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22.隠された瞳 後編
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翌日バイトに行くと、すぐに大和が話しかけてきた。
店名の入ったエプロンのポケットには、イルカのペンがささってる。
「やあ、水瀬。昨日、風邪ひかなかったか?」
「うん。濡れたけど、寒くなかったから大丈夫だよ」
あの時の大和の体温や若葉のような香りが、鮮やかに蘇る。
顔が熱くなり、僕は慌てて仕事を始めた。
その後は二人とも忙しくて、大和とは話す機会はなかった。
もう僕に聞かなくてもどんどん仕事をこなせるようになった大和は、一人でいろんな仕事をてきぱきと捌いている。
そんな大和の頼もしい姿が、僕は寂しさとと憧れが入り混じった気持ちで、つい見つめてしまう。
帰りがけ、大和が準備を終えて僕を待っていた。
「水瀬、お疲れ! 今日、どうする? 休憩にちょっと食べたけどさ、まだ腹減ってるだろ? どっかで軽く食べないか?」
「ごめん、店長に用事があって」
用事がなくても、もう二人では会わない。
大和は、少し眉をひそめたけど、「分かった」って答えてくれて、僕はホッと撫で下ろした。
大和にバイバイと手を振って別れ、事務室の扉をノックして中に入ると、店長はパソコンから目を離し、眼鏡を外して眉間を揉んでた。
「店長、仕事中にごめんなさい。少しだけいいですか?」
「いや、今ちょうど休憩しようと思ってたところだよ」
店長は席を立ち、コーヒーを二人分淹れて、一つを僕に渡してくれた。
「ミルクと砂糖、どうぞ」
「はい。ありがとうございます」
コーヒーの良い香りが、部屋に広がる。
店長がフレッシュミルクを二つとスティックシュガーを一本渡してきた。
これは、翼がいつもコーヒーに入れる数と同じだった。
何も聞かずにそれが出てきたことに、僕は小さく微笑んだ。
「あ、悪い。つい、聞かずに渡してしまったな。あっちにまだあるから、好きに使って」
「いえ、僕も同じなんです。分かっててくれてるのが、嬉しくて」
僕はミルクと砂糖を入れ、一口飲むと、翼が入れてくれるコーヒーと同じ味がした。
その温かさに心が落ち着く。
「店長、僕、夏休み最終日に大和に本当のことを話します。店長との関係をずっとごまかしてたことも、ちゃんと説明します。大和には辛い話になるかもしれないけど……ほんとは、本人から聞きたかったかもしれないけど、告白を受けた僕が話しても良いですよね?」
大和は、好きな翼が店長と付き合ってるなんて聞きたくないだろうな。
けれど、僕が「違う」と言ってしまったから。
ちゃんと責任持ってそれも伝えなきゃと思ってた。
ちらりと店長を見ると、軽く頷いてくれたので、僕は話しを続けた。
「店長には、いろんなことを内緒にしてもらったり、昨日のデートでも気を遣ってもらって、ありがとうございました。僕、ちゃんと大和と向き合います」
笑顔で話せた。
店長は、僕の顔をじっと見て、柔らかく微笑んだ。
「そうか、気持ちを整理できたんだな。俺たちのことは、別に隠してるわけじゃないから、気にせず話していいよ。碧依君の好きにしていい」
その時、バタンと裏口の扉が閉まる音がした。
あれ、他に誰かいたのかな?
遅い時間のシフトだったから、お店には誰もいないと思ってた。
誰か、忘れ物でもして取りに戻ったのかな?
