最後の夜

ざっく

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終わりの前日

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それから一年。
二人は仮面夫婦として過ごした。
一緒に食事をすることはあっても会話はない。社交の場へと現れても、一度も視線さえ合わせずに、お互いに別の人と共にいた。
シルヴィーの周りに男の影はない。友人としても、一人も男性はいない。
そして、彼が浮気をしているといううわさは聞かない。
頭の良い方だから、周囲に悟られないようにしているのかもしれない。
――今日まで、そうしてくれたことを有難く思う。
一年間。
『たった』なのか、『こんなに』なのか。
どんなに距離を感じても、彼の優しさは常に感じていた。
シルヴィーの好きなものを料理長に伝えてくれていた。季節の花も、迷いこんできた子猫も、全て彼が準備してくれていることを知っている。
だって、ここの人たちは皆いい人ばかりだから。
ルドヴィックがどれだけ冷たい態度をとって見せても、シルヴィーのことを気にかけてくれているのだと教えてくれる。
いっそ、教えてくれなければ、彼への恋慕を失くすことが出来たのかもしれない。
だけど、日々繰り返される少しの変化が、シルヴィーに幸せをもたらすのだ。
それを与えてくれる夫に、恋をしないわけがない。

それは、もう今日で終わり。
明日の朝、馬車で実家へと帰ることが決まっている。
すぐに離縁を届けることはしない。
子どもがいる場合があるので、別居後、半年間は書類上の夫婦だ。
……子どもなんて、いるわけがないというのに。
実質、明日の朝、彼に会えなければ、もう一生会えないだろう。

何杯目になるのか分からないワインを飲み干した。
瓶に手をかけると、中身が無いことに気が付く。
酔えない。
こんな状態では眠れない。
寝不足では、明日、泣かずに真っ直ぐ立てる自信がない。
「……おかわり……」
立ち上がると、ふらっと揺れた。
意思と関係なく揺れる体が面白くて、揺れに任せるようにふらふらと歩いた。
ちょっと揺れすぎて、戸棚にぶつかってしまった。
思った以上に大きな音を立ててしまった。
すると、隣からもがたんと何かを落としたような音がした。
ルドヴィック、帰ってきていたのだ。
こんな時間に帰って来るなら、一緒に食事ができたのではないか。
そんなに嫌なのか。
妻なのに。
――まだ、妻なのに!

シルヴィーは、怒りが体を突き動かすままに、彼の部屋と繋がる扉をたたいた。
結婚してから、初めてだ。
「……シルヴィー」
叩いた直後、その扉は空けられ、困った顔をしたルドヴィックが立っていた。
扉の前に立っていたようなタイミングだったが、そのことに気が付かずにシルヴィーは声をあげる。
「こんなに早く帰ってきているじゃない!どうして食事を一緒にできなかったの!」
シルヴィーの怒った声を聞いて、彼は目を瞬かせる。
そして、さらに眉を下げて困った顔をする。
「もう、早くない時間だ。いつから飲んでいる?ふらふらして。危ないだろう」
「ふらふらしているのは、自分でしているのよ。別に、真っ直ぐ立とうと思えば……ほら、できるもの」
彼も、すでに夜着を身につけていた。知らなかったことだが、シルヴィーとお揃いの光沢があるものだ。
この夜着は、持って行っても良いだろうか。
ルドヴィックが着ている姿を見て、明日お願いしてみようと思った。シルヴィーの荷物は多くない。その中に一つくらい贅沢なものがあったって、きっと許されるに違いない。
「できてない。ほら、こっちに来て座って」
ルドヴィックが、シルヴィーの腰を抱いて、彼の部屋のソファーに誘導する。
「こっち、入ってもいいの?」
連れられるままに彼の部屋に入って、ソファーに座りながらシルヴィーは嬉しくて笑う。
「駄目なんて、言ったことないだろう?……この屋敷で、君が入っていけない部屋などないよ」
そんなこと、言われたことが無かった。
そもそも、この一年で話した全てよりも、今の会話の方が多いくらいなのだ。
「だったら、あなたのベッドにもぐりこんでも良かった?」
彼が困った顔をするだろうと思って言った。
しかし、ルドヴィックの反応は思っていたものと違った。
「もぐりこむくらいなら、かまわないよ」
ふふっと笑い声をあげて、シルヴィーの隣に座る。
彼も、お酒を飲んでいたようだ。
シルヴィーが口をつけただけで顔をしかめるほど強いお酒が並んでいる。
なるほど。いつもと違うように見えるのは、彼は酔っているのだ。
シルヴィーはゆらゆらし続けている自分を棚に上げて思った。
「じゃあ、今日は一緒に寝てもいい?」
「駄目だよ」
最初で最後、彼と一緒に眠れるかと思えば、あっさりと断られてしまう。
シルヴィーの不満げな顔を見て、今度こそ、ルドヴィックは困った顔をする。
「君は、明日から自由だ。別居前日に夫と寝たと思われるのは、今後の結婚に悪影響だ」
なんと、シルヴィーは半年後、彼との離縁が確定したら、別の相手に嫁ぐのだそうだ。
相手はまだ決まっていないが、そうできるように取り計らってくれているらしい。
ルドヴィックが、自分との離縁後に、シルヴィーに不利益が起こらないようにとしていたのだという。
彼が、シルヴィーを想ってしてくれたこと。
だけど、受け入れられないことはある。
夫に結婚相手を探されるなんて、なんてひどい仕打ちだろう。

