20 / 21
20
しおりを挟む「ありがとうございましたー!」
最後のお客を見送り今日の仕事は終わりだ。
「今日もお疲れ様。あとは片付けるだけだからもう上がっていいよ」
「ありがとうございます。それじゃあ先に上がらせてもらいますね」
「ああ。また明日も頼むよ」
「はい」
私はオーナーのお言葉に甘え部屋に戻ってベッドに倒れこんだ。
「はぁー、疲れたー」
ここは街で人気の食堂だ。人気なだけあって朝から晩までお客がひっきりなしにやってくる。今の私はここでホール係として住み込みで働いているのだ。
あの建国記念パーティーから一ヶ月後。私はキルシュタイン公爵邸から去った。
もちろんキースさんには伝えてあるので無断で出てきたわけではない。一人で落ち着いて考える時間がほしかったのだ。それに元々契約が終わったら出ていこうと思っていたのでそれが少し早まっただけ。
キースさんに契約途中だが辞めたいと相談すると、思ったよりすんなりと受け入れてもらえた。どうやら婚約者(仮)としての一番重要なのが隣国の王女様への対応だったようで、その対応が終わり、わざわざ婚約者(仮)も伴って公式の場に出なくてもなんとかなるだろうとのことだった。ただし契約はそのままで、残りの期間婚約者(仮)として名前だけ貸してほしいと言われ了承した。本当は辞めるつもりだったので報酬は不要と伝えたのだが、そこは頑として受け入れてもらえず、それなら報酬として新たな職場を紹介してほしいと頼むと、この食堂を紹介してくれたのだ。
「…うん。これでよかったんだよ」
ここの食堂のオーナーはいい人だし、昼と夜は食事も出る。仕事は大変だが苦ではないし、食堂の隣にある建物に住み込みで働かせてもらえている。とても恵まれた環境だ。
しかしふとした瞬間にあの人のことを思い出してしまう自分がいる。
「ヴィンセント様…」
私はヴィンセント様に何も告げずに出てきた。一人で落ち着いて考える時間がほしいというのがキースさんに伝えた表向きの理由だ。だけどもう一つ理由がある。それはこのままヴィンセント様の側にいたら彼のことを本気で好きになってしまいそうだったから。そうなる前に離れたかったのだ。
ヴィンセント様が私に嫌悪感を示さなかったのは私がヴィンセント様に興味を持たなかったから。それなのに私も他の女性と同じくヴィンセント様を恋愛対象の男性として見てしまえば、今までと同じようには接してくれなくなる。というより嫌われてしまうだろう。気持ちを隠し通せばいいだけなのだが、あのパーティーで見せたくなかった弱いところを見られてしまったし、人の機微に敏感なヴィンセント様に隠し通せる自信がなかった。だからヴィンセント様には何も告げずに出てきたのだ。
キースさんには私の居場所は伝えないでほしいとお願いした。もちろんキースさんがヴィンセント様の執事であることは分かっている。だから居場所がバレるのも時間の問題だと思っていた。しかしここで働き始めて半年以上経つが何も音沙汰はない。
(自分の意思で出てきたのに何を期待してたんだろう)
もしかしたらヴィンセント様が私のことを探してくれてるのではと心のどこかで期待していたのだ。どうやら私はヴィンセント様に優しくしてもらったことで自惚れていたようだ。自分はヴィンセント様にとって特別な存在なのだと。しかしそんなことはなかった。いくらキースさんにお願いしたからといって、主であるヴィンセント様に問われれば答えないわけにはいかない。たけど今日まで何も起こらなかったということは、ヴィンセント様は私のことなどなんとも思っていないということで。
「あはは。勝手に一人で振られちゃったみたい。…まぁ当然か。ヴィンセント様が私みたいな女を特別に思うなんてあり得ないのよ。少し優しくされたからって勘違いしちゃダメだったのに…」
そう言いながら目を閉じて思い出すのはヴィンセント様と過ごした日々。短い間だったが忘れられない思い出がたくさんできた。この思い出たちを思い出す度に悲しい気持ちになるのは嫌だ。
「…うん。くよくよするのは今日まで。明日から、またがんばらなくちゃ………」
ベッドに倒れ込んだまま考え事をしていた私は、そのまま眠りに落ちてしまった。そして次に目を覚ますとすでに外は明るくなっていた。
「嘘!?もうこんな時間!?」
私は急いでシャワーを浴び身支度を整える。今日は朝食を食べている時間はない。
「こんな日に寝坊するなんて!私の馬鹿!」
今日は私にとって重要な日なのだ。それなのにまさかの寝坊である。これからはどれだけ疲れていてもベッドに直行するのだけはやめようと誓った。
「これで大丈夫よね…」
部屋にある鏡で全身の確認をする。時間がなかったので今日の髪型はポニーテールだ。
「よし!今日から気持ち新たに頑張るわよ!」
こうして今日が始まったのだった。
510
あなたにおすすめの小説
あ、すみません。私が見ていたのはあなたではなく、別の方です。
秋月一花
恋愛
「すまないね、レディ。僕には愛しい婚約者がいるんだ。そんなに見つめられても、君とデートすることすら出来ないんだ」
「え? 私、あなたのことを見つめていませんけれど……?」
「なにを言っているんだい、さっきから熱い視線をむけていたじゃないかっ」
「あ、すみません。私が見ていたのはあなたではなく、別の方です」
あなたの護衛を見つめていました。だって好きなのだもの。見つめるくらいは許して欲しい。恋人になりたいなんて身分違いのことを考えないから、それだけはどうか。
「……やっぱり今日も格好いいわ、ライナルト様」
うっとりと呟く私に、ライナルト様はぎょっとしたような表情を浮かべて――それから、
「――俺のことが怖くないのか?」
と話し掛けられちゃった! これはライナルト様とお話しするチャンスなのでは?
