S級ハッカーの俺がSNSで炎上する完璧ヒロインを助けたら、俺にだけめちゃくちゃ甘えてくる秘密の関係になったんだが…

senko

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第3章

第30話:隣りにいるだけで

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夕方のコンピュータ室は、西日が斜めに差し込んで、机の上のキーボードに琥珀色の光を落としていた。


 放課後で誰もいない教室に、カタカタとキーボードを叩く音だけが静かに響いている。


 私は廊下から、ガラス越しにその姿を見つめていた。

 黒瀬先輩が一人、画面に向かって必死に何かと格闘している。


 時計を見ると、もう午後6時を回っていた。

 部活の時間はとっくに過ぎているのに、先輩はまだここにいる。


 今日は光先輩がモデルの仕事で部活をお休みだった。

 だから、先輩は私たちに心配をかけないように、こっそりとここで作業を続けているのだろう。


 でも、私は気づいていた。

 昨日も、一昨日も、先輩はいつもより遅くまで学校にいる。

 きっと光先輩には内緒で、一人で頑張り続けているんだ。


 手には自分で作った小さなおにぎりと、先輩の好きな冷たいお茶のペットボトルを持っていた。

 今朝、早起きして台所に立った時の、母の驚いた顔を思い出す。「柚葉、珍しいわね。誰かに作ってあげるの?」その時の私は、きっと顔を真っ赤にしていたと思う。


「また一人で...」


 私は小さくため息をついた。

 先輩はいつも、一人で全部背負い込もうとする。

 それが先輩の優しさだということは分かっているけれど、見ている方は心配になってしまう。


 コンピュータ室のドアをそっと開けた。

 黒瀬先輩は私が入ってきたことに気づかず、画面を睨みつけながらマウスを強く握りしめている。


「またここでエラーか...」


 先輩の声には、普段の冷静さはなかった。

 疲労とイライラが混じって、見ているこちらも胸が痛くなる。


 私はそっと先輩の後ろに近づいた。

 画面には難しそうなコードがびっしりと並んでいて、私には全く理解できない。

 でも、赤い文字でエラーメッセージが表示されているのは分かった。


「黒瀬先輩」


 私が声をかけると、先輩がビクリと振り返った。

 その顔を見て、私は息を呑んだ。


 目の下の深いクマ、やつれた頬、血走った瞳。

 先輩は本当に限界まで自分を追い込んでいる。


「三上?なんでここに」


 先輩の声は掠れていた。

 きっと水分も満足に取っていないのだろう。


「お疲れさまです。差し入れを持ってきました」


 私は小さなタッパーからおにぎりを取り出した。

 「冷たいお茶もあります。少し休憩しませんか?」


「ありがとう。でも今は忙しくて...」


 先輩が画面に向き直ろうとする。

 その時、またエラーメッセージが表示された。


「なんで!どこが間違ってるんだ!」


 先輩がキーボードを強く叩いた。

 普段の先輩からは想像できないほど感情を露わにしている。


 私は先輩の隣の椅子をそっと引いて座った。

 先輩は私の方を見たが、何も言わずに再び画面に向かった。


「先輩」


 私は小さく呼びかけた。

 「一人で頑張らなくても大丈夫です」


「三上には分からないよ」


 先輩の言葉には棘があった。
 でも、それは私に向けられたものじゃないことは分かる。
 先輩は自分自身にイライラしているんだ。


「はい、プログラミングのことは分かりません」


 私は素直に答えた。

 「でも、違うんです」


 「違うって?」


 先輩が手を止めて、私の方を見た。


「私が、一緒にいたいんです」


 その言葉は、自分でも驚くほどはっきりと口から出た。
 先輩の目が少し大きくなる。


「一緒にいたいって...なんで?」


「先輩が一人で頑張ってるのを見てると、私も傍にいたくなるんです」


 私は先輩の疲れた顔を見つめた。


 「お役に立てなくても、一緒にいるだけで...ダメですか?」


 先輩は少し困ったような表情をした。

「でも、つまらないぞ?ずっとコードとにらめっこしてるだけだから」


「つまらなくないです」


 私は首を振った。

 「先輩が頑張ってるところを見てるのは、全然つまらなくないです」


 先輩の表情が少し柔らかくなった。

 「そうか...変わってるな、三上は」


 変わってる。
 その言葉に、私は少しドキリとした。
 でも、先輩の声には優しさが含まれていた。


 それから30分ほど、私は先輩の隣で静かに座っていた。
 時々、先輩がエラーメッセージに向かって顔をしかめる。
 その度に、私は心の中で応援していた。


 頑張って、先輩。
 きっと解決できる。
 私は先輩のことを信じてる。


 そんな時、先輩が突然「あっ」と声を上げた。
 画面を見つめていた表情が、パッと明るくなる。


「そうか!この変数の宣言が間違ってたのか」


