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★第2次ノモンハン事件★
【第2次ノモンハン事件の終結】
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<4月23日AM11:30~:ノモンハン要塞、石原中将>
ノモンハン要塞から、その光景を見ていたジャーナリストをはじめ全ての者たちは時を忘れたように目の前に繰り広げられる地獄絵図を眺めていた。
誰もがまるで魔法にかかったように、燃え上がる赤い炎、次々に倒れて動かなくなる兵士たち、お祭りの太鼓に合わせるように立ち上がる土埃に呑み込まれていく兵士たちの姿を瞬きもせず何も話さずただじっと見守っていた。
誰も非難せず、誰も助けようと言わない。
なぜなら、これは戦争だから。
瞬きもせずに、目の前の戦争という悪魔に心を奪われていた。
彼らの魔法を解くように、36センチ曲射砲が撃ちだされた。
激しい音と共に数発の曲射砲が一斉に高い空に向けて、砲弾を放つ。
地上の地獄に目を奪われていた者たちが、神に助けを求めるように天を仰ぐ。
だが頂点から降りて来た曲射砲の砲弾は、地上のソビエト兵たちを哀れむような細くて高い叫び声を上げながらゆっくりと早く正確に敵陣へ落ちて巨大な爆炎を次々に上げて行きソビエト兵たちは飛散していった。
13時30分、ハイラル平原の北側に待機させていた第19師団に敵の退路を塞ぐように命令して、ノモンハン要塞基地の15センチ砲が敵の残存兵たちを目掛けて一斉に砲撃を開始した。
14時、第7師団と第23師団が左右に分かれ敵を包み込み、敵の正面には97式突撃砲とノモンハン要塞守備隊を配置させた。
17時に再び上空に戦闘機隊がやって来て、網から抜け出した敵を次々に襲っていた。
そして18時には敵兵の退路を完全に塞ぐため、再びハルハ河沿いに燃料弾による炎が上げられた。
燃料弾の炎が弱くなり、風が生焼けの肉の臭いを運ぶ。
空が赤く燃え始めたころ、敵は降伏してこの戦いは終わった。
空を見上げた。
この赤い夕焼けは、果たして本当に夕日によってできているのだろうか?
もしかしたらハルハ河東岸に未だ燃えくすぶっている燃料弾の炎……いや、おびただしい数の兵士たちの血がそう見せているのかもしれない。
あまりにも凄惨な光景に誰も勝利の声を上げる者はいなかった。
だが我々は勝者ではない。
戦争の被害者なのだ。
<翌4月24日13時:東京市ヶ谷、大本営>
東京の大本営に、陸軍参謀本部からノモンハン事件の戦果報告書が届けられた。
「うわっ! 圧倒的ね‼柳生さん、ちょっと、やり過ぎじゃないの?」
書類を覗いた薫さんが驚いて声を上げた。
無理もない。
ある程度の予想は出来ていたけれど、私だって声を出しそうになる一方的な数字が並べられていた。
ソビエトとモンゴル軍合わせた越境勢力8万人のうち、死者4万7千人、行方不明3千人。
傷病者1万人を合わせた捕虜は実に3万人にも上った。
敵戦車500両撃破、150両鹵獲……。
航空機500機以上撃墜……。
敵に与えた膨大な損害に比べて、日本軍の損害は極めて軽微で
死傷者2500名。
戦車24両。
航空機12機(うち故障による損害4機)
個別の戦果なども詳しく記載されていて、中でも特に目を引くのが97式突撃砲と隼、それに燃料弾と爆撃機の下部に取り付けた25㎜機銃の威力。
97式突撃砲36両で敵戦車を300輌近く撃破して、こちら側は軽微な損傷はあったものの撃破された車両は1台もなかった。
隼も全く同じで発動機の不調で帰投した物は数機あったものの、戦闘により損失した機体は無く、たった22機の隼で敵戦闘機を250機近く撃墜しているから驚きだ。
更に燃料弾による敵の損害は、焼死・窒息死・中毒死を含めて敵戦死者総数の約3分の1に当たる1万人を計上しており、密集状態にあった敵に対して短時間に極めて有効な事を証明した。
