67 / 108
《本編》
67. 僕が《壊したもの》(祐斗side②)
しおりを挟む番った相手は既婚者だったー。
Ω性で番の奥様がいる人ー。
『高槻 彰宏』。それが僕の番の名前。
僕が自分の願望の為に、『フェロモンレイプ』で番にしてしまった人は、お父さんの会社よりずっと大きくて引き篭もりだった僕でさえ名前くらいは知っている会社の、次期社長になる人だった。
既婚者である事もあり、当然、僕と彼だけの問題では済まされなかった。僕は事の次第を知ったお父さんから烈火の如く叱責されたけれど、僕の項には番契約成立の証の噛み跡がくっきりと残され、既に手遅れだという事を証明していた。
元々引き篭もりの僕だったけれど、きつく自室での謹慎を言い渡され、先方との話し合いにはお父さんが1人で向かった…と思っていた。まさか圭斗を連れて行くなんて思わず、その事を後で知った。お父さんは知らないから仕方ないけれど、話し合いから帰宅した圭斗は何も言わずに、ただ僕を鋭く睨み付けた。
話し合いの内容はお父さんが教えてくれた。
互いの謝罪から始まった話し合いは、『フェロモンレイプ』を仕掛けた僕に罪の比重が傾いているとはいえ、番にしてしまった息子にも全く非が無いとはいえないから…と、僕を訴える事はしないと言ってくれた彰宏さんのお父さん。でも、流石に罪を犯した息子をこのまま何の咎めも無しという訳にはいかない…と、息子は『Ω療養施設』に入れると言った僕のお父さん。その事を聞いて、僕も仕方無いかなと思った。決して僕のαにはならない人と番契約を結んだ僕はこの先独りで生きていくしかない。施設はΩの終の住処と言われてるけれど、発情期のケアもしてもらえるのだから、僕は引き篭もる場所が変わるだけ…と思う事にした…のに、彰宏さんは僕のお父さんにある提案をしたという。
僕に数枚束ねられた書類を差し出すお父さん。その書類を受け取り、1枚目に大きく書かれた文字を見て、僕は自身の目を疑った。
《愛人契約書》ー。
番にしてしまった責任を取り、必要最低限の生活の面倒は見る…との、彰宏さん本人からの申し出。
奇しくも、僕が最初に考えていた事だった。結婚出来なくても最低限の生活の面倒を見てくれれば…と。
お父さんは、書類をよく読んで判断しなさい、と言った。でも、奥様には申し訳ないと思いながらも、僕にとっては望んでいた事だった。
そして僕は、手にしたその書類に隅々まで目を通し、全て納得した上で署名をした。
僕が『罪』を犯してから3日後の事だったー。
今にして思えば、この時僕は契約書に署名せずに、素直に施設に入るべきだったんだ。そうしておけば……。
今更思ったところで、時間は戻らないー。
どうして僕は与えられた生活環境で満足していられなかったのだろう? 自分の立場は理解していた筈なのに…。
名目上は『愛人』。けれど、世の愛される愛人とは違う。僕は、彰宏さんの責任と情により生活を保障されているだけの存在。それだけだった。それだけで満足だった筈だった。
引き篭もりだった僕は1人には慣れていた。慣れていると思い込んでいた。でも、よくよく思い返せば、僕は完全な引き篭もりだった訳じゃない。ご飯の時は自室を出て家族と食べていたし、部屋に篭もっていても、同じ屋根の下には家族がいて、使用人達もいた。本当の意味での独りじゃなかった。
だけど、愛人になった僕は独りだった。家族との接触は禁じられ、たまに買い物に出るくらいで、彰宏さんが訪ねて来てくれるのを待つ日々。彼にとっては義務でも、僕にとっては彼だけが頼りであり、彼に依存していくのは必然だった。
僕は…寂しかったんだと思う。
そんな僕の弱い心の隙を見逃さず、再び悪魔が囁く。
契約を忘れてはいない。それでも欲した。先の事なんて何も考えていなかった。
姑息な手段で妊娠した。Ω男性妊娠は極初期でないと堕胎出来ない事を知っていて、彰宏さんが発情期以外では決して僕に触れないのを利用して、妊娠した事を伝えなかった。妊娠がバレた時も当然怒られたけれど、既に堕胎出来ない時期だったから、「子供を産ませてもらえるなら子供と2人で静かに暮らすから」と懇願すれば、反対はされなかった。放り出されもしなかった。この時僕は、本当にそう思ってた。子供と2人、ひっそりと静かに暮らそう…って…。
でも、現実は甘くはなかった。悪阻で満足に食事も摂れない僕の健康状態を心配した担当医が、僕の世話を彰宏さんに頼んでしまった。彰宏さんは納得していなかったと思う。それでも毎日、仕事帰りに1日分の食事を運んでくれたのに、僕は彼の疲れた様子にも、家で待つ奥様の事も、気にする余裕がなかった。出産間近まで悪阻は続いたものの、僕は元気な男の子を1人で産んだ。
そして愛しい我が子を腕に大切に抱いてアパートに帰った僕は、改めて現実を…自分の考えの甘さを知った。子供はただ愛でていればいいだけのお人形じゃなかった。そんな当たり前の事すら、浅はかな僕は失念していたんだ。病院では看護師さんが手伝ってくれたから、困った事はなかった。でも、自宅では僕1人で世話をしなければならない。退院した日の夜に来てくれた彰宏さんに、手伝ってほしい…とは言えなかった。1人で育てると言ったのは自分だから…。泣いたら授乳をして、抱っこした時にオムツが膨らんでたり臭いがしたらオムツを替えていた。病院で教えてもらったのに、赤ちゃんは泣かなくても定期的な授乳と頻繁なオムツ替えが必要だという事を、正しく解っていなかった。そして、清潔を保つ為に毎日必要な沐浴も、もしお湯の中に落としでもしたら…と思ったら怖くて出来なかった。自分の行動一つで、簡単に命を危険に晒してしまう。小さな命の重さを知った。簡単に欲していいものではなかったのだ、と…。
案の定、子供は…宏斗は、僕が清潔を保つのを怠ったせいでオムツかぶれになり、4日ぶりに訪ねて来た彰宏さんと一緒に病院に連れて行った。そこで知った、彰宏さんと奥様の現状。僕のせいだという事は痛いくらいに解っていたけれど、結局また、宏斗を安全に育てるために、僕は彰宏さんに縋るしかなかった。僕は変わらず、彼を束縛し続けた。
