワの兵に追われ、北に逃れた同胞は1人を除いて、無事に帰還した。
1人を殺めたのは、ヘビだと聞いている。
だが、ヘビに殺められる原因を作ったのは、ココワの軍だ。我らは、その責を追及するつもりだ」
エリシュカは、想定していた通りの回答に、慌てまいと心の準備をしてはいたが、やや狼狽した態度を見せてしまう。
「待って欲しい。
ココワに軍はない!
豪商や豪農の私兵がいるだけ。
私の配下もココワの兵ではない。
マルカラという地を襲ったのは、バレル家支家の1つサール家の兵だ。
当主ヴィクラムがチハヤの商談持ちかけに立腹したことが遠因だが、立腹した理由が燃料の売却だった。
この一帯は、燃料に関してはバレル家が独占している。
そこにチハヤが割り込んできた。
マルカラという西の地に油田が見つかった、という噂がココワに広がる。
人々は燃料価格の高さに苦しんでいた。
バレル家はこの一帯を支配していたわけではないが、燃料を独占しているので、傍若無人なところがあった。
バレル家は7つの家系があるが、現在は2家だけが残っている。だが、支家は8、12、16と増え続け、いまでは24にもなった。
バレル家は支家なしではやっていけない。その支家の中には粗暴な連中もいる。
支家最大の実力者、サール家当主ヴィクラムもそうだ。敵対者は同じ家系であっても、平気で殺す。
ヴィクラムは、ココワの経済的支配、ココワの闇の王になることを画策していたとも聞く。
そこに、若いが手練れの商人が現れた。
チハヤだ。
しかも、燃料を商うという。
その瞬間、チハヤはヴィクラムの敵になった。
今回のことは、ココワは関係ない。チハヤとヴィクラムとの個人的な遺恨だ。
どうか、ココワを攻めないで欲しい」
片倉幸子は、極端なまでに矮小化した説明を良とはしなかった。
「ココワが油商人によって経済的な支配下にあることは理解している。
ならば、ココワの王はバレル家となろう。
この事態にあって、王をいただく街を攻めることに躊躇いを感じる必要があろうか?」
エリシュカは、片倉幸子が高位のものであることは確信していた。彼女を説得すれば、ココワ攻めが回避できるのではないかとも感じていた。
「バレル家は……。
ココワでは、男がすべてを決める。女は男に従属するものとされている。
私のような女は珍しい。
バレル家のうち、1家は男子がいない。当主は高齢で、娘4人すべてを他の街に嫁がせた。彼は、家業を嫌っていたようだ。
現当主の代で、店を閉じると公言している。
もう1家は、ココワにはいない。ココワを出て、ナマロ城に移った。
この城は、数百年前にバレル家が築いた堅城だ。3重の濠に囲まれている。
なぜ、その城に籠もったのか?
直接聞いたわけではないが、サール家との対立が原因のようだ。
あの城ならば、サール家の手勢だけでは落とせないだろう。
サール家は24支家のうち、10支家を傘下に置いているらしい。残り14支家は、様子を見ているのだろう。
あなたたちの敵は、サール家だ。討つ相手はココワの街でも、バレル家でもない。
サール家だ」
片倉幸子は、意地の悪い気持ちが湧いていることを感じていた。
「そのサール家は、ココワにいるのだろう?