25㎜機銃を機体下部に取り付けた97式重爆による機銃掃射も、地上に居た敵戦闘員だけでなく戦車や装甲車にも有効であることが証明された。
大本営には情報収集部隊という物がない。
だから前史では、陸海軍部から受けた情報をそのままラジオで戦果を国民に伝えるしかなかった。
台湾沖航空戦時には私は前史には既にいなかったが、柳生さんから資料を見せられただけで “さすがに、それは違うだろう⁉” と言い出しそうになるくらい陸軍と海軍がまるで手柄を競い合うような報告をあげていた。
おそらく当時いた同僚たちも同じことを思ったに違いない。
ちなみに台湾沖航空戦全期間における陸海軍の戦果は、
撃沈 航空母艦11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻。
撃破 航空母艦8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、駆逐艦1隻、艦種不詳13隻。
という華々しい戦果。
しかしこの台湾沖航空戦が行われる数カ月前にサイパン沖で起きたマリアナ沖海戦で、空母3隻を失い4隻に損傷を受け航空機500機近くを失ったにもかかわらず、僅かな戦果しか挙げられなかった我が軍がもし本当にこのような戦果を上げたとしても誰も信じなかっただろう。
ミッドウェイ海戦の時もガダルカナル島攻防戦もソロモン海海戦も、真っ先に出て来る戦果は我が方に有利なものだった。
だが嘘はすぐにバレる。
ミッドウェイ海戦で全滅したはずのアメリカの空母が、ガダルカナルに現れ、そこで撃沈させたはずのものが更にソロモン海にも現れるのだから。
だが大本営側から、その報告書にケチをつける権限は無かった。
なぜなら、大本営の部員は誰一人として現地で作戦に参加することはなかったから。
だから、私はサイパンに行き、本当の戦場の実態を国民に伝えたかった。
本当の事を知れば、国民も軍部に歯向かうだろう。
そうすれば、政治も動き、戦争も少しは早く終わったはず。
現地の石原中佐は冷静で合理的な人だから、この報告は正確な数字なのだろう。
彼はただ立場上の戦果報告を行ったに過ぎない。
後は我々大本営が、この情報をどのように国民に伝えるかが重要な問題となる。
ノモンハン要塞から、その光景を見ていたジャーナリストをはじめ全ての者たちは時を忘れたように目の前に繰り広げられる地獄絵図を眺めていた。
誰もがまるで魔法にかかったように、燃え上がる赤い炎、次々に倒れて動かなくなる兵士たち、お祭りの太鼓に合わせるように立ち上がる土埃に呑み込まれていく兵士たちの姿を瞬きもせず何も話さずただじっと見守っていた。
誰も非難せず、誰も助けようと言わない。
なぜなら、これは戦争だから。
瞬きもせずに、目の前の戦争という悪魔に心を奪われていた。
彼らの魔法を解くように、36センチ曲射砲が撃ちだされた。
激しい音と共に数発の曲射砲が一斉に高い空に向けて、砲弾を放つ。
地上の地獄に目を奪われていた者たちが、神に助けを求めるように天を仰ぐ。
だが頂点から降りて来た曲射砲の砲弾は、地上のソビエト兵たちを哀れむような細くて高い叫び声を上げながらゆっくりと早く正確に敵陣へ落ちて巨大な爆炎を次々に上げて行きソビエト兵たちは飛散していった。
13時30分、ハイラル平原の北側に待機させていた第19師団に敵の退路を塞ぐように命令して、ノモンハン要塞基地の15センチ砲が敵の残存兵たちを目掛けて一斉に砲撃を開始した。
14時、第7師団と第23師団が左右に分かれ敵を包み込み、敵の正面には97式突撃砲とノモンハン要塞守備隊を配置させた。
17時に再び上空に戦闘機隊がやって来て、網から抜け出した敵を次々に襲っていた。
そして18時には敵兵の退路を完全に塞ぐため、再びハルハ河沿いに燃料弾による炎が上げられた。
燃料弾の炎が弱くなり、風が生焼けの肉の臭いを運ぶ。
空が赤く燃え始めたころ、敵は降伏してこの戦いは終わった。
空を見上げた。
この赤い夕焼けは、果たして本当に夕日によってできているのだろうか?
