聖なる森と月の乙女

小春日和

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忘却の空と追憶の月

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「エマの妹とは知らず、失礼した」

そう王子然とした仮面を被ったアルフレッドが微笑みながら言った。
私の前では一度も被らなかったその笑顔の仮面を晒され、愕然と息をつく。

「いえ…。それよりも、殿下もお疲れでしょう。一先ず教会でお体をお休めください」

震えそうになる声を必死に抑え、私も敢えて社交で身に付けた笑顔の仮面を被る。

「いや、疲れもそこまではない。あの崖から落ちたにしては、頭を少し打った程度で済んだようだし、ここにいるスカイレットが良くしてくれたからな」

そう言って、アルフレッドは後ろに立つ女性の肩を優しく抱いた。
そのアルフレッドにスカイレットと呼ばれた女性は嬉しそうにはにかんだ笑顔を見せる。
スカイレットに向ける笑顔は、先程私に向けられた仮面の笑顔ではなく、穏やかないつものアルフレッドの微笑みだった。
一週間前までは私だけに向けられたその微笑み。
どろりと黒い感情が、心の傷口から滲み出てくるような感覚を覚える。
だけど、それを表に出すのは私のポリシーに反する。
私の幸せは、アルフレッドの幸せ。
その思いは、婚約者候補の時も婚約者になった今も変わらない。
アルフレッドの幸せを邪魔するものは、私自身でさえも許さない。
そう、まだ大丈夫。
まだそう思える。
私だけを見て、私だけを愛してなんて、アルフレッドの負担になるだけ。
アルフレッドが運命の人を見つけたなら、私は…ーーー。
大丈夫、まだ。

「そうですか。
スカイレット様、殿下の御身をお守りくださり、ありがとうございます」

恭しく頭を下げた私に、スカイレットの戸惑ったような声が返ってくる。

「いえ、私は私の意思でアルフレッドを助けたので、あなたに感謝される覚えはありません」

「なんっ!」

スカイレットの返答に、リリーがいきり立つ。
そんなリリーを手で制して、私はすっと姿勢を正しスカイレットを見つめた。

「ご気分を害されたなら謝ります。一家臣として、感謝を告げずにはいられなかったのです」

私の視線に、スカイレットは居心地が悪そうに身動ぎすると、小さくいいえ、と呟いた。

「ティアリーゼ嬢、心配を掛けたようですまなかった。他の者は無事だろうか?」

アルフレッドがやや警戒を解いたように、周囲の様子を尋ねた。

ーーーティアリーゼ嬢…

その他人行儀な呼び方、初めてされたなと思うと、どこかおかしくなってくる。

それを隠すように苦笑だけに留めるのに苦労したが、アルフレッドは気づく様子はない。
これまでのアルフレッドだったら、そんな私の様子に敏感に気付いて、欲しい言葉を掛けてくれたというのに。

「今回の事故の負傷者は、皆教会にて静養しております。
幸いにも重傷者はいても、死者は出なかったようです。
皆殿下のことを私と同様心配していましたので、慰問していただけるととても喜ぶと思います」

そういう私に、アルフレッドは素直に頷いた。

そして、教会へ向かうべく馬車へと歩くアルフレッドの後ろをぴたりとスカイレットが付き従っていく。
その様子を複雑な気持ちで見つめる傍ら、心の中で丁寧に丁寧にアルフレッドへの思いを封印する。
先程アルフレッドに言ったように、家臣である皆と同じくらいの忠誠心だけ残して、邪魔な恋慕だけを丁寧に。

そして、アルフレッドとスカイレットが馬車に乗り込んだのを確認し、私は馬に騎乗している騎士へ声をかける。

「すみませんが、同伴させていただけないでしょうか」

「ティアリーゼ様!何をおっしゃっているのですか!大体、あの女、なんの権利があって殿下と同じ馬車に…!!」

怒りの声を上げるリリーに、騎士も静かに頷く。

「いいえ、あの方は殿下の命の恩人。そのような方をぞんざいに扱うことは、まだ世間では婚約者である私が許しません。リリー、慎みなさい」

「ティアリーゼ様…」

私のために怒ってくれているリリーが、泣きそうに顔を歪める。
そんな彼女にごめんねとありがとうを伝え、騎士の手を借りて馬上へと引き上げてもらう。

「ティアリーゼ様、申し訳ありませんが落ちるといけませんので、体を支えても?」

騎士が気遣わしげに声をかけてくる。
それに私は申し訳ない気持ちで頷いた。

「お願いします」

馬車が走り出し、その横を馬に乗った私とリリー、そして近衛騎士たちが守るように固める。
途中、馬車の方から強い視線を感じ、ふと目を向けるとアルフレッドが酷く険しい顔でこちらを見つめていた。

私は騎士へ顔を向けると、騎士が私の声を拾おうと顔を近づける。
その気遣いに感謝しつつ、私は騎士へ馬を馬車へ寄せるようお願いした。

相変わらず険しい顔でこちらを見つめるアルフレッドに苦笑しつつ、私はアルフレッドの憂いを取り除くため、伝えたい言葉を伝える。

「女二人、殿下の騎士の手を煩わせてしまい申し訳ありません。何か不足の事態がありましたら、私のことは捨て置いてもらい、殿下の護衛には差し支えないようにいたしますので、ご容赦願います」

もともと、帰りは私とアルフレッド、リリーで相乗りする予定だったため、こうするより他なかったのだ。
見知らぬ婚約者がアルフレッドの騎士の手を煩わせることを憂いて、あんな厳しい顔だったのだろう。
そのことを純粋に謝ると、返事もなく顔を背けられた。
そのことに寂しさを感じ、そっと目を伏せた。
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