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第1章
第八話 生存圏
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我々は人界の北端で、息を潜め、肩を寄せ合っていた。
この世界の人々が攻撃的なら、早晩、何らかの接触があるだろう。ドラキュロが支配するこの世界では、ヒトも勢い攻撃的になりかねない。
俺たちがいる周囲よりも明確に高い台地は、東の山脈の西麓に近く、東と北に大きな湖がある。当初は複数の湖だと考えていたが、北を上にしたΓのミラー反転型の大湖であることが、数日に及ぶ探検で判明していた。
この湖は堰止め湖で、東の山脈の一部が崩落して、山脈に沿って南北に流れる川を堰き止めて作った。そのため、山脈西麓の多くの沢に湖水が入り込み、非常に複雑な湖岸を形成している。
西にも小さな湧水の沼がある。
台地は、六〇ヘクタールほどの広さがある。東京ドームに換算すれば約四六倍だ。斉木によれば、水が確保できれば農作物の生産に向いているという。
もちろん、農地を開墾しなければならないが……。
俺たちは、広大な台地の一画、さらに一段高くなっている湖畔北東端付近の饅頭型の丘の台座付近にいた。
この丘の形状は、水平に二つに切ったイングリッシュマフィンに似ている。側面斜面は急だ。我々は何となく、この周囲との高低差が五から一〇メートルほどの丘を〝マックヒル〟と呼んだ。
東と北が湖で、南と西が開けているが、マックヒルの斜面が急なので、防衛に適している。これは、由加の判断だ。
斜面をパワーショベルで切り崩し、トラクターとダンプで土砂を運び出して、一日で一本の傾斜路を造った。そして、大型車三台を何とか丘に上げたのは、この地に来てから七日目であった。
ルサリィとは、ごく初歩的な意思の疎通は可能になっていた。ルサリィは「南に行け」と盛んに主張していたが、行くあてがあるわけではなさそうだ。
単にドラキュロから離れるために、南を目指していただけのように感じる。
彼女から、この地方の概略を聞いたが、一つの大きな街とその街を中心に東西南北に四つの村があるらしい。その他にも小さな集落があるようだ。
人家の明かりは、西南西と南の方向に見える。我々の現在地から南の明かりが東側の村、西南西の明かりが北側の村だろう。直線距離は、どちらも三〇から三五キロと推定している。
東の村の明かりは強く、北の村の明かりは弱い。
我々は、ここが最終目的地だとは考えていなかった。しばらくは滞在するかもしれないが、経由地の一つだと認識している。
だから、車輌の整備と荷物の整理は怠っていない。
また、ヒトとの接触もどうするか思案していた。当然、武器も用心のため準備している。
そして、我々は一年以上生活できる物資を持っている。
ちーちゃんとケンちゃんは、まだ怯えているが、少しずつ落ち着いてきている。
二トンダンプはクローラを装着したままで、移動時を除けば、ほぼ建設機械として使われている。移動時にはたくさんの荷物を積み込むが、その積み卸しが大作業で、我々の機動性を失わせている。ここが最大の改善点だ。
もう一台、大型トレーラーがあれば、移動時の支度が容易になる。
無造作に積んできた八トン車の荷は、詳細に分別されようとしていた。
とにかく、自分たちが何を持っているのかさえ、詳細にはわかっていないのだ。
俺たちの物資で一番の活躍は、車載冷蔵庫と洗濯機だ。冷蔵庫は俺たちが、洗濯機は片倉・納田グループが持ち込んでいた。毎日が泥だらけで、超大型洗濯機が欲しいくらいだ。
意見が割れた事柄もある。
しばらく滞在したいとする女性たちと、もっと安全な場所を探そうと主張する男性たちだ。ただ、全員が疲れていた。四人の子供たちは限界に近い。
移動したくても、そうはできない事情があった。
滞在するにしても、数日から数カ月まで意見に幅があり、その集約が難しい。それでも、この集団から抜けることを主張するものはいなかった。
理由は、誰かが誰かの行動を規制しようとはしなかったからだ。
結局、現実を突き詰めていくと、一週間の予定が二週間を過ぎ、三週間目に突入していた。
ルサリィが急速に我々の言葉、といっても英語だが、を習得している。この世界の事情に疎い我々にとって、ルサリィの存在は次第に重みを増していく。
この世界のヒトとの接触を、決断すべき時期に至っていた。
ただ、西南西にある村か南の方角の村を選ぶかで、判断に迷う。南の村は直線なら三〇キロほどだろうが、湖の西端にある丘陵を迂回しなければならないので、五〇キロ以上の道のりがありそうだ。
この点は、ルサリィでも判断が付きかねるらしい。
結局、「明るいほうへ向かおう」という斉木の意見に全員が賛成することにした。
我々のキャンプは、南北に延びる貧弱な道〝街道〟から、一〇キロ以上東に離れている。
この路外を容易に走行できるのは、軽戦車、ダンプ、軽トラの三台だ。
機動性が高く、他者に与える威圧感が少ないことを理由に、ヒトが住む領域への最初の偵察に軽トラが選ばれた。
メンバーは、俺、ルサリィ、斉木の三人。ルサリィによれば、武器を持っての旅は普通のことであり、旅人でありながら武器を持たないほうが怪しまれる、そうだ。
ルサリィからの断片的な情報では、盗賊の類は少なく、武器の必要性はドラキュロ対策が主。ルサリィはドラキュロを〝バイト=噛みつき〟と呼んでいる。
ただ、この世界の銃と我々の銃は、外見に違いがあり、それを誤魔化すために機関部を布で巻いて擬装した。
俺はM14、斉木はポンプ式のショットガン、ルサリィはSKSカービンを持っていく。
マックヒルを出発し、東の村ネイの入口までオドメーターで四二キロだった。意外と近い。
遠景から見た村の規模は大きく、人口は五〇〇くらいはありそうだ。
村に城壁はないが、二重の水路で囲まれている。大規模な環濠集落だ。
ルサリィによればドラキュロは、水を嫌うらしい。対ドラキュロ防衛策なのだろう。
村の周囲には麦畑が広がっている。斉木によれば、もうすぐ収穫できるそうだ。
巨大な農作業機械が何かを散布している。農薬か?
