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【第二章】
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しおりを挟む(ユリウス視点)
あの晩から数日が経ち、僕らは日常を取り戻していた。
チェスの駒をひとつ、静かに動かす音が部屋に響く。
窓辺から差し込む光が、彼女の頬に淡く影を落とす。
「……チェック、ですわね?」
ああ、そう来るか。
紅茶の香りに満たされた静謐な空間の中で、彼女の声は少し甘く響いた。
それは蜜に似た響きでありながら、芯のある刃物のようでもある。
「なるほど。うん、見事だね」
椅子に背を預けて、レティシアを眺める。
何かが変わった。確かに、数日前と同じ彼女のはずなのに、何かが微かに違って見える。
茶会の翌日、彼女は微熱のようなものを纏っていた。
頬の色、視線の温度、ふとした仕草。そのすべてが、どこか高揚しているようだった。
(——あれは、毒の余韻か?)
明らかにいつもと異なる彼女を見て、僕は即座に行動に移した。
しかしあれから、やはり以前の彼女とはどこか違う雰囲気を感じる。
(特に…、僕を見る視線が、柔らかくなった。)
見極めねばならないと思いながらも、今日の彼女には、ひどく目を奪われる。
ペンダントが胸元で揺れ、金糸の髪飾りが陽に透けてきらめいていた。
彼女は平静を装っているが、熱を孕んだような目が常に僕を追ってきていることを、僕が気付かないと思っているんだろうか。
「ねえ、ユリウス様。次で決められてはいかが? もうすぐお茶の時間ですし」
「その言い方、僕が勝つのが当然みたいでプレッシャーだな。」
「ふふ。…では、賭けでもいたしましょうか?」
「…たとえば?」
「あなたが勝ったら、紅茶にお砂糖を二つ入れて差し上げます。私が勝ったら……お庭で一曲、踊っていただきますわ」
「…それは、君の勝ちを願ってしまうな」
他愛のない会話。
けれど彼女が悪戯っぽく笑うたびに、どきりと鼓動が高鳴ってしまう。
(擬装、なんて……、もう誤魔化してられないな。)
彼女は、何もかもを見透かしたような顔をして笑う。
僕もまた、彼女の心を探りながら微笑み返す。
(……レティシア。君は、どこまで無意識で″演じて″いる?)
仮面夫婦。擬装結婚。
だが、その表面が美しすぎるとき、人は内実を忘れてしまう。
このまま時間が流れてしまえば、僕のほうが、先に″境界″を見失うのかもしれない——
そんな予感が、喉の奥に淡く残った。
紅茶は温く、チェスの駒は進み続ける。
次の一手が、誰を崩すのかも分からないまま。
ただ夕陽に照らされる彼女の顔から、目が離せなかった。
***
(レティシア視点)
チェスの駒をつまんだまま、私は思案していた。
——″あの件″から二日。
毒はとうに抜けたはずなのに、思考の隅にいまだ揺らぎがある。
彼の腕の中で感じた“あたたかさ”と、
喉の奥に残った指の感触と、
私を無理やり守ろうとしたユリウスの焦燥。
(……あれが″情″なら、少し厄介ですわねぇ)
できれば、あの夜のことは水に流したい。
けれど水面はやたらと波立ち、あのときの吐瀉音と脈打つ心音が何度も記憶を呼び戻す。
——要するに、まともに集中できていない。
「……奥様」
気がつけば、従者が手紙を差し出していた。
少し厚めの封筒。妙に高級感のある紙。
封緘には、アレスタリア王家の封蝋と、装飾の紋章。
「…………は?」
嫌な予感というものは、的中するから厄介だ。
中身を確認する前から分かった。
これは、厄介ごとでしかない。
ユリウスが手紙を受け取り、ペパーナイフを手にとる。
手紙の封を切るユリウスの表情を見て、私は確信した。
彼が、真顔だ。あの、策謀と嘲笑の化身が、ガチの“無表情”。
……ああ、その内容、聞きたくありませんわね~~~……。
「三日後、兄と聖女がこの屋敷を訪れるらしいよ」
(………はい?)
一瞬、理解が追いつかなかった。
理解したくなかった、と言った方が正しい。
「……ええと、つまり……聖女様とアルフォンス殿下が、こちらに?」
「そう。君と僕と、昼食をご所望だそうだ」
ふ ざ け て ま す の ???
頭の中で誰かがテーブルを叩き割った。
(急な訪問予告、いくら王家といっても、少しヴァルデューラ家を甘く見過ぎではなくて??)
それも三日後?まるで用事のついでに会いに行くとでも言いたげな適当具合!
(礼儀を欠いた行い…、アルフォンス殿下らしくありませんわね。)
頭をよぎるのは聖女がユリウス殿下に関心を寄せていること、そして私と敵対意識があること。
あの茶会で毒を摂取したのは確かに私の意志だった。
けれど、それの代償に私はしっかり釘を刺したはずだ。衆人の前で。
(おかしいじゃありませんの……? なぜ清らかな聖女が彼に固執して、アルフォンス殿下まで動きますの……?)
聡明な第一王子は、本当に聖女の虜になってしまったのかしら。
ユリウスの横顔に目をやれば、彼はもう立ち上がっていた。
わざとらしく丁寧な動作で手紙を揃えて、私の方へ差し出してくる。
「……これは、正式な″訪問状″だね。」
「まあ、面倒事の間違いではなくて?」
笑って言ってやった。
軽口のつもりだったのに、喉が少し震えた。
彼の瞳は、いつものように冗談を受け流す色をしていない。
「……君は、どうする?」
「何を仰いますの?
当然、歓迎の準備を整えなくてはいけませんわ。」
「……そうだね、聞くまでもなかったよ。」
口元には笑みを貼りつけたまま、心の中ではすでに“毒消し”と“毒返し”の戦略を組み立てていた。
お菓子はすべて私の監修で。
給仕も、裏庭の見回りも、当日は信用のある者を選別して。
食器とカトラリーはすべて熱湯消毒して、蜜の気配が少しでもあれば——
(——全部、叩き潰してやるわ)
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