その後、店長と少し雑談をして部屋を出た。
「お仕事の邪魔してごめんなさい。失礼します。あ、そうだ。翼、五日後のデート、楽しみにしてて……」
僕は、翼の様子を伝えるつもりでそう言った途端、店長の顔が今まで見たどの顔よりも優しく、愛おしそうに遠くを見つめてた。
それは、大和が僕を見る目と同じだった。
恋をしてる人は、みんなこんな素敵な顔をするんだな。
胸がドキンと高鳴り、言葉が詰まったまま事務室を出たんだ。
外に出ると、なぜか大和が最初のデートのときのように外壁に寄りかかって立っていた。
大和は僕を見て眉をひそめ、僕の目を手で覆ってきた。
「如月くん……?」
僕が戸惑いながら声を出すと、震える息を吐く音が聞こえる。
「なんて顔してるんだよ、水瀬。自分が店長と話した後にどんな顔してるか、分かってる? ……水瀬のこと待ってたんだけど、帰るわ」
大和の手が離れ、ちょうど車のライトが目に当たった。
眩しさに目をつぶり、もう一度目を開けたとき、大和はもういなくなってた。
遠くで鈴虫の鳴声が聞こえる。
こんな都会でも、虫が元気に生きていることに、僕は嬉しくなる。
けれど、その鳴き声はどこか物悲しく、夏の終わりを告げているようだった。
僕はじっと耳を澄ませながら、胸に残るざわめきを抱えたまま、歩き出した。
店名の入ったエプロンのポケットには、イルカのペンがささってる。
「やあ、水瀬。昨日、風邪ひかなかったか?」
「うん。濡れたけど、寒くなかったから大丈夫だよ」
あの時の大和の体温や若葉のような香りが、鮮やかに蘇る。
顔が熱くなり、僕は慌てて仕事を始めた。
その後は二人とも忙しくて、大和とは話す機会はなかった。
もう僕に聞かなくてもどんどん仕事をこなせるようになった大和は、一人でいろんな仕事をてきぱきと捌いている。
そんな大和の頼もしい姿が、僕は寂しさとと憧れが入り混じった気持ちで、つい見つめてしまう。
帰りがけ、大和が準備を終えて僕を待っていた。
「水瀬、お疲れ! 今日、どうする? 休憩にちょっと食べたけどさ、まだ腹減ってるだろ? どっかで軽く食べないか?」
「ごめん、店長に用事があって」
用事がなくても、もう二人では会わない。
大和は、少し眉をひそめたけど、「分かった」って答えてくれて、僕はホッと撫で下ろした。
大和にバイバイと手を振って別れ、事務室の扉をノックして中に入ると、店長はパソコンから目を離し、眼鏡を外して眉間を揉んでた。
「店長、仕事中にごめんなさい。少しだけいいですか?」
「いや、今ちょうど休憩しようと思ってたところだよ」
店長は席を立ち、コーヒーを二人分淹れて、一つを僕に渡してくれた。
「ミルクと砂糖、どうぞ」
「はい。ありがとうございます」
コーヒーの良い香りが、部屋に広がる。
店長がフレッシュミルクを二つとスティックシュガーを一本渡してきた。
これは、翼がいつもコーヒーに入れる数と同じだった。
何も聞かずにそれが出てきたことに、僕は小さく微笑んだ。
「あ、悪い。つい、聞かずに渡してしまったな。あっちにまだあるから、好きに使って」
「いえ、僕も同じなんです。分かっててくれてるのが、嬉しくて」
僕はミルクと砂糖を入れ、一口飲むと、翼が入れてくれるコーヒーと同じ味がした。
その温かさに心が落ち着く。
「店長、僕、夏休み最終日に大和に本当のことを話します。店長との関係をずっとごまかしてたことも、ちゃんと説明します。大和には辛い話になるかもしれないけど……ほんとは、本人から聞きたかったかもしれないけど、告白を受けた僕が話しても良いですよね?」
大和は、好きな翼が店長と付き合ってるなんて聞きたくないだろうな。
けれど、僕が「違う」と言ってしまったから。
ちゃんと責任持ってそれも伝えなきゃと思ってた。
ちらりと店長を見ると、軽く頷いてくれたので、僕は話しを続けた。
「店長には、いろんなことを内緒にしてもらったり、昨日のデートでも気を遣ってもらって、ありがとうございました。僕、ちゃんと大和と向き合います」
笑顔で話せた。
店長は、僕の顔をじっと見て、柔らかく微笑んだ。
「そうか、気持ちを整理できたんだな。俺たちのことは、別に隠してるわけじゃないから、気にせず話していいよ。碧依君の好きにしていい」
その時、バタンと裏口の扉が閉まる音がした。
あれ、他に誰かいたのかな?
遅い時間のシフトだったから、お店には誰もいないと思ってた。
誰か、忘れ物でもして取りに戻ったのかな?
その後、店長と少し雑談をして部屋を出た。
「お仕事の邪魔してごめんなさい。失礼します。あ、そうだ。翼、五日後のデート、楽しみにしてて……」
僕は、翼の様子を伝えるつもりでそう言った途端、店長の顔が今まで見たどの顔よりも優しく、愛おしそうに遠くを見つめてた。
それは、大和が僕を見る目と同じだった。
恋をしてる人は、みんなこんな素敵な顔をするんだな。
胸がドキンと高鳴り、言葉が詰まったまま事務室を出たんだ。
外に出ると、なぜか大和が最初のデートのときのように外壁に寄りかかって立っていた。
大和は僕を見て眉をひそめ、僕の目を手で覆ってきた。
「如月くん……?」
僕が戸惑いながら声を出すと、震える息を吐く音が聞こえる。
「なんて顔してるんだよ、水瀬。自分が店長と話した後にどんな顔してるか、分かってる? ……水瀬のこと待ってたんだけど、帰るわ」
大和の手が離れ、ちょうど車のライトが目に当たった。
眩しさに目をつぶり、もう一度目を開けたとき、大和はもういなくなってた。
遠くで鈴虫の鳴声が聞こえる。
こんな都会でも、虫が元気に生きていることに、僕は嬉しくなる。
けれど、その鳴き声はどこか物悲しく、夏の終わりを告げているようだった。
僕はじっと耳を澄ませながら、胸に残るざわめきを抱えたまま、歩き出した。
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