【完結】観察者、愛されて壊される。

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【第二章】擬装期間編

2-7

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(孝視点)









昼休みの食堂。
いつもの窓際席に行く手前で、孝はトレイを手に立ち止まった。視線の先には、見慣れた姿。

黒髪の少年根津美咲と、金髪の“王子様”天瀬晴人が、並んで座っていた。
その隣には、生徒会長護堂要と、要の隣にぴたりと寄り添う立宮凪。


(……あらら)

「元の鞘に収まっちゃったか」

ひとり言のように呟いてから、俺は窓際の定位置に腰を下ろす。
一枚ガラスを隔てた向こう側。反射するガラス越しに、美咲を“観察”する。
久しぶりに近くで見た美咲は、どこか——満たされた顔をしていた。


(……ふぅん)

トレイの上、紅茶のカップを指でくるくると回しながら、俺はそっと彼の“食事”を見る。

天瀬晴人の皿には、例の如く整ったサンドイッチとスープ。
だが、美咲のトレイには——白米、味噌汁、湯気を立てる生姜焼き定食。


(あれ?)

思わず、カップを持つ手が止まる。


(前は、自分と同じメニューしか食べさせなかったのに)

それが恋人の儀式のように、強制されていた頃の光景を思い出す。

今は違う。
まるで最初から、あんな歪な同棲はなかったかのように——自然な距離感で笑い合っていた。


(……気持ち悪いな)

一度壊れたはずの関係が、もっと滑らかに修復されている。
まるで最初から「正常だった」とでも言うような、“書き換えられた歴史”のように。

俺が仕掛けた誘導も、言葉も、記事も、——何もかも無かったことにされて。
ああ、本当に、あの風紀委員長は鬱陶しいくらい″気持ち悪い″。





「……可哀想に。逃げるなら、きっと最後のチャンスだったのにね」

玩具を取り逃がした子供の、ただの悪口のように呟いたその言葉は、悔しさだった。


「人の恋愛事情が、そんなに楽しいか?」

背後からかけられた声に、孝は振り返った。

そこにいたのは、艶やかな黒髪に銀のピアスが揺れる清潭な顔。睨むような鋭さの目。

俺の″擬装彼氏″の澪ちゃん。


「もっちろーん。こんな閉鎖空間じゃ、スキャンダルくらいしか娯楽ないからね」

俺はひらひらと手を振って見せる。


「知ってる? この食堂でさえ、カップルの密談が何件生まれたか——」
「それが人の迷惑になっても?」

ぴたりと澪の声が冷えた。

(……あれ?)

思わず、孝の言葉が止まる。

澪はこれまで、俺の“活動”に何も言わなかった。
皮肉げに笑うことはあっても、“否定”してきたことなんて——一度もない。
なのに今日は、まるで何かを守るような言葉だった。


「それを気にする俺だと思う? むしろ、大衆に娯楽を与えてるって、褒めて欲しいくらいだよ」

笑って返す。いつも通りの調子で。
けれど——澪は引かない。


「そうじゃなくて」

言いかけて、少しだけ間を置いた。


「お前はいつ——“他の奴の恋愛”じゃなくて、“自分の恋愛”を見るんだって聞いてるんだ」

……え?

その言葉は、まるで鈍器だった。
持っていたトレイの縁に、指が食い込む。
笑いかけようとして、喉の奥がつまる。


「…………え……」

何かを咄嗟に返そうとしても、言葉が見つからない。
いつもの毒舌も、いつもの仮面も、なぜか今は浮かばなかった。

その間にも、澪の目は真っ直ぐに俺を見ていた。
刺すような、逃がさない目。


「お前、そろそろ逃げ回るの、終わらせるから。」


息を吸おうとして、忘れる。
心臓が一度跳ねて、沈んだ。
静かに、けれど確かに崩れる。
俺の築いてきた“安全地帯”。



(逃げる……? 俺が?)

いや違う。俺はずっと観察して——
俺は“傍観者”で——
誰かの感情に巻き込まれるような、そんなやつじゃ———


(……違う。俺は——巻き込まれてる?)