「嫌よ。私、もう次の行き先は自分で決めているわ」
離縁されることが決まってから、シルヴィーの次の行き先は決定していた。
そのために、この一年、根回しは完璧だ。
「え……?しかし、君は……その、あまり男性と親しくはしていなかったから……結婚相手を探すのは苦労するだろうと……、そ、そうか。もう、相手はいる……」
変な誤解をしているような気がする。
たった一年の間に次の嫁ぎ先を自力で見つけていると思われるのは業腹だ。
「修道院に行くの。もう、入所できるように手続きはしているわ。後は、最後の宣誓書を書くだけ」
婚姻継続中にも、妻が修道院に入りたいと望む場合はあるらしい。許されることではないが、夫や親族が暴力をふるったり、不当に虐げられてる場合だ。
全てを捨てでも、今の環境から逃げたいと望む女性の、最後の砦。
「何を言っているか分からないよ」
ルドヴィックが困った顔をしている。
妻が修道院に行く計画を立てていたことを理解したくないのだろう。
けれど、すでに入所の準備はできている。
シルヴィーは、すくっと立ち上がって、主寝室に向かう。
「待ちなさい!」
ルドヴィックがシルヴィーの腕を捕まえてくるが、それも無視をして、すたすたと歩く。
ベッドサイドテーブルの引き出しを開けると、修道院からの手紙が入っている。
シルヴィーは、彼に見せつけるように目の前でひらりと振る。
何故か、すぐに彼の手の中にある。しばらくもったいぶるつもりだったのだが、いつの間に取られたのだろうか。
彼は、手紙を見て息をのんだ。
「修道院!?何故!?大丈夫だ。君を不当に扱ったりしない場所を探す」
やっぱり、分からないのだと、シルヴィーは怒りを通り越して笑えてきた。
「嫌よ。ここじゃないのなら、どこに行っても辛いだけだもの。追い出されても、近くにいる」
シルヴィーが入所予定の修道院は、ここから歩いても行ける場所。
修道院に入りたがる女性は、遠くからくる場合が多いので、こんな近くから気軽に手続きを行うことに驚かれた。
だけど、ここであれば、ルドヴィックは定期的に足を運んでくれるし、元妻がいる場所だ。蔑ろにはしないだろう。
「何故……」
まだ、何故と聞くのか。
シルヴィーは彼を見上げて思う。
呆然とした様子の彼は、隙だらけだ。夜着の間から逞しい胸板がのぞいているし、シルヴィーの腕を掴んでいるから、こちらに少し傾いている。
こんなチャンスはないとばかりに、シルヴィーは、ベッドへ倒れ込んだ。
「シルヴィー!?」
慌てた声とともに、ルドヴィックも一緒のベッドに倒れ込んでくる。
そこで、逃がさないとばかりに彼に抱き付いた。
「あなた以外、好きになんてならないから、無理なの」
こんな重い妻でごめんなさい。
抱き付いたまま、彼を見上げると、目を見開いて信じられないという表情をした彼が、シルヴィーを見下ろしていた。
その表情が面白くて、また笑った。
「ふふ。あったかい。嬉しい。幸せ。好き。大好き。ずっとこうしていられたらよかったのに」
胸元に頬を寄せると、酒の香りに交じって、彼の汗のにおいがする。
「お願い。一緒に寝て、抱きしめてくれるだけでいい。これで、最後にするから」
笑ったまま居られたらよかったのだけれど。
ずっとこうしていたいと、思っていたことが口から飛び出てしまった。
ルドヴィックは、息を吐いて、シルヴィーの横に寝転がった。
「いいの?」
涙で曇った視界には、辛そうに歪んだ彼の顔。
「ああ。しかし……修道院なんて。私のせいで、君を不幸にするなんて」
抱きしめられたまま横になって、彼がシーツをかけてくれる。
――あたたかい。
「不幸じゃないの。あなたのせいでもない。私が、こんな体だから、あなたが反応しなくても仕方がな……」
「違う!」
大きな声を出されて、シルヴィーは目を瞬かせる。
ルドヴィックは苦しそうに目を閉じた後、大きく息を吐いて小さく謝った。

「私は、不能なのだ」
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