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★第2次ノモンハン事件★
【国際社会から見た日本】
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陛下が陸海軍部にいかなる書簡をお渡しになったのかははかる由もないが、大本営が発表した事件の報告に対して異を唱える者も居なかった。
大戦果を上げた陸軍の人たちには気の毒なことをしたとは思うが、これも平和な日本の未来を作るためには仕方がないと思っていたところ、彼らの努力は意外な形で実を結ぶ事となる。
それは海外の評価。
事件後数日が経過したころから、植田大将が最前線に送った各国のジャーナリストたちが本国に持ち帰った情報が世界を大きく動かすことになった。
彼らは、冷静な第三者の視点で、この事件を正確に捉えて記事にしたばかりでなく、彼らの国の政治や世論も大きく動かした。
国境線を越えて戦争を仕掛けてきたのが、ソビエト軍7万を主力とする総勢8万人にも及ぶ戦力であったという事実。
更にソビエトとモンゴルが主張するような、偶発的な要因で起こった国境紛争ではなく8万人という動員勢力だけでなく、その装備や投入された戦車や航空機の数からして明らかに計画された侵略行為であることが間違いのない事実であること。
これに対して日本軍は当初、石原中将率いるノモンハン要塞と第12師団合わせて1万2千の兵で対応するしかなく、翌日に第7師団が到着しても、たった2万の兵で戦わざるを得ない状況で日が経つごとに前線は後退し1週間後にはノモンハン要塞から目と鼻の先までの距離まで押されていたこと。
最後に日本の最新兵器が間に合い、戦局を逆転することができたが、それが無ければノモンハン一帯がソビエトとモンゴルの軍によって蹂躪されていたであろうこと。
日本軍は国際法に則ってフェアに戦い、彼らの軍は訓練も行き届き秩序のある行動をした。
そして新兵器の投入を待ち、敵の全勢力がハルハ河東岸の満州領内に入った所で一気に攻勢に出たことが今回の勝因だったこと。
日本の工業力は素晴らしく、かつて見たこともない近代的な兵器を投入してソビエトを中心とする越境部隊に大打撃を与えたのち、いままで苦戦していたのが嘘のように地上で応戦していた部隊は勇猛果敢に敵を取り囲み一人も取り逃がすことなく自分たちより多い勢力を瞬く間に降伏させた。
更に特筆すべきことは、この戦闘において最初から最後まで、日本軍は満州国の防衛に努めて一歩たりともモンゴル領内に侵攻をしなかったこと。
彼ら日本軍は平和を維持するために戦ったこと、そして日本政府もこの圧倒的な戦果を国威高揚に利用することもなく、国民に平和の尊さを訴えかけるよう報道されたことが伝えられた。
日清・日露・第1次世界大戦、そして第2次世界大戦を通じて、我が国軍の報道は “自画自賛” 的な物で、海外から高評価を受けたのはバルチック艦隊に勝利した時くらいなものだった。
ただ、それも戦争に勝利したという事に過ぎない。
国際社会は当事国である日本よりも機敏に動いた。
国際連盟では緊急会議が召集され、モンゴルとソビエトに対して非難決議を出し、経済制裁を課すことが採択された。
ソビエトは一貫して、モンゴルからの要請で軍を派遣したに過ぎないとの主張を繰り返すのみで自らの責任を回避した。
このためモンゴルには、ソビエト軍の手を借りて越境攻撃を仕掛けたことに対して重大な責任を負うとして同国内からのソビエト軍の排除と、国際連盟平和維持軍の駐屯を受け入れる形となった。
手を貸しただけと主張した結果、ソビエトはこの決定に異議を唱えることもできなくなりモンゴル国内から全ての軍を撤収させた。
日本政府からもモンゴル政府ならびにソビエト連邦に対して今回の事件における謝罪と賠償金の要求が行われ、モンゴルはその要求を仕方なく呑んだが、ソビエト政府は謝罪と賠償金に対して難色を示した挙句、盗人猛々しく日本に対して捕虜となった3万人の即時返還を要求してきたが今回の戦闘の被害地域の修復が終わるまで返還には応じかねることとして要求を突っぱね、世界もそれを支持した。
柏原は嬉しかった。
前史では完全に満州を我が物顔に占領している悪者としか見られていなかった日本が、このように世界から良心的な目で見守られていること。
それに石原中将が戦が厳しくなることを承知したうえで、あえて越境攻撃を行わなかったこと。
そして日本政府も国民も軍部までもが、自分の考えた国威高揚のためではない大本営発表を受け入れてくれたこと。
日本は少しずつ、良い方向に変わってくれている!
