【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)

文字の大きさ
26 / 42

20.初めてのキス 後編

しおりを挟む
 水族館を出ると、夕暮れが静かに広がってた。
 海岸は、昼間の賑わいが嘘みたいに静かで、遠くに人影がちらほらと見えるだけだ。
 波の音がやけに大きく響いて、なんだか少し寂しげだった。
 砂浜を二人で歩くと、すぐに靴の中に砂が入る。 
 ちらりと大和の足元を見ると、もう裸足で歩いてた。
 僕も真似して靴を脱いだら、昼間の陽射しの温もりと砂のチクチクした感触が僕の足を包みこんできた。
 温かさの中の小さな痛みが、夏の終わりを告げてるみたいだった。

「なあ、水瀬、ここに来たことある?」

 大和の声に、僕はちょっと考えてみる。
 大和とは初めての海だったけど、家族で何度か遊びに来てたこと、クロを拾ったのもこの砂浜だったことを思い出した。
 あの時、きつい目つきだった少年と出会って、クロと一緒に砂浜を駆け回りながら、少年らしい明るい笑顔を見せてくれてたっけ。
 そんな懐かしい記憶が、ふわりと胸によみがえった。

「うん。僕、ここで大切な出会いがあったんだ」

 僕が微笑むと、大和はなんだか嬉しそうに笑ってた。
 その笑顔の意味がわからなくて、ちょっと戸惑う。
 潮の香りに包まれて、大和の若葉のような匂いが遠ざかった気がして、さみしくなった。
 だから思わず、大和の肩に頭を寄せたら、若葉のような香りがふわりと戻ってきて、ほっとした。
 大和が足を止める。

「もうさ、こういう時にそうやって甘えるの、ズルいよな」

 大和はキョロキョロとあたりを見回して、誰もいないのを確かめると、僕を強く抱きしめてきた。
 僕も大和にしがみつく。
 大和の心臓の音が大きく響いて、安心して目を閉じる。
 ふと、大和の手が僕の肩にそっと置かれる。
 
 柔らかい感触が唇に触れた。

 キスしてるんだーーそう気づいて目を開いた瞬間、唇が離れた。
 時間が止まったみたいだった。
 夕陽の光が大和のイヤーカフをキラキラ照らして、僕の心をふわっと浮き立たせる。
 大和がまたそっと僕を抱きしめてくれた。
 潮の香りと大和の温もりが、僕を優しく包み込んでた。
 このまま、ずっとこうしていたい。
 そう思った瞬間。

「俺、水瀬とこうなれてすげえ幸せ。たぶん、最初から水瀬とこうなりたかったんだ。水瀬と会えたの、ほんと幸運だった」

 大和の目が揺れる。
 僕の心の奥を見透かすみたいに。
 その視線に、胸が熱くなりながら、どこか締め付けられてしまった。

「……僕も。幸せだよ」

 「最初から」。
 大和の言葉に、僕の心がズキンと痛む。
 ごめん。
 僕は大和を騙してる。
 翼じゃなくて、碧依なんだ。
 僕は、気さくで誰とでも笑い合える、大和が好きになった翼じゃない。
 オドオドして、翼に守られてないと大和の隣に立てない碧依なんだよ。
 でも、大和といられる幸せは、本当の気持ちなんだ。
 抱きしめられながら、そっと涙がこぼれる。
 ポケットの瓶に触れて、ちゃんと話さなきゃと改めて思った。
 でも、嫌われたら、 大和の笑顔が消えたら、僕の全てが終わる気がして、言葉が喉に詰まってしまう。

 大和の裸足が目に入った。
 足の指先についた砂が、夕陽に反射してキラキラと輝いてた。
 スラリと伸びた脚は、無駄なく引き締まってて、アキレス腱がやけに目立つ。
 告白された時も、初めて話しかけられた時も、僕はこうだった。
 頭がパニックになると、どうでもいいことが目について、僕を混乱させてしまう。
 今日はそんな風に冷静に考える、もう一人の僕がいた。

  大和がふと僕の顔を見て、目を細めた。

「水瀬、ほんとに幸せか?」

 一瞬の真剣な声に、鼓動が速まる。

「うん、大和とこうしていられるんだ。幸せに決まってるよ……」

 慌てて大和に見えないように、涙を拭きながら答える。
 大和は「そっか」って柔らかく微笑んでくれたけど、その目はどこか考え込むようだった。  



 帰り道、海辺の遊歩道を黙って歩く。
 海沿いのレストランに車が入ってきて、停まる。
 あ、店長の車と同じだ。
 車種はわからないけど、珍しいデザインに目が留まった。
 運転席から店長が出てきて、僕と目が合うと、慌てて助手席に声をかけてた。
 翼が今日は夕方からデートだと喜んでたから、きっと助手席は翼だ。
 僕たちと翼が鉢合わせしないようにと慌てる店長を見て、迷惑をかけている罪悪感に胸がちくりと痛んだ。

「あれ、店長だよな。あんなオシャレなお店、絶対デートだろ」

 大和がポツリと呟く。

「……うん、そうだね」

 助手席を隠すように立つ店長に手を振られて、なんだかますます落ち込んでしまった。

「水瀬、何で落ち込むんだよ。……なあ。水瀬と店長って……。いや、何でもない」
 
 珍しく口ごもる大和に、僕は少し疑問に思ったけど、自分の考えが巡ってて、あんまり気にしなかった。

 大和が僕の手を握る力が、いつもより弱く感じる。



 ……もう、充分かな。

 大和からたくさんの思い出をもらった。
 そっとポケットに手を入れる。
 本屋で一緒に働いて、大和の名前を呼んで、手をつないで、いろんなところに行った。
 映画を見て、花火を見て、水族館で笑い合った。
 翼へのキラキラした笑顔も、僕にたくさん向けてくれた。
 そして、キスもした。
 これ以上は、欲張りすぎだと思う。
 だって、この幸せは嘘の上にできた幻だから。
 店長や翼にずいぶん迷惑をかけてしまった。
 もう、二人きりで会うのは、今日で最後にしよう。

 一週間後の夏休み最終日。
 僕のバイトの最後の日だ。
 この日、予定通りに大和に全部話して、謝ろうと心に決めた。
 大和は怒るかもしれない。
 笑顔を見られなくなるかもしれない。
 告白された次の日の朝、それでもいいって、決めたじゃないか。
 翼にも宣言してる。
 ちゃんと、この嘘にけじめを付けるんだ。
 僕の迷いは、静かに消えていく。
 夕陽の光が、砂浜に長い影を落としていた。
 波の音が、僕の決意をそっと包み込んだ。

しおりを挟む
感想 57

あなたにおすすめの小説

君の恋人

risashy
BL
朝賀千尋(あさか ちひろ)は一番の親友である茅野怜(かやの れい)に片思いをしていた。 伝えるつもりもなかった気持ちを思い余って告げてしまった朝賀。 もう終わりだ、友達でさえいられない、と思っていたのに、茅野は「付き合おう」と答えてくれて——。 不器用な二人がすれ違いながら心を通わせていくお話。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

新生活始まりました

たかさき
BL
コンビニで出会った金髪不良にいきなり家に押しかけられた平凡の話。

【完結】いいなりなのはキスのせい

北川晶
BL
優等生×地味メンの学生BL。キスからはじまるすれ違いラブ。アオハル! 穂高千雪は勉強だけが取り柄の高校一年生。優等生の同クラ、藤代永輝が嫌いだ。自分にないものを持つ彼に嫉妬し、そんな器の小さい自分のことも嫌になる。彼のそばにいると自己嫌悪に襲われるのだ。 なのに、ひょんなことから脅されるようにして彼の恋人になることになってしまって…。 藤代には特異な能力があり、キスをした相手がいいなりになるのだという。 自分はそんなふうにはならないが、いいなりのふりをすることにした。自分が他者と同じ反応をすれば、藤代は自分に早く飽きるのではないかと思って。でも藤代はどんどん自分に執着してきて??

手の届かない元恋人

深夜
BL
昔、付き合っていた大好きな彼氏に振られた。 元彼は人気若手俳優になっていた。 諦めきれないこの恋がやっと終わると思ってた和弥だったが、仕事上の理由で元彼と会わないといけなくなり....

刺されて始まる恋もある

神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。

処理中です...