ならば、ココワを攻める以外にサール家を討つ方法はない」
エリシュカは、当初の情報とは異なり、西のヒトは湖水地域に対して領土的野心があるのではないか、と疑いを持った。
「ココワの住民は無関係だ……」
片倉幸子は、そのことは重々承知している。
「千早の母親は“ノイリンの戦女神”と呼ばれている。
特に野戦が得意だ。
もし、サール家の軍を草原に引き出せたら、ココワは攻めない。
我らには、領土的な野心はない。
千早の父“ノイリン王”は、ヒトとヒトは争うべきではない、と常々言っている。
エリシュカ殿の尽力があれば、サール家を誘き出せるのではないか?」
エリシュカは、意外な展開に当惑している。
「サール家の兵は強いぞ。
チハヤの父が王であろうと、この地に多くの兵を送れなかろう?」
片倉幸子は、城島由加が1人も損ないたくないと考えていることをよく知っていた。
「千早の父は王ではない。
だが、西ユーラシアの中には、半田隼人に王の称号を与えるべき英雄と考えている人々がいる。
そして、実際、勇敢なヒトだ。
だが、今回のことは、母親が表に出ている。母親、城島由加がけりをつけることになる」
エリシュカは、半田千早の母親が無残に殺される光景が想像できた。ヴィクラムは残虐な策士で、銃も剣も手練れだ。
それに手勢だけで、1000を超える。
「サール家の手勢は、多い……」
片倉幸子は、エリシュカが正確な情報を持っていないことを確信した。
「半田千早は、友だちが多い。
その1人、クマン国元首パウラは、千早の救出のために大軍を編制した。
いかなる敵であろうと、撃破できるだけの軍勢だ。サール家の兵力とは桁が違う。
戦車と戦闘車だけでも、40を超えると聞いている。
歩兵と騎兵は、草原を埋めつくすほどの大軍になる。
それと、当主の息子がホティアのことを言ったそうだ。ホティアを陵辱すると……。
ホティアのために精霊族が精鋭を送り込んでいる。
サール家に勝ち目はない」
エリシュカの脳は、ココワ攻略回避の妙案を求めて、激しく働いていた。
「今回のこと、チハヤの母親が決着させると言ったな。
ならば、方法がある。
ココワの街に噂を流す。
サール家当主との合戦を、チハヤの母が求めていると……。
ココワの男は、女を侮っている。
それに、女に戦いを挑まれて、ココワの男が逃げるわけがない。
逃げれば、末代までの恥となる。
ヤンガルド平原での会敵を望む手紙を書いてくれ。
私がそれをヴィクラムに届けよう。
ヴィクラムは必ず出てくる」
片倉幸子は了解し、エリシュカは半田千早の母親が殺されることを確信した。ヴィクラムは無敵だ。
半田千早たちは、快適ではない飛行場に留め置かれていた。
彼女の母は厳しい表情をしている。抱きしめられたが、身体を通して母から感じたものは怒りだった。
半田千早が「ママ、怒ってるよ」とマーニに告げると、マーニは「怖いくらい怒ってるね」と。
マーニは「ママが待っていなさい、って。今回は言う通りにしたほうがいいよ」と続け、半田千早は「うん……」とだけ答えた。
心の中で「何人が死ぬんだろう」と呟いていた。
エリシュカは、城島由加が書いたという決戦場を指定する手紙をサール家の城と呼んでいい巨館の正門に貼った。
同じ文面は、ココワの街中に貼り出された。
それと決戦を申し入れた“ジョウジマ・ユカ”という人物が、サール家当主ヴィクラムが陵辱しようとした少女の母親であることも、噂として流した。
エリシュカは、半田千早の母親が率いる戦力を過大に吹聴させていた。
「総兵力は5000」
この噂にヴィクラムは欺されてはいない。サール家は湖水地域で最大の戦力を有する。 その総数は1000。
それを上回る戦力など、あり得ない。
しかし、サール家嫡男クルエはそうは考えなかった。
父親に「他の支家に援軍を要請しては……」と意見具申したが、彼の父親は「女相手に援軍など頼めるか!」と一蹴した。
片倉幸子は、彼女の指揮下にある建設班をかき集めていた。
城島由加は、ココワの街に貼り出され、サール家に届けられた“挑戦状”的な手紙は1文字も書いていない。
書いたのは、片倉幸子。
しかも、本人に無断で……。
エリシュカは書状にあった「決戦は3日後の夜明け」の文言に不安を感じていた。
西のヒトは、小船数艇以外持っていない。数千の兵がいたとしても、3日でヤンガルド平原に移動させることは不可能だ。
片倉幸子は、ココワの北にあるヤンガルド平原まで、12の河川を越える必要があることを書状を書く前から知っていた。
そのうち、徒歩で渡渉できない流れは8。車輌ならば渡れる川は6。渡渉点を設ける必要がある川は10と判断している。
すべての建設機械を動員すれば、10の川に仮設橋を設営することは可能だと判断している。
5つの川には戦車橋で、3つの川には浮橋で、2つの川にはヒューム管(コンクリート製土管)による仮設橋を建設する。
戦車橋は装甲牽引車を改造し、車体上部に鋼製の橋を背負わせる方式だ。改造は、建設班で行った。全長12メートル、幅3メートルの橋を30分ほどで架橋できる。
