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カーレンベルクの戦い
カーレンベルクの戦い(2)
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「どうしたら良いのやら……」
問題山積みで、どこを向けば良いかも分からない。
父も、妹も、そして自分も。胡散臭いパン屋も、この街も。
すべてが滅びの方向に向かっているのだろうか。
それを止める術もないのだろうか。
再びリヒャルトは小さな街に視線を転じた。
ウィーン市内、ぐるりと囲む壁。
その向こうには、相変わらず一定の距離をおいてオスマン帝国の大軍が。
「これは……どういうことです?」
敵軍の布陣が妙であることに、リヒャルトはようやく気付いた。
多分父ならば一瞬見ただけで変化を感じただろう。
自分が軍人として勘が鈍いことは哀しいかな、ちゃんと分かっている。
オスマン帝国軍はウィーンを囲んでいた。
その距離は今この瞬間にも詰めているように、グラシぎりぎりの所まで迫っている。
対城壁破壊用のコロンボルナ砲が十門弱、こちらの崩れた壁に砲口を向けているのは分かるのだが。
はて、あれは一体どういう事なのでしょうとリヒャルトは唸った。
おなじみのシャーヒー砲、その数六十門ほどであろうか。
それらはウィーンに狙いを定めず、完全にそっぽを向いているのだ。
大軍の布陣も、全ての人員を使って幾重にもウィーンを囲んでいるのではなく、ウィーンに背を向ける恰好で並ぶところもある。
「どういうことです? まさか……」
一つの考えに思い至り、リヒャルトはシャーヒー砲の砲口の先へ視線を辿った。
グラシの向こう、北側にはウィーンの森と呼ばれる丘陵がある。
平時であれば市民や近隣住民の憩いの場であるのだが、今はさすがに不気味に静まり返っているだけだ。
さらに視線を走らせる。
ウィーンの森の北、小高い丘が連なるそちらの一体は白頭山脈と呼ばれている地帯。
そこに、リヒャルトは見た。
旗が靡く。
赤と白の地に金を縁取られた紋章──それはリヒャルトも見知った旗であった。
「ああっ!」
悲鳴に近い叫びを、リヒャルトは慌てて呑み込む。
「ぬ、ぬか喜びはいけません。ちゃんとよく見て、よく確認して……」
ブツブツ言いながら身を乗り出す。
とはいえ、何度目を擦って凝視しても、それが消えることはない。
間違いない。
旗はポーランド国旗だ。
「や、やっと来た……」
救援軍がそこまで来ている──そう思った瞬間のこと。
「リヒャルト、何をいたしておるのだ。直ぐに降りてまいれ」
夕暮れの空によく通る声が響いた。
一三七メートル上にいる自分の耳にもはっきりと聞こえる。
さすが歌手志望というだけありますね。
声が汚くて、その上音痴ですが声だけは大きいとリヒャルトはこの場にまったくそぐわないことを考えた。
シュテッフルの下からグイードが呼んでいるのだ。
「は、はい! すぐに降ります」
自分の細い声が地上にまで届きはしないとは百も承知で、それでもリヒャルトは叫び返した。
偵察隊より入った情報だ。
階段を駆け下りて息を切らしているリヒャルトに向かって、グイードはそう告げた。
歴戦の戦士である彼のこと。
努めて冷静にと自分に言い聞かせているのだろう。
しかし語尾は跳ね上がっていた。
「救援軍が近付いている。その数六万五千。この機を逃してはならぬ。我々も討って出るぞ」
「……六万ですか」
リヒャルトの口調がグイードほど歯切れ良くなかったのは、その数が思ったほど多くないと感じたからだ。
ウィーンを包囲するオスマン帝国軍は三十万とも言われているのだ。
しかも砦の攻略を行っていた別動隊を呼び寄せたりして、その数は次第に膨れ上がっていく。
父が言うように商人や職人が多数を占めているのが事実だとしても、救援軍六万五千は少なすぎるだろう。
ウィーン守備隊と足しても七万弱ではないか。
せめて十万はほしいところだ。
そうは思ったものの、口に出すのは堪える。
二か月もの間、野宿して疲れ切っておるオスマン軍など敵ではあるまいとやり込められ、自分の臆病を笑われるのが目に見えたから。
「兄上の策で、ひたすらこちらの降伏待ちをしていたのであろうが。カラ・ムスタファ・パシャの奴め、救援が迫っている以上は総攻撃を仕掛けてくるに違いあるまい。さもなければ、救援軍と我らで挟み撃ちにあってしまうからな」
カラ・ムスタファは焦っていた。
この数日続いたコロンボルナ砲の、昼夜問わずの砲撃はそういうことだったのだろう。
「さぁ、兵らを集めよ。今こそ討って出るのだ。おお、市長殿が造ってくださった薬莢を皆に配らねばな。一つずつでも良い。兵ら皆の手に渡るようにせねば。実戦で使えるものだが、それ以上にお守りになろう。市長殿も我らと共に戦ってくださると」
グイード、よほど高揚しているのか。
息つくまもなく放たれる言葉たち。
その合間に兵士らに招集をかけ、細かな警備の指示もしっかり済ませている。
「いつも思うのだよ。マスケット銃の弾丸がこのようなただの球体ではなく、円錐形をしていればと。そうすれば抵抗が少なく宙を長く飛ぶであろうに。狙いとて格段につけやすくなる。ああ、兄上に進言しなくては。誰もが兄上のようにマスケット銃の名手ではないのだからな。多くの者にとって使いやすい銃であれば、マスケットの持つ可能性もまた一段と……ところで」
ここで初めてグイードは言葉を詰まらせた。
