あなたに嘘を一つ、つきました

小蝶

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プロローグ

最後に一つ、あなたに嘘をつきました

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 人は嘘をつく。

 どんな聖人・善人と呼ばれる者たちも、生涯で一度も嘘をついた事がない者など存在しないだろう。

 人を貶めるための仕組まれた嘘。

 人を慰めるための見え透いた嘘。

 自分を守る為の悪意ある嘘。

 他人を守るための優しい嘘。

 嘘は嘘でも、それぞれ違う意味を持つ。数え上げたらきりがないだろう。
 さぁあなたはどんな嘘をつく。


****************************************

 月明かりがほのかな光を届けてくれる一人で使うには広すぎる部屋の中、ユカリナは手にした書類を封筒に入れ、丁寧に蝋を垂らし封蝋を押した。

 エルバード侯爵家の封蝋ではなく、私の生家であるシルベスター伯爵家の封蝋です。本来ならば既婚者である私は、嫁ぎ先であるエルバード侯爵家の封蝋を使うのが正しいのでしょうが、今回ばかりはこれが正解なのだと思います。


 今、その封筒をすぐ隣にある貴方の書斎の机に置くよう、侍女にお願いをしました。貴方が気が付くのは3か月くらい後になるのでしょうか。それとも、もう少し後になるでしょうか。

 私は貴方に嘘をつきたいと思います。

 ユカリナは封筒を置き終り部屋に戻った侍女と、先ほどから無表情でずっと私の傍らに立つ執事と共に屋敷をでる。誰にも気が付かれぬようにと、静かに扉を閉めた執事は、門の前まで一緒に来ると侍女に向かって小さなカバンを片手で押しつけた。たいした物は入っていないから軽いであろうその荷物は、侍女が受け取る前に、今にも泣きそうな顔をしている門番が執事から奪い取るように手に取った。この門番に事情は話していなかったけれど、何かを察したようだ。

 「お世話になりました」

 「…」

 頭を下げ礼を述べたユカリナに対して、執事からは一切の返事はなく、相変わらずの無表情。

 侍女はユカリナの背にそっと腕を回し、首を振る。無駄ですっとでも言うかのように。

 「まいりましょう。ユカリナ様」

 これが最後となる5年という歳月を過ごした屋敷をひとしきり見渡した後、ふと目線を敷地内にある別邸に移す。

 深夜にも関わらず、まだほんのりと明かりが灯っているその別邸の中では、きっと今も二人は起きている。

 ユカリナはもう一度、今度は無言で頭を下げると、門をでる。もう振り返る事はなく乗り込んだ馬車は、静かに暗闇に消えていった。

 ふぅ。っと一つだけため息を付いた執事は、何事もなかったように屋敷に戻っていく。その場に残された門番は奥歯を噛みしめ、仕事に戻り門に立つ。




****************************************
 
 ディランの目覚めは遅かった。もう昼も過ぎようと言う頃にようやく起きだしたディランは、隣に眠るであるシェリーの頬に軽く触れる。シェリーは小さく顔を振ると、無意識に布団の中に逃げる。まだ起きそうにないシュリーを残し着替えを済ませ、別邸をでて庭を歩く。すでに真上へ昇っている太陽に一瞬目が眩むが、気にしない足取りで本邸へと足を踏み入れる。

 表情が乏しい執事が私を迎え入れる。

 「何か変わりは?」

 「特に何もございませんでした・・・・・・・・・・・」 

 明日には、新たな戦地に向かう事が決まっている。去年までの戦争とは違い、きな臭い動きを見せる隣国への牽制が目的であるため気が楽だった。命の危険が全く無いわけではなく、小競り合いくらいはあるかも知れないが、今もなお多大な爪痕を残す、何千もの兵士が死んだあの戦争とは違う。
 戦地に赴く騎士には出陣前にまとまった休みが与えられる。今日はそんな休みの最終日だった。10日程前に起こった事故により、愛するシェリーは塞ぎ込んでいる。彼女を慰める時間は限られていたため、執事の答えに満足した私は、また別邸へと戻る。


 ディランがその事実に気が付いたのは、ユカリナの推測通り、3か月と少しがたったころだった。外観では分かるはずがないのに、少し雰囲気が変わったように感じる本邸に一瞬目をやり、まずはシェリーが待つであろう別邸に向かう。人気がなく静まり返った別邸に疑問を感じる。鍵がかかっていることに焦り、速足で本邸に入と、入口には屋敷中の人間が並んで立っていた。

 「おかえりなさいませ旦那様」

 使用人が頭を下げる。目はすぐにシェリーの姿をとらえ、私は大きく腕を広げた。

 「おかえり!ディラン!」

 愛しいシェリーが飛び込んでくるのを、私は抱き留める。

 「ただいまシェリー。走ってはダメだろう?随分と大きくなったな」

 優しく腹に触れる。

 「えぇ。この子が産まれる前にディランが無事に帰って来てくれてよかったわ」

 出立前よりも元気なシェリーに安堵しつつ、なぜかこの場にいない人物に気が付き、眉を顰める。

 「ユカリナは?」

 「ユカリナ様はいらっしゃいません」

 彼女に付けていた侍女の一人が答える。夫の帰還する日を知っているはずなのに出迎えないとは…まだあの事故を引きずっているのかと、この胸に大きく占めるのは罪悪感。私が あれ・・を見つけたのは、このすぐ後の事だった。

 その封筒は、私室の机の上に、結婚当日に互いに送りあった揃いの腕輪を重石にして置かれていた。シルベスター伯爵家の封蝋が押された封蝋を剥がして開けると、中に入っていた1枚の書類を取り出す。ふとドアが開き、室内に微かな風が通る。

 私の手にはユカリナのサインが書かれた離婚届。

 どすんっと振動を感じると、シェリーが横から抱きついてきていて嬉しそうな顔をしていた。手にしていた封筒ははずみで床にパサリと落ち、反動でもう1枚入っていたらしい美しい模様の便箋が顔をのぞかせていた。拾おうとして、手が止まる。
それは細く、美しい字で

 『お幸せに…』

 と一言だけ書かれた手紙だった。

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