停車しているトラクターや、荷を積んだ馬車もある。ウマの体格はやや大きい程度。そういう種がいるのだろう。
村の入口に検問はなく、何ら咎められずに村内=内側の環濠内に入ることができた。交通の流れに乗って、村を北から南に抜ける。交通の流れは村の中心付近にある広場で、西に方向を変える。南に抜ける道は狭くなるわけではないが、交通量はずっと少ない。
南端内側の水路を抜けても、かなり多くの建物があり、外濠と内濠の中間付近に小さな広場がある。
広場には、太い枝が左右に張り出した巨木があった。
俺たち三人は、その巨木を見て呆然としていた。
ヒトが八人、枝から吊り下げられている。すでに下ろされて、地面に寝かされている数人がいて、吊り下げられたヒトを降ろそうとする十数人の男たち。
俺は軽トラを止め、懐の拳銃を上着の上から触って確認し、車外へ出た。ルサリィがついてくる。斉木が荷台から飛び降りた。手にはショットガンを持っている。
ルサリィが近くにいた村人に話しかけた。
ルサリィが、俺と斉木に小声で伝える。
「アルビジョア十字軍の仕業らしいの」
俺と斉木はほぼ同時に「アルビジョア十字軍?」と小声で尋ねる。
ルサリィは「一〇〇年前に教皇シーダーが送った異端者討伐隊のこと」と答える。
ここで、俺たちは相馬の情報が正しいことを知る。一〇〇年前、つまり元の時代の一カ月前、二〇〇万年後を目指した人々を殺戮するための狂信者集団がいたという噂だ。
当時の連中が生き残っているわけではなく、世代を重ねたのだ。
ルサリィが何人かの村人から話を聞いている。
制服を着た男、警察官らしい、が数人の村人に囲まれて何かをいっている。
ルサリィが通訳してくれた。
「治安兵は、たった四人で三〇人とは戦えない、っていっている。アルビジョア側は三〇人もいたのかな?」と不安な表情で問う。
続けて、「村人たちも戦うって……。だけど治安兵は、援軍が到着するのを待とう、って」
俺はルサリィに、「村の役場みたいな施設はどこか聞いてくれ」と頼んだ。斉木もそれを良とするように頷く。
ルサリィの指示で軽トラを走らせ、村の中央付近の小さいが瀟洒な木造三階の建物の前で停車した。
三人で建物に入る。ルサリィが案内係らしい女性職員に何かを尋ねる。
俺たちは階段で二階に上がった。
一室に入ると、打ち合わせの通りにルサリィが我々の訪問の目的を告げる。
中年の男性職員は、ルサリィに丁寧に何かを説明している。
ルサリィが「湖の南端から北側は、どの村にも属さないから、キャンプをしても問題ないって。
だけど、チクタン村、西の方角に見える村のことだけど、村の豪農デリング一家には気を付けなさいって」
斉木はルサリィに「そのデリング一家は、何者なのか聞いてくれないか?」と頼んだ。
ルサリィが尋ねている。
「アルビジョアの奴らよりはマシだけど、同じくらい残酷なヒトたちだそうよ。
チクタンの村を牛耳っていて、村の半分の土地を村人たちから取り上げて、その土地で農地を失った農民たちを無理矢理働かせているんですって。
それと、子供や若い女性の誘拐も噂されているそうよ」
俺がルサリィに尋ねて欲しいことを告げた。
「ルサリィ、なぜそのことを俺たちに教えてくれるのか聞いてくれ」
ルサリィと職員が話す。
「おじさんがいうには、何年か前、チクタンの村から遠くない場所でキャンプしていた商隊が、襲われたんだって。
一人だけ無事だったんだけど、その人の話だと、襲ったのはデリング一家で間違いないらしいの」
斉木が「罰せられないのかを聞いて」とルサリィに頼む。
「証拠がないことと、村外の出来事には相互不干渉の原則があるから……」
俺と斉木は見合わせた。
俺は斉木に「悪党はやりたい放題の世界ということですかね」と同意を求めるようにいった。
斉木は黙って天井を見た。
職員がルサリィに話しかけた。話は結構長い。
「一人だけ助かったのは当時六歳の男の子で、おじさんはその子を育てているんだって。
同じようなことが起きないように、教えてくれたそうよ。
デリング一家のことは大嫌いだって」
俺と斉木は、いささかショックだった。二〇〇万年後は、ヒトが生存していると仮定した場合、想像していた通りの無法な世界だった。アルビジョア十字軍にデリング一家、狂信者と無法者、おそらく悪徳政治家や強欲な資本家もいる。
一〇〇〇年間で、ヒトは変われなかった。いや、これがヒトという生物の本質なのだろう。
東の村ネイの職員は、俺たちが滞在しキャンプを設営する許可をネイ村が与えた書類を書いてくれた。
我々は、一応、合法的にあの丘を使うことができることになった。
ネイ村での出来事は、全員に知らせた。ビル・シーダーの仲間は、世代を重ねて生き残っていること。そして、最北の村チクタンは、デリング一家という土着の無法者に牛耳られていること。
この地を去るべき、という意見も多かった。しかし、ルサリィの話を聞いた我々は、今後どうすべきかを熟慮しなければならなかった。
ルサリィの話は明瞭だ。
「この世界に最初の移住者がやって来たのは、一二〇〇年前のこと。それから、七〇〇年間、少数の人たちが時間を空けてやって来て、少しずつ文明を取り戻してきたそうなの。
だけど、五〇〇年前になると、元の世界からやって来る人がぴたりと止まってしまった。誰もが〝ゲート〟が閉じたと思ったらしい。
それでも、何十年に一度だけど、数人の人たちが徒歩でやって来た。
でも、それさえ二〇〇年前には終わってしまった。
誰もが〝ゲート〟が完全に閉じたと思っていたの。