私やデュランダル、精霊族の“リロの勇者”は、守備しやすい飛行場に留まった。
装甲部隊を指揮するイロナと、歩兵と騎兵を統率するディラリは、バルカネルビには立ち寄らず、直接、ヤンガルド平原に向かった。
サール家は静かだった。手勢はすぐに集められた。嫡男は父の判断を否として、近しい2つの支家に援軍を頼んだが、彼自身が迷ったこともあり、1日や2日では手勢を集められないと断られた。
それでも、集められるだけ、という約束でココワ街内に集結させた。
兵の数は1500に達していた。嫡男クルエは、勝利を確信していた。
サール家当主ヴィクラムは、嫡男の勝手な行為を頼もしく感じた。嫡男よりも次男のほうが姿形を含めて彼に似ていたが、小柄だが冷静で狡猾な嫡男を好いていた。
他支家の兵500は、三男に指揮を任せ、伏兵として北側に配した。
イロナが直卒する連合戦車隊40輌と装輪式装甲兵員輸送車40輌は、森の中に潜んでいた。
彼女たちの前面にウマの尻が並ぶ。200メートルほど離れており、歩兵もいる。騎兵100と歩兵400ほど。
伏兵のようだが、間が抜けている。セロとの激しい戦いを切り抜けてきたイロナたちにとっては、微笑ましいほど無邪気な用兵だ。
エリシュカは、驚嘆していた。総距離150キロに2日で道を造った西のヒトの土木の力にも驚くが、本当に1万に達する兵を送り込んできた。
車輪で走る戦車のような車輌が多いが、救世主が使う無限軌道で走る戦車は見ていない。
城島由加は、サール家の兵が後退できるよう南側は開けていた。
また、イロナからの報告で、北に500ほどの伏兵がいることを知っていた。
ヤンガルド平原の東側にサール家当主ヴィクラムを総大将とする1000の兵が横列を作る。
その背後に、ディラリが指揮する騎兵が回り込む。
ヴィクラムは平静を装ってはいたが、内心はパニックだった。
彼の手下はすでに浮き足立っている。
眼前には大量の車輌。兵の数は、まったく想像できない。4000か5000はいそうだ。
背後に回られた騎兵は、1000以上。騎馬だけでなく、車輪で走る戦車のような車輌が多数含まれている。
三男ナタルは焦っていた。
敵の兵力を見て、支家の1つが逃げ出したのだ。
この状況で、頼みとする味方を失いつつあった。もう1つの支家は留まっているが、攻撃に参加するかは確信が持てなかった。
三男の手勢は50ほどだが、彼らとてどう動くか見当がつかない。
三男自身、父と兄を見捨てることもこの場を切り抜ける策の1つだと考え始めていた。
城島由加は、この戦いで死人を出すつもりはない。
ただ、ヴィクラムという男は、徹底的に辱めるつもりだ。
そのためにはヴィクラムに逃げ出されては、困る。
ヴィクラムは巨漢だと聞いている。素手でライオンを倒したとか、ドラゴンの首をはねたとか、剛の者としての噂は聞いている。
女性への執着は強く、いまの妻は妻の許婚者を殺して無理矢理手に入れたと噂されている。
子は4人。長男と次男は先妻の子で、先妻はいまの妻を娶るために毒殺されたと囁かれている。
ココワの婚姻は独特で、妻は1人、離婚は許されない。再婚するには、死別するしかない。
女の子が1人いるが、その姿を見た街人はほとんどいない。妻とともに監禁されているとの情報もある。この情報の真偽を確かめるため、妻の両親にも会った。
妻の両親からは「どうか娘をお助けください」と懇願された。
城島由加は、ヴィクラムの妻と子に注目していた。ヴィクラムを屈服させ、妻と子を解放すれば、彼の面目は完全に潰れる。
城島由加はウマに乗っていた。白旗を掲げた片倉幸子を従え、東に向かう。
東からも白旗を掲げた2騎が近付いてくる。
4騎は両軍の中間で出会った。
城島由加は、近付いてくる2騎にはヴィクラムはいないと確信していた。伝えられている風貌とは違うからだ。
嫡男クルエは、近付いてくる女性が例の娘の母親であろうと推測していた。女性は男性に従属するものであり、十分にしつければ従順になる。しつけるためには、逆らわなくなるまで殴ればいい。
彼自身、妻をそうしつけてきた。
飾り気のない兜を被り、草原に同化するような奇妙な色彩の鎧を着けているが、どうということはない。
「ヴィクラム殿はどうした?
怯えて寝床から出られないのか?」
嫡男クルエは、女性の発した声音に臆した。
「我が父は女とは話し合いはしない」
声がうわずってしまった。
女性の微笑んだ顔が、恐ろしかった。
城島由加は、どうやってヴィクラムを引っ張り出すか思案していたが、名案は思い付かなかった。
フィー・ニュンが距離1500メートルまで引き寄せれば、バレットM82対物ライフルで狙撃すると言ってはいるが、相手が巣穴から出てこなければそれもできない。
そもそも、城島由加には“正々堂々”という概念がない。もちろん、“男らしく”との考えもない。さらには“尋常な勝負”という公平性もない。
戦いとは勝者が善であり、敗者は悪なのだ。歴史は勝者が主役であり、敗者は勝者の引き立て役でしかない。
白旗を掲げている片倉幸子が拡声器を持ち出した。
「ヴィクラム殿に申し上げる!
