当て馬令嬢は自由を謳歌したい〜冷酷王子への愛をゴミ箱に捨てて隣国へ脱走したら、なぜか奈落の底まで追いかけられそうです〜

平山和人

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ついに訪れた戴冠式の朝、空中都市は現実のものとは思えぬほどの極彩色の魔力に包まれていました。空には三つの月が重なり合い、その中央にエルナが設計した巨大な魔導陣が、脈動する心臓のように不気味な光を放っています。数百万の民衆が広場を埋め尽くし、彼らが放つ熱狂と祈りは、目に見えるほどの質量を持った「エーテル」となってエルナへと流れ込んでいきました。


エルナは白銀のドレスを纏い、純白の玉座に腰を下ろしていました。その瞳にはもはや人間らしい情愛の色はなく、膨大なデータを処理する演算装置のような、透徹した冷たさが宿っています。


「……計算通りですわ。このまま全世界の因果律を私という一点に収束させ、物語の『特異点』となる。そうすれば、不完全な自由意志などという毒に、誰も苦しめられなくて済むのですから」


その隣で、シオンは狂おしいほどの情熱を秘めた瞳で彼女を見つめていました。彼の手の中には、深淵の闇を凝縮した宝珠が握られています。それは、エルナが完成させようとしている光り輝く神域を、一瞬で閉ざされた密室へと変える「永遠の夜」の種子。


「……美しい、エルナ。世界が君を崇めれば崇めるほど、君は高みへと昇っていく。……だが、その頂に立つ君の姿を知っているのは、私だけでいい。他人の視線が君に触れるたび、私の魂は削られていくようだ。……さあ、間もなく全てが閉じる。君と私、二人だけの終わらない物語が始まるのだ」


シオンがその闇を解き放とうとした瞬間、突如として天空が「ひび割れ」を起こしました。


黄金の魔導陣に走る、漆黒の亀裂。そこから溢れ出したのは、棄てられたはずの「不確定要素」——ユリ率いる反逆の同盟でした。彼らは自らの存在を「無」へと還元し、統計学の予測を裏切るイレギュラーな軌道で空中都市へと侵攻してきたのです。


「……エルナ! あなたが積み上げた完璧な計算式を、今ここで私たちが『零』にして差し上げるわ!」


ユリの叫びと共に、地上から放たれた負のエネルギーが戴冠式の光を汚染していきます。民衆の歓喜は一転して混乱と悲鳴に変わり、空中都市を支えていた魔導回路が激しく火花を散らしました。


しかし、その崩壊の兆しを前にしても、エルナの微笑みは消えませんでした。


「……ふふ、来ましたわね、ユリ。あなたのような予測不能なノイズこそが、私の計算に最後のスパイスを加えてくれるのですわ」


エルナは立ち上がり、シオンが隠し持っていた「原初の闇」の宝珠にそっと手を重ねました。シオンは一瞬、自分の意図が見透かされていたことに愕然としますが、彼女の指先から伝わる圧倒的な魔力に、抗いようもなく陶酔させられてしまいます。


「……殿下、あなたの独占欲も、彼女の正義感も、全てはこの儀式の触媒。……光と闇、秩序と混沌。正反対のエネルギーが衝突するその摩擦熱こそが、私を真の神へと押し上げる炎となるのです」


エルナが魔導陣の最終術式を起動させると、空中都市全体が眩い光に飲み込まれました。シオンが望んだ「二人だけの閉じられた夜」と、エルナが望んだ「全世界の統一」が、矛盾したまま一つの現象として融合していきます。


ユリの刃が届くのが先か、シオンの闇が彼女を覆い隠すのが先か、あるいはエルナが全てを無に帰すのが先か。


「……さあ、この世界の『最終回』を書き換えましょう。誰一人として、私の想定したハッピーエンドからは逃がしませんわ」


崩壊と創造が同時に加速する中、エルナの狂気を含んだ笑い声だけが、消えゆく世界の中心で美しく響き渡っていました。
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