大戦果を上げた陸軍の人たちには気の毒なことをしたとは思うが、これも平和な日本の未来を作るためには仕方がないと思っていたところ、彼らの努力は意外な形で実を結ぶ事となる。
それは海外の評価。
事件後数日が経過したころから、植田大将が最前線に送った各国のジャーナリストたちが本国に持ち帰った情報が世界を大きく動かすことになった。
彼らは、冷静な第三者の視点で、この事件を正確に捉えて記事にしたばかりでなく、彼らの国の政治や世論も大きく動かした。
国境線を越えて戦争を仕掛けてきたのが、ソビエト軍7万を主力とする総勢8万人にも及ぶ戦力であったという事実。
更にソビエトとモンゴルが主張するような、偶発的な要因で起こった国境紛争ではなく8万人という動員勢力だけでなく、その装備や投入された戦車や航空機の数からして明らかに計画された侵略行為であることが間違いのない事実であること。
これに対して日本軍は当初、石原中将率いるノモンハン要塞と第12師団合わせて1万2千の兵で対応するしかなく、翌日に第7師団が到着しても、たった2万の兵で戦わざるを得ない状況で日が経つごとに前線は後退し1週間後にはノモンハン要塞から目と鼻の先までの距離まで押されていたこと。
最後に日本の最新兵器が間に合い、戦局を逆転することができたが、それが無ければノモンハン一帯がソビエトとモンゴルの軍によって蹂躪されていたであろうこと。
日本軍は国際法に則ってフェアに戦い、彼らの軍は訓練も行き届き秩序のある行動をした。
そして新兵器の投入を待ち、敵の全勢力がハルハ河東岸の満州領内に入った所で一気に攻勢に出たことが今回の勝因だったこと。
日本の工業力は素晴らしく、かつて見たこともない近代的な兵器を投入してソビエトを中心とする越境部隊に大打撃を与えたのち、いままで苦戦していたのが嘘のように地上で応戦していた部隊は勇猛果敢に敵を取り囲み一人も取り逃がすことなく自分たちより多い勢力を瞬く間に降伏させた。
更に特筆すべきことは、この戦闘において最初から最後まで、日本軍は満州国の防衛に努めて一歩たりともモンゴル領内に侵攻をしなかったこと。
彼ら日本軍は平和を維持するために戦ったこと、そして日本政府もこの圧倒的な戦果を国威高揚に利用することもなく、国民に平和の尊さを訴えかけるよう報道されたことが伝えられた。
日清・日露・第1次世界大戦、そして第2次世界大戦を通じて、我が国軍の報道は “自画自賛” 的な物で、海外から高評価を受けたのはバルチック艦隊に勝利した時くらいなものだった。
ただ、それも戦争に勝利したという事に過ぎない。
国際社会は当事国である日本よりも機敏に動いた。
国際連盟では緊急会議が召集され、モンゴルとソビエトに対して非難決議を出し、経済制裁を課すことが採択された。
ソビエトは一貫して、モンゴルからの要請で軍を派遣したに過ぎないとの主張を繰り返すのみで自らの責任を回避した。
このためモンゴルには、ソビエト軍の手を借りて越境攻撃を仕掛けたことに対して重大な責任を負うとして同国内からのソビエト軍の排除と、国際連盟平和維持軍の駐屯を受け入れる形となった。
手を貸しただけと主張した結果、ソビエトはこの決定に異議を唱えることもできなくなりモンゴル国内から全ての軍を撤収させた。
日本政府からもモンゴル政府ならびにソビエト連邦に対して今回の事件における謝罪と賠償金の要求が行われ、モンゴルはその要求を仕方なく呑んだが、ソビエト政府は謝罪と賠償金に対して難色を示した挙句、盗人猛々しく日本に対して捕虜となった3万人の即時返還を要求してきたが今回の戦闘の被害地域の修復が終わるまで返還には応じかねることとして要求を突っぱね、世界もそれを支持した。
柏原は嬉しかった。
前史では完全に満州を我が物顔に占領している悪者としか見られていなかった日本が、このように世界から良心的な目で見守られていること。
それに石原中将が戦が厳しくなることを承知したうえで、あえて越境攻撃を行わなかったこと。
そして日本政府も国民も軍部までもが、自分の考えた国威高揚のためではない大本営発表を受け入れてくれたこと。
日本は少しずつ、良い方向に変わってくれている!
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