貴殿はウマの尻の背後に隠れて、何をされている。
ライオンを素手で仕留めたとは嘘であろう!
ドラゴンの首を一閃で斬り落としたとは嘘であろう!
ヴィクラム殿はただの小心者であろう!
息子を使いに寄越し、子供のタマの陰に隠れる臆病者よ!
臆病者でも男なら、尋常に勝負せよ!」
拡声器の声は、風に乗って北に流れた。
イロナは「こんな面白い見世物はない」と呟くと、「全車前進」と命じる。
三男ナタルは、突然背後から現れた戦車に驚く。
同時に、辛うじて残っていた支家が逃げ去る。蜘蛛の子を散らすように、という比喩の通り、四方八方に無様に走って行く。
背後から現れた戦車は、ナタルたちには一切の興味を示さず、前進していく。発砲したい誘惑に駆られるが、砲塔が旋回し、真後ろを向き、発射されたら死しかないことも知っている。救世主の戦車との戦いで、経験している。
だが、西のヒトの戦車のほうが、はるかに速く走る。騎馬で追いかけても、おそらく追い付けない。
三男ナタルは、そのとき気付いた。救世主の戦車との戦いでは、騎馬は好きなときに戦場を離脱できた。救世主の戦車が低速だからだ。だから、勝利を手にできなかったが、完敗でもなかった。
しかし、西のヒトの戦車は、ウマよりも速い。これでは、追いかけ回された挙げ句、撃ち殺されてしまう。
三男ナタルは考えた。もし、父と兄が死ねば家督は自分のものになる。ここは無理せず、父と兄の死を願うことが得策、と……。
次男は帰って来ない。どうも死んだらしい。ならば、父と嫡男が死ねば……、これほどの幸運があろうか!
父と兄の死を見届けなければ!
三男ナタルの夢見た願望が、現実になろうとしていた。
彼は、ゆっくりと西のヒトの戦車を追った。
嫡男クルエは、北の丘を越えて、大量の戦車が現れた様子に度肝を抜かれる。
1発の銃声さえしなかった。三男ナタルが指揮しているはずの、嫡男クルエが助勢を頼んだ支家の兵は、まったく抵抗しなかったのだ。
裏切られたことを確信した。
片倉幸子の挑発は続いていた。
「ヴィクラム殿は、恐怖のあまり母親の腹の中に逃げ込んだらしい!」
これは効き目があった。男尊女卑が極端に強いココワの男に、女性の陰に隠れていると告げることは、最大の蔑みになる。
「いいや、女房殿のスカートの中にいるのではないか?
ヴィクラム殿は戦場にはいない。
女房殿のスカートの中で震えている!」
片倉幸子は、一息つく。
「城島将軍は、ヴィクラム殿との一騎打ちを所望しておられるが、かような臆病者では武器を持つ女の前には姿を現せないであろう!」
城島由加が一騎打ちなど望んでいないことは、片倉幸子はよく知っている。
ヴィクラムを誘き出せればいいのだ。
誘き出しさえすれば、フィー・ニュンがバレットM82の12.7ミリNATO弾で仕留める。
ただし、ウマを。
落馬させたら、片倉幸子は城島由加に任せるつもりはない。暴力の意味を教えるつもりでいた。
サール家当主ヴィクラムは、敵の挑発に応えなければならなかった。あからさまな挑発だが、配下の目もあり、挑発に応じる以外の選択肢がなかった。
それに、女性から何度か銃口や剣先を向けられたことがある。それらの女性は全員が恐怖で震えていた。
ヴィクラムにとって、女性とはそういうものだ。
フィー・ニュンは、風向と風速、気温と湿度、レーザー距離計による正確な計測によって、狙撃に必要な完璧なデータを得ていた。
バレットM82はバギーLの銃架に載せられ、狙撃体制は完璧だった。弾倉には榴弾を装填してある。
そのバギーLは草原の窪地にあり、巧妙な擬装を施していた。目標までの距離は、820メートル。
ヴィクラムは長剣を抜き、ウマを走らせた。敵陣との距離は2000メートル。
敵の使者と彼の嫡男は、その中間にいる。
剣での一騎打ちを申し入れると、間違いなく逃げると確信していた。
ヴィクラムはウマを激しく走らせ、嫡男クルエの右横に急制動で止まる。
フィー・ニュンの注文通りの位置に、ヴィクラムのウマが止まる。