でも、それが違うことはすぐにわかったの。
〝ゲート〟の周囲に噛みつきが住み着いたから、誰も来られなくなった……」
ルサリィはいったん話を区切った。
誰も何もいわない。
ルサリィが続ける。
「一〇〇年前、一〇人ほどの人たちが、〝ゲート〟から脱出してやって来た。とても弱っていたそうで、最初に出会った人たちは、誠心誠意看病したそうよ。
だけど、その人たちが元気になると、助けた人たちを皆殺しに……。
それから、村や街を襲っては、子供や女性を誘拐し、子供は兵士にして、また人々を襲わせたの。
それが、アルビジョア。
アルビジョアの影響は大きくて、彼らの真似をしようとする人たちが現れたの。
でも、ヒトには仲間割れをしている余裕なんてない。
噛みつきの繁殖力は強くて、数はどんどん増えてくるし、ヒトが住める場所はどんどん狭まっている……。
ヒトと意思の疎通ができる多毛族や精霊族は、団結しているのに、ヒトは仲間割れで、どうにもならない……。
精霊族や鬼神族がヒトに同盟を申し入れてきたことがあるけど、アルビジョアの存在が理由で成立しなかったと聞いている。
人が住める土地は一〇〇〇年前の一〇分の一もないそうで……。
ここで何とかしないと……。
誰もが思っていることだけど、どうにもならない……」
由加が「南に向かっても、限界があるの?」と尋ねる。
ルサリィは「はっきりとはわからないけれど、この一帯では東西は一五〇キロ、南北は二〇〇キロの範囲がヒトが住める土地。
精霊族や鬼神族が耕作する土地、白魔族や黒魔族が支配する地域を除いて、それ以外は噛みつきが跋扈する土地。
東西から噛みつきが侵入していて、私が住んでいた街も襲われた。
私はずっと独りぼっちだから、逃げられたけど……。
西の彼方にもヒトが住む土地があるらしいし、大陸の遙か北にも街があるらしい。そこから使者もやって来るとは聞いているけど……」
俺はルサリィの身の上をまったく知らないが、この子には何か影がある。だが、そのことには触れず、自分の意見を述べた。
「しばらく、この丘に留まって、周囲を調べたらどうだろう?
ルサリィの話を確かめたいし、逃げ出すこともできないのだから……。
闇雲に動いて、燃料を消費してしまうよりは、確実だと思うけど……」
斉木は基本的に賛成だとしつつ、「アルビジョアやデリング一家が現れたら?」と尋ねた。
由加は、「現れたら問答無用の先制攻撃でいいのでは、専守防衛は意味がない」と。それに片倉が賛成する。
片倉は、「来るのを待つよりも、こちらから襲ったら」という。
由加はドラキュロが相手だと怯えるが、対象がヒトだとやたらと強気。片倉にもその気がある。
防衛体制を整えながら、しばらく様子を見ることで、衆議は決した。
防衛体制を整える……。
確かに、彼女たちの行動は結論の通りだ。
野戦築城という言葉があるが、塹壕は掘らずに、片倉の指導で土塁を築き始めた。
また、三台の大型車個々のために掩体も造っている。
まるで戦争の準備だ。
能美と納田は、輸血の必要が生じたときに備えて、全員の血液型を調べている。
珠月とルサリィは、自分の武器の手入れを怠らない。ルサリィは、銃剣備え付けのSKSカービンが気に入っていて、マックヒルから出る際は必ず携行する。
ルサリィは、年齢が近い一〇代グループと打ち解けていて仲がいい。
由加は偵察と称して、ルサリィとともに度々街や村に行く。この世界の通貨を持たないので、コミュニケーションをとる方法が限られるが、それでも貴重な情報を得てくる。
この地域一帯の総人口は、三〇万人もいるらしい。想定していたよりも多い。
それと南の村アガムは、ほぼ鎖国状態。年に数回、村の境界を越えて数人が買い出しに来る程度だ。電気はなく、いかなる動力機械もない。
それから、この地域の主な動力は、蒸気機関だ。内燃機関は、存在するが用途は限られている。空冷のガソリンエンジンがあり、これを搭載する小型車輌が使われている。
石油化学産業は、規模は小さいが存在する。小規模な油田もある。
それと、デリング一家の郎党は、最大で四〇人。通常は三〇人ほど。
武器の情報も手に入れてきた。対ドラキュロ戦に特化した火器で、連射性に優れたポンプアクションとレバーアクションが大多数を占める。
当然、対人戦闘でも高威力だ。
弾薬は、四四口径で薬莢長が四五ミリもある。黒色火薬を発射薬とする。
拳銃も同じ弾と薬莢だが、通常は減装弾を使う。このほか、四四口径で長さ七〇ミリの薬莢を使うライフル弾もある。こちらは、各種単発銃での使用が多い。
火砲は、砲口口径七五ミリ級の短砲身砲が普及している。弾種は、榴弾とキャニスター弾。民間人でも保有している。当然、デリング一家も持っているだろう。
由加と片倉が主導して、現金収入が必要との意見が上がり始めた。
俺、斉木、相馬の三人は呆然状態で、どうしたらいいのか右往左往。
片倉と能美は、菓子作りが趣味だそうで、納田は学生時代にアルバイトでパンを焼いていたとか。有名なベーカリーらしい。
彼女たちは、有り余るほどの小麦粉を使って、何かを計画し始めた。
それと、一〇代グループは、俺たち〝高齢者〟グループに渾名を付けていた。
片倉幸子=棟梁(建築家だから)
城島由加=将軍(元自衛官だから)
能美真希=真希先生(そのまま)
斉木五郎=教授(大学の教員経験があるから)
半田隼人=若旦那(意味不明)
二〇代の二人は、特別な呼び名は付けられなかった。
相馬悠人=相馬さん(ときどき〝博士〟)
納田愛花=愛さん
俺は何で〝若旦那〟なんだ!
