S級ハッカーの俺がSNSで炎上する完璧ヒロインを助けたら、俺にだけめちゃくちゃ甘えてくる秘密の関係になったんだが…

senko

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第3章

第 35 話:今を積み重ねて

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携帯のアラームではなく、父親の大きなくしゃみで目が覚めた。

 時計を見ると朝の8時半。
 松本先生との面談まで、あと30分しかない。

 慌てて飛び起きて支度をしていると、母親が階下から声をかけてきた。


「和人、朝ごはんは?」


「時間ないから、パンだけ」


「体調大丈夫?」


 階段を駆け下りながら答える。


「大丈夫。もう元気だから」


 食パンを一枚だけ齧って、俺は家を出た。
 自転車にまたがって、全力で学校に向かう。

 ◇

 数学準備室と書かれた扉をノックをすると、「はいはい、どうぞ」という関西弁の声が聞こえた。

 扉を開けると、松本先生は机の向こうでインスタントコーヒーをかき混ぜていた。
 机の上には、分厚い専門書や印刷された論文が雑然と置かれている。
 ホワイトボードの数式は俺には理解できないものだった。


「おはよう、黒瀬くん」


 先生がコーヒーカップを両手で包み込むように持って俺を見た。


「おはようございます」


 俺は軽く頭を下げる。

 先生が椅子を勧めてくれたので、俺は机の前に座った。
 コーヒーの香りと、古い本の匂いが部屋に満ちている。


「体調はどうや?」


 先生がカップを机に置く。


「おかげさまで、すっかり良くなりました」


「そうか」


 先生がペンを手に取って、クルクルと回し始めた。
 何か言いたそうな仕草だった。


「黒瀬くん、君はこの一週間で何を学んだ?」


 突然の質問に、俺は少し驚いた。
 体調確認だけだと思っていたからだ。

 少し考えてから、俺は答える。


「一週間では何も学べない、ということです」


 先生のペンが止まった。
 先生はゆっくりと顔を上げて、俺の目をみる。


「そうか」

 満足げな表情でそれだけ言って、松本先生はくるりと作業机の方に向き直る。
 そして、背中越しに俺に聞いてくる。


「コーヒー好きか?」


「え、はい。甘いやつなら」


「一杯、飲んでき」


「...いただきます」


「君はホンマに、可愛げのない生徒やな」

 先生が苦笑いする。

「こっちがなんも教えんでも、勝手に進んでいく」

そう言って手際よくインスタントコーヒーを準備してくれる松本先生。


「なんか、すみません」


「褒めとるんや」


 俺は言葉を選びながら話し始めた。


「でも、何度も何度も遠回りをしました」

 先生が頷いている。
 その動作が、だんだん深くなっていく。


「研究と一緒やな。意味がないと思われるような遠回りした研究がいつか誰かを救うこともある」


「はい」


「大事なのは積み重ねや。積み重ねて、進んでいれば必ず答えにたどり着ける」


 先生がコーヒーカップを俺に差し出してくる。

「どうも」

 そう言って、俺は受け取ったコーヒーを口にする。

「苦い...」

「はっはっは、甘いだけなんてつまらんやろ?」

 本当に、この先生は、、、
 ちょっと呆れながらも、ブラックな味に目が覚める。


 その時、先生の机の上のスマホが鳴った。


「ちょっとすまんな」


 先生が電話を取る。


「はい、松本です。ああ、佐々木会長。黒瀬くん?ここにおるで」


 佐々木会長からの電話か。
 俺は耳を澄ませた。


「そうですか、予想以上に反響が。はい、分かった伝えとくわ」


 先生が電話を切って、俺を見た。


「佐々木会長からですか?」


「君のアプリの件でな。思った以上に他校からの問い合わせが多いらしい」


 以前、先輩から聞いていた話だ。
 でも、まさかそんなに反響があるとは。


「でも、俺のアプリはまだ...」


「アイデアが評価されてるんや」


 先生がカップを机に戻す。
 その音が、何かを決めたような響きだった。


「最初から完成品である必要はないやろ」


 先生の言葉に、俺の中で何かがすとんと落ちた。


 先生がペンを再び手に取って、満足そうに回し始めた。


「よし、それじゃあ問題解決部の活動再開や」


 数学準備室を出ると、廊下で天野と三上が待っていた。


「お疲れさま」


 天野が声をかけてくれた。


「どうでした?」


 三上も聞いてくる。
 手に持ったハンカチを、そっと握りしめている。


「活動再開だって」


 俺がそう言うと、二人の肩が同時に下がった。
 緊張が解けた証拠だった。


「よかった」


 天野が安堵の表情を見せる。


「でも、今度は違うやり方でやりたいんだ」


 俺は二人を見回した。


「違うやり方?」


 三上がハンカチをバッグにしまいながら聞く。


「もう無理はしない。できないことはできないから。やることを減らそうと思うんだ。」


 天野がバッグの肩ひもを直した。
 その仕草が、いつもより嬉しそうだった。


「それがいいよ」


「私も、そっちの方がいいです」


 三上も頷いてくれる。


 俺たちは中庭のベンチに移動した。
 8月末にしては涼しくて、過ごしやすい気温だった。

 セミの鳴き声が聞こえるが、7月の頃ほど激しくない。
 夏の終わりを感じさせる、どこか寂しげな音色だった。


「それで、アプリの件なんだけど」


 俺が話し始めようとした時、思いがけない声がかかった。


「黒瀬!」


 振り返ると、東城が手を振りながら歩いてきた。
 その後ろには、見覚えのある顔がいくつか続いている。

 問題解決部に相談に来てくれた人たちだった。


「東城、それに...」


 俺が驚いていると、東城が自慢げに言った。


「実は昨日、みんなに声をかけて回ったんだ」


「声をかけて?」


「アプリ開発の話を聞いてさ。俺たちにも何か手伝えることがあるんじゃないかって」


 東城の後ろから、1年生の男子が前に出た。
 確か、PerfectPointのアニメーションで相談に来てくれた子だった。
 ノートを大事そうに抱えている。


「あの、僕たちにもお手伝いさせてください」


 彼がおずおずと言う。


「俺たちみんな、黒瀬に助けてもらった」


「そうです」


 別の女子生徒も頷く。
 彼女が持っているペンケースには、小さなキーホルダーがたくさんついている。


「私も人間関係の相談に乗ってもらいました」


「俺も進路の相談で」


 口々に言ってくれる相談者たち。

 その時、天野が俺の袖を軽く引っ張った。


「和人くん」


 俺が振り返ると、天野が俺の顔を覗き込んでくる。
 三上も手帳を大事そうに胸に抱いて俺を見つめる。

「大丈夫だよ。もう間違えないから」
 
 そう答えてから俺は少し呼吸を整えて、集まってくれたみんなに向き直る。

 俺は周りを見回した。
 東城、相談者たち、天野、三上。
 みんなが俺を見ている。

「俺1人じゃ何もできないから、みんなに頼らせてほしい」


 俺がそう言うと、みんなの表情がパッと明るくなった。
 東城が炭酸のキャップを開ける音が、勢いよく響いた。



 その日の午後、俺たちは小田急線の電車に揺られていた。

 夏休み最後の思い出作りということで、江ノ島に行くことになったのだ。
 三上の提案だった。


「海、久しぶりだなあ」


 天野が窓の外を見ながら呟く。
 膝の上にはガイドブックが置かれていて、付箋がたくさん貼ってある。


「私も久しぶりです」


 三上が答える。
 リュックサックを膝に抱えて、大事そうに持っている。


「俺なんて、いつ以来だろう」


 俺も窓の外を見た。
 だんだん海に近づいているのが、空気で分かる。


 電車が江ノ島駅に着くと、俺たちは改札を出た。
 夏休み最後の土曜日とあって、観光客がたくさんいる。

「まずはどこに行く?」


 天野がガイドブックを開く。
 付箋だらけのページが風でめくれていく。


「江島神社はどうですか?」


 三上が提案する。


 俺たちは島の上に向かった。
 下に見える海が、だんだん広くなっていく。

 青い空と青い海の境界線が、どこまでも続いている。


 江島神社でお参りをした後、俺たちは展望台に向かった。
 そこからの景色は圧巻だった。

 相模湾が一望できて、遠くには富士山も見える。
 天野がスマホを取り出して、写真を撮り始めた。


「三人で撮りましょう」


 天野が提案する。


 俺たちは並んで立った。
 天野が自撮りモードにして、スマホを高く掲げる。

 シャッター音が何度も響いた。


「和人くん、もうちょっと笑って」


「これで十分だろ」


「カメラ向けられると緊張するタイプ?」


「別に。ただ自撮りって恥ずかしくない?」


「じゃあ普通に撮る?」


「普通って何だよ」


 三上がクスクスと笑っている。


「お二人とも、早くしてください」


 その後、俺たちは島を降りて、海岸に向かった。
 砂浜には、まだ夏を楽しむ人たちがたくさんいる。

 俺たちは波打ち際まで行って、靴を脱いだ。
 足に触れる海水が、ひんやりとして気持ちいい。


「冷たい」


 三上が小さく声を上げる。


「柚葉ちゃん、泳げる?」


 天野が聞く。


「カナヅチです」


「え、じゃあ海怖い?」


「怖くはないですけど、深いところは無理です」


「私、昔スイミング習ってたんだ」


「すごいですね。何メートルくらい?」


「25メートルがやっと」


 俺が口を挟む。


「それ、普通じゃないか?」


「和人くんはどうなの?」


「中学の時、50メートル泳げた」


「意外」


「意外って何だよ」


 天野が膝まで海に入って、水を手ですくっている。


「だって、インドア派だと思ってたから」


「まあ、確かにそうだけど」


 その時、大きな波が来て、天野のスカートの裾が濡れた。


「あ!」


 天野が慌てて岸に上がろうとして、バランスを崩す。
 俺が咄嗟に手を伸ばした。

 でも、結局二人とも海に座り込む形になった。


「うわー」


 天野が笑いながら立ち上がる。
 スカートがびしょ濡れだった。


「大丈夫?」


「大丈夫。でも、すごく濡れちゃった」


 三上が慌ててハンカチを差し出す。


「これ、使ってください」


「ありがとう。でも、これじゃ足りないかも」


 俺たちは近くの売店でタオルを買った。
 天野が着替えている間、俺と三上は外で待っていた。


「先輩、大丈夫でしたか?」


「俺は平気。天野の方が大変だった」


「でも、あまり動揺してませんでしたね」


「え?」


「光先輩、濡れた瞬間『あ、やっちゃった』って冷静に言ってました」


 確かに、天野は慌てていたようで、意外と冷静だった。
 きっと、どんな状況でも対処法を考えるタイプなんだろう。


「計画性があるからかな」


「そうですね。さっきもガイドブック、付箋だらけでしたし」


 天野が着替えを終えて出てきた。
 髪の毛がまだ少し湿っているが、スッキリした表情をしている。


「お疲れさま」


「ありがとう。さっぱりした」


「濡れた服はどうするの?」


「持って帰る。今度の洗濯物と一緒に」


 俺たちは砂浜を歩きながら、貝殻を拾ったりした。
 三上が小さな巻き貝を見つけて、嬉しそうに手のひらに乗せている。


「これ、可愛いですね」


「持って帰る?」


「でも、生き物だったら可哀想かも」


 三上が真剣に貝殻を観察している。


「動いてないから、きっと空っぽだよ」


 天野が言うと、三上は安心したように微笑んだ。


「そうですね。じゃあ、お借りします」


「お借りしますって、誰に?」


「海に」


 俺と天野は顔を見合わせた。
 三上らしい発想だった。


 夕方になって、俺たちは江ノ島駅に戻ってきた。
 電車の時刻まで、まだ少し時間がある。

 駅前のベンチに座って、三人で自動販売機の飲み物を飲んだ。


「今日は色々あったね」


 天野が濡れた髪を触りながら言う。


「予定と全然違いましたね」


 三上がポケットから貝殻を取り出して、眺めている。


「でも、それはそれで」


 俺も同感だった。
 計画通りにいかないことの方が多かったけれど、それが良かったのかもしれない。



 電車の中で、三上は貝殻を大事そうに眺めていた。
 天野は髪の毛を触って、まだ湿り気を確認している。

 俺は窓ガラスに映る自分の顔を見た。
 少し日焼けしているのが分かる。


 夕方になって、俺たちは江ノ島駅に戻ってきた。
 電車の時刻まで、まだ少し時間がある。

 駅前のベンチに座って、三人で今日のことを振り返った。


「新学期からも、よろしくお願いします」


 三上が丁寧にお辞儀する。
 ポケットの中の貝殻を確認するように、そっと触れている。


「こちらこそ」


 俺が答えると、天野も頷いた。
 まだ少し湿った髪を、また触っている。


「三人で、いい部活にしようね」


 電車の時刻が近づいてくる。

「来年は川でも行きましょうね」

三上が言う。

「来年は受験生だからなあ、そんな余裕があるかどうか」

「そんなこと言ったら私1人になっちゃうじゃないですか!ちゃんと遊べるように今のうちから勉強しておいてください!」

「おいおい、無茶言うなよ」

「ふふ、でもそうだね。来年もきっと三人でどこか行けるよいいね」

 楽しそうな天野と、頬をふくらませる三上。

 こんな時間があと何回くるのだろうかと、ふと寂しく思った。



 家に帰ると、玄関先で父親が庭の水やりをしていた。


「おかえり」


「ただいま」


「明日から新学期だな」


「そうだな」


 父親がホースの水を止めて、俺を見た。


「なんか変わったな、お前」


「え?」


「顔つきが」


 父親がそう言って、家の中に入っていく。

 俺は鏡で自分の顔を確認したくなった。
 でも、玄関の鏡には日焼けした顔が映っているだけだった。

 部屋に上がると、スマホに三上からメッセージが届く。

「明日の放課後、二人で話せますか?」
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