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《本編》
45. 祐斗の言い訳(彰宏side(20)
しおりを挟む琳の兄、瑠偉さんが病院に駆け付けたのは、夜の七時を過ぎた頃だった。俺の代わりに父が瑠偉さんに連絡してくれたのだが、社長を継いでまだ2年余りの彼は日々多忙を極めていて、逸る気持ちを抑えながら、仕事を終えてから来たという。
そして、ベッドに横たわる琳と対面した彼は…。
琳の今の症状だけの説明を求めた瑠偉さんに俺は、薬物の過剰摂取による薬物中毒である事と、胃の洗浄の後、体内に残った薬を抜く為の点滴をしている間、強制的に眠らせている事を告げた。俺が担当医師から説明された事そのままを。
彼はそれ以上の説明を俺に求めなかった。どうしてこんな事になったんだ、と俺を問い詰める事は一切しなかった彼が、何を思っていたかは分からない。彼はただ、眠る琳の頭を、頬を、無言で何度も撫でていた。俺は立ったまま、その様を少し離れた所から見ていた。
静かに時間が過ぎ、面会時間終了間近の放送が院内に流れ、俺と瑠偉さんは、それぞれに病院を後にした。
本当は付き添いたかったけれど、この病院は完全看護で、危篤でない限り、乳幼児以外の患者の付き添いは認められていない為、帰るしかなかった。
帰り際、瑠偉さんは「明日の朝、また来る」と言い残して…。
病院を出た後、自宅には帰らず祐斗と宏斗のアパートに行った俺を、祐斗は意外そうな表情で出迎えた。いつもなら戻るのは明日の朝だからだろう。初めこそ首を傾げていた癖に、予定より早く来た事が嬉しいらしく笑顔を見せる祐斗に、俺は苛立ちを覚えた。
「宏斗は?」
素っ気ない態度で訊けば、「寝てます」と返ってきた。
ベビーベッドの中ですやすやと眠る宏斗を確認してから、祐斗に向き直った。
「3日前、宏斗を連れて俺の自宅に行ったそうだな。俺の母親と一緒に」
「…え……」
「何故、言わなかった? それ以前に、いつ俺の母親と知り合ったんだ!?」
低い声で訊く。いつになく俺が怒っているのが伝わったのか、真っ青な顔をして俯きかけた祐斗の顎を掴み、顔を上げさせる。
「話せ」
語気強く促せば、祐斗が口を開いた。
宏斗の3ヶ月健診で、子供の健康の為にも…と散歩を勧められ、天気の良い日はベビーカーに乗せて近くの公園に行ったり、買い物に行ったりしていた祐斗。それは俺も知っていたし、宏斗の健康の為なので、文句はなかった。
いつもの様に公園で日光浴をしていた時、一人の女性に声を掛けられたという。1ヶ月程前らしい。宏斗の事を「可愛い子ね」と褒めてくれ、初めは警戒していた祐斗も、女性と話している内に警戒心は薄れていったらしい。普段はあまり他人と接する事なく赤ん坊と2人きりの生活。人との繋がりに飢えていたのだろうか。女性が名乗ったのは、1時間ほど話をして「そろそろ帰ります」と祐斗がベンチから立ち上がった時。自分の身分証を見せ、彰宏の母親だと名乗った。学生時代の彰宏の写真を見せられた事で信じたという。夜、彰宏に言わなかったのは、自分と彰宏の間に会話は無いから。その後は一度も女性に会う事はなく、その存在を忘れかけていた3日前。再び祐斗の前に姿を見せた女性は、戸惑う祐斗にこう言ったという。
『彰宏さんの自宅に行きましょう。琳さん…彰宏さんの奥さんに挨拶したいでしょう? 夫を差し置いて子供を産んだのですもの。挨拶くらいは…ねぇ』
とー。
その言葉は祐斗には救いに聞こえたという。
何故なら、ずっと俺の夫に謝りたいと思っていたから、だ…と。そう思い始めたきっかけは、宏斗のオムツかぶれで病院に行った時に俺が医師に向かって言い放った言葉。それまでは、俺に夫がいる事を知っていても、自分の所に頻繁に来てくれる事に何の疑問も罪悪感も抱かなかったが、俺の言葉により、自分の行いが同じΩである俺の夫を独りにさせる原因を作っている事に今更ながらに気付いたから…と。ただそうは思っても、俺の自宅を知らず、心の中で謝る事しか出来なかった…と。
祐斗の言い分に、俺は怒りで頭が沸騰しそうだったが、寝ている宏斗の事と、夜である事、大声を出せば近隣に迷惑が掛かる、と思い、理性で抑え、祐斗には冷たい視線だけを向けた。
流石に威圧は放っていないが、俺の怒りは伝わったらしく、祐斗の顔色は変わらず青い。
謝リたかった…?
何を…? 何について…?
俺を独り占めしてごめんなさい…?
貴方より先に俺の子供を産んでごめんなさい…?
ふざけるな。愛人の立場でありながら正妻に謝罪に行くなど、ふざけているとしか思えない。表向きは謝罪、けれど実際にはマウント取りだと思われるかも知れない事くらい考えられなかったのか。『僕は貴方より愛されています』『僕と貴方の夫の間には子供がいます』と。
「母は夫に俺と離婚する様に迫ったそうだな。3年経っても子供がいないのは夫に問題がある様に言い、宏斗の為に別れろ、と。お前はそれを聞いて、どう思った?」
「……………」
「俺が離婚してお前を選ぶと思ったのか?」
「…!…ちっ…ちがっ…! そんな事は思ってません!」
「一つ、教えよう。俺達夫夫に子供がいないのは出来ないからじゃなく、作らないからだ。今はまだ…な。結婚前に夫が自主的に受けた婚前検査で夫の生殖器に異常がない事は確認済みだ。3年は子供を作らず2人きりで過ごそうと約束していた。お互いに避妊をちゃんとして、俺達は3年という長い新婚生活を楽しむ予定だったんだよ。たった1年で壊れたがな。ああ、この話は母は知らない。俺達はあの人と距離を置いていたからな」
暗に、琳は姑息な手を使ってまで妊娠しようとは考えなかったし、俺達の幸せな新婚生活を壊したのはお前だと告げれば、祐斗の瞳が揺れた。
「なあ、楽しかったか? あの人に詰め寄られている時の夫の顔を見ただろう? 絶望的な顔をしていなかったか?」
「…絶望的な……」
俺は祐斗に教えてやった。本当のあの人を。
俺達の結婚に反対していた事は勿論、それ以前から俺の恋愛関係を潰し、父と俺を自分の所有物かの様に束縛しようとする。俺と夫の結婚を邪魔しようとした為、とうとう父に離婚を突き付けられ、離婚されたくなければ俺達の生活の邪魔をしない様に最後通牒を言い渡されていた事…。
あの人が祐斗に近付いたのは宏斗がいたからだ。祐斗があの人に絆され信じるという愚かな選択をすれば、俺に似ている宏斗は間違いなく取り上げられるだろう。あの人の目的は宏斗だと断言出来る。
「…そ…そんな……」
あの人の本性と真の目的を知り、青い…どころか白くなる祐斗の顔色。だが、今は構っている暇はない。
「母とお前の希望通り、昨夜、離婚を切り出されたよ」
「…えっ…?」
「祐斗、俺がいないと宏斗の世話が出来ないのなら、今、宏斗を連れて行く。父にも宏斗の事は話した。今更、隠す意味もない。選べ、祐斗。自分で世話をするか、俺に預けるか」
「………。…じ…自分で…世話をします…」
取り上げられる話をしたばかりだからか、首を横に振りながら自分で世話をすると言う。母親なら当たり前だがな。
「なら、しっかり世話をしろ。落ち着いたら一度様子を見に来るが、宏斗の体に異変が見られたら、その時は連れて行く」
念を押す様に言い、俺はアパートを後にする。
自宅に戻り、琳の着替えなどを用意しなければならない。
明日、琳が目を覚ました時、俺の姿をみたらきっと怯えるだろう。泣き出すかも知れない。
その時俺は、きっと更なる絶望を味わう事になるー。
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