よーし、せめてお友達になれるようにがんばろう!
【完結】私の婚約者の、自称健康な幼なじみ。
❄️冬は つとめて
恋愛
「ルミナス、すまない。カノンが…… 」
「大丈夫ですの? カノン様は。」
「本当にすまない。ルミナス。」
ルミナスの婚約者のオスカー伯爵令息は、何時ものようにすまなそうな顔をして彼女に謝った。
「お兄様、ゴホッゴホッ! ルミナス様、ゴホッ! さあ、遊園地に行きましょ、ゴボッ!! 」
カノンは血を吐いた。
【完結】広間でドレスを脱ぎ捨てた公爵令嬢は優しい香りに包まれる【短編】
青波鳩子
恋愛
シャーリー・フォークナー公爵令嬢は、この国の第一王子であり婚約者であるゼブロン・メルレアンに呼び出されていた。
婚約破棄は皆の総意だと言われたシャーリーは、ゼブロンの友人たちの総意では受け入れられないと、王宮で働く者たちの意見を集めて欲しいと言う。
そんなことを言いだすシャーリーを小馬鹿にするゼブロンと取り巻きの生徒会役員たち。
それで納得してくれるのならと卒業パーティ会場から王宮へ向かう。
ゼブロンは自分が住まう王宮で集めた意見が自分と食い違っていることに茫然とする。
*別サイトにアップ済みで、加筆改稿しています。
*約2万字の短編です。
*完結しています。
*11月8日22時に1、2、3話、11月9日10時に4、5、最終話を投稿します。
『義妹に婚約者を譲ったら、貧乏鉄面皮伯爵に溺愛されました』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「お姉さまの婚約者が、欲しくなっちゃって」
そう言って、義妹は私から婚約者を奪っていった。
代わりに与えられたのは、“貧乏で無口な鉄面皮伯爵”。
世間は笑った。けれど、私は知っている。
――この人こそが、誰よりも強く、優しく、私を守る人、
ざまぁ逆転から始まる、最強の令嬢ごはん婚!
鉄面皮伯爵様の溺愛は、もう止まらない……!
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
裏庭係の私、いつの間にか偉い人に気に入られていたようです
ルーシャオ
恋愛
宮廷メイドのエイダは、先輩メイドに頼まれ王城裏庭を掃除した——のだが、それが悪かった。「一体全体何をしているのだ! お前はクビだ!」「すみません、すみません!」なんと貴重な薬草や香木があることを知らず、草むしりや剪定をしてしまったのだ。そこへ、薬師のデ・ヴァレスの取りなしのおかげで何とか「裏庭の管理人」として首が繋がった。そこからエイダは学び始め、薬草の知識を増やしていく。その真面目さを買われて、薬師のデ・ヴァレスを通じてリュドミラ王太后に面会することに。そして、お見合いを勧められるのである。一方で、エイダを嵌めた先輩メイドたちは——?
【完結】お荷物王女は婚約解消を願う
miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。
それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。
アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。
今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。
だが、彼女はある日聞いてしまう。
「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。
───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。
それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。
そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。
※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。
※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。
醜い私は妹の恋人に騙され恥をかかされたので、好きな人と旅立つことにしました
つばめ
恋愛
幼い頃に妹により火傷をおわされた私はとても醜い。だから両親は妹ばかりをかわいがってきた。伯爵家の長女だけれど、こんな私に婿は来てくれないと思い、領地運営を手伝っている。
けれど婚約者を見つけるデェビュタントに参加できるのは今年が最後。どうしようか迷っていると、公爵家の次男の男性と出会い、火傷痕なんて気にしないで参加しようと誘われる。思い切って参加すると、その男性はなんと妹をエスコートしてきて……どうやら妹の恋人だったらしく、周りからお前ごときが略奪できると思ったのかと責められる。
会場から逃げ出し失意のどん底の私は、当てもなく王都をさ迷った。ぼろぼろになり路地裏にうずくまっていると、小さい頃に虐げられていたのをかばってくれた、商家の男性が現れて……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる