【完結】腹黒王子と俺が″偽装カップル″を演じることになりました。

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【第一章】「腹黒王子と俺が″偽装カップル″を演じることになりました。」

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———意外と、我慢強いな。

 

天瀬晴人は、ロボットのように従順に自分の言うことを飲み込む根津美咲を、静かに見つめていた。

チラチラと、怯える子供のようにこちらを盗み見る目線。
僕がどれだけ“親切”にしても、彼の壁を作った態度は変わらない。

前の奴のように僕に傾倒するわけでも、他の奴みたいに僕を信仰するわけでもない。

——捕まった奴隷みたい。

 

精神に進行がないということは、僕以外の人間との精神的関わりがある。どこかに、希望を持ってるって意味だ。
様子を伺って、いつ逃げようか見極めているのだろうか。

 

***

 

火曜日の朝。部屋の窓から差し込む光は、昨日と同じだった。
空の色も、パンの焼き加減も、晴人の笑顔も——全部、何ひとつ変わらない。
 

「根津くん、ヨーグルトはブルーベリーの方が好きだったよね」
「……うん、ありがと…」

すっかり染みついた返事のトーンに、自分でも少し驚いた。
どこか薄く笑って、相手の好みに合わせて、反論せず、表情を保って。

気がつけば「従順な人形」みたいになっていた。

 

いや、違う。今だけは“演技”だ。
全部、今日という一日に賭けるための、最後の伏線回収。



(今日の昼、……記事が出る)

その事実だけを支えにして、ここ数日を生き延びた。
新聞部員に会ってから、晴人に悟られないように完璧な日常を演じてきた。

起きる時間も、口にする言葉も、晴人に喜ばれそうな反応さえも——ぜんぶ“彼の望む俺”に合わせた。

 
(あと少し。もうすぐで……全部、壊れる)

……本当にこれでいいのか、迷いがなかったわけじゃない。

会長と凪くんに置いていかれた風紀委員長が寂しそうに見えて、支えたいと思ったのは本心だ。
晴人と、会長と、凪くんがいる生徒会室は居心地が良くて、あの時間が好きだった。

妄想がなくても、ただ楽しかった。

 

それでも、…それでも。

 

記事が出たとき、きっと敵意の標的にされるのは俺だ。

完璧な王子様より、副会長として優れた能力があるわけでもないのに生徒会に所属して、“人気者たちと一緒にいる愚鈍”は、攻撃しやすい格好の的だろう。

それでもいいと思った。

前のように、静かに生きたい。
これまでの俺の環境が壊れても、また影からコソコソみんなの様子を見て、幸せな妄想に浸っていたい。

 

そのために、美咲は冷えたこの部屋の空気に身を染めて、演じてきた。

 

***

 





そして、昼休み。

教室に戻ろうと階段を上っていたときだった。
廊下の先、ざわざわとした人だかりと、軽い悲鳴のような声。


「ちょっと見た? あれ!」
「風紀委員長と副会長……ウソだったの!?」
「え、なに? ガチで付き合ってなかったってこと!?」


その言葉が耳に入った瞬間、心臓がドクンと跳ねた。

 

(きた——……!)

 

一気に指先が冷える。

けれど、それ以上に、胸の奥が熱くなった。

 

「成功した……!」

 

無意識に呟いていた。

抑えていた呼吸が、一気に抜けるような感覚。
逃げ場のない檻の中で、初めて窓が開いたような——そんな光が射し込んだ瞬間だった。

 

あまりに安堵して、少し足元がふらつく。

 

(大丈夫。これでいい……!)

(そりゃ、風紀委員長を裏切ったことは悪いけどさ、きっとめちゃくちゃ嫌われるけど)

(でも……あんなの、健全な関係じゃないだろ!)


すれ違う生徒たちの視線が、次第にこちらに集まっていく。

噂が噂を呼び、火のついたマッチみたいに、瞬く間に学園中に騒ぎが広がっていく。


「なんか、やっぱり?って感じだよね」
「うん、風紀委員長に相応しくないって思ってた」

声は次第に大きく、鋭くなっていく。

けど今の俺は、いつもよりずっと冷静だった。

 

(これで終わる。このカップルも、この支配も——)

「掲示板、見に行こうよ! 本物の証拠が貼られてるって!」


声を張り上げた誰かの声に、俺もつられるように歩き出した。

足取りは軽かった。胸は少し高鳴っていた。

まるで“自由”が、ほんのすぐそこにあるかのように思えた。

 


 

——昼休み、掲示板前。

 

数十人の生徒たちが集まり、ざわめきと笑い声と、妙な興奮が渦巻いていた。

その中心に貼られているのは、例の新聞部が作った張り紙。

 
———

“風紀委員長と生徒会副会長、実は交際していなかった!?″

Bクラスの庶民系男子・根津美咲、風紀委員長との“偽装カップル”説が急浮上!