フィー・ニュンがトリガーにかけた指に力を入れる。
砲口初速秒速853メートルで12.7ミリNATO弾が発射される。
目標までの銃弾到達時間は約1秒後。
ヴィクラムは銃声を“感じた”瞬間、地面に倒れていた。
左足が倒れたウマの胴体と地面に挟まれて抜けない。彼の乗っていたウマには、頭がなかった。
視界には呆然と立ち尽くす嫡男クルエがいる。クルエのウマの頭は、後頭部が消えていた。
痩躯で背の高い女性が近付いてくる。ベルトの銃を抜こうとしたが、顔を蹴られ、銃を抜いた手を踏みつけられた。
胸に何かが押し付けられて、全身がしびれ、一瞬気を失う。
片倉幸子はヴィクラムが銃を抜く瞬間、顔を蹴り、銃を握った手を踏みつけ、胸にスタンガンを押し当てた。
医療班創薬部特性唐辛子エキスのスプレーを目に向けて噴射する。
意識を失っていたヴィクラムが、目の激痛で覚醒する。
その後は、片倉幸子のやりたい放題だった。
片倉幸子は彼女の体力がつきるまで、ヴィクラムの顔だけを殴り続ける。それも鋲の付いた特性のグローブで……。
嫡男クルエは抵抗できなかった。
半田千早の母親は一言も発しないが、威圧感は圧倒的だった。これほどの貫禄と暴力の匂いを感じたことはない。恐ろしくて泣き出しそうだ。
白旗を掲げていた従者は、ウマを降りて跪き、両手を挙げている。
「殺さないで……」
髭を蓄えた偉丈夫が辛うじて発した声であった。
片倉幸子の暴力は、たっぷり30分を要した。彼女は疲れ切り、立ち上がる際にふらついた。
クルエは、若い女性がゆっくりと歩いてくる様子を見ていた。若く美しいが、全身から得も言えぬ禍々しさが発している。
そのおぞましい気に圧倒され、小便を漏らした。父親の顔を砕いた女性よりも、若く美しい女性のほうが恐ろしい。
それを本能が知らせる。
ミルシェは、片倉幸子が見事に打ちのめした男を見下ろしていた。
彼女はメスで、両手の腱を断った。
「これで、この男は一生手を使えない」
片倉幸子が「それじゃ、自分で自分を慰めることもできないんだ?」と尋ねると、ミルシェが笑った。
片倉幸子が意地悪そうな目でミルシェを見て、ミルシェは恥ずかしそうに俯く。
クリエは父親の両目は潰されたと確信していたが、若い女は両手を使えなくしたと言った。
もし、そうならば、父親はどうやって生きていくのか?
自分が面倒を見るのか?
それはご免だ。父の介護など、興味はない。自力で生きていけないなら、死ぬべきだ。だがどうやって死ぬ。手が使えないのに……。
城島由加は嫡男クルエに「この地を去れ。父を連れて」と告げるが、答えは意外だった。
「こいつはもう役に立たない。そっちで処分してくれ」
三男ナタルは、父親を引き取らずに去る嫡男クルエの様子を見ている。
そして、ウマをゆっくりと進めた。
城島由加は、手を上げて北から近付く騎馬を見ていた。
騎馬は、城島由加から5メートルの位置で止まる。
「西の総大将に申し上げる!
我はサール家三男ナタル!
我が父を引き取りたい!」
嫡男クルエが振り向く。
ウマを降りたナタルが片倉幸子とミルシェに近付く。
「生きているのか?」
ミルシェが即答する。
「まだね。
適切に治療すれば、生きていけるでしょう」
ナタルがやや年上のミルシェを見る。
「こいつには、生きてもう少し役に立ってもらう」
城島由加、片倉幸子、ミルシェの3人が、本隊に向かうと、ナタルの郎党が集まってくる。
父親を見捨てた嫡男と両目と両手を失った父親を助けた三男の権力争いの幕開けだ。
西ユーラシアと西アフリカの連合軍は、この日、1人の生命も損なわずに、湖水地域最大勢力の瓦解に成功した。
城島由加は不愉快だった。
「私、もしかしたら、隼人さんに操られたんじゃないかな」
片倉幸子にそう尋ねると、彼女が笑った。
城島由加は猛烈に不愉快だった。
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