崩れる理屈の隙間に、初めて入り込んできた言葉。

そのまま、澪は何も言わずに背を向けた。
俺の机の隣に置かれたトレイの中の紅茶は、気づけば冷めていた。

 

(……俺の恋愛?)

それは、これまで見ないふりをしていた“問い”だった。

でも、もう——見ていられないところまで来ている。

 

——俺の“観察”が終わって、今度は俺が“観察される側”になる。
その予感が、冷たい汗のように背中を伝っていた。
















***




(澪視点)


   






垣根はその夜、部屋には帰ってこなかった。

いつもなら、どこかで気配を察して帰ってくるはずの彼が、今日は最後まで姿を見せなかった。
スマホには連絡履歴もない。

(……逃げたか。)

思考が凍るほど、冷静だった。
驚きも怒りもなかった。
ただ、そうか——と理解するだけ。

 

静かな部屋。
白湯のような静けさの中で、俺は、紅茶を淹れていた。
何杯目だろう。とっくに時間は夜を越え、日付すら変わっている。

いつも垣根が座っていたソファに、湯気の立つカップを置く。
まだ暖かい。
だけど、口をつける人間はいない。

 

「……やっぱり、いつも、俺だったな」

ポツリと独り言のように、零れる声。

紅茶が好きな彼のために、種類を変え、温度を調整し、癖を見抜いて味を整えてきた。
それを当たり前のように受け取り、飲んで、評価し、「俺好みの味になったね」とたまに褒めてくれることもあった。

でも、今はもう——

その″当たり前″すら、彼は捨てた。

 

(垣根にとって俺は、″正しい距離″を守ってきた。)

追いつめたかったわけじゃない。
いつか分かってほしかっただけ。
傍にいるのが誰だったか、自分が何を得ていたか——少しでも考えてくれていれば、それでよかった。

けれど、垣根は“違う誰か”を見ていた。

あの時、晴人に言われた″同じ立場″という言葉が、ずっと頭に残っていた。

——本気で手を伸ばせば届く相手に、ずっと我慢してたんじゃない?

我慢は、美徳じゃない。
我慢は、何も与えてくれなかった。
与えられたのは、“都合のいい安心感”の供給源という役割だけだった。

——あいつにとって、俺はずっと“都合のいい安全地帯”だったんだ。

 

「……全部、間違ってたんだな」

擬装カップルなんて、ずっと前から成り立ってなかった。
俺があいつを目で追い始めた時には、もう既に。
彼の軽口を、冗談を、適当な甘えを——都合よく“親しみ”に変換して、
一緒にいる理由を正当化して、
あいつの″線引き″をちゃんと守って、
それが正解だって信じ込んでた。

でも——

″正解″なんか、何も手に入れてくれなかった。

 




湯気の消えた紅茶に、指先が触れる。
冷えたカップは無言で俺に「遅かったね」と言っているようだった。


(遅かった? 違う、俺は……遅れたんじゃない)

ずっと、“待たされた”だけだ。

俺の気持ちはずっとここにあった。
あいつがそれを見ようとしなかった。
都合のいい関係を盾にして、自分だけが“安全な場所”にいた。
ずるいのは、どっちだ。

 

「……もういい。だったら——」

目を伏せる。
笑うでもなく、怒るでもなく、ただ淡々と、口元を引き結ぶ。

——だったら、″清算″をしてもらおうか。


逃げ回るなら、捕まえる。
逃げ道を選んだなら、その道ごと潰す。
「恋愛じゃないから大丈夫」なんて、二度と言えないように。

——俺が、“お前の間違い”を証明してやる。

 

椅子を引く音が静かに響いた。
立ち上がり、垣根の引き出しに手をかける。

追いかけるでも、助けるでもない。

これから俺がやるのは——

捕まえて、″終わらせる″ことだ。

 

垣根が俺を見ないというのなら、
俺は、無理やりでも——目を合わせさせる。

 

——この一年、全部返してもらう。
逃げ場も、選択肢も、
もう——与えるつもりはない。

 


そして、針崎澪の“本質”が動き出した。

 







【擬装期間編】—完—




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