 先輩の指がキーボードの上を踊るように動いた。
 数行のコードを修正して、実行ボタンを押す。


 今度はエラーメッセージが表示されなかった。
 代わりに、「処理が正常に完了しました」という緑色のメッセージが現れる。


「やった!」


 先輩が思わず声を上げて、椅子を回転させた。
 その瞬間、先輩の顔に今まで見たことのないような純粋な笑顔が浮かんだ。


 まるで子供のように無邪気で、心の底から嬉しそうな表情。
 普段の照れ屋で不器用な先輩とは全然違う、本当に自然な笑顔。


 その笑顔を見た瞬間、私の胸がドクンと大きく跳ねた。

 まるで世界が一瞬で色づいたような感覚。
 今まで感じたことのない、甘く切ない気持ちが心の奥で広がっていく。


 私は確信した。
 ああ、これが恋なんだ。

「三上、ありがとう」


 先輩が私の方を向いて言った。
 まだ興奮冷めやらぬといった感じで、頬が少し紅潮している。


「え?私は何も...」


「いや、三上がいてくれたから集中できた」


 先輩は本当に嬉しそうに微笑んだ。


「一人だったら、きっとイライラして投げ出してた」


「そんなことないです」


 私は慌てて首を振った。


「先輩の実力ですよ」


「でも、三上がいると...」


 先輩が少し考え込むような表情をした。
 そして、ぽつりと呟く。


「なんか、落ち着くんだ」


 その言葉に、私の心臓がまた激しく鳴った。
 顔が熱くなるのが分かる。


「落ち着く...ですか?」


「ああ」


 先輩は私を見つめて頷いた。


 「三上と一緒にいると、変に気を遣わなくていいというか...楽なんだ」


 楽。

 その言葉に、私は光先輩のことを思い出した。

 光先輩と先輩の間には、何か特別な関係があるのは分かる。

 でも、今の先輩は光先輩といる時とは違って見える。


「私も、先輩と一緒にいると安心できます」


 私は小さく微笑んだ。

 「緊張しないで、自然でいられるんです」


 先輩の頬がほんのりと赤くなった。

 その照れた表情もまた、私の胸をキュンとさせる。


 この人を好きになってしまった。

 気がついた時には、もう後戻りできないところまで来ていた。


 夕日がだんだんと傾いて、コンピュータ室が薄暗くなり始めた。
 私たちはそれに気づかず、そのまま並んで座っていた。


「そろそろ帰ろうか」


 先輩が画面を閉じながら言った。


 「荷物まとめるよ」


 私たちは一緒に学校を出た。

 夕暮れの校門前で、いつもなら右に曲がって駅に向かうところを、先輩が左を向いた。


「三上、ちょっと遠回りしない?」


 先輩が提案した。


「たまには違う道で帰ってみたい」


「はい!」


 私は嬉しくて、思わず大きな声で答えてしまった。


 私たちは普段とは反対方向に歩き始めた。
 住宅街を抜けて、小さな神社の前を通り、最後に小高い丘の上にある公園にたどり着いた。


 そこからは街全体が見渡せて、夕日に染まった家並みがオレンジ色に輝いている。
 ベンチに座って、二人で景色を眺めた。


「きれいですね」


 私が呟くと、先輩も頷いた。

 「ああ、こんな場所があったなんて知らなかった」


 そして少し間を置いてから、先輩が口を開いた。

 「三上、最近思うんだけど...」


「はい?」


「俺、本当の自分が分からなくなるときがあるんだ」


 先輩の横顔は、夕日に照らされて少し影がかかっている。
 私は胸が痛くなった。
 先輩がこんなに悩んでいたなんて。


「でも、こうしてるとなんか変に頑張らなくてもいいような気がする」


 先輩が私の方を見た。

 「それが自然ってことなのかな」


 私は答えに困った。

 光先輩のことを思うと、何と言っていいか分からない。


「先輩らしくいられるのが、一番だと思います」


 やっと、そう答えることができた。

 「私は、今の先輩のままでいいと思います」


 先輩は少し微笑んだ。

 「ありがとう、三上」


 公園からの帰り道、私の心は複雑だった。

 先輩の笑顔に恋をして、先輩の言葉に胸を躍らせて。

 でも同時に、光先輩のことを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 光先輩は先輩のことを心から愛している。

 それは誰の目にも明らかだった。

 そんな光先輩を差し置いて、私が先輩を好きになってしまうなんて。


 でも、この気持ちはもうどうしようもない。

 先輩のあの純粋な笑顔を見てしまったから。

 先輩の「落ち着く」という言葉を聞いてしまったから。


 私はいったい、どうすればいいのだろう。

 この恋心を諦めるべきなのか、それとも...


 答えの出ない問いを抱えたまま、私は家路についた。

 心の中には、先輩の笑顔と光先輩への罪悪感が交互に浮かんでは消えていく。


 恋って、こんなに甘くて苦いものなんだ。

 夕暮れの空を見上げながら、私は初めて恋の味を知った。
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