31 / 108
《本編》
31. 離れていく距離
しおりを挟む仕事を辞めてからの僕は、ほとんどを家から出ずに過ごした。
外に出るのが怖かった。番がいるから外でフェロモンをばら撒く事はないけれど、出先で急に体調を崩しても困る。もし病院なんかに運ばれたりしたら、彰宏さんに知られてしまう。彼に迷惑をかけたくない。貧弱で役立たずなΩだと見限られたくない。
…………………………。
ああ、駄目だ…。どうしても思考が不安定な精神に引っ張られてしまう…。
とにかく、僕は必要な時以外は外に出る事を諦めた。あまり良くない傾向だと理解はしていても、どうにもならなかった。幸い、買い物はネットでも出来るから何とかなると思った。
僕は家に居る様になった。番のαを家で待つΩに。
彰宏さんがそれを望んだ訳じゃない。それでも、少しは期待したんだ。僕の事を気に掛けてくれるかも知れないって。
彰宏さんはいつも優しい。一緒にいる時、会話は普通に交わす。無視されたり、冷遇されたり、ましてや、怒鳴られたりした事は一度も無い。発情期に放置されてるのが冷遇、といえばそうなのかも知れないけれど。
彼は、発情期に帰らなかった事をいつも謝る。そのくせ、発情期に独りで堪える僕の様子を気にかけたりしないし、その次の発情期も帰って来なかったり…。多分、他人からしたら、僕は相当酷い扱いをされている様に見えるかも知れないけれど、それでも僕は夫を…彰宏さんを信じたかったんだ。
好きだから…愛しているから…。
何度、裏切られても……。
けれど、その僕の想いを嘲笑うかの様に、それから幾らもしない内に、彰宏さんの外泊が増えていく。
それまでは、どれだけ遅くなっても必ず帰って来ていたのに、ある日、毎朝必ず僕より先に起きて朝ご飯を用意してくれる彰宏さんの姿がキッチンになかった。テーブルの上には、毎晩僕が書くメモ。イヤな予感がして慌てて冷蔵庫を開ければ、中にはラップを掛けた夕飯のおかずがそのまま残されていた。耳を澄ませてみても、自分の息遣い以外は物音一つしない。
そこで僕は首を傾げた。
そういえば僕はいつ寝たんだろう? 昨夜も寝付けず、無意味に何度も寝返りを繰り返していた筈だ。今夜は遅いな…と、日付が変わってかなり経っても帰って来ない彰宏さんを待って…。きっと限界を迎えて寝落ちたんだろう。人はどんなに眠れなくても、限界を迎える事で強制的に眠るように出来ているらしい。それは気絶に近いのかも知れない。それで体が休まるか…といえば、僕には分からない。倦怠感と頭痛はなくならない。
最初は週に1日、暫くしたら週に2日…。少しずつ増えていった外泊は、2ヶ月も経たない内にほぼ毎日になった。そうしていつからか、彰宏さんは金曜日の夜に帰って来て土曜日は1日僕と過ごし、日曜日の朝に家を出て、また金曜日の夜に帰って来て…というルーティンが出来上がっていた。
彰宏さんはおかしいとは思わないのだろうか。僕と彰宏さんは結婚した筈だ。僕達は夫夫で、此処は僕達が暮らす僕達の家の筈なんだ。それなのに、貴方は何処に帰っているの? 僕達は週に2日と一緒にいないんだよ? 週末だけ帰って来る…って…。まるでこんな…僕の生存確認に来るみたいな事…。
解ってるよ? 彰宏さんがそんな事思ってない事は。だって、金曜日の夜に僕が出迎えると、凄く安堵した顔をするもの。そして必ず訊くの。「ご飯食べてるか?」って。僕は「食べてるよ」って答える。こんな会話自体が不自然だって、貴方は気付いているのかな?