片倉と能美が中心となって、小麦粉を主原料とする食品、パンやクッキーを作り、月水金の三日間販売に行く。
売場は、この一帯の最大の街であるカーダングとネイ村。販売の許可は、ルサリィの支援で取り付けていた。
販売担当は、由加、納田、ルサリィのうち二人。相馬、金沢、金吾のうち一名が護衛として同行する。
使用する車輌は、最も威圧感がない軽トラだ。
彼らによって、多くの情報が集まり始める。例えば、南の村アガムの住民大半とは、言葉が通じない。こういうことは珍しくなく、我々が言葉を解さなくても奇異には感じないらしい。この一帯の住人からすれば、ルサリィの言葉にも訛りがあるようだ。
また、外部との接触が多いメンバーが、少しずつ言葉を覚え始めていた。
事件の発端は、他愛のないことだった。最大の街カーダングからの帰路、北の村チクタンの東端あたりに一件の農家がある。農地は荒れ、耕作されている様子はない。
その農家に幼い兄妹がいる。兄は一〇歳くらい、妹は六歳ほど。
軽トラがスタックした際、幼い兄が脱出を手伝ってくれた。その礼にと、由加が売れ残りのパンを兄妹に渡すと、腹が空いていたのかその場で食べた。
由加と納田は、帰路、農家に必ず立ち寄るようになった。ルサリィがいろいろと尋ねたが、兄妹が何かをいうことはない。だが、ルサリィのカンでは、父母はいないという。
どうやって、兄妹は生きているのか?
雨雲が広がり始めた早朝、監視に使っているスコーピオン軽戦車の砲塔上から、彼方から歩いてくる二人を金吾が発見。
通常、我々が使うルートから外れていて、泥に足を取られ、時折石に躓きながら、二つの小さな影が向かってくる。
金吾が一緒に歩哨をしていたルサリィを呼び寄せて告げ、早起きして体操中の斉木に知らせた。
金吾は双眼鏡で確認し、「子供だ!」と叫ぶ。
斉木とルサリィが人影に軽トラで向かう。
軽トラと子供らしき二人が出会うまで、一〇分を要した。
ルサリィと子供が何かを話している。
俺は、寝床にしていたタンクローリーから降りようとしていた。
由加が金吾から双眼鏡を受け取り、子供らしい影を見ている。
そして「たいへん!」と叫び、走って軽トラに向かう。
騒ぎがキャンプに広がる。
相馬と金沢が銃を持って飛び出してくる。
早朝からパンの仕込みをしていた、片倉と能美もエプロンをしたまま銃を持っている。
納田も軽トラに向かって走って行く。何かを叫んでいるが、風にかき消されて聞き取れない。
二〇分後、泥だらけの二人の小さなお客さんが、俺たちのキャンプにやって来た。
男の子は呆然としているが、女の子は由加と納田に必死で話しかけている。
ルサリィによれば、兄妹は金曜の夜に自宅である農家を出発し、土曜、日曜と徒歩で、俺たちのキャンプを目指したらしい。持っていたわずかな食べ物は、日曜の朝に切れ、それからは水だけで凌いでいたそうだ。
片倉が二人のために消化のいい朝食を作るといって離れた。
能美が医師の目で、それとなく二人を観察している。
男の子が大粒の涙を一粒流した。
「お父さんが死んでしまって、お父さんの借金のためにマーニを連れて行くって。
でも、お父さんは借金なんかしていない!」
女の子がいう。
「最後に、一度だけ、おばちゃんに会いたかったの」
男の子がむせび泣く。
「連れて行かれたら、マーニは酷いことをされる。助けたいけど、助けられないから、もう会えないから、最後のお願いは聞いてあげたかった……」
片倉が戻ってきた。
「ごはん、食べよう」というと、二人は意味がわかるのか、片倉に頷いた。
納田が男の子、由加が女の子の手を引いて、食卓に導いた。
ルサリィが男の子に尋ねる。
「誰が妹を連れて行くの?」
「デリングさん……」
その場にいた全員が、ついに来たか、という顔をする。
相馬と金沢が姿を消し、数分後完全装備で戻ってきた。
珠月がルサリィに銃を渡す。珠月も完全装備だ。若い連中は気が早い。
だが、彼らよりも危険な臭いを発している二人がいる。
由加と片倉だ。
由加が女の子、片倉が男の子の服を用意すると告げて、食卓を去る。二人が不安そうにするが、納田と能美が宥める。
二人はマスの身がたっぷり入った粥を食べている。
我々は風呂の湯を沸かす道具として、鍋の中で見つけたジェリカンを巨大薬缶として使っていた。二缶で四〇リットルの湯が沸かせる。
湯船がないので、小さなゴムボートを代用していた。
すぐに風呂の支度がされ、女の子、次に男の子が身体を洗った。男の子の身体には、殴られたと思われる痣が複数あった。
身体を清潔にし、用意した服に着替えた。
二人は自分たちの運命が心配で、怯えている。
兄妹は、食事後もテーブルに肩を寄せ合って座っている。
そこにちーちゃんとケンちゃんがやって来た。ちーちゃんが女の子の肩を背後からちょんちょんと触る。
女の子が驚いて振り返る。ちーちゃんが微笑む。女の子が微笑み返す。ちーちゃんがケンちゃんを座らせ、女の子の隣に座る。
二人が何かを話し始める。そして笑う。意思が通じているのか?
コミュニケーションの方法は何なのか?