もしかしたらハルハ河東岸に未だ燃えくすぶっている燃料弾の炎……いや、おびただしい数の兵士たちの血がそう見せているのかもしれない。
あまりにも凄惨な光景に誰も勝利の声を上げる者はいなかった。
だが我々は勝者ではない。
戦争の被害者なのだ。
<翌4月24日13時:東京市ヶ谷、大本営>
東京の大本営に、陸軍参謀本部からノモンハン事件の戦果報告書が届けられた。
「うわっ! 圧倒的ね‼柳生さん、ちょっと、やり過ぎじゃないの?」
書類を覗いた薫さんが驚いて声を上げた。
無理もない。
ある程度の予想は出来ていたけれど、私だって声を出しそうになる一方的な数字が並べられていた。
ソビエトとモンゴル軍合わせた越境勢力8万人のうち、死者4万7千人、行方不明3千人。
傷病者1万人を合わせた捕虜は実に3万人にも上った。
敵戦車500両撃破、150両鹵獲……。
航空機500機以上撃墜……。
敵に与えた膨大な損害に比べて、日本軍の損害は極めて軽微で
死傷者2500名。
戦車24両。
航空機12機(うち故障による損害4機)
個別の戦果なども詳しく記載されていて、中でも特に目を引くのが97式突撃砲と隼、それに燃料弾と爆撃機の下部に取り付けた25㎜機銃の威力。
97式突撃砲36両で敵戦車を300輌近く撃破して、こちら側は軽微な損傷はあったものの撃破された車両は1台もなかった。
隼も全く同じで発動機の不調で帰投した物は数機あったものの、戦闘により損失した機体は無く、たった22機の隼で敵戦闘機を250機近く撃墜しているから驚きだ。
更に燃料弾による敵の損害は、焼死・窒息死・中毒死を含めて敵戦死者総数の約3分の1に当たる1万人を計上しており、密集状態にあった敵に対して短時間に極めて有効な事を証明した。
25㎜機銃を機体下部に取り付けた97式重爆による機銃掃射も、地上に居た敵戦闘員だけでなく戦車や装甲車にも有効であることが証明された。
大本営には情報収集部隊という物がない。
だから前史では、陸海軍部から受けた情報をそのままラジオで戦果を国民に伝えるしかなかった。
台湾沖航空戦時には私は前史には既にいなかったが、柳生さんから資料を見せられただけで “さすがに、それは違うだろう⁉” と言い出しそうになるくらい陸軍と海軍がまるで手柄を競い合うような報告をあげていた。
おそらく当時いた同僚たちも同じことを思ったに違いない。
ちなみに台湾沖航空戦全期間における陸海軍の戦果は、
撃沈 航空母艦11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻。
撃破 航空母艦8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、駆逐艦1隻、艦種不詳13隻。
という華々しい戦果。
しかしこの台湾沖航空戦が行われる数カ月前にサイパン沖で起きたマリアナ沖海戦で、空母3隻を失い4隻に損傷を受け航空機500機近くを失ったにもかかわらず、僅かな戦果しか挙げられなかった我が軍がもし本当にこのような戦果を上げたとしても誰も信じなかっただろう。
ミッドウェイ海戦の時もガダルカナル島攻防戦もソロモン海海戦も、真っ先に出て来る戦果は我が方に有利なものだった。
だが嘘はすぐにバレる。
ミッドウェイ海戦で全滅したはずのアメリカの空母が、ガダルカナルに現れ、そこで撃沈させたはずのものが更にソロモン海にも現れるのだから。
だが大本営側から、その報告書にケチをつける権限は無かった。
なぜなら、大本営の部員は誰一人として現地で作戦に参加することはなかったから。
だから、私はサイパンに行き、本当の戦場の実態を国民に伝えたかった。
本当の事を知れば、国民も軍部に歯向かうだろう。
そうすれば、政治も動き、戦争も少しは早く終わったはず。
現地の石原中佐は冷静で合理的な人だから、この報告は正確な数字なのだろう。
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