対米戦、準備せよ!

湖灯

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★ノモンハン事件★

【スパイ戦】

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 中国舞踊団に混じった薫さんは、視察団をはじめ多くの人たちの前で無難に踊りを披露して、その後の晩餐会ではチャイナドレスに着替えて給仕の手伝いにまわった。

 私も一応関係者の1人として末席に座り、もてなしを受けていた。

 石原少将が来て、書記官の結城君はどうしたのかと聞かれたので、体調を崩したので部屋で休んでいると答える。

 彼は「そうか」とだけ言い、会場から出て行った。

 彼は酒を呑まないし、また敵がいつ動くか分からないので気が気ではないのだろう。



 そう思いながらも何か一抹の不安を感じて、彼の後ろ姿を追っていると石原は出口付近で一旦立ち止まり振り向くように会場を見渡した。

 石原の眼がそのとき広い会場の1点で止まった気がしてその方向を伺うと、そこには眼鏡をはずし長い髪のカツラを被ったチャイナドレス姿の薫さんの姿があった。



 “まさか気付いたのか⁉”



 もしバレたなら、敵のスパイを探している私たちが、逆に敵側のスパイだと疑われかねない。

 スパイとは、それほどデリケートな解釈が成り立つ立場。

 2重スパイや3重スパイなどもいるし、人を欺くこと自体が嫌われ、スパイ行為は何処の国でも最高刑は極刑。

 しかも薫さんも私もこの世界では身寄りもないから、そのことがよりクローズアップされてしまい、いくら上手く説明できたとしても聞き入れてもらえるとは到底思えない。

 だが石原は何も言わずにその場を立ち去った。

 しばらくの間、私の視線は石原が去った後のドアの辺りに釘付けになっていた。

 彼が何かを気付き、そのことを誰かに通報したなら必ず動きがある筈だったが、その動きは微塵もなく酒宴は穏やかに進行していた。



 少し落ち着いて会場を見渡すと、薫さんが多くの男たちの目を引き付けていることが分かる。

 背が高いだけでも目立つのに、この時代の東洋人女性には珍しい外国人風のメリハリのあるプロポーション。

 しかも小顔なうえに、体の発育とはアンバランスなベビーフェイスの整った顔。

 これでは石原でなくとも、誰もが見て当たり前。

 わたしだって今では “特別なこと” が無い限り、普通に見ていられるが、最初は大いに戸惑っていたのを思い出す。



 余裕も出て来て、会場内をよく観察してみていると、薫さんのほかにも聴衆の目を引き付けている女性がいることに気がついた。

 中国舞踊団の女。

 チャイナドレスの腰に幾つもの色で染められた綺麗な縄を巻き付けている女。

 男好きしそうな顔に、健康そうな体は、おそらくオジサンたちを刺激するのだろう。

 更に彼女は、そのことをまるで武器にするかのように、酔ったふりをして甘い体をまるで人馴れした猫か蛇のように擦り付けている。

 ちょうど今は、その体をイタリアの書記官に巻き付けているところだった。



 給仕をしにきてくれた中国舞踊団の女性に、あの人は誰かと聞くと「ミンメイ(明美)」だと教えてくれた。

 昔から居るのか聞いたところ、最近入ったばかりだが美貌やスタイルだけでなく踊りの習得も早く社交性もあると羨むように言った。

 素性を聞くと、こんな商売だから誰も素性は聞かないし聞いても本当のことは言わないだろうと言ったあと頭も良いからきっと没落令嬢か何かではないかと言い、逆に気があるのかと聞き返されたので調子を合わせて出来るなら一夜だけでもと言うと彼女はさも可笑しそうに笑いながらポンと私の肩を叩いて言った。

「よしなさい。骨抜きにされるわよ」と。



 話し終わって再び顔を元に戻すと、トイレにでも行ったのかミンメイに擦り寄られて大層ご機嫌だったイタリアの書記官の姿が無かった。

 ミンメイを見ると、彼女もまたホールの出口に向かって行くのが見えた。



 “何かある‼”



 と、思い席を立とうとしたところ、その肩をグイっと大きな手が抑えて止めた。

「まあ今夜は、大いに吞もうではないか‼」

 私の肩を押した男は、関東軍司令官兼駐満大使の植田大将。

「石原から聞いたのだが、君が盧溝橋の一夜城を手掛けたらしいな、いや天晴、天晴‼」

 植田大将はもう既にかなり酒が入っているらしく陽気になっていたが、私を見る目も座っていて、とても退席を許してくれる状態ではなかった。

 困った私が薫さんを探すと、ちょうど出口に向かっていた薫さんが私の方に目を向けていて、その目が “任せて!” と言っているように光った。



 任せるといっても、もし私の勘が正しければミンメイは中国共産党もしくはソビエトのスパイ。

 しかも、かなりのやり手!

 上海料理店に入って来た黒い帽子の男とはわけが違う。

 頼むから、早まった行動だけはしないでくれ!
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