皆目わからないが、二人は延々と話を続ける。時々、身振り手振りを交える。ショウくんとユウナちゃんもやって来た。
兄妹がようやく笑う。
大人たちは、ホッとした。
俺は歩哨に立っていた。
農作業の途中といった格好の斉木が歩いて近付いてくる。
「どうする?」
「何がですか?」
「あの子たちだよ」
「こんな荒野に放り出すわけにはいかないでしょう」
「いや、そうじゃないよ。
あの二人をどうやって守るかだよ」
「作戦は由加が立てるでしょう。
ドンパチが始まるまでの駆け引きは、俺がやります」
「勝てると思うか?」
「勝つ以外の選択肢はありませんよ。
いままでも。これからも」
「雨が降る。雨が降る前にあの子たちがたどり着けてよかった」
俺は、斉木の言葉は本心だと思った。
子供たちは、ハンバー・ピッグの兵員室で遊んでいる。ショウくんは、自分がすべきことを心得ていた。ユウナちゃんは、いつでも後部ドアを閉められるよう、心の準備をしている。
大人も子供も、臨戦態勢に入った。
兄妹は、しばらくして寝てしまった。相当に疲れていたようだ。ショウくんとユウナちゃんは、ちーちゃんとケンちゃんを促して車外に出て、ベンチシートで眠る二人に毛布を掛けた。
この世界の人々が攻撃的なら、早晩、何らかの接触があるだろう。ドラキュロが支配するこの世界では、ヒトも勢い攻撃的になりかねない。
俺たちがいる周囲よりも明確に高い台地は、東の山脈の西麓に近く、東と北に大きな湖がある。当初は複数の湖だと考えていたが、北を上にしたΓのミラー反転型の大湖であることが、数日に及ぶ探検で判明していた。
この湖は堰止め湖で、東の山脈の一部が崩落して、山脈に沿って南北に流れる川を堰き止めて作った。そのため、山脈西麓の多くの沢に湖水が入り込み、非常に複雑な湖岸を形成している。
西にも小さな湧水の沼がある。
台地は、六〇ヘクタールほどの広さがある。東京ドームに換算すれば約四六倍だ。斉木によれば、水が確保できれば農作物の生産に向いているという。
もちろん、農地を開墾しなければならないが……。
俺たちは、広大な台地の一画、さらに一段高くなっている湖畔北東端付近の饅頭型の丘の台座付近にいた。
この丘の形状は、水平に二つに切ったイングリッシュマフィンに似ている。側面斜面は急だ。我々は何となく、この周囲との高低差が五から一〇メートルほどの丘を〝マックヒル〟と呼んだ。
東と北が湖で、南と西が開けているが、マックヒルの斜面が急なので、防衛に適している。これは、由加の判断だ。
斜面をパワーショベルで切り崩し、トラクターとダンプで土砂を運び出して、一日で一本の傾斜路を造った。そして、大型車三台を何とか丘に上げたのは、この地に来てから七日目であった。
ルサリィとは、ごく初歩的な意思の疎通は可能になっていた。ルサリィは「南に行け」と盛んに主張していたが、行くあてがあるわけではなさそうだ。
単にドラキュロから離れるために、南を目指していただけのように感じる。
彼女から、この地方の概略を聞いたが、一つの大きな街とその街を中心に東西南北に四つの村があるらしい。その他にも小さな集落があるようだ。
人家の明かりは、西南西と南の方向に見える。我々の現在地から南の明かりが東側の村、西南西の明かりが北側の村だろう。直線距離は、どちらも三〇から三五キロと推定している。
東の村の明かりは強く、北の村の明かりは弱い。
我々は、ここが最終目的地だとは考えていなかった。しばらくは滞在するかもしれないが、経由地の一つだと認識している。
だから、車輌の整備と荷物の整理は怠っていない。
また、ヒトとの接触もどうするか思案していた。当然、武器も用心のため準備している。
そして、我々は一年以上生活できる物資を持っている。
ちーちゃんとケンちゃんは、まだ怯えているが、少しずつ落ち着いてきている。
二トンダンプはクローラを装着したままで、移動時を除けば、ほぼ建設機械として使われている。移動時にはたくさんの荷物を積み込むが、その積み卸しが大作業で、我々の機動性を失わせている。ここが最大の改善点だ。
もう一台、大型トレーラーがあれば、移動時の支度が容易になる。
無造作に積んできた八トン車の荷は、詳細に分別されようとしていた。
とにかく、自分たちが何を持っているのかさえ、詳細にはわかっていないのだ。
俺たちの物資で一番の活躍は、車載冷蔵庫と洗濯機だ。冷蔵庫は俺たちが、洗濯機は片倉・納田グループが持ち込んでいた。毎日が泥だらけで、超大型洗濯機が欲しいくらいだ。
意見が割れた事柄もある。
しばらく滞在したいとする女性たちと、もっと安全な場所を探そうと主張する男性たちだ。ただ、全員が疲れていた。四人の子供たちは限界に近い。
移動したくても、そうはできない事情があった。
滞在するにしても、数日から数カ月まで意見に幅があり、その集約が難しい。それでも、この集団から抜けることを主張するものはいなかった。
理由は、誰かが誰かの行動を規制しようとはしなかったからだ。
結局、現実を突き詰めていくと、一週間の予定が二週間を過ぎ、三週間目に突入していた。
ルサリィが急速に我々の言葉、といっても英語だが、を習得している。この世界の事情に疎い我々にとって、ルサリィの存在は次第に重みを増していく。
この世界のヒトとの接触を、決断すべき時期に至っていた。
ただ、西南西にある村か南の方角の村を選ぶかで、判断に迷う。南の村は直線なら三〇キロほどだろうが、湖の西端にある丘陵を迂回しなければならないので、五〇キロ以上の道のりがありそうだ。
この点は、ルサリィでも判断が付きかねるらしい。
結局、「明るいほうへ向かおう」という斉木の意見に全員が賛成することにした。
我々のキャンプは、南北に延びる貧弱な道〝街道〟から、一〇キロ以上東に離れている。
この路外を容易に走行できるのは、軽戦車、ダンプ、軽トラの三台だ。
機動性が高く、他者に与える威圧感が少ないことを理由に、ヒトが住む領域への最初の偵察に軽トラが選ばれた。
メンバーは、俺、ルサリィ、斉木の三人。ルサリィによれば、武器を持っての旅は普通のことであり、旅人でありながら武器を持たないほうが怪しまれる、そうだ。
ルサリィからの断片的な情報では、盗賊の類は少なく、武器の必要性はドラキュロ対策が主。ルサリィはドラキュロを〝バイト=噛みつき〟と呼んでいる。
ただ、この世界の銃と我々の銃は、外見に違いがあり、それを誤魔化すために機関部を布で巻いて擬装した。
俺はM14、斉木はポンプ式のショットガン、ルサリィはSKSカービンを持っていく。
マックヒルを出発し、東の村ネイの入口までオドメーターで四二キロだった。意外と近い。
遠景から見た村の規模は大きく、人口は五〇〇くらいはありそうだ。
村に城壁はないが、二重の水路で囲まれている。大規模な環濠集落だ。
ルサリィによればドラキュロは、水を嫌うらしい。対ドラキュロ防衛策なのだろう。
村の周囲には麦畑が広がっている。斉木によれば、もうすぐ収穫できるそうだ。
巨大な農作業機械が何かを散布している。農薬か?
停車しているトラクターや、荷を積んだ馬車もある。ウマの体格はやや大きい程度。そういう種がいるのだろう。
村の入口に検問はなく、何ら咎められずに村内=内側の環濠内に入ることができた。交通の流れに乗って、村を北から南に抜ける。交通の流れは村の中心付近にある広場で、西に方向を変える。南に抜ける道は狭くなるわけではないが、交通量はずっと少ない。
南端内側の水路を抜けても、かなり多くの建物があり、外濠と内濠の中間付近に小さな広場がある。
広場には、太い枝が左右に張り出した巨木があった。
俺たち三人は、その巨木を見て呆然としていた。
ヒトが八人、枝から吊り下げられている。すでに下ろされて、地面に寝かされている数人がいて、吊り下げられたヒトを降ろそうとする十数人の男たち。
俺は軽トラを止め、懐の拳銃を上着の上から触って確認し、車外へ出た。ルサリィがついてくる。斉木が荷台から飛び降りた。手にはショットガンを持っている。
ルサリィが近くにいた村人に話しかけた。
ルサリィが、俺と斉木に小声で伝える。
「アルビジョア十字軍の仕業らしいの」
俺と斉木はほぼ同時に「アルビジョア十字軍?」と小声で尋ねる。
ルサリィは「一〇〇年前に教皇シーダーが送った異端者討伐隊のこと」と答える。
ここで、俺たちは相馬の情報が正しいことを知る。一〇〇年前、つまり元の時代の一カ月前、二〇〇万年後を目指した人々を殺戮するための狂信者集団がいたという噂だ。
当時の連中が生き残っているわけではなく、世代を重ねたのだ。
ルサリィが何人かの村人から話を聞いている。
制服を着た男、警察官らしい、が数人の村人に囲まれて何かをいっている。
ルサリィが通訳してくれた。
「治安兵は、たった四人で三〇人とは戦えない、っていっている。アルビジョア側は三〇人もいたのかな?」と不安な表情で問う。
続けて、「村人たちも戦うって……。だけど治安兵は、援軍が到着するのを待とう、って」
俺はルサリィに、「村の役場みたいな施設はどこか聞いてくれ」と頼んだ。斉木もそれを良とするように頷く。
ルサリィの指示で軽トラを走らせ、村の中央付近の小さいが瀟洒な木造三階の建物の前で停車した。
三人で建物に入る。ルサリィが案内係らしい女性職員に何かを尋ねる。
俺たちは階段で二階に上がった。
一室に入ると、打ち合わせの通りにルサリィが我々の訪問の目的を告げる。
中年の男性職員は、ルサリィに丁寧に何かを説明している。
ルサリィが「湖の南端から北側は、どの村にも属さないから、キャンプをしても問題ないって。
だけど、チクタン村、西の方角に見える村のことだけど、村の豪農デリング一家には気を付けなさいって」
斉木はルサリィに「そのデリング一家は、何者なのか聞いてくれないか?」と頼んだ。
ルサリィが尋ねている。
「アルビジョアの奴らよりはマシだけど、同じくらい残酷なヒトたちだそうよ。
チクタンの村を牛耳っていて、村の半分の土地を村人たちから取り上げて、その土地で農地を失った農民たちを無理矢理働かせているんですって。
それと、子供や若い女性の誘拐も噂されているそうよ」
俺がルサリィに尋ねて欲しいことを告げた。
「ルサリィ、なぜそのことを俺たちに教えてくれるのか聞いてくれ」
ルサリィと職員が話す。
「おじさんがいうには、何年か前、チクタンの村から遠くない場所でキャンプしていた商隊が、襲われたんだって。
一人だけ無事だったんだけど、その人の話だと、襲ったのはデリング一家で間違いないらしいの」
斉木が「罰せられないのかを聞いて」とルサリィに頼む。
「証拠がないことと、村外の出来事には相互不干渉の原則があるから……」
俺と斉木は見合わせた。
俺は斉木に「悪党はやりたい放題の世界ということですかね」と同意を求めるようにいった。
斉木は黙って天井を見た。
職員がルサリィに話しかけた。話は結構長い。
「一人だけ助かったのは当時六歳の男の子で、おじさんはその子を育てているんだって。
同じようなことが起きないように、教えてくれたそうよ。
デリング一家のことは大嫌いだって」
俺と斉木は、いささかショックだった。二〇〇万年後は、ヒトが生存していると仮定した場合、想像していた通りの無法な世界だった。アルビジョア十字軍にデリング一家、狂信者と無法者、おそらく悪徳政治家や強欲な資本家もいる。
一〇〇〇年間で、ヒトは変われなかった。いや、これがヒトという生物の本質なのだろう。
東の村ネイの職員は、俺たちが滞在しキャンプを設営する許可をネイ村が与えた書類を書いてくれた。
我々は、一応、合法的にあの丘を使うことができることになった。
ネイ村での出来事は、全員に知らせた。ビル・シーダーの仲間は、世代を重ねて生き残っていること。そして、最北の村チクタンは、デリング一家という土着の無法者に牛耳られていること。
この地を去るべき、という意見も多かった。しかし、ルサリィの話を聞いた我々は、今後どうすべきかを熟慮しなければならなかった。
ルサリィの話は明瞭だ。
「この世界に最初の移住者がやって来たのは、一二〇〇年前のこと。それから、七〇〇年間、少数の人たちが時間を空けてやって来て、少しずつ文明を取り戻してきたそうなの。
だけど、五〇〇年前になると、元の世界からやって来る人がぴたりと止まってしまった。誰もが〝ゲート〟が閉じたと思ったらしい。
それでも、何十年に一度だけど、数人の人たちが徒歩でやって来た。
でも、それさえ二〇〇年前には終わってしまった。
誰もが〝ゲート〟が完全に閉じたと思っていたの。
でも、それが違うことはすぐにわかったの。
〝ゲート〟の周囲に噛みつきが住み着いたから、誰も来られなくなった……」
ルサリィはいったん話を区切った。
誰も何もいわない。
ルサリィが続ける。
「一〇〇年前、一〇人ほどの人たちが、〝ゲート〟から脱出してやって来た。とても弱っていたそうで、最初に出会った人たちは、誠心誠意看病したそうよ。
だけど、その人たちが元気になると、助けた人たちを皆殺しに……。
それから、村や街を襲っては、子供や女性を誘拐し、子供は兵士にして、また人々を襲わせたの。
それが、アルビジョア。
アルビジョアの影響は大きくて、彼らの真似をしようとする人たちが現れたの。
でも、ヒトには仲間割れをしている余裕なんてない。
噛みつきの繁殖力は強くて、数はどんどん増えてくるし、ヒトが住める場所はどんどん狭まっている……。
ヒトと意思の疎通ができる多毛族や精霊族は、団結しているのに、ヒトは仲間割れで、どうにもならない……。
精霊族や鬼神族がヒトに同盟を申し入れてきたことがあるけど、アルビジョアの存在が理由で成立しなかったと聞いている。
人が住める土地は一〇〇〇年前の一〇分の一もないそうで……。
ここで何とかしないと……。
誰もが思っていることだけど、どうにもならない……」
由加が「南に向かっても、限界があるの?」と尋ねる。
ルサリィは「はっきりとはわからないけれど、この一帯では東西は一五〇キロ、南北は二〇〇キロの範囲がヒトが住める土地。
精霊族や鬼神族が耕作する土地、白魔族や黒魔族が支配する地域を除いて、それ以外は噛みつきが跋扈する土地。
東西から噛みつきが侵入していて、私が住んでいた街も襲われた。
私はずっと独りぼっちだから、逃げられたけど……。
西の彼方にもヒトが住む土地があるらしいし、大陸の遙か北にも街があるらしい。そこから使者もやって来るとは聞いているけど……」
俺はルサリィの身の上をまったく知らないが、この子には何か影がある。だが、そのことには触れず、自分の意見を述べた。
「しばらく、この丘に留まって、周囲を調べたらどうだろう?
ルサリィの話を確かめたいし、逃げ出すこともできないのだから……。
闇雲に動いて、燃料を消費してしまうよりは、確実だと思うけど……」
斉木は基本的に賛成だとしつつ、「アルビジョアやデリング一家が現れたら?」と尋ねた。
由加は、「現れたら問答無用の先制攻撃でいいのでは、専守防衛は意味がない」と。それに片倉が賛成する。
片倉は、「来るのを待つよりも、こちらから襲ったら」という。
由加はドラキュロが相手だと怯えるが、対象がヒトだとやたらと強気。片倉にもその気がある。
防衛体制を整えながら、しばらく様子を見ることで、衆議は決した。
防衛体制を整える……。
確かに、彼女たちの行動は結論の通りだ。
野戦築城という言葉があるが、塹壕は掘らずに、片倉の指導で土塁を築き始めた。
また、三台の大型車個々のために掩体も造っている。
まるで戦争の準備だ。
能美と納田は、輸血の必要が生じたときに備えて、全員の血液型を調べている。
珠月とルサリィは、自分の武器の手入れを怠らない。ルサリィは、銃剣備え付けのSKSカービンが気に入っていて、マックヒルから出る際は必ず携行する。
ルサリィは、年齢が近い一〇代グループと打ち解けていて仲がいい。
由加は偵察と称して、ルサリィとともに度々街や村に行く。この世界の通貨を持たないので、コミュニケーションをとる方法が限られるが、それでも貴重な情報を得てくる。
この地域一帯の総人口は、三〇万人もいるらしい。想定していたよりも多い。
それと南の村アガムは、ほぼ鎖国状態。年に数回、村の境界を越えて数人が買い出しに来る程度だ。電気はなく、いかなる動力機械もない。
それから、この地域の主な動力は、蒸気機関だ。内燃機関は、存在するが用途は限られている。空冷のガソリンエンジンがあり、これを搭載する小型車輌が使われている。
石油化学産業は、規模は小さいが存在する。小規模な油田もある。
それと、デリング一家の郎党は、最大で四〇人。通常は三〇人ほど。
武器の情報も手に入れてきた。対ドラキュロ戦に特化した火器で、連射性に優れたポンプアクションとレバーアクションが大多数を占める。
当然、対人戦闘でも高威力だ。
弾薬は、四四口径で薬莢長が四五ミリもある。黒色火薬を発射薬とする。
拳銃も同じ弾と薬莢だが、通常は減装弾を使う。このほか、四四口径で長さ七〇ミリの薬莢を使うライフル弾もある。こちらは、各種単発銃での使用が多い。
火砲は、砲口口径七五ミリ級の短砲身砲が普及している。弾種は、榴弾とキャニスター弾。民間人でも保有している。当然、デリング一家も持っているだろう。
由加と片倉が主導して、現金収入が必要との意見が上がり始めた。
俺、斉木、相馬の三人は呆然状態で、どうしたらいいのか右往左往。
片倉と能美は、菓子作りが趣味だそうで、納田は学生時代にアルバイトでパンを焼いていたとか。有名なベーカリーらしい。
彼女たちは、有り余るほどの小麦粉を使って、何かを計画し始めた。
それと、一〇代グループは、俺たち〝高齢者〟グループに渾名を付けていた。
片倉幸子=棟梁(建築家だから)
城島由加=将軍(元自衛官だから)
能美真希=真希先生(そのまま)
斉木五郎=教授(大学の教員経験があるから)
半田隼人=若旦那(意味不明)
二〇代の二人は、特別な呼び名は付けられなかった。
相馬悠人=相馬さん(ときどき〝博士〟)
納田愛花=愛さん
俺は何で〝若旦那〟なんだ!
