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陰気なマリア
陰気なマリア(6)
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※ ※ ※
扉が閉められる重々しい音に、炎が頼りなく揺らぐ。
同時に、喉が切れそうなくらい細い声が「マリアさん」と妹の名を叫んだ。
「貴女、ここは皇帝陛下とそのご家族の納骨堂ですよ。なんて罰当たりな。それに私が火種や食べ物や飲み物を持ってきて差しあげなければ、こんな所、いつまでも居られるものじゃありません」
一気にまくしたてるリヒャルトの額は、薄明りの中でも蒼白だと分かる。
「お兄さまには関係ないでしょう。あたしたちが何処にいようが」
「関係なくないでしょう! そもそも貴女、どういうことですか。市長殿に変な脅迫文を送ったっていうのは……!」
「そりゃ送るなら市長様に送るわよ。うちのお父さまに送ったところで、握りつぶされるって分かっているもの」
あの人はも娘よりもウィーンの方が大事な人だものねぇ──妹のその言葉に、兄もぐっと声を詰まらせる。
「で、ですがこんな大それた狂言誘拐なんて起こして……。父上はそれはそれはお怒りでした。貴女、一体何を企んでいるのですか!」
癖なのだろう。
マリア・カタリーナは「フン」と鼻を鳴らした。
本人に自覚はないのだろうが、それは完全に人を馬鹿にする態度だ。
「結局のところ露見しているじゃないですか! 貴女、降伏を要求するなんて……」
喉がひきつけを起こしたように、リヒャルトの声が裏返る。構わず妹は続けた。
「フン、お兄さまはお父さまのご機嫌とりばかりね。実力では認められないからって、媚びたところでどうしようもないのに。お父さまはルイの方をよほど可愛がっておいでよ?」
ライバルの名を出され、リヒャルトの膝がガクガクと震え出す。
先程ルイ・ジュリアスに助けられ、馬の後ろに乗せられた屈辱が鮮明に思い出されたのだ。
「ルイは防衛部隊の小隊を任されたらしいわね。ならば、お兄さまは何のお仕事を?」
「マリア、もうやめろよ」
アウフミラーの静かな声が背後から聞こえるが、彼女は返事の代わりに再び鼻を鳴らす。
「お兄さまはたしか避難民の誘導のお仕事をなさっていたはず。それから防火班で、街の人たちにバケツを配っていらっしゃったわね。あら、随分とご機嫌が悪いようだけれど、集団の中で自分の無能さが露呈して落ち込んでいらっしゃるのかしらねぇ。そしてそれを知られまいと虚勢を張っていらっしゃる」
「な、何を……」
青白い頬が、今度は紅潮した。
どうやら図星だったらしい。
マリア・カタリーナは意地の悪い笑みを頬に張り付けた。
兄を貶める言葉であれば、喉に潤滑油でも塗ったかのように澱みなく流れ出るから不思議だ。
別に何を材料に推測したというわけではあるまい。
自意識の高さのわりに身体能力が低く不器用で、おまけに頭の回転も速いとは言い難いリヒャルトの、これは幼少の頃からの典型的な行動様式なのであった。
マリア、やめろと諫める声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
彼女と一緒に納骨堂に隠れていた男は、諦めたように押し黙ってしまっている。
彼の存在をようやく思い出したかマリア・カタリーナは、はっと息を呑んだ。
兄を貶めて勝ち誇ったように歪んでいた表情が、たちまち不安げに曇る。
「ち、違うの、アウフミラー。あたしは……」
ただの兄妹喧嘩に見られないことは経験則で分かっているのだろう。
妹曰く兄リヒャルトは、「被害者面が上手い」ため、一方的に彼女が責めているように思われるのだ。
アウフミラーと呼びかけられた男も、呆れたように首を振りつつ、しかし彼女にずっと視線を注いでいる。
薄暗くてその表情は見えない。
「何よ、アウフミラー。言いたいことがあるんなら……」
マリア・カタリーナが彼の元へ一歩、足を踏み出したその時だ。
「久しぶりに同郷の奴と話せて嬉しいよ」
「僕もだよ。けど、僕はあちこち旅してるから」
「そりゃ羨ましいなぁ。語学も堪能なんだろう?」
「それは難しいよ。でもね、言葉っていうのはね、つまりは感覚なんだよ!」
「そうか、感覚か!」
賑やかな会話が、地下納骨堂に立ち込めた険悪な空気を破った。
ルイ・ジュリアスと、グラシで拾ったパン屋──フランツといったか──いつの間にか距離が近付いた二人が、何の躊躇もなく入ってきたのだ。
能天気なその様子に、リヒャルトが薄闇を良いことに顔を歪める。
「あっ、マリア・カタリーナ殿。ご無事でしたか。何よりです」
小さな炎のゆらぎの中に「誘拐された」上官の娘を発見して、ルイ・ジュリアスは警戒する様子もなく奥へと歩を進めた。
そして、そこにアウフミラーの姿を認めて、露骨に眉をひそめる。
「マリア・カタリーナ殿を誘拐したのはお前なのか」
違う違うと、当のご令嬢。
焦った様子でルイ・ジュリアスとアウフミラーの間に割って入った。
涼しい顔をして立つアウフミラーに、ルイ・ジュリアスは指揮官の忠犬よろしく毛を逆立てて今にも飛びかかりそうな様子だ。
「ルイ、あんたね……誘拐なんて最初からないのよ。ちょっとした誤解があっただけ」
「……本当なのですかマリア・カタリーナ殿」
尚も疑わしげな騎士だが「父も納得したわ」との一言で、その表情は陽が射すように変わった。
「先程この扉から閣下や市長様が出ていらしたので何だろうかと思って、パン屋殿と一緒に覗いてみたのです。いや、良かった。これで万事解決だな」
あんた、本当に天然よねというマリア・カタリーナの嫌味など、ルイ・ジュリアスは聞いちゃいまい。
扉が閉められる重々しい音に、炎が頼りなく揺らぐ。
同時に、喉が切れそうなくらい細い声が「マリアさん」と妹の名を叫んだ。
「貴女、ここは皇帝陛下とそのご家族の納骨堂ですよ。なんて罰当たりな。それに私が火種や食べ物や飲み物を持ってきて差しあげなければ、こんな所、いつまでも居られるものじゃありません」
一気にまくしたてるリヒャルトの額は、薄明りの中でも蒼白だと分かる。
「お兄さまには関係ないでしょう。あたしたちが何処にいようが」
「関係なくないでしょう! そもそも貴女、どういうことですか。市長殿に変な脅迫文を送ったっていうのは……!」
「そりゃ送るなら市長様に送るわよ。うちのお父さまに送ったところで、握りつぶされるって分かっているもの」
あの人はも娘よりもウィーンの方が大事な人だものねぇ──妹のその言葉に、兄もぐっと声を詰まらせる。
「で、ですがこんな大それた狂言誘拐なんて起こして……。父上はそれはそれはお怒りでした。貴女、一体何を企んでいるのですか!」
癖なのだろう。
マリア・カタリーナは「フン」と鼻を鳴らした。
本人に自覚はないのだろうが、それは完全に人を馬鹿にする態度だ。
「結局のところ露見しているじゃないですか! 貴女、降伏を要求するなんて……」
喉がひきつけを起こしたように、リヒャルトの声が裏返る。構わず妹は続けた。
「フン、お兄さまはお父さまのご機嫌とりばかりね。実力では認められないからって、媚びたところでどうしようもないのに。お父さまはルイの方をよほど可愛がっておいでよ?」
ライバルの名を出され、リヒャルトの膝がガクガクと震え出す。
先程ルイ・ジュリアスに助けられ、馬の後ろに乗せられた屈辱が鮮明に思い出されたのだ。
「ルイは防衛部隊の小隊を任されたらしいわね。ならば、お兄さまは何のお仕事を?」
「マリア、もうやめろよ」
アウフミラーの静かな声が背後から聞こえるが、彼女は返事の代わりに再び鼻を鳴らす。
「お兄さまはたしか避難民の誘導のお仕事をなさっていたはず。それから防火班で、街の人たちにバケツを配っていらっしゃったわね。あら、随分とご機嫌が悪いようだけれど、集団の中で自分の無能さが露呈して落ち込んでいらっしゃるのかしらねぇ。そしてそれを知られまいと虚勢を張っていらっしゃる」
「な、何を……」
青白い頬が、今度は紅潮した。
どうやら図星だったらしい。
マリア・カタリーナは意地の悪い笑みを頬に張り付けた。
兄を貶める言葉であれば、喉に潤滑油でも塗ったかのように澱みなく流れ出るから不思議だ。
別に何を材料に推測したというわけではあるまい。
自意識の高さのわりに身体能力が低く不器用で、おまけに頭の回転も速いとは言い難いリヒャルトの、これは幼少の頃からの典型的な行動様式なのであった。
マリア、やめろと諫める声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
彼女と一緒に納骨堂に隠れていた男は、諦めたように押し黙ってしまっている。
彼の存在をようやく思い出したかマリア・カタリーナは、はっと息を呑んだ。
兄を貶めて勝ち誇ったように歪んでいた表情が、たちまち不安げに曇る。
「ち、違うの、アウフミラー。あたしは……」
ただの兄妹喧嘩に見られないことは経験則で分かっているのだろう。
妹曰く兄リヒャルトは、「被害者面が上手い」ため、一方的に彼女が責めているように思われるのだ。
アウフミラーと呼びかけられた男も、呆れたように首を振りつつ、しかし彼女にずっと視線を注いでいる。
薄暗くてその表情は見えない。
「何よ、アウフミラー。言いたいことがあるんなら……」
マリア・カタリーナが彼の元へ一歩、足を踏み出したその時だ。
「久しぶりに同郷の奴と話せて嬉しいよ」
「僕もだよ。けど、僕はあちこち旅してるから」
「そりゃ羨ましいなぁ。語学も堪能なんだろう?」
「それは難しいよ。でもね、言葉っていうのはね、つまりは感覚なんだよ!」
「そうか、感覚か!」
賑やかな会話が、地下納骨堂に立ち込めた険悪な空気を破った。
ルイ・ジュリアスと、グラシで拾ったパン屋──フランツといったか──いつの間にか距離が近付いた二人が、何の躊躇もなく入ってきたのだ。
能天気なその様子に、リヒャルトが薄闇を良いことに顔を歪める。
「あっ、マリア・カタリーナ殿。ご無事でしたか。何よりです」
小さな炎のゆらぎの中に「誘拐された」上官の娘を発見して、ルイ・ジュリアスは警戒する様子もなく奥へと歩を進めた。
そして、そこにアウフミラーの姿を認めて、露骨に眉をひそめる。
「マリア・カタリーナ殿を誘拐したのはお前なのか」
違う違うと、当のご令嬢。
焦った様子でルイ・ジュリアスとアウフミラーの間に割って入った。
涼しい顔をして立つアウフミラーに、ルイ・ジュリアスは指揮官の忠犬よろしく毛を逆立てて今にも飛びかかりそうな様子だ。
「ルイ、あんたね……誘拐なんて最初からないのよ。ちょっとした誤解があっただけ」
「……本当なのですかマリア・カタリーナ殿」
尚も疑わしげな騎士だが「父も納得したわ」との一言で、その表情は陽が射すように変わった。
「先程この扉から閣下や市長様が出ていらしたので何だろうかと思って、パン屋殿と一緒に覗いてみたのです。いや、良かった。これで万事解決だな」
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