【完結】観察者、愛されて壊される。

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【第二章】擬装期間編

2-4

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(澪視点)




最近の学園の空気は妙に騒がしい。

『会長と姫の恋』『風紀委員長と生徒会副会長の逢引』
立て続けに投下された記事が、静かだった池の水面に石を投げ入れるみたいに、広く、深く、波紋を走らせていた。

生徒達は噂話に夢中だった。

王と姫の関係に意を唱える奴はいないのに、王子様と身分違いの平民の方には悪意が交差していた。
憶測と皮肉、興味本位の嘲笑が廊下の端から端まで行き交い、あっという間に“学園の常識”が塗り替えられる。



俺は発火剤になったその記事に見覚えがあった。

見覚えのある文体と、歪んだユーモア。
あの煽り文句、あの悪意ある愛着。

——間違いない。
記事を書いたのは、孝だ。


(……だからって、問い詰めるつもりはない。俺は、そういうやつと組んでるって、最初から分かってた。)


自分の興味のために他人を切り取る人間。
あいつにとっては記事こそが娯楽で、人間の中身を知るのが快楽で、そこに写る奴らの感情なんて二の次だ。

分かっている。そういう人間だって。
それでも、何かが引っかかる。

 

「最近、何かいいことでもあったのか」

「んーん?なーんにも? 澪ちゃんには関係ないことだよ。」

垣根は、いつも通りの調子でそう言って、笑った。
カップを受け取る手つきも、茶化すような声色も、まったく変わらない。

けれど——
違和感が、あった。

その“上機嫌”に。


普段の垣根は、もっと温度が低い。

相手を見下ろすように観察し、言葉の棘で内側を刺して、惨く笑う。
全部計算で成り立っているような、冷たさを持っていた。

だが、今のあいつは“玩具を手に入れた子供”みたいに、声が軽くて、目が跳ねて、浮かれている。



——ああ、そうだ。

垣根と手を組んですぐの頃。
アイツが暴行に遭いながら自分を殴る奴らの中身を暴こうとしていたの、あの時の顔に似てるんだ。

″お前の考えが欲しい″と、″次に何をしでかすのか知りたい″と。無邪気に狂ってるあの目が、俺は苦手だ。

垣根がこの顔をするのは決まって、誰かに興味が惹かれた時。
 

(……俺じゃない、何かに)


心の奥で、すこしだけ空気が凍ったような気がした。

それは嫉妬じゃない。
独占欲でもない。
ただの——違和感。

なのにその小さな違和感が、どこか神経に触れて、言いようのない居心地の悪さを引き起こしていた。

俺は紅茶を一口、啜った。
ほんのり熱いその液体が、喉を通っても冷たさは消えない。

「ふーん……」

言葉だけは穏やかに返す。
でも、その直後に返ってくる孝の「ねぇ、聞いてよ」という無邪気な笑みに、思わず少しだけ睫毛が震えた。



(……勘違いだ。気のせい。俺は、何も感じていない)

俺と垣根は″擬装カップル″だ。
本物の恋人関係なんかじゃないし、お互いの利害の上に成り立っている。
俺は平和な学園生活を、コイツは刺激のある学園生活を。
同じ部屋に住んでいたって、お互いの環境も求めているものも違うと理解していたはずだ。

けれどその後ろ姿を見つめる視線が、
自分のものだと気づいたとき——

喉奥に、引っかかった棘のようなものが、微かに疼いた。







***




昼休み。
いつもよりざわめきの大きな廊下を歩いていると、すぐに騒ぎの源に気がついた。

掲示板の前に、人だかり。

——ああ、またか。

掲げられていたのは、貼り出されたばかりの新しい記事だった。


《“風紀委員長と生徒会副会長、実は交際していなかった!?
Bクラスの庶民系男子・根津美咲、風紀委員長との“偽装カップル”説が急浮上!”》

 
悪趣味な見出しとセンセーショナルな文章。
それを取り囲む生徒たちの熱狂。

俺は人垣の外からそれを一瞥して、目を細める。


(……なるほど。最近やけに上機嫌だった理由、これか)


生徒たちの中に、俺は垣根の姿を見つけた。
人混みの中気配を消して完全に溶け込む器用な男。

でも俺の目にははっきり映る。
あいつの笑った口元が。


(……悪趣味なやつ。)

自分の仕掛けた罠に、生徒たちが見事に引っかかった。
騒ぎは過熱し、情報は一気に広がる。
自分の仕組んだシナリオが動き出す瞬間。

その快感が、表情の端々に滲んでいた。




「副会長だ……!」

誰かの小さな叫びとともに、生徒の波がざわりと割れた。

渦中の人物、根津美咲が掲示板の前に姿を現した。
走ってきたのだろう。
肩で息をして、前髪は少し乱れていた。

でもその顔は、どこか晴々としていた。
掲示板に貼られている記事は根津と天瀬晴人の″スキャンダル″だというのに、不釣り合いな表情。

根津が掲示板に貼られた記事を指差し、何かを言おうとした。
その瞬間——

背後から伸びてきた手が、彼の頬を捉える。

 

「……っ」

わずかに見開かれた美咲の瞳に、軽く触れるように。

すう、と。
柔らかな唇が、根津美咲の頬に触れた。




「酷い記事だね。全部、出鱈目だよ。」




「だって僕、美咲のこと大好きだから」

 


シンと静まり返った人混みの渦中、
天瀬晴人は宝物を見るような目をして微笑んでいた。

その瞬間、


「キャーーーッッ!!」
「え、うそでしょ!? 今の……見た!?!?」
「きゃーー!!! やばいやばいやばいって!!!」
「マジで!? 天瀬様なんでなんでなんで!!!?」


叫び。悲鳴。拍手。動揺。熱狂。
壁が揺れるほどの歓声の渦が、廊下を飲み込んだ。

俺は思わず眉間に皺を寄せる。
うるさい。騒がしい。痛いくらいの音圧が、頭の芯に響く。

——そして。

その視界の端。
廊下の隅に立っていた“あいつ”が、はっきりと顔をしかめていたのが見えた。

 
垣根の、そんな顔を見たのは初めてだった。

いつも胡散臭い笑みを浮かべていた男が、
今、確かに″面白くない″と不機嫌を露わにしている。
 

眉間に皺。
唇の端が下がって、目元には怒りの色。
仮面が剥がれ落ちたような、そんな顔。


用意していた記事。
仕込んだ空気。
扇動された群衆。
そのすべてを、一瞬で掻き消した“天瀬晴人”を垣根は睨みつけていた。

だが——その表情は、一瞬で霧散する。




「……やられたかぁ……」

冗談めかして口元を歪める、微笑むようなその仕草に、俺は見覚えがあった。

そうやって何度も、予想外の反応を“なかったこと”にしてきた。
自分の失敗さえも、観察材料に変える器用さ。
だが——今回は、違った。

 
(お前、今……本気で悔しかったんだろ)


胸の奥で、微かな音がした気がした。


ピキッ、と。
髪の先を、静電気が撫でるような、小さなひび割れ。

駄目だ、認めるな。
俺たちは″擬装″、あいつを咎める理由なんて、俺にはない。
そう言い聞かせるように、俺は動く人混みに溶けるように紛れて消えていくあいつの姿を目で追っていた。

 


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