片倉と能美が中心となって、小麦粉を主原料とする食品、パンやクッキーを作り、月水金の三日間販売に行く。
売場は、この一帯の最大の街であるカーダングとネイ村。販売の許可は、ルサリィの支援で取り付けていた。
販売担当は、由加、納田、ルサリィのうち二人。相馬、金沢、金吾のうち一名が護衛として同行する。
使用する車輌は、最も威圧感がない軽トラだ。
彼らによって、多くの情報が集まり始める。例えば、南の村アガムの住民大半とは、言葉が通じない。こういうことは珍しくなく、我々が言葉を解さなくても奇異には感じないらしい。この一帯の住人からすれば、ルサリィの言葉にも訛りがあるようだ。
また、外部との接触が多いメンバーが、少しずつ言葉を覚え始めていた。
事件の発端は、他愛のないことだった。最大の街カーダングからの帰路、北の村チクタンの東端あたりに一件の農家がある。農地は荒れ、耕作されている様子はない。
その農家に幼い兄妹がいる。兄は一〇歳くらい、妹は六歳ほど。
軽トラがスタックした際、幼い兄が脱出を手伝ってくれた。その礼にと、由加が売れ残りのパンを兄妹に渡すと、腹が空いていたのかその場で食べた。
由加と納田は、帰路、農家に必ず立ち寄るようになった。ルサリィがいろいろと尋ねたが、兄妹が何かをいうことはない。だが、ルサリィのカンでは、父母はいないという。
どうやって、兄妹は生きているのか?
雨雲が広がり始めた早朝、監視に使っているスコーピオン軽戦車の砲塔上から、彼方から歩いてくる二人を金吾が発見。
通常、我々が使うルートから外れていて、泥に足を取られ、時折石に躓きながら、二つの小さな影が向かってくる。
金吾が一緒に歩哨をしていたルサリィを呼び寄せて告げ、早起きして体操中の斉木に知らせた。
金吾は双眼鏡で確認し、「子供だ!」と叫ぶ。
斉木とルサリィが人影に軽トラで向かう。
軽トラと子供らしき二人が出会うまで、一〇分を要した。
ルサリィと子供が何かを話している。
俺は、寝床にしていたタンクローリーから降りようとしていた。
由加が金吾から双眼鏡を受け取り、子供らしい影を見ている。
そして「たいへん!」と叫び、走って軽トラに向かう。
騒ぎがキャンプに広がる。
相馬と金沢が銃を持って飛び出してくる。
早朝からパンの仕込みをしていた、片倉と能美もエプロンをしたまま銃を持っている。
納田も軽トラに向かって走って行く。何かを叫んでいるが、風にかき消されて聞き取れない。
二〇分後、泥だらけの二人の小さなお客さんが、俺たちのキャンプにやって来た。
男の子は呆然としているが、女の子は由加と納田に必死で話しかけている。
ルサリィによれば、兄妹は金曜の夜に自宅である農家を出発し、土曜、日曜と徒歩で、俺たちのキャンプを目指したらしい。持っていたわずかな食べ物は、日曜の朝に切れ、それからは水だけで凌いでいたそうだ。
片倉が二人のために消化のいい朝食を作るといって離れた。
能美が医師の目で、それとなく二人を観察している。
男の子が大粒の涙を一粒流した。
「お父さんが死んでしまって、お父さんの借金のためにマーニを連れて行くって。
でも、お父さんは借金なんかしていない!」
女の子がいう。
「最後に、一度だけ、おばちゃんに会いたかったの」
男の子がむせび泣く。
「連れて行かれたら、マーニは酷いことをされる。助けたいけど、助けられないから、もう会えないから、最後のお願いは聞いてあげたかった……」
片倉が戻ってきた。
「ごはん、食べよう」というと、二人は意味がわかるのか、片倉に頷いた。
納田が男の子、由加が女の子の手を引いて、食卓に導いた。
ルサリィが男の子に尋ねる。
「誰が妹を連れて行くの?」
「デリングさん……」
その場にいた全員が、ついに来たか、という顔をする。
相馬と金沢が姿を消し、数分後完全装備で戻ってきた。
珠月がルサリィに銃を渡す。珠月も完全装備だ。若い連中は気が早い。
だが、彼らよりも危険な臭いを発している二人がいる。
由加と片倉だ。
由加が女の子、片倉が男の子の服を用意すると告げて、食卓を去る。二人が不安そうにするが、納田と能美が宥める。
二人はマスの身がたっぷり入った粥を食べている。
我々は風呂の湯を沸かす道具として、鍋の中で見つけたジェリカンを巨大薬缶として使っていた。二缶で四〇リットルの湯が沸かせる。
湯船がないので、小さなゴムボートを代用していた。
すぐに風呂の支度がされ、女の子、次に男の子が身体を洗った。男の子の身体には、殴られたと思われる痣が複数あった。
身体を清潔にし、用意した服に着替えた。
二人は自分たちの運命が心配で、怯えている。
兄妹は、食事後もテーブルに肩を寄せ合って座っている。
そこにちーちゃんとケンちゃんがやって来た。ちーちゃんが女の子の肩を背後からちょんちょんと触る。
女の子が驚いて振り返る。ちーちゃんが微笑む。女の子が微笑み返す。ちーちゃんがケンちゃんを座らせ、女の子の隣に座る。
二人が何かを話し始める。そして笑う。意思が通じているのか?
コミュニケーションの方法は何なのか?
皆目わからないが、二人は延々と話を続ける。時々、身振り手振りを交える。ショウくんとユウナちゃんもやって来た。
兄妹がようやく笑う。
大人たちは、ホッとした。
俺は歩哨に立っていた。
農作業の途中といった格好の斉木が歩いて近付いてくる。
「どうする?」
「何がですか?」
「あの子たちだよ」
「こんな荒野に放り出すわけにはいかないでしょう」
「いや、そうじゃないよ。
あの二人をどうやって守るかだよ」
「作戦は由加が立てるでしょう。
ドンパチが始まるまでの駆け引きは、俺がやります」
「勝てると思うか?」
「勝つ以外の選択肢はありませんよ。
いままでも。これからも」
「雨が降る。雨が降る前にあの子たちがたどり着けてよかった」
俺は、斉木の言葉は本心だと思った。
子供たちは、ハンバー・ピッグの兵員室で遊んでいる。ショウくんは、自分がすべきことを心得ていた。ユウナちゃんは、いつでも後部ドアを閉められるよう、心の準備をしている。
大人も子供も、臨戦態勢に入った。
兄妹は、しばらくして寝てしまった。相当に疲れていたようだ。ショウくんとユウナちゃんは、ちーちゃんとケンちゃんを促して車外に出て、ベンチシートで眠る二人に毛布を掛けた。
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