僕ね、ちゃんとご飯は食べてるよ。食は細くなったし、栄養バランスなんて丸無視だけれど。強い抑制剤の副作用に『吐き気』というのもあったんだけれど、僕の症状に嘔吐感は出なかった。倦怠感と頭痛に全振りされたみたいに。だから、食べる事に支障はなかったんだ。栄養バランスなんか気にしないし、量も少ないから、体重は減ったけれど。お腹が空くから食べる。でも、少ししか食べられない。その繰り返し。顔はあまり窶れていないし、服は体の線が判りにくいゆったりしたものを着ているから、近くには寄っても僕を抱き締めない、ましてや抱かない彰宏さんは、多分気付いていないだろうけれど。そう。毎週末帰って来ても、夫は僕を求めない。発情期以外も求められなくなった僕は、彼にとっての何なんだろう?
金曜日の夜と土曜日、そして日曜日の朝まで、ご飯は彰宏さんが作ってくれる。元々少食の僕に合わせた量を用意してくれるんだけど、今の僕には多い。でも、不思議だね。彰宏さんが傍にいるだけで少しだけど食欲も戻って来るし、夜もよく眠れるんだ。だから僕は、彼が傍にいてくれる内に彼の匂いをいっぱい吸い込む。触れてもらえないし、自分から触れる事も出来ないから、出来るだけ近くに添って。無意味なのは解っているけれど、また暫くは独りだから、せめて…。
このまま時間が止まればいいのに…と思っても、時間は無情にも過ぎ去るもの。日曜日の朝になれば、彰宏さんはまたいなくなる。「行かないで」と縋ってみた事もあるけれど、「ごめん…」と言って彼は行ってしまった。僕はその一度で追い縋るのを止めた。
彰宏さんは再び出て行く時、僕と過ごす間に着ていた服を下着まで一式、洗濯せずに置いていく。その衣服には、彰宏さんの匂いが染み込んでいて…。
情け…だろうか…。どうして…。惨めだ…。
それでも僕は、その衣服一式を寝室に持ち込んでベッドの上に僕だけの巣を作り、毎晩眠りに就くー。
579
あなたにおすすめの小説
僕たちの世界は、こんなにも眩しかったんだね
舞々
BL
「お前以外にも番がいるんだ」
Ωである花村蒼汰(はなむらそうた)は、よりにもよって二十歳の誕生日に恋人からそう告げられる。一人になることに強い不安を感じたものの、「αのたった一人の番」になりたいと願う蒼汰は、恋人との別れを決意した。
恋人を失った悲しみから、蒼汰はカーテンを閉め切り、自分の殻へと引き籠ってしまう。そんな彼の前に、ある日突然イケメンのαが押しかけてきた。彼の名前は神木怜音(かみきれお)。
蒼汰と怜音は幼い頃に「お互いが二十歳の誕生日を迎えたら番になろう」と約束をしていたのだった。
そんな怜音に溺愛され、少しずつ失恋から立ち直っていく蒼汰。いつからか、優しくて頼りになる怜音に惹かれていくが、引きこもり生活からはなかなか抜け出せないでいて…。
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした
水凪しおん
BL
貧しい村で育った隠れオメガのリアム。彼の運命は、冷酷無比と噂される『銀薔薇の公爵』アシュレイと出会ったことで、激しく動き出す。
強大な魔力の呪いに苦しむ公爵にとって、リアムの持つ不思議な『浄化』の力は唯一の希望だった。道具として屋敷に囚われたリアムだったが、氷の仮面に隠された公爵の孤独と優しさに触れるうち、抗いがたい絆が芽生え始める。
「お前は、俺だけのものだ」
これは、身分も性も、運命さえも乗り越えていく、不器用で一途な二人の成り上がりロマンス。惹かれ合う魂が、やがて世界の理をも変える奇跡を紡ぎ出す――。
【完結】君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが…
《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ
MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。
揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。
不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。
すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。
切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。
続編執筆中
キミと2回目の恋をしよう
なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。
彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。
彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。
「どこかに旅行だったの?」
傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。
彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。
彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが…
彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?
目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?
綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。
湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。
そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。
その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる