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《本編》
53. 母と妹に話す(瑠偉side⑤)
しおりを挟む昨日の華英に続いて、今日の午後、アメリカから母さんが単身で帰国した。父さんはどうしても抜けられない仕事があるらしい。俺からの『琳、入院』の一報に自分も帰国するとゴネたらしい父さんだが、仕事を投げ出すのかと母さんに一蹴され、命に別状はないという事で、渋々帰国は断念したらしい。母さん曰く自業自得だとか。
面会時間を終えて帰宅したのは午後十時近く。
「瑠偉、私達に話があるのではないの?」
リビングに入るなり、母さんが言った。
「……………」
我が母ながら、相変わらずの鋭い観察眼に脱帽だ。
確かに話さなければならない事はあるが、夜も遅いし、母さんも長いフライトを終えて病院に直行だったから疲れているだろう、と、話は明日にしようと思っていた。
「明日、話すよ。母さんも疲れてるだろ?
すぐに風呂の準備をして来るよ」
そう言ってリビングを出ようとした俺を、
「1日くらいお風呂に入らなくても死にはしません。
瑠偉、話しなさい」
母さんが少し強めの口調で止めた。
その有無を言わせぬ迫力に俺は息を吐いてから、母さんと華英をリビングへと誘う。L字型に置かれたソファーの一つに母さんと華英が並んで座り、俺は二人の顔が見える位置に腰を下ろす。
二人の顔を見つめ、内容を頭の中で整理しつつ、慎重に言葉を選びながら話し始めたー。
そして、話し終えるー。
俺はいつの間にか膝の上で両手を組み、俯き加減になっていた顔を上げて、改めて母と妹を見た。
華英は口元を両手で覆い、目には涙が浮かんでいた。
そして母は…。
表情の読めない顔…。つまり、無。
「母さん、華英、ごめん。俺は琳に会える距離にいたのに、仕事を理由に電話だけして、琳は幸せに暮らしてるものだと決めつけてた。せめて月に一度でも会っていれば…」
「それは違うわ、瑠偉。私だって!」
「瑠偉、華英、それを言うなら、パパとママもでしょう。私達は瑠偉に本社を任せてアメリカに移住した。それこそ、結婚して1年。琳は幸せだと…これからはもっと幸せになるのだと信じて疑わず、仕事を理由に帰国しなかったのだから。それぞれが自分の事でいっぱいいっぱいで、琳を気に掛ける余裕はなかった。後悔はみんな一緒です。それを今更言っても仕方ないわ。
それで、瑠偉は2人の話を聞いて、どう考えたの?」
母さんが俺に問う。
どう考えた…か…。
「琳は離婚を希望しているけれど、正直、俺はあまり離婚は勧めたくはない。普通の夫夫なら夫夫生活が破綻している今、離婚は有りだと思うが、2人は番。離婚を選ぶのはリスクが高い。Ωは番のαの匂いに包まれる事で心が満たされるから、たとえ関係が破綻していても、2人の家は琳にとっては特別安心出来る場所なんだ。α本人がたまにしか帰らなくても、そこにはαの私物が有り、2人で過ごした思い出があるから。番と別れたΩは別れた後も本能で番のαを求め、けれど番がいない事に絶望し、疲弊し、そして短い生涯を終える…」
「「……………」」
母さんは無言のまま俺を見つめ、華英は涙を流しながら鼻を啜っている。特に華英は自身の伴侶がΩ。そして番。番を失ったΩの末路を想像するだけで胸が痛むだろう。
「琳は全て理解した上で離婚を望んだ。兄としては琳が望むなら叶えてやりたいが、寿命を削ると解っていて手放しで賛成もしてやれない。それに、彰宏は離婚を拒否した。もし…もしもだが、2人が夫夫として関係を再構築出来るのなら、それが最善じゃないかとも思う」
簡単な事ではないかも知れないが、彰宏が愛人と子供を完全に切り、琳と2人で一から夫夫として…番としてやり直せるのなら…と、琳の決意が固い事を知りながら、琳を早死にさせるくらいならば…と考えてしまう。
けれど……。
「ただ…」
琳自身から聞いた、琳が離婚を決意するに至った『原因』を告げれば……。
「「……!!!」」
無表情だった母さんの顔も、驚愕の色に染まる。
「そ…その事…彰宏さんは…」
訊いてきたのは華英だ。声が震えている。
「琳は敢えて言わなかったらしいから、知らないだろう。ただ、琳を疑う訳じゃないが、俺は『確信』が欲しい。その結果次第で今後の話し合いの方向性が変わる。だから、入院している間に調べてもらおうと思う」
「では、話し合いは琳の退院を待ってから…という事ね?」
確認する様に言う母さんに、俺は深く頷いた。
「解りました。パパには明日の朝、私から伝えるわ。あちらは今は仕事中でしょうから。瑠偉、ビデオ通話は出来るかしら」
「あ、うん。此処にパソコンを用意するよ。俺も傍にいても良い? 父さん、俺に何か訊くかも知れないし」
「それなら、私もいるわ」
そして、すっかり夜も更けていたが、俺達は順番に風呂に入ってから眠り、翌朝、父さんにビデオ通話で入院中の琳の容態、彰宏と琳の間に起きた事を話した。母さんが俺から聞いた話を上手くまとめて話し、俺は補足、華英は無言で母さんの隣にぴったりとくっついて座っていた。
画面の向こうの父さんは、母さんが話している間、口こそ挟まなかったが、時折唸る様な声を出しながら始終険しい顔をしていた。本当は直ぐにでも帰国したいのだろう。だが、改めて母さんに諭され、気持ちを落ち着ける様に何度か深呼吸をすると、
『瑠偉』
俺を呼んだ。母さんと入れ替わってパソコンの正面に座る。
『先方への対応はお前に任せる。私も半月を目途に一度帰国するが、それまでに先方と話が出来そうなら進めてくれていい。その愛人とやらにも会って話す必要があるな。無論、その親にも。播磨だったか。私が帰るまで、琳を頼む』
「分かった」
俺に一任すると言う父に、俺は「任された」と力強く頷いた。
俺達は毎日、病院に通った。
栄養失調気味だった琳は日に日に食べる量が増え、変わらず細身ではあるものの、本人曰くほぼ元の体重に戻ったとの事。顔色も良くなった様に思う。皆、安堵した。決して琳には近寄らない彰宏も、ほっとした顔をしていた。
俺から話を聞いた後も、母さんも華英も彰宏を責めない。彰宏に非があるのは間違いないが、彼だけを悪と決め付けて責める事は出来ないのだろう。俺もそうだ。
秘書に強制的に休まされた1週間が過ぎて俺は仕事に復帰したが、母さんと華英は毎日琳に寄り添ってくれた。俺も、そして彰宏も、仕事が終わると短時間でも病院に通った。
琳の顔を見る為に。
緊急入院から10日あまり。
琳の退院する日が決まったー。
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