「それで……兄上はどちらに?」
「………………」
リヒャルトは無言で首を振った。
※ ※ ※
問題山積みで、どこを向けば良いかも分からない。
父も、妹も、そして自分も。胡散臭いパン屋も、この街も。
すべてが滅びの方向に向かっているのだろうか。
それを止める術もないのだろうか。
再びリヒャルトは小さな街に視線を転じた。
ウィーン市内、ぐるりと囲む壁。
その向こうには、相変わらず一定の距離をおいてオスマン帝国の大軍が。
「これは……どういうことです?」
敵軍の布陣が妙であることに、リヒャルトはようやく気付いた。
多分父ならば一瞬見ただけで変化を感じただろう。
自分が軍人として勘が鈍いことは哀しいかな、ちゃんと分かっている。
オスマン帝国軍はウィーンを囲んでいた。
その距離は今この瞬間にも詰めているように、グラシぎりぎりの所まで迫っている。
対城壁破壊用のコロンボルナ砲が十門弱、こちらの崩れた壁に砲口を向けているのは分かるのだが。
はて、あれは一体どういう事なのでしょうとリヒャルトは唸った。
おなじみのシャーヒー砲、その数六十門ほどであろうか。
それらはウィーンに狙いを定めず、完全にそっぽを向いているのだ。
大軍の布陣も、全ての人員を使って幾重にもウィーンを囲んでいるのではなく、ウィーンに背を向ける恰好で並ぶところもある。
「どういうことです? まさか……」
一つの考えに思い至り、リヒャルトはシャーヒー砲の砲口の先へ視線を辿った。
グラシの向こう、北側にはウィーンの森と呼ばれる丘陵がある。
平時であれば市民や近隣住民の憩いの場であるのだが、今はさすがに不気味に静まり返っているだけだ。
さらに視線を走らせる。
ウィーンの森の北、小高い丘が連なるそちらの一体は白頭山脈と呼ばれている地帯。
そこに、リヒャルトは見た。
旗が靡く。
赤と白の地に金を縁取られた紋章──それはリヒャルトも見知った旗であった。
「ああっ!」
悲鳴に近い叫びを、リヒャルトは慌てて呑み込む。
「ぬ、ぬか喜びはいけません。ちゃんとよく見て、よく確認して……」
ブツブツ言いながら身を乗り出す。
とはいえ、何度目を擦って凝視しても、それが消えることはない。
間違いない。
旗はポーランド国旗だ。
「や、やっと来た……」
救援軍がそこまで来ている──そう思った瞬間のこと。
「リヒャルト、何をいたしておるのだ。直ぐに降りてまいれ」
夕暮れの空によく通る声が響いた。
一三七メートル上にいる自分の耳にもはっきりと聞こえる。
さすが歌手志望というだけありますね。
声が汚くて、その上音痴ですが声だけは大きいとリヒャルトはこの場にまったくそぐわないことを考えた。
シュテッフルの下からグイードが呼んでいるのだ。
「は、はい! すぐに降ります」
自分の細い声が地上にまで届きはしないとは百も承知で、それでもリヒャルトは叫び返した。
偵察隊より入った情報だ。
階段を駆け下りて息を切らしているリヒャルトに向かって、グイードはそう告げた。
歴戦の戦士である彼のこと。
努めて冷静にと自分に言い聞かせているのだろう。
しかし語尾は跳ね上がっていた。
「救援軍が近付いている。その数六万五千。この機を逃してはならぬ。我々も討って出るぞ」
「……六万ですか」
リヒャルトの口調がグイードほど歯切れ良くなかったのは、その数が思ったほど多くないと感じたからだ。
ウィーンを包囲するオスマン帝国軍は三十万とも言われているのだ。
しかも砦の攻略を行っていた別動隊を呼び寄せたりして、その数は次第に膨れ上がっていく。
父が言うように商人や職人が多数を占めているのが事実だとしても、救援軍六万五千は少なすぎるだろう。
ウィーン守備隊と足しても七万弱ではないか。
せめて十万はほしいところだ。
そうは思ったものの、口に出すのは堪える。
二か月もの間、野宿して疲れ切っておるオスマン軍など敵ではあるまいとやり込められ、自分の臆病を笑われるのが目に見えたから。
「兄上の策で、ひたすらこちらの降伏待ちをしていたのであろうが。カラ・ムスタファ・パシャの奴め、救援が迫っている以上は総攻撃を仕掛けてくるに違いあるまい。さもなければ、救援軍と我らで挟み撃ちにあってしまうからな」
カラ・ムスタファは焦っていた。
この数日続いたコロンボルナ砲の、昼夜問わずの砲撃はそういうことだったのだろう。
「さぁ、兵らを集めよ。今こそ討って出るのだ。おお、市長殿が造ってくださった薬莢を皆に配らねばな。一つずつでも良い。兵ら皆の手に渡るようにせねば。実戦で使えるものだが、それ以上にお守りになろう。市長殿も我らと共に戦ってくださると」
グイード、よほど高揚しているのか。
息つくまもなく放たれる言葉たち。
その合間に兵士らに招集をかけ、細かな警備の指示もしっかり済ませている。
「いつも思うのだよ。マスケット銃の弾丸がこのようなただの球体ではなく、円錐形をしていればと。そうすれば抵抗が少なく宙を長く飛ぶであろうに。狙いとて格段につけやすくなる。ああ、兄上に進言しなくては。誰もが兄上のようにマスケット銃の名手ではないのだからな。多くの者にとって使いやすい銃であれば、マスケットの持つ可能性もまた一段と……ところで」
ここで初めてグイードは言葉を詰まらせた。
「それで……兄上はどちらに?」
「………………」
リヒャルトは無言で首を振った。
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