———


証拠写真、矛盾点の指摘、匿名生徒の証言。
どれもバカバカしいくらい精緻に組まれたゴシップ記事の体をなしていて、逆に清々しいほどだった。

 
「えっ、マジ!?」
「なんか、美咲って子が“策略”で近づいたらしいよ~?」
「でも、あの根津って子、めっちゃ影薄くない?」

 
——約束、守ってくれた。

 

(……やっと、これで終わる!)


心の奥で、両手を振り上げて歓喜した。

人を掻き分けるように記事の前に進む。

みんなの視線は俺に注目していて、俺の一挙手一投足、どう動くのか関心を集めてるのがよく分かった。

 

今からするのは、自分で自分の墓穴を掘る行為だ。

それでいい。もう、あの部屋に、帰りたくない。

 

「それは——」

 

俺が声を発しようとしたその瞬間。

 

「——違うよ」

 

背後から、ひときわ澄んだ声が降ってきた。

 

聞き慣れた、風のように柔らかく、けれど、あまりにもはっきりとした音。

 

「……ぁ……」

 

声が、出ない。

 

なんで?来るの。早すぎない? なんか、やっぱり気付いてた?

周りの生徒の視線が俺から“そいつ”に移る。

 

顎を掴まれ、鼻先を金糸みたいな髪がくすぐる。
振り返るより先に、頬に何かが触れた。

ほんの一瞬の感触。
軽く、柔らかく、温度を帯びた“接触”。

唇だった。

 

「えっ……」

 

思わず言葉を失った俺を置いて、キャアアアアアアアと悲鳴か歓声か分からない声が廊下中に響いた。

あの柔らかい声が、勝手に俺の言葉を塗り替える。

 
「酷い記事だね。全部、出鱈目だよ」

 
目を開けると、そこには——

王子様の仮面を完璧に貼り付けた、天瀬晴人の笑顔。

 

「だって僕、″美咲″のこと、大好きだから」

 

——なんで、名前……。

 
 
耳が焼けるような声に、背中に悪寒が走った。
今まで一度も、名前で俺のこと呼んだことなんてなかったのに。

騒ぎが、どっと膨らんでいく。


「えっ!?」
「今、“美咲”って呼んだ!?」
「嫌あああ!天瀬様ぁ!」
「マジ!? 本気カップルじゃん、これ!!」
「いやでも、記事……どっちがほんと!?」


周囲の生徒たちは興奮し、混乱し、ざわざわと不安定な熱気に包まれていた。

 
(……え? 今……なにが起こった?)

 
全身が冷えていた。
頭の中が真っ白になって、ただ頬の熱だけが残っていた。



この場面で。

このタイミングで。

用意してたような言葉を、狙ったような“演出”で——

 




(……なんで?)


まさか、分かってた? ここに来ること。いや、もっと前から。
俺が新聞部に接触したことも、記事の掲載予定も。
最初からぜんぶ、見透かされてた?


そんな思考が巡る中、晴人は俺の耳元に顔を寄せて、ささやくように、言った。

 
「ねぇ、僕……面白いノートを見つけたんだ」

喉が、ひゅっと鳴った。
呼吸が止まりそうになって、視界の端が、ぐにゃりと歪んだ気がした。

 

——妄想ノート。

あれは、俺が誰にも見せずに書き溜めていた“俺だけの世界”。
男子同士の恋愛妄想。
それも、実在するこの学園の生徒たちをモデルにした、極めてヤバい内容。

そんなもの、書いてた俺が間違いなく悪いんだけど。
絶対誰の目にも触れないよう、厳重に保管してたはずだ。
同人誌を描くときのちょっとしたネタ帳に使うための、…ちょっと、捗った内容を綴りすぎた、絶対に人に見せられないノート。


(まさか……)



「部屋で、ちゃんと話そっか?」


柔らかな微笑み。
美しい笑顔。
“支配者”の仮面を被った、完璧な王子様。

俺は、なにも言えなかった。
喉が、言葉を拒絶していた。

逃げたかった。
でも足が動かなかった。

 

アレがバラされたら、俺は終わる。
立場が、とか、環境が、とかの話じゃない。
——“社会的な完全な死”だ。

 

血の気を失った美咲の手を引いて、連れ出す晴人の邪魔をする人は誰もいない。

モーゼが海を割るように、人の波が晴人の前から引いて道を開ける。

 

人混みの中に、影の薄い“あいつ”の——

新聞部員の笑い顔を見た気がした。

 
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