宏斗の沐浴の為に毎日来てくれる彰宏さん。少しずつ泊まっていく日が増え、やがて僕のアパートに帰って来て、朝アパートから出勤する。週末だけ奥様の所に帰るのが常になっていく。僕だって気にしなかった訳じゃない。自分の立場だって忘れてない。「奥様は大丈夫ですか? 僕達は大丈夫ですから、奥様の所に帰って下さい」とは、自分からは言えなかった。まだ1人で宏斗をお風呂に入れるのに不安があったのもあるけれど、僕は幸せという幻想に浸っていたかったのだと思う。彰宏さんは決して僕には笑いかけてはくれないし、会話も必要最低限しかしないけれど、宏斗には笑顔で優しく話しかけたりしてくれる。こんな生活が続けばいいのに…と、愚かな僕は叶う筈もない夢を見ていた。
奥様に一度だけ会った。会いに行った…というほうが正しいのだけれど。彰宏さんの母親だという女性に、「奥様に謝りたくないか」と訊かれ、深く考えずに彼女に付いていってしまった。宏斗を抱いて。
儚げで綺麗な人ー。それが僕の奥様に対する印象。一目で視線を奪われた。すらりと背が高く、一見すればαと見違える程。こんなΩ性の人もいたんだ。この人が彰宏さんの『愛する人』。嫉妬はしなかった。こんな綺麗な人が番にいて、そもそも彰宏さんが僕を見てくれる筈なんてなかったんだ。納得した。犯罪を犯さずに普通に声を掛けたとしても。疲れて見えるのはきっと僕のせい。僕が奥様に見惚れている側で彰宏さんの母親が彼に向かって話しかけている。その言葉の中に『離婚』の二文字を拾って、僕はぎょっとした。奥様に離婚を勧めているらしい事を理解した僕を、奥様が見た。僕は弁明しようとした。「そんな事は望んでいない!」、と。でも、喉が張り付いたかの様に声が出なかった。よく考えもせずに付いて来た事を後悔したー。
自分の欲望の為に子供を利用した、と言われた。違うとは言えなかった。意図せずとも、結果として僕の妊娠出産が彰宏さんを束縛したのは事実だから。
そして知った、奥様の余命ー。
本来なら僕がそうなる筈だった。彰宏さんにとって、要らないのは僕だから…。
僕は幾つの罪を重ねたのだろう?
奥様のお兄様は「赦せる日は来ない」と言った。だから、償いの機会さえ与えられない僕は、この先死ぬまで…ううん、死して尚も赦される事は無い。
これからはただ、宏斗の為に生きよう。
過ぎた欲は持たず、宏斗の為だけに……。
それが今の僕に許された唯一つの……。
698
あなたにおすすめの小説
僕たちの世界は、こんなにも眩しかったんだね
舞々
BL
「お前以外にも番がいるんだ」
Ωである花村蒼汰(はなむらそうた)は、よりにもよって二十歳の誕生日に恋人からそう告げられる。一人になることに強い不安を感じたものの、「αのたった一人の番」になりたいと願う蒼汰は、恋人との別れを決意した。
恋人を失った悲しみから、蒼汰はカーテンを閉め切り、自分の殻へと引き籠ってしまう。そんな彼の前に、ある日突然イケメンのαが押しかけてきた。彼の名前は神木怜音(かみきれお)。
蒼汰と怜音は幼い頃に「お互いが二十歳の誕生日を迎えたら番になろう」と約束をしていたのだった。
そんな怜音に溺愛され、少しずつ失恋から立ち直っていく蒼汰。いつからか、優しくて頼りになる怜音に惹かれていくが、引きこもり生活からはなかなか抜け出せないでいて…。
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした
水凪しおん
BL
貧しい村で育った隠れオメガのリアム。彼の運命は、冷酷無比と噂される『銀薔薇の公爵』アシュレイと出会ったことで、激しく動き出す。
強大な魔力の呪いに苦しむ公爵にとって、リアムの持つ不思議な『浄化』の力は唯一の希望だった。道具として屋敷に囚われたリアムだったが、氷の仮面に隠された公爵の孤独と優しさに触れるうち、抗いがたい絆が芽生え始める。
「お前は、俺だけのものだ」
これは、身分も性も、運命さえも乗り越えていく、不器用で一途な二人の成り上がりロマンス。惹かれ合う魂が、やがて世界の理をも変える奇跡を紡ぎ出す――。
【完結】君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが…
《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ
MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。
揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。
不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。
すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。
切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。
続編執筆中
キミと2回目の恋をしよう
なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。
彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。
彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。
「どこかに旅行だったの?」
傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。
彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。
彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが…
彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?
目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?
綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。
湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。
そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。
その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる