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If… 《運命の番》エンド ルート
84. 自然体で
しおりを挟む〈琳side〉
トントン…
「はい」
控えめなノック音が聴こえて、僕は返事をした。ゆっくりドアが開いて現れたのは、ノアを抱っこしたノエルさん。って、当たり前なんだけどね。今家には僕とノエルさんとノアしかいないんだから。
「リン、起きてたの」
「リン、おっき!」
ベッドから脚を下ろして座る僕を見て言うママの言葉を真似るノア。とても微笑ましいけれど、今の僕には彼らに笑顔を見せる余裕はなかった。
「ノエルさん、僕…」
「うん。海でのこと、憶えてる?」
「………。…はい…」
僕が頷くと、ノエルさんは僕の側まで来てノアを下ろして、僕の手を取った。
「先にご飯を食べよう。それから話すよ」
「はい」
ノエルさんに引き上げられる様に立った僕は、空いている方の手でノアの小さな手を握った。
3人手を繋いでダイニングに行き、遅めの朝食の後、今度はリビングに移動して、ソファに並んで座った。ノアは僕の膝の上に座っている。
「僕と一緒にいた人のことは憶えてるかな?」
ノエルさんが僕に訊いた。
「…はい」
「彼はね、僕がアメリカにいた頃からの友達」
「そうなんですか…?」
「そう。名前はリオン。彼はバース専門医で、沖縄の病院のバース科に配属される事になって、昨夜遅く、こっちに来たの。暫くはおばあの家に下宿という形で住むから、今日、リンに紹介するつもりだった」
「…お医者さん…。そう…なんですか…」
馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返す僕。だって、何て答えたらいいか解らない。もし今朝のあれが紹介という顔合わせなら、最悪としか言いようがない。
「…ごめんなさい…。僕、倒れて…」
「謝らないで? リオンも怒ってなかったからね。
ねえリン、もし話せるのなら、教えてくれる? 何があったの?」
「…あの方、α…ですよね?」
「え…? 判ったの? リオンには申し訳ないけれど、彼の容姿、αっぽくないでしょう? もしかして、リン、匂いが…」
リオンさんを見たのはほんの少しの間だったけれど、確かに僕の知るαよりも…なんなら僕よりも小柄だったと思う。けれど、自分だってΩらしくないΩだから、それは大した問題じゃない。
僕が彼がαだと判ったのは…。
「匂いは判らない。けど、多分Ωの本能。全身が震えたの。あ、この人、αだって思った。初めての感覚だった。彰宏さんにも感じた事がない感覚…。だから、怖かった。解らないのに、心と体がざわついて、怖かったの…」
だから多分僕は、自分を守る為に意識を手放したんだと思う。本当に怖かったから…。
「本能…」
「え?」
ノエルさんの小さな呟きが聴こえて首を傾げれば、彼は「何でもないよ」と首を横に振った。
「ねえ、リン。リオンにちゃんと会ってみない?」
「え……」
「強制じゃないよ。良ければ…の話。リオンの職業は気にしなくていいからね。病院では医師でも、私生活では只の人だから」
「………。只の人…。ふ…っ…」
言い回しが何だか可笑しくて笑いが洩れた。
「ようやく笑ったね」
「…あ……」
「リン、リオンはね、リンとお友達になりたいんだって。でも僕は、リンが本能的にリオンが怖いと思ったのなら、無理しなくてもいいと思う。リオンは僕の親友だけれど、リンは僕の義弟だからね。リオンには悪いけれど、僕はリンが大切だから、リンの気持ちを一番に考える。リンを傷付けたら、幾ら20年来の親友だって許さん」
「…許さん……。ふふ…」
許さん…なんて言い方、普段しないのにね…と思いながら、僕はまた笑った。ノエルさんがたまにおかしな言い方をするのは、きっと僕の気持ちを和ませる為。彼の存在は僕の、放っておいたら何処までも沈んでいきそうな気持ちを、掬い上げてくれる。
「僕、リオンさんに会ってみます」
「! リン! いいの!?」
「ふふふ…。なに驚いてるんですか。ノエルさんが言い出した事なのに」
「そ…それはそうだけどぉ、まさかこんなすぐに決めるとは思わなかったんだよ。考えさせてってくらい言われるかと思ってたんだもん」
……………。
だもん…って…。可愛いんですけど!? 年上だけれど!
「リン、本当に大丈夫? 無理してない?」
僕があっさりと「リオンさんに会う」と言ったのが想定外だったらしく、尚も確認してくるノエルさんに、僕は笑顔で頷いた。
「僕なら大丈夫。ノエルさんの友達だもの。それ以上の安心材料はないよね。何より、バース専門のお医者様ならどんなバース性にも寄り添ってくれるだろうし、他人の心に無遠慮にずかずかと入り込んだりしないでしょう?」
「リオンはそんな事しないよ。それは保証する。
リン、先に謝っておくね。僕だ。僕、リンの病気の事、リオンに話した。勝手に話してごめん。でも、アメリカはバース研究が日本より遥かに進んでるから、リンが積極的な治療を望んでいないのは知ってるけれど、僅かでも可能性があるのなら…って…。リンと引き合わせようと思ったのは、リンは全て受け入れてしまっているから、リオンにリンと話をしてほしくて…。本当に…ごめん……」
「……………」
そうだったんだ…。僕の事を想って…。
うん。やっぱりリオンさんに会おう。
積極的な治療を望まない気持ちは変わらないけれど、ノエルさんの想いを無碍にしたくないから。
「謝らないで。僕の事を考えて…だったんだよね? 僕、怒ってないよ」
「リン~…」
ぎゅう~とノエルさんがノアごと僕を抱きしめる。ノアは何かの遊びだとでも思ったのか、僕の膝の上で声を上げて笑った。
「リオンさんに会う時、ノエルさんも居てくれる?」
「あったり前じゃん。あんなんでもαなんだから、2人きりになんてさせないよ!」
「ふふ…」
あんなの…って…。ノエルさんの中のリオンさんのイメージって、どうなってんだろ…。
ふと、そんな事を思った僕だった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
改めての顔合わせは翌日の午後だった。
僕が倒れた原因がリオンさんだと思っている(確かにそうだけれど…)華英ちゃんは、リオンさんに会う事に最初は難色を示したし(最後には理解してくれたけれど)、会うにしてももう少し日を開けたほうがいいんじゃないか、と、こちらはノエルさんも華英ちゃんに同意だったみたいだけれど、僕自身があまり間を開けたくなくて『お願い』すれば、2人は溜息を吐きつつ(呆れたのかな…)、リオンさんに連絡してくれた。
華英ちゃんもノエルさんも僕に物凄く甘い。解ってて『お願い』したの。あざとくてごめんね?
「長峰 琳です。昨日の朝はノエルさんと一緒に迎えに来ていただいたのに倒れてしまい、ごめんなさい。おまけに家まで運んでいただいて…。ありがとうございます」
会ったらまず何と言って挨拶すべきか、と昨夜考えた言葉を述べて、僕は頭を下げた。ソファーに座ったままだけれど。リオンさんはローテーブルを挟んだ僕の向かい、ノエルさんはノアを膝に乗せて僕の隣に座っている。
少し前に訪れたリオンさんと対面する時は緊張した。理由は判らないけれど、また倒れたらどうしよう…と思ったんだ。でも、僕の心配は杞憂に終わり、今こうして向き合っている。
「リオンです。昨日の事は気にしないで下さい。俺…いえ、私は貴方を迎えに行くというノエルに付いて行っただけですし、Ωの貴方に触れても良いものか悩みましたが、ノエルでは無理だと思った結果ですので…。容姿はこんなですが私もαの端くれなので、力はあるんです」
リオンさんは丁寧な言葉で話してくれた。日本語、凄く上手だし。
でも、僕、聞き逃さなかったよ? 初め、俺って言いかけた事。それと、ほぼ初対面の僕だから丁寧な言葉で話してくれたけれど、ノエルさんにはきっともっと砕けた話し方だよね。
「俺、で良いですよ。お医者様とお聞きしています。仕事柄一人称は『私』なんでしょうけれど、僕の前では自然体でいて下さい。敬語も要らないです。僕のほうが歳下ですし」
僕がやんわりとお願いすれば、リオンさんの顔が綻んだ。その笑顔に一瞬…本当に一瞬だけれど、僕はドキリとした。
「まいったな…。じゃあ、お言葉に甘えて自然体で接しても良いかな?」
「はい」
僕は笑顔で頷いた。
この日、僕とリオンさんは初めて言葉を交わした。
そしてー。
全てを受け入れ、流れに身を任せるように日々を過ごしていた僕の『運命』